B「ええ、以前とあまり変らず大体1日100人程度です・・。」
A「そうですか・・100人はそんなに悪くないと思いますよ。
むしろコンスタントに1日に100人は難しいのではないかと思いますが、しかし、そうしますと現在までの全期間の閲覧者は18000人程度ということになるのでしょうか?」
B「そうですね、大体そのくらいです。
現在までの全閲覧者数は19000人程度になっています。
しかし一方、私のブログのページの表示回数はつい先日80000回を越えました。
それでよくわからないのは「ページの表示回数とは一体どういう意味であるのか?」ということですね。」
A「・・私もよくはわかりませんが閲覧者数とは文字通りブログを閲覧した人数であり、表示回数とはその閲覧した方々が開いた、表示した回数であるのではないでしょうか?
ですから単純に考えればBさんのブログを閲覧した方々は大体4つの投稿を見ているということになるのではないでしょうか?」
B「はあ、なるほど・・そういうことになるのですか。
それは知りませんでした。
どうもありがとうございます。
それで、閲覧された各々ブログの回数を見てみますと、直近で書かれたブログと類似、関連する内容のものが何故か多くなるのです・・。
こうしたことは以前からそのようなことが続いていたのですが、何だか面白くもあり、また一面において「いい加減なことは書けないな・・。」となるのです。
このことは私にとっては大変ありがたいのですが同時に「一体これは誰の仕業なのだろうか?」とも思うのです。
そしてその正体を自分なりにプロファイルしてみますと、それは人文社会科学系の知識、見識をかなり有した人ではないのかと思うのですが、そうしますと私の知人である場合、かなり限定されてきます・・。」
A「ブログを書いていると、そうした楽しみも出てくるのですね(笑)。
ともあれ、その正体が何時の日か判明する日はくるのでしょうかね?
また、そのためにもBさんのそのブログはもう少し続けた方がいいのではないかと思います(笑)。
あと、あらかじめお伝えしておきますが、その正体は私ではないですよ(笑)。」
B「はあ、そうですか・・。
この質問は以前、別の方にもしたことがあるのですが、その方も「私ではない。」とおっしゃっていました・・。
そうすると私の知人の中で該当しそうな人はかなりに少数に絞られてきますが・・では一体誰がその閲覧者の正体なのでしょうかね?」
A「・・ううむ、そうなるとそれはBさんがすぐに思いつく人ではないと思います・・。
とはいえ、少なくともそれらは悪意のある行為ではないようですので別に気にすることはないのではないでしょうか?」
B「ええ、まあそれはそうですし、以前はあまり気にもしなかったのですが、ブログ作成について考えたりしますと、そういったことも自然と考えてしまうようになるのです・・。
しかしながら、だからといってそれが作成するブログに大きく影響するというわけでもないのですが・・。
ただ、それもまたブログのネタにはなるのではないかとも思いますが(笑)。」
A「・・ええ、その調子でいいと思いますよ(笑)。
それにいつか機会があればそれが誰だかわかる日もくると思いますし・・。
まあ、気長にブログを書き続けていれば、また何か違った面白いことも起きるのではないかとも思います(笑)。」
B「はあ、そのようなものでしょうかね・・。
それでしたら、まあ特に深く考えずにブログを書き続けようと思います。
しかし私はそういった誰かをプロファイルして探索するセンスみたいなものはないのでしょうかね?」
A「いえ、それは私もよくわかりませんし、また、それは今考えてみても特に有益ではないと思いますので、まあ、そのまま放置安定でいいのではないでしょうか・・?」
B「なるほど・・放置安定ですか、まあ、そうですね。
とりあえず求職活動と同様、地道に続けて行くことにします。
あと地道といえば、先日新しく購入したブログのネタ帳がもうすぐ最後のページまで行きそうです。
ここ最近、自身の対話形式のブログの数を増やそうとしていましたので、その影響がこのような形で表れたのではないかと思います・・。」
A「Bさんのブログのネタ帳はもしかして今も無印のリングノートですか?」
B「・・ええ、そうです。
しかし何故そのことを御存知なのですか?」
A「それはBさん修士院生の頃から同じノートを使っていませんでしたか?
