文藝春秋刊 山本七平著『ある異常体験者の偏見』pp.27-29より抜粋引用
ISBN-10: 9784163646701
ISBN-13: 978-4163646701
『「私が一方ならぬお世話になり、今でもお世話になりっぱなりのI書店のI社長は、私たちとは全く別種の、恐ろしい体験をされた方であった。I社長は戦争中「特高」につかまり、ある警察署の地下の留置場に三年間入れられていた。しかしI社長には、一見、いわゆる「被害者意識」といったものが全くなかったし、外見からは、そんな恐ろしい体験をした人とは全く見えなかった。少しアルコールが入ったとき、その留置場生活を語るI社長の語り方は、不思議なことにむしろたのしげでさえあった。「そりゃあねえー、キミ、三年間、太陽というものを一回も見なかったよ。しかしナー、キミ、ボカァしまいにゃ牢名主になってネ、毛布五枚敷いたその上に座っていたんだ。ヤクザが入ってくるとボクの前で仁義を切ってサ・・・。キミ、仁義の切り方知ってるかい・・。それからなあ、キミたちは知らないだろうなあ、一時「三原山心中」というのがはやってね。そのころのあの留置場にゃ心中の片われが入れられてさ、ボカァ、よく説教したもんだよ。アハハ・・」といった調子で語られる。いわゆる社会の底辺の人びとの人間模様は、聞いていて一種の興味は感ずるものの、凄惨な雰囲気は全く感じられなかった。しかし後で思い起こすと、社長が語ったのはすべて、留置場内の他人のことと、その他人とのかかわりあいのことで、自分のことではなかった。I社長は絶対に怒らない人で、いつでも平静そのもの、社員がひどい失敗をしても、叱ることさえない人であった。そのためか、ある日の昼休み、社員たちが食後の無責任放談をしているとき、だれかが「一度、社長が逆上するところを見てみたいものだ」などというばかなことを言い出した。すると古い社員のNさんが妙なことを言った。「そりゃ、わけないことさ。巡査を見れば逆上するよ」「ヘエー」とみな怪訝な顔をするとNさんは笑って「そのうち、わかるよ」と言った。その「そのうち」が意外に早く来た。
いつものように机を並べて仕事をしているとき、何か一種異様な雰囲気を感じて私は思わず顔をあげた。そして顔をあげたのは私だけではなかった。奥の社長室の扉があき、皆の間を社長がカウンターの方へ歩いていく。その顔つき、体つき、歩き方、すべてが普段の社長と全然違って、全く別人のように見えた。異常な緊張感がその全身を包み、一種の怒気ともいうべきものを全身から発散させつつ、社長は、射るような鋭い目をカウンターの一角に据え、少しうわずった声で「オイッ、キミキミ、一体何の用だ」と言いつつ、相手を圧倒するような気迫でその方へ歩いていく。カウンターの一角には巡査が来ていた。何の用で来ていたのか知らないが、しかしやはり何か異様なものを感じ、それに圧倒されつつも、何が起こっているのか全くわからず、戸惑った顔をしながら、口の中でモゴモゴと何か言っている。「カッ帰りタマエッ」と社長は一喝した。巡査はあっけにとられたような顔をして帰っていった。われわれ一同、この騒々しい生意気社員たちも、一瞬何かに打たれたように、シーンとしている。その静けさの中を、コツコツという靴音とともに社長室にもどっていくI社長の後姿は、私にとって永久に忘れられない情景であった。しかしそれから三十分ほどたって社長室から出てきたI社長の顔は、いつもと違わず、温和そのものであった。「わかったろ」夕方、駅まで行く途中でNさんはいった。「そりゃ、常識があればわかることさ。社長がどんなに笑い話で話したって、特高につかまった留置場の三年間は、普通のコッチャないものな。ハハハー、巡査、驚いたろうな。前にこういうことがあったんだ・・」といってNさんは話を続けた。終戦後、左側通行が右側通行に切り替わった頃、日比谷公園の前で巡査が、左側を歩いている人たちに「右側を歩きましょう」というビラを配ったことがあったそうである。当時は「民主警察」の時代で、警察はきわめておとなしかった。I社長とNさんは、話に夢中になって、何も気づかずに左側を歩いていた。そして全く不意に巡査がビラをN社長に差し出す結果になった。「あのときは全く驚いた。社長はパッとニ、三メートルとびのいて身構えたよ。その瞬間、本当に人が違って見えた。ひどかったんだろうなあー、あの三年間は・・。」』
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