pp.124-126より抜粋
ISBN-10 : 4121601610
ISBN-13 : 978-4121601612
合衆国において宗教が政治に及ぼす直接の作用については、いま(前節で)述べたばかりである。その間接の作用のほうがはるかに強力なように見える。宗教が自由について語らないときこそ、アメリカの人々に自由である術を最もよく教えるのである。
合衆国には数えきれないほど宗派がある。そのすべてが人間連帯の義務については一致している。各宗派は、それぞれの仕方で神を崇めるが、すべての宗派が神のみ名において同一の道徳を説く。個人としての人間に、各自の宗教が真実であるということは意義が大きいとしても、社会にとっては問題にならない。社会は来世を恐れもしなければ、来世に望みもかけない。社会にとって最も重要なのは、すべての構成員が真の宗教を奉ずることではなく、一つの宗教をもてはよいのである。そして、合衆国のすべての宗派はキリスト教という大きな単一体に属し、キリスト教の道徳はどこでも同じである。
アメリカの人々の中には、確信に従うというより、慣習によって神を崇める人が相当あると考えてよい。さらに合衆国では主導者(人民)が宗教的であり、その結果、一般に宗教的であるふりをせざるをえない。しかしアメリカはいまなお、世界中でキリスト教が人間の魂を動かす力を最も強く保っているところである。また、それが人間にいかに有益であり自然であるかを最もよく示している。今日、その力が人間に最も強く及んでいる国は、最も開明的であるとともに、最も自由であるからである。
すでに述べたことであるが、アメリカの聖職者は市民的自由(の原理)に対して一般に賛成である。信教の自由を断じて認めない人々さえ例外でなない。しかし、特定の政治体制を支持することはない。聖職者は現実の問題に巻きこまれないように注意し、政党政派に介入しない。合衆国において、宗教が立法にも政治的な意見の細部にも影響を及ぼすとはいえないが、習俗を指導するのである。家庭を規制することによって、国家の規制にはたらく。
合衆国に見られる習俗の厳正さは、信仰に第一の源をもっている。これを私は瞬時も疑わない。ここでも、富がさし出す無数の誘惑から男性を守るのに、宗教はしばしば無力である。男の、金持になりたいという熱望をすべてが刺激する。これらを和らげることは宗教にできまい。しかし、女性の魂にとって宗教は至上の権威をもっている。そして、習俗をつくるのは女なのである。まさしくアメリカは、婚姻の絆が世界で最も尊重される国であり、結婚の幸福について最も高く正しい観念が保たれている国である。
ヨーロッパでは、社会のすべての混乱は家庭と夫婦関係とをめぐって生じる。男性が自然の絆と正統な楽しみを軽視し、秩序の乱れに味をしめ、心が落ち着かず、欲望にも不安定を来すのは、ここにおいてである。自分の住居にしばしば紛糾があり、その激情に動かされるので、ヨーロッパの人々は国家の立法権に服するのが難儀になる。アメリカ人は政治の喧騒から離れて家庭に帰ると、秩序と平和との姿に接する。家庭では、すべての楽しみが簡素、自然であり、喜びには罪がなく、穏やかである。規則正しい生活によって幸福がもたらされるので、意見も趣味も(正常に)抑えておく習性ができやすい。ヨーロッパの人が社会を騒がせて家庭の悩みから逃れようとするのに対し、アメリカ人は家庭から秩序への愛を汲みとり、次いでそれを国事にもたらす。
ISBN-10 : 4121601610
ISBN-13 : 978-4121601612
合衆国において宗教が政治に及ぼす直接の作用については、いま(前節で)述べたばかりである。その間接の作用のほうがはるかに強力なように見える。宗教が自由について語らないときこそ、アメリカの人々に自由である術を最もよく教えるのである。
合衆国には数えきれないほど宗派がある。そのすべてが人間連帯の義務については一致している。各宗派は、それぞれの仕方で神を崇めるが、すべての宗派が神のみ名において同一の道徳を説く。個人としての人間に、各自の宗教が真実であるということは意義が大きいとしても、社会にとっては問題にならない。社会は来世を恐れもしなければ、来世に望みもかけない。社会にとって最も重要なのは、すべての構成員が真の宗教を奉ずることではなく、一つの宗教をもてはよいのである。そして、合衆国のすべての宗派はキリスト教という大きな単一体に属し、キリスト教の道徳はどこでも同じである。
アメリカの人々の中には、確信に従うというより、慣習によって神を崇める人が相当あると考えてよい。さらに合衆国では主導者(人民)が宗教的であり、その結果、一般に宗教的であるふりをせざるをえない。しかしアメリカはいまなお、世界中でキリスト教が人間の魂を動かす力を最も強く保っているところである。また、それが人間にいかに有益であり自然であるかを最もよく示している。今日、その力が人間に最も強く及んでいる国は、最も開明的であるとともに、最も自由であるからである。
すでに述べたことであるが、アメリカの聖職者は市民的自由(の原理)に対して一般に賛成である。信教の自由を断じて認めない人々さえ例外でなない。しかし、特定の政治体制を支持することはない。聖職者は現実の問題に巻きこまれないように注意し、政党政派に介入しない。合衆国において、宗教が立法にも政治的な意見の細部にも影響を及ぼすとはいえないが、習俗を指導するのである。家庭を規制することによって、国家の規制にはたらく。
合衆国に見られる習俗の厳正さは、信仰に第一の源をもっている。これを私は瞬時も疑わない。ここでも、富がさし出す無数の誘惑から男性を守るのに、宗教はしばしば無力である。男の、金持になりたいという熱望をすべてが刺激する。これらを和らげることは宗教にできまい。しかし、女性の魂にとって宗教は至上の権威をもっている。そして、習俗をつくるのは女なのである。まさしくアメリカは、婚姻の絆が世界で最も尊重される国であり、結婚の幸福について最も高く正しい観念が保たれている国である。
ヨーロッパでは、社会のすべての混乱は家庭と夫婦関係とをめぐって生じる。男性が自然の絆と正統な楽しみを軽視し、秩序の乱れに味をしめ、心が落ち着かず、欲望にも不安定を来すのは、ここにおいてである。自分の住居にしばしば紛糾があり、その激情に動かされるので、ヨーロッパの人々は国家の立法権に服するのが難儀になる。アメリカ人は政治の喧騒から離れて家庭に帰ると、秩序と平和との姿に接する。家庭では、すべての楽しみが簡素、自然であり、喜びには罪がなく、穏やかである。規則正しい生活によって幸福がもたらされるので、意見も趣味も(正常に)抑えておく習性ができやすい。ヨーロッパの人が社会を騒がせて家庭の悩みから逃れようとするのに対し、アメリカ人は家庭から秩序への愛を汲みとり、次いでそれを国事にもたらす。
0 件のコメント:
コメントを投稿