2023年3月28日火曜日

20230327 カルチャー・ショックと身体性と学びについて【現代は過渡期?】③

去る19日に帰国してから、徐々に普段の生活に戻りつつありますが、それでも、向うでの見聞をまとめる為に出展していた企業さまにメールにて問い合わせなどを行っていますと、自然とその時の様子が想起されてきます。

そこから、おそらく私を含めて多くの方々は、海外といった自分にとって非日常である場所にしばらく滞在しますと、そこで、否応なく自らの母国での対応する事柄が思い出され、そして、そこにある「相違」について考えることになります。それは、即物的な物事であったり、あるいは不図した時に感じられる、その奥にある抽象的なことであったりします。

現代の日本であれば、それなりに発展していることから、西欧諸国とのさまざまな相違から大きな挫折感を抱かないで済むのだと思われますが、これが所謂「普請中」であった明治時代ならば、かなり大きなカルチャー・ショックを受けたのではないかと思われます。そして、そうした様子を描いたものが夏目漱石の「倫敦消息」であったり、あるいは映画であれば、時代は少し遡った幕末期を舞台としていますが、五十嵐匠監督による「長州ファイブ」が挙げられると考えます。

ともあれ、今回の私の訪独は(世界最大規模の)歯科医療の見本市への参加という目的があり、そこで見て、感じたことは、さきの日常的な事柄にも劣らないほどのカルチャー・ショックであり、それをどうにか自分なりに言語化して、その構造を知るために、さきに述べた帰国してからの資料の整理や海外企業さまへの問合せなどに繋がっていると云えます。

そして、そうした活動を通じて、どうにか自分なりに、その様相や構造への知見を得たと実感すると、多少は落ち着いてくるのではないかと思われます。また見方に拠れば、それも「勉強」の一種であるのかもしれませんが、それは、異言しますと「自らの実体験を言語化する行為」であると云え、テキストなどが先にある種類の勉強ではありません。またそれは、身体性を通じて得たものを言語化している行為であり、これと類似していると思われるのが、実験や実習などであると思われます。また、我々の多くは、勉強としては、こちらの身体性を駆動させる種類の勉強と云える実験や実習の方が面白く、興味深く感じられるのではないかと思われます。

あるいは、こうしたところは国民性や地域性のようなものがあるのではないかとも思われますが、この身体性を用いた勉強も今後、VRなどに替わっていく可能性があるのだと考えますと、話はやや抽象的になり「では身体を通じた経験によって得られる感覚の主体とは脳であるのか、あるいは肉体であるのか?」と思い至るのですが、おそらく、このあたりに関しては、ある程度観察して、あるいは関連する著作や資料などを読んでいくと、その概要のようなものが見えてくるようにも思われます。

しかし、それは観察主体が、そこに至るまでに、それらを比較検討できるほどの実体験と学びを積んでいることが前提としてあるものと考えます。そして、そこから論語の「学びて思はざれば則ち罔し。思ひて学ばざれば則ち殆ふし。」が思い出されてくるわけですが、ともあれ、そこから実際のところ、それらには通底するものがあるのか?そしてまた、こうした考えは時代を通じて普遍的なものであるのか?といった疑問が生じてくるのですが、その意味においても、現代もまた「過渡期」(「普請中」?)であると云えるのかもしれません・・。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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2023年3月24日金曜日

20230323 今回の訪独によって一つ気が付いたこと②

去る19日に帰国しましたが、その後からおそらく時差ボケではなくて、体調の変化が少し感じられました。いや、より精確には体調というよりも、海外のさまざまな事情を目の当たりにして、それまでの常識に変化が生じたことによる、いわば、心の持ち様の変化に付随したものであるのではないかと思われます。ともあれ、こうした経験は初めてであるか、あるいは、かなり久しぶりであると云えます。また、今回の訪独は、当ブログ開設後初の海外渡航となりますので、それまでに習慣化した、ブログ記事作成に対しても何らかの影響があったとしてもおかしくありません。

また、訪独中は異文化の中にいるため、半ば無意識ながらも常時緊張しており、そして、その防御の姿勢によるものであるのか、若干躁気味になります。あるいは、普段とは異なる言語を用いる必要性があることから、その言語に合わせた精神状態、心の持ち様が、さきの「躁気味」となるのかもしれません。

たしかに多くの我々日本人は、普段日本語で話している時と、英語を含む外国語で話している時のテンションには違いがあるように見受けられます。そして、実感に基づく私見として、他の言語を口語として扱いますと、テンションが上がるためであるのか、その後の反動として、疲労の程度が比較的大きくなるのではないかと思われます。

また、今回の訪独に至るまでの経緯には、昨2022年2月末から始まったロシアによるウクライナ侵攻に関する情報を入手するために、海外の報道機関による英語のニュース動画を1年以上視聴してきたという背景があり、これが役立つのであるか不安でしたが、現地に行ってみますと、思いのほか意思疎通は出来ていたように思われました。もちろん、師匠や、研究室の諸先輩方は、私などよりも日本を含む世界の歯科医療事情に通じており、さらに英語の読み書きなども堪能であるのですが、それでも、以前と比較しますと、私も英語での意思疎通に関しては、いくらかは上達したのではないかと思われました。

そうしますと、宇露戦争に関しての情報収集のために、この一年間、(チンタラ)継続して英語での報道動画を視聴してきたことが、前述の上達に寄与したものと考えられます。そこから振り返ってみますと、私はもの心がついた後での留学経験はなく、一般的な我が国の学校制度での英語教育を受けてきました。そして、そこでの勉強が本当に必要になったのはホテルのフロント勤務になってからでした。この時は、私がホテルを代表して宿泊に関することを説明しなければならなず、それなりに苦労もしましたが、使い慣れた辞書と電子辞書があれば概ね、どうにか対応出来ていたものと記憶しています。また、慣れてきますと、それだけではちょっと格好が悪いと思ったのか、仕事に使えそうな言い回しが多いと思われる映画作品を近くのレンタル店で物色するようにもなりました・・。そして、これもまたさきと同様、どちらかと云うとチンタラとした勉強と云えます。なかでも英語字幕に目を通して、そこで気になった単語を辞書で調べるなどということは、当時としては、一種の遊びに近い感覚があったのではないかと思われます。そして、この遊びとしての娯楽の要素があったことから、その時も継続することが出来、そして、その伝で考えますと、今回の英語の報道動画視聴による英語の(期せずしての)上達もまた、かねてより近現代史や国際関係論に興味を持ち、また、時には関連する書籍を読むといった習慣があったことから為されたのではないかと思われるのです。そしてまた、多少不遜ではあるかもしれませんが、また人にもよるのかもしれませんが、社会に出てからの勉強とは、どちらかというとチンタラとしている方が継続することが出来るのではないかと思われました。

今回の訪独により気が付いたことの