A「最近少し朝晩が寒くなってきましたが、お元気ですか?」
B「ええ、まあどうにかボチボチとやっております。
最近の良い出来事は一日のブログの閲覧者数が300人を越えたことぐらいでしょうかね?つい先日200人を越えたばかりでしたので、これは少し嬉しかったです。」
A「ああ、そうですか、それは良かったですね。そういえば、私も先日Bさんのブログを読ませてもらいましたけれど、それに書いてあった朝鮮人参、高麗人参の話とデンマークのとある地方の風習の話は以前Bさんから聞いたことがあったような気ががしましたけれども・・?」
B「・・・ええ、そうです。あの話はAさんが**に在住時、私が訪ねた際での会話に出たのではないかと思います。
あの時Aさんに日露戦争の時のロシア人捕虜の墓地や高名な**温泉のあの建物なども御案内して頂いて大変楽しかったです。しかし同時に、そこから鹿児島に帰るのに、えらく時間がかかったことも思い出しますね・・。フェリーで豊後水道を渡り九州に渡った後、日豊本線の臼杵駅から指宿枕崎線の宇宿駅まで行くのは本当に長く感じました(笑)。宮崎駅に着いた時に「こんなに時間が掛かるのか」と思ったくらいでした。確か駅構内のドーナツ店に入り、しばらくボーっとして電車待ちをしていた記憶があります(笑)。」
A「うん、私も宮崎はあまり行ったことがないけれど、あそこは南北に長いから、北と南では大分文化が違うんじゃないかな・・?」
B「ええ、多分そうではないかと思います。また、県南部と云いましても全てが旧薩摩藩文化圏というわけでもなく、日露戦争時の外相である小村寿太郎の出身である県南部に位置する飫肥藩などは、どちらかというと鎌倉時代以来ずっと薩摩の島津に抵抗してきた様なものですから・・っと、まあ、それを云いましたら薩摩と肥後の境にある人吉の相良氏などもそうなのですが・・。とにかく、あのあたりの文化圏は現在でも結構複雑なのではないかと思います・・こういうのは、なんだかヨーロッパにおけるスイスみたいな国を想起させますね(笑)。」
A「ああ、小村寿太郎はたしかに飫肥でしたね。そういえば先日読んだ本に書いてあった小村寿太郎の「日本人はとりあえず石を投げればその方向に行くからいい。」というのと戦争直後にマッカーサーが「日本人は12歳の子供である。」と云った内容は案外同じようなことを云っているのではないかなと最近不図思いましたね・・。」
B「ええ、それは多分仰る通りではないかと思います・・。
それで、また話は飫肥に戻るのですが、面白いことにこの飫肥藩の藩主の伊東氏というのは、天正遣欧少年使節の一人、伊東マンショの実家であり、またその元々の出自は静岡の伊東あたりの豪族でして、多分、源平合戦以後の九州にある平家没官領に入植した東国御家人ではないかと思いますが、この地域に土着した経緯なども面白いことに薩摩の島津、人吉の相良氏などと共通しているのではないかと思います。
ですから、あのあたりの武家文化というのは在来土着の南方的色彩の強い隼人文化と、後に移住した鎌倉御家人的な文化が様々な次元で拮抗、混交して出来た、まあ、一種独特、合金的なものであり、さらに云いますと、こういったことは各地方、地域においても同様にいえることではないかと思います。それ故、現在テレビなどで「サムライ」と横文字の発音でかっこよくスマートに云える様なものでは決してないと思うのですけれどもねえ・・。そして現在の我々の社会に見られるそういった傾向こそが先程Aさんの仰った小村寿太郎、マッカーサーの発言につながるのではないかと思うのです・・・。さらにこういった意見、発言を鷹揚に許容できない社会とはトーマス・マンが亡命の地で嘆いたナチス政権下のドイツに近いのではないかと思います。しかしこれは単なる思い過ごし、杞憂であって現在の日本はそこまでひどくはないのかもしれませんが・・・。」