あの頃はたしか万年筆で色々とノートに書き込んでいましたが、その時のノートはまだ残っていますか?」
B「・・ええと、多分どこかに残っているはずであると思います。
あれも今読み返してみますと多分ブログのネタになりそうなことがいくらかは書かれていると思いますが・・
しかし、ブログのネタになりそうなことがより多く書かれているのは在鹿児島時代に記したノートではないかと思いますが・・。」
A「鹿児島時代のノートはどのようなことを多くかれていたのですか?」
B「そうですね・・日々起きたことや、実験の進行に関しての感想などが多かったと思います。
あとは読んだ本、論文の感想なども書いていたと思います。
Aさんが御存知であると思われる本は、そうですね会田雄次の「アーロン収容所」や大岡昇平の「俘虜記」あとは小松真一という方の「虜人日記」ですかね・・あの頃は何故か国内外の収容所ものの著作を集中的に読んでいましたね・・。」
A「・・それもなかなか興味深い現象ですが、ともあれBさんはそれらを何といいますか客観的に読んでいたのですか?それとも感情移入して読んでいたのですか?」
B「・・ええと、それは概ね後者であると思います。
しかし私は思想系の著作にしろ大抵は感情移入して読んでいると思います。
そうしたことを判断する好例としてニーチェの「ツァラトストラかく語りき」で挙げられると思います。
あの著作を読んで落ち込むのはそこで語られている対象を自分に近いと感じているからであり、逆にそれを読んで奮い立つのはどちらかというと他者の物語として感じているのではないでしょうかね?
しかし、それで私が思うことは我々日本人とは、どこかそういった著作を前者、つまり他者の書いたものとして読むような傾向があるのではないかと思います。」
A「ええ、たしかにそうであるかもしれません。
また、それは論文と散文を読む時における立場の違いにも通じるものがあるのではないかと思いますが・・?」
B「基本的に論文などは客観的な立場、他者の書いたものとしてで読みますからね・・。
そうしますと我々は物語、思想系の著作も論文と同じスタンスで読んでいるのですかね?」
A「・・ううむ、多分その根底には能動性の多寡があるのではないでしょうか?
我々はあまり人が専攻しないような分野の院に進みました。
そしてそこではとりあえず文献を多く読まないとどうにもなりませんよね?
ですから、そういった専攻分野に進む連中というのは一般的に見れば、かなりの変わり者、変人であり、それがどのように変っているかといえば、思想系や重い内容の著作を能動的に読めるという何かよくわからない情熱があることではないかと思います。
そしてそこには現代社会における効率性、功利性と相反する何かがあるのではないかと思います。
ですから、理系学問分野は別ですが、人文社会科学系の学問が浮世離れしている、実利的でない、コスパが悪いなどといわれるのはそういったところにあるのではないでしょうかね?
まあ、戦前の高等教育とは、そうばかりでもないようでしたが・・。」
B「そうですね。
それはたしかにあると思います・・。
ですからやはり著作を読む時の立場、能動性、モチベーションとは、なかなか重要ではないかと思います。
こういっては何ですが書籍自体を自然に読む習慣のない方々はおそらくその能動性の重要さを認めようとしないでしょうが・・。
それでも実はそれが現代の我々の社会に見られる反知性的な傾向の一つの根源ではないかと思いますが、どうでしょうかね?」
A「・・ええ、おっしゃることはよく分かります。
それは日本社会が基層において性悪説に基づき、それではどうもカッコが悪いから表層を性善説で取り繕っているようなことが原因ではないでしょうかね?
あるいは福沢諭吉がどこかで述べていた明治政府に対する批判として「多情の老婆」と評していたことをも想起させますね・・。」
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