pp.35-38より抜粋
ISBN-10 : 4061495755
ISBN-13 : 978-4061495753
ISBN-10 : 4061495755
ISBN-13 : 978-4061495753
ここで注目すべきなのが、そのオタクたちの幻想が営まれる場所が、江戸時代の町人文化に擬した一種のテーマパークのように描かれていたことである。前傾のコジューヴをはじめとして、日本の江戸時代はしばしば、歴史の歩みが止まり、自閉的なスノビズムを発達させた時代として表象されてきた。そして高度経済成長以降の日本は、「昭和元禄」という表現があるように、自分たちの社会を好んで江戸時代になぞらえていた。ポストモダニズムたちの江戸論は、八〇年代に幾度もメディアを賑わしている。
この欲望のメカニズムは理解しやすい。日本の文化的な伝統は、明治維新と敗戦で二度断ち切られている。加えて戦後は、明治維新から敗戦までの記憶は政治的に大きな抑圧を受けている。したがって、八〇年代のナルシスティックな日本が、もし敗戦を忘れ、アメリカの影響を忘れようとするのならば、江戸時代のイメージにまで戻るのがもっともたやすい。大塚や岡田のオタク論に限らず、江戸時代がじつはポストモダンを先取りしていたというような議論が頻出する背景には、そのような集団心理が存在する。
したがってそこで見出された「江戸」もまた、現実の江戸ではなく、アメリカの影響から抜け出そうとして作り出された一種の虚構であることが多い。「セイバーJ」が描くジャポネスは、まさに、そのようなポストモダニスト=オタクたちの江戸的な想像力のいかがわしさを体現している(図2)。超近代的な科学技術と前近代的な生活習慣を混ぜ合わせて設定されたその光景は、まったくリアリティを欠いている。TVアニメという性格上、登場人物は強いデフォルメでデザインされ、過剰に非現実的な感情表現をする。ジャポネス城は変形してロボットになるし、マリオネットたちの衣装もまた和服に似せてはいるものの、セクシュアル・アピールを強調するため随所に変形が加えられた結果、まるでイメクラのコスチュームのようになっている。低予算で作られたアニメのせいか、映像的にもセルの使い回しが多く、主人公以外の男性たちは、数人を除きほとんど描き分けられることがない。おまけに物語の多くはドタバタコメディであり、シリアスな設定と齟齬を起こしている。物語的にも映像的にも、ここにはいかなる深さもなく、いかなる一貫性もない。しかしそれはある意味で、オタク的な疑似日本の戯画であり、また、現代日本の文化状況の戯画でもある。制作者たちがそのようなメッセージを自覚的に込めたとは思わないが、筆者は以上の点で、「セイバーJ」は、オタク系文化の特徴をきれいに反映した隠れた佳作だと考えている。
オタク系文化の重要性
ここまでの議論でも明らかなように、オタク系文化についての検討は、この国では決して単なるサブカルチャーの記述には止まらない。そこにはじつは、日本の戦後処理の、アメリカからの文化的侵略の、近代化とポストモダンの問題とも深く関係している。たとえば、冷戦崩壊後のこの一二年間、小林よしのりや福田和也から鳥肌実にいたるまで、日本の右翼的言説は一般にサブカルチャー化しフェイク化しオタク化することで生き残ってきたとも言える。
したがって彼らが支持されてきた理由は、サブカルチャーの歴史を理解せず、主張だけを追っていたのでは決して捉えることができない。筆者はこの問題にも強い関心を抱いており、いつか機会があれば主観的に論じてみたいと考えている。
この欲望のメカニズムは理解しやすい。日本の文化的な伝統は、明治維新と敗戦で二度断ち切られている。加えて戦後は、明治維新から敗戦までの記憶は政治的に大きな抑圧を受けている。したがって、八〇年代のナルシスティックな日本が、もし敗戦を忘れ、アメリカの影響を忘れようとするのならば、江戸時代のイメージにまで戻るのがもっともたやすい。大塚や岡田のオタク論に限らず、江戸時代がじつはポストモダンを先取りしていたというような議論が頻出する背景には、そのような集団心理が存在する。
したがってそこで見出された「江戸」もまた、現実の江戸ではなく、アメリカの影響から抜け出そうとして作り出された一種の虚構であることが多い。「セイバーJ」が描くジャポネスは、まさに、そのようなポストモダニスト=オタクたちの江戸的な想像力のいかがわしさを体現している(図2)。超近代的な科学技術と前近代的な生活習慣を混ぜ合わせて設定されたその光景は、まったくリアリティを欠いている。TVアニメという性格上、登場人物は強いデフォルメでデザインされ、過剰に非現実的な感情表現をする。ジャポネス城は変形してロボットになるし、マリオネットたちの衣装もまた和服に似せてはいるものの、セクシュアル・アピールを強調するため随所に変形が加えられた結果、まるでイメクラのコスチュームのようになっている。低予算で作られたアニメのせいか、映像的にもセルの使い回しが多く、主人公以外の男性たちは、数人を除きほとんど描き分けられることがない。おまけに物語の多くはドタバタコメディであり、シリアスな設定と齟齬を起こしている。物語的にも映像的にも、ここにはいかなる深さもなく、いかなる一貫性もない。しかしそれはある意味で、オタク的な疑似日本の戯画であり、また、現代日本の文化状況の戯画でもある。制作者たちがそのようなメッセージを自覚的に込めたとは思わないが、筆者は以上の点で、「セイバーJ」は、オタク系文化の特徴をきれいに反映した隠れた佳作だと考えている。
オタク系文化の重要性
ここまでの議論でも明らかなように、オタク系文化についての検討は、この国では決して単なるサブカルチャーの記述には止まらない。そこにはじつは、日本の戦後処理の、アメリカからの文化的侵略の、近代化とポストモダンの問題とも深く関係している。たとえば、冷戦崩壊後のこの一二年間、小林よしのりや福田和也から鳥肌実にいたるまで、日本の右翼的言説は一般にサブカルチャー化しフェイク化しオタク化することで生き残ってきたとも言える。
したがって彼らが支持されてきた理由は、サブカルチャーの歴史を理解せず、主張だけを追っていたのでは決して捉えることができない。筆者はこの問題にも強い関心を抱いており、いつか機会があれば主観的に論じてみたいと考えている。
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