A「うん、なるほどね・・云いたいことはなんとなく分かります。しかし、多くの時代を通じ経済活動などはそういった深度からつき動かされている場合の方が多いのではないかと思いますから、まあ、それはそこまで観念的になり、そして悲観的になることもないと思います。しかし、同時にこの様に「大丈夫ではないかな?」と思っていたら、いつの間にかよくわからない体制になっていることも実際にありますので、君の様に気を付けなければいけないのもまた事実だと思います・・。それにしても飫肥藩の伊東氏は元々静岡の伊東の出身だったのですね・・。それは初耳でした。・・・それでもたしかによく考えてみると四国においても類似した例はありましたね・・。京都の公家が土着して豪族化したものや、先ほどの例と同じく東国の御家人でそうなったのもありました。・・そしてそういった地域における時代文化の層の積層の過程などを調べてみると地域の歴史や文化などもより明確になり、面白いものになってゆくのかもしれませんね・・。」
B「ええ、それはまったく仰るとおりであると思います。
それにしても伊東で思い出すのは以前Aさんとレンタカーで伊豆半島一周したことですね。あれはなかなか面白かったです(笑)。どこでしたか、途中の漁港にある食堂で食べた金目鯛の煮付けと鯵のタタキ(なめろう)はとても美味しかったですね・・。あと、最近知ったのですが、満州事変の時の総理大臣であった若槻禮次郎の別荘が伊東にあった様なのですが御存知でしたか?」
A「いやあ、それは知りませんでしたね。しかし、あの辺りは戦前からそういう人達の別荘が多かった様ですからね。多分、東京に程近く、気候が温暖で、温泉があるからじゃないでしょうかね?」
B「・・なるほどです。ええ、確かに温泉は大事であると思います。私もこれまで何の偶然かわかりませんが、温泉がある場所に多く住んできましたが、今考えてみますと温泉は周辺の自然環境とセットと云いますかパッケージなんですね。
ですから多分、その温泉の泉質が持つ独特の空気、雰囲気がそれぞれの温泉街、地域文化の重要な部分を形成しているのではないかと思います・・。」
A「ええ、そうですね。たしかに温泉の湯気が持つ独特の香りは、その温泉での記憶を想起させますね・・。」
B「ええ、そうです。これを現在の科学技術を用いてリアル、精巧に再現した入浴剤を作ってみたら国内外で結構売れるのではないかと思いますがどうでしょうか・・(笑)。」
A「うん、それは実際に出来るかどうか分からないけれども、面白いかもしれませんね(笑)。」
B「ええ、それでもよく考えてみますと、この温泉とは、火山列島である日本の正の要素であり、そこから日本人の風呂好き、ひいては清潔好きといった特性は、根源的にはここから生じたのではないかとも考えられます・・。そしてさらにそこから精密工業などの清浄性が要求される工業などの発展が促されたのではないかとも思います。その意味において現在の特に首都圏、東京におけるマスク好きの傾向などは、何だかこれまでの日本における自然の恵みに基づいた清浄性の観念とは異なった、あるいは行き過ぎたものに見えてしまうのです・・。自然からの影響の排除を徹底することは、ある意味、自然の一部としての人間性自体を知らず知らずに掘り崩す行為なのではないかとも思えます・・それは結果的に人間を惰弱にし、外来からの侵襲を容易にしてしまうのではないかと思いますが、なんだかH・Gウェルズの「宇宙戦争」のオチみたいですね(笑)。あ、そういえば同じようなことを何処かでバートランド・ラッセルも書いていましたっけ。」
A「うーん、そういったことは私の世代では概ね当たり前のこととして肯定できるけれども、今の都会に住む人々はそういうことをもっともっとシビアにあるいは「科学的に」考えているのではないかな・・?」
B「うーん、そのようなものでしょうかね・・?」
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