2020年8月5日水曜日

20200804 「意識の変容を惹起させる何か」について

おかげさまで、直近2回投稿の【架空の話】は思いのほか多くの方々に読んで頂けました。

これらを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。おそらく、あと二話ほどでKでのアパート探しになり、その後数回でKへの転居という流れに至ると考えていますが、我がことながら面白いと思うことは、こうしたモノガタリのような文章を作成していますと、作成途中で何故だか急に眠くなり、意識が飛びそうになることがあったり、他方で、不図、忘れていた記憶を思い出し「そうだ、この記憶に肉付けをしてモノガタリに組み込んでみよう。」と記事作成に拍車が掛かったりすることです・・。

また、さらに面白いことの一つは、その後で、既に投稿した記事を再度フェイスブックやツイッターで共有してみたり、それ関連する内容の記事をさらにそこに投稿してみたくなってくることです。

これは、調子の良い時は、何と云いますか、比較的リズミカルに自然に出来るのですが、停滞やスランプ気味の時は、こうした行為の自分なりに感じる「冴え」も鈍っているように思われるのです。あるいは、こうした主観的な「冴え」は、あくまでも主観的なものであり、他者から見ると、それぞれの時期(乗っている時と停滞気味の時)の間に共有・関連付け作業を行っている際の「冴え」に違いは認められないのかもしれませんが、他方で感覚的ではありますが、こうした行為は、ある程度継続していますと「自分なりの評価基準」といったものが徐々に形成されていくようにも思われます。

そして、新規投稿を継続することにより、この「自分なりの評価基準」は次第に足場のしっかりしたものになり、その先の共有・関連付け作業もまた、出来るようになると思われます。

くわえて、そのようにして新規の記事投稿や共有・関連付け作業を継続していきますと、何かしら自身が記事で書いたことや、取り上げたトピックや書籍が、自身個人よりも広い規模で取り上げられているような感じを受けることが度々生じるのです・・(笑)。

こうした感覚は「天動説」のような前近代的なものであると思われがちであり、おそらくは、そうした要素も少なからずあるとは思われますが、しかし他方で、それだけではない、個人と集団を貫く何らかの意識や感覚に触れたり、かすったりあるいはまた貫くこともいくらかはあるのではないかと思われるのです・・。

そうしますと、こうしたネット空間での新規のブログ記事投稿や共有・関連付け作業を行うことに、どのような効果や意味があるのかと考えてみますと、それは残念ながら現在の私の語彙や言語化し得る感覚の外にあると云えます・・。とはいえ、少なくとも自身においては、そうした行為には「意識の変容を惹起させる何か」があるのではとも考えています。

そして、そうした未だコトバにて翻訳出来ないような意識変容の蓄積により、何かしら「意識の相変態」のようなことが生じるのではないかと思われるのです・・。

また、ここまで書いていて不図、思ったことは「意識の相変態」が生じ易い社会とそうでない社会についてですが、これにつきましては、また別の機会に書いてみようと思います。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5

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