2015年10月22日木曜日

20151018 大学院での希望する専攻が変化した理由について【人生万事塞翁が馬?】

A「最近何か変わったことはありましたか?」

B「・・今のところ特にありませんが、タバコを喫うのを止めてから一ヶ月以上経ちました。これははじめの方はなかなか辛かったですが徐々に慣れてきましたね・・。それで思い出したのですが小林秀雄の講演で「タバコをやめた話」というのがありましたけれど、今考えますと確かにあれに通じることがあったように思いますね・・。


A「はあ、禁煙しているのですか・・それは今後も継続すると良いですよ・・。それにしても小林秀雄の講演と通じることとは具体的にどういったことですか?」

B「ええ、それはタバコを吸わないと文章が書けなくなるということです。これは何か関連があるのではないかと私は思います。ですから喫煙が現在よりも肯定されていた時代の作家、文士の写真などを見てみますと、タバコを持っていたり、喫っていたりしているのが圧倒的に多いですよね。そのことから多分タバコは少なくとも文章による創造に対しては何かしら影響するものがあるのではないかと思われるのです・・。」

A「うーん、それはタバコを喫わないもの書きから見れば、喫煙者の言い訳にしか聞こえないけれども、それでも、もしかしたら何かしらの影響があるのかもしれないですね・・・・。しかし、そう考えるとBさんのブログは一ヶ月以上前も自作の対話形式のものがありますが、これらは禁煙以前に書き溜めたものなのですか?」


B「いえ、禁煙を始めた九月初め頃の投稿でも題名が日付のものは基本的に書き溜めておいたものではなく、その時々に作成したものです。このブログは基本的に自転車操業ですから・・(笑)。」

A「・・それでしたら、喫煙と文章の創造性との関連性があるという小林秀雄の講演の内容も、その真偽の程を知りたくなってきますけれども・・?」

B「ええ、確かにそうなりますが、それは書く内容の緻密さ世間への影響、くわえてそれが職業ですから、状況が私とは大分異なるのです。また喫煙に至るまでのストレスの量も大きく違うのではないかと思われます・・。小林秀雄は講演のなかで禁煙をして半年くらいは本当に何も書けなかったと云っていましたので、これらを同列に扱うのは難しいのではないかと思いますが・・しかし、それでも傾向として類似したものが見出されたといった程度のことです・・。」

A「ふーん、もの書きが半年間何も書けないのは確かに辛いものがあるね・・。しかし、そうすると逆にそれだけ創造力に対して影響力を持っていた喫煙に対し興味が湧くし、禁煙をしてからどの様にして再び書ける様になっていったかの内面の推移に対して多少興味がわいてきますね・・。ああ、そうだ!内面の推移と云えば、最近用事があって**大学の近くに行きましたけれど、大分前に君が「**大学のヨーロッパ文化専攻の院に行きたい。」と真剣な顔で私のところに相談に来たことを思い出しましたよ・・(笑)。」

B「いやあ・・・よくそんな前のことを憶えていましたね・・。それは今となっては半分以上忘れかけていました(笑)。」

A「あの時は私もそれなりに真剣に色々と考えてみましたからね・・。」

B「・・ええ、その節は本当にどうもありがとうございました・・。そしてその時にAさんにも「とりあえず三年ぐらい社会で働いてみて、それでも院に行きたかったらまた考えればいいのではないか?」と云われまして「なるほど、そのようなものか・・。」と納得し、それで都合約五年**で働いたわけです。」

A「ああ、そうでしたね。しかし先ほどの内面の推移に関連して面白いと思うのは、当初ヨーロッパ文化専攻に行きたがっていた君が、五年後に地域学でしたか?まあ民俗学に近い様な分野へ、その関心が移ったのは、一体どういう理由からだったのですか?」

B「それは以前Aさんにお話したかもしれませんが・・端的に云いますと南紀での生活が原因ですね。初めて住んだ西日本、紀州の風土、環境に打ちのめされ、魅了されたのだと思います。それまで私は何の疑いもなく東京、首都圏のものが一番良いと思っていたのですが・・。前のブログでも書きましたが、多分、そういった風土、環境に含まれる何かしらの要素から影響を受けたのではないかと思います。また、そこまで話しますと思い出す出来事があるのでお話します。南紀に住み始めて間もない頃、紀伊半島に台風が接近して大雨が降っていたある晩、翌日が休みということもあり、また、はじめて接する南国の大雨に変にテンションが上がってしまい、大雨の中一人で夜のドライブに出かけることにしました。国道42号線から朝来のあたりで311号線に入り、富田川沿いに中辺路、本宮方面に走り、上富田町の鮎川を少し過ぎた辺りでヘッドライトが一匹の大きなカエルを正面から照らし出しました。種類はわかりませんが、当時の私にとってそれは見たこともないような大きなカエルでした・・。私は車を降りて、雨に打たれながら、時折ノドを動かし、やけに落ち着いているこのカエルとしばし対峙していますと、何故だか言い知れぬ畏怖らしきものを感じまして、そのカエルに御辞儀をして、再び車に乗り、来た道を直ぐに戻ることにしました・・。まあ、それだけの話なのですが、あの時は何故だかそうしなければならないと思ったのです・・。ああいう感覚は今では感じませんが、南紀に居た頃は何故だかわかりませんが、時折そういうのを感じました・・。一体ああいう感覚は何なのでしょうかね?しかし、それでも、今となっては特別に紀州に住みたいとは思いませんけれども・・。」

A「そのカエルの話は初めて聞きましたけれど、何だか土着の民話みたいで面白いですね。あるいはまんが日本むかしばなしを彷彿とさせます・・(笑)。それで、その話に何かオチみたいなものはあったのですか?」

B「いえ、オチという程のことでもありませんが、その後知ったのですが、丁度、車を降りた場所あたりから形の良い小さな山が見えまして、この出来事で、私は勝手にこの小さい山をこの地の神奈備山であると考えるようになりました・・(笑)。あとはその後に古代史をある程度勉強してみますと、この上富田町が紀伊半島西側の銅鐸出土地の最南端であることを知り、何だか不思議な偶然を感じました・・・。あとは同じく南紀在住時にサイクリングをしていて迷い込んだ場所が、古来より雨乞いをしていた場所であることをその後勉強をしていた時に知りました・・。この様なことはすべて偶然であり、また、南紀ではこういった伝承、伝説はよく調べれば至る所にありますので、特に不思議ではないのかもしれません。しかし、そういう場所に何回か引き寄せられたことは「もしかしたら何かあるのかしれない・・。」と考えさせるにも十分でしたね。そしてそういったことの意味、内容をその後に考えるための思考の枠組として、先ほどの以前より凝っていたヨーロッパの歴史、文化に関しての知識、考え方などはかなり役に立ったのではないかと思います。
しかしまた、現在では、そういった方法によってのみでしか母国日本の地域学、民俗学に対しても効果的なアプローチできないのかもしれません・・。そしてこれまた小林秀雄ですが、それと同じ様なことを書いていました・・。これは我々明治以降の日本人が持つ悲しい宿命であるのかもしれません・・。」

A「なるほど、それでどうにか話がつながりましたよ。それは人生万事塞翁が馬ということでしょうかね・・?」

B「ええ、そう願うところですが現状ではなかなか辛いものがありますね・・(苦笑)。」

A「まあ、それは分かりますがもう少しがんばってみてはどうですか?」

B「ええ、どうもありがとうございます。そうしてみます・・。」

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