2024年11月8日金曜日

20241107 内心の文章化と自己同一性について

 直近二回の投稿記事は人工知能(ChatGPT)も用いずに久々に作成したものですが、その後両記事共に、思いのほかに多くの方々に読んで頂き、その数は、引用記事の平均よりも多く、また、先日の宣言もあり、今しばらく自らの文章による記事作成を続ける意欲が湧きました。これらの記事を読んでくださった皆さま、どうもありがとうございます。

 また、両記事ともに即興にて作成したものではあるのですが、同時にそれらは、以前から薄々と考えていたことでもあり、おそらく、以前にも当ブログにて類似したことを述べていたとは考えますが、こうした内心で考えていることの(できるだけ適切な)言語化とは、意識化して記憶に留めると云う意味において、何かしら良い効果があるのではないかと思われました。

 そして、その視座から、昨今の引用記事を主としたブログ記事作成は、それはそれで、良い効果があったと考えますが、書籍の記述といった抽象的なものでなく、自らの直接の経験に基づいた文章の作成は、その過程で記憶が励起されて、さらに、それに付随した記憶が想起されることも多く、これにつきましては、先日久々に経験して我がことながら驚かされました…(笑)。ヒトの記憶とは面白いものです。

 また、ここで興味深いことは、そこで当初の記憶の文章化に付随して新たに想起された記憶もまた、当初の記憶と同程度に、そこに疑念がないことです。そして、このことは思いのほかに重要であり、おそらく、こうした感覚(記憶への信頼)があるからこそ、我々は個人であれ、あるいはさらに大きく地域や国などの集団であれ「自己同一性」を保つことが出来るのだと考えます。そして、この自己同一性とは、ある一時の状況を指すものではなく、意識の時間的な連続によって担保される性質があると考えます。つまり、ある種「モノガタリ」のような性質を持ちつつも同時に、それを持つ個人・地域・社会が、そこに拠って立つ根拠となるものだと云えます。

 それ故、国同士の歴史認識をめぐる問題とは、その認識の仕方によっては、あるいは、それまでの自らが紡いできた歴史が変えられてしまい、国としての自己同一性が損なわれてしまうこともあることから、多くの場合、当事国同士合意に至ることが難しいのだと思われます。また、これは個人においても同様であると考えますが、個人であれば、自己同一性を巡る認識の問題とは、まだ柔軟に解決できることが多いと思われますので、それよりも自己内部における問題として葛藤が続くといったことの方が多いのではないかと思われます。

 そして、そのことは、まさしく私が当ブログを始めて、そして現在に至るまで(どうにか)継続している主な要因であると云えることから、さきに述べた内心の考えの(出来るだけ率直な)言語化とは、葛藤を燃料としつつ、さらにそれを昇華させるような作用があるのだと思われますが、その先については今のところよく分かりません。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!

ChatGPTによる加筆修正を加筆修正したもの
 ここ最近、引用記事や人工知能(ChatGPT)を用いず、久しぶりに自らの文章にて数記事作成しました。結果、思いのほか多くの方々に読んで頂けました。その閲覧者数は、これまで多く投稿してきた引用記事の平均よりも多く、くわえて、先日「自分の言葉で書き続ける」とブログにて宣言したこともあり、今しばらくオリジナル記事作成の意欲が湧いてきました。当記事を読んでくださった皆さまどうもありがとうございます。

 さて、昨日の投稿記事は、即興にて作成したものでしたが、それと同時に以前からぼんやりと考えていたテーマでもありました。あるいはまた、以前に作成した記事でも同様の内容を述べていたかもしれません。しかし、いずれにせよ、できるだけ精確に内心を言語化することは、言語化により記録されて記憶に刻まれると云う意味で精神に良い効果があると考えます。

 また、ここ最近は引用記事を主として作成・投稿してきましたが、それらは基本的に書籍内の記述です。一方、自分の経験をもとに記事を作成していますと、その過程で思いがけず過去の記憶が想起され、さらに、それに付随する他の記憶も想起されてくるのです。そして先日は、久しぶりにそれを実体験して、我がことながら少し驚かされました(笑)。ともあれ、人の記憶というものは、本当に不思議なものです。

 そして、それと同時に大変興味深いことは、こうした記憶を文章化する過程で新たに思い出された記憶が、最初の記憶と同様にそこに疑念がないことです。このことは大変重要であり、こうした記憶への信頼があるからこそ、私たちは個人として、あるいは集団として、自己同一性を保つことができるのだと思います。自己同一性とは、一瞬の状況だけでなく、時間を通じて意識が連続することで成り立つものです。いわば「物語」のようなものが、その人や地域、社会にとっての存在の拠り所になります。

 だからこそ、国同士の歴史認識をめぐる問題は、それが単に過去の事実の理解に留まらず、それぞれの国が紡いできた歴史に基づく自己同一性に大きく関与することから合意に達するのが難しいのだと思われます。これは個人の場合でも概ね同様であるのですが、個人である場合は、まだ柔軟に解決できる余地があるため、対外的な対立よりも内面的な葛藤として現れることが多いように思います。

 そして、このような内面の葛藤こそが、私がブログを始め、現在も続けている理由の一つです。先ほど述べたように、自分の内心をできるだけ率直に言葉にして表現することには、葛藤をエネルギー源として、それを昇華させる効果があると考えますが、その先に何があるのかについては、正直なところ、今の時点ではよくわかりません。ともあれ、今しばらくは当ブログを続けます。

そして今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!

一般社団法人大学支援機構


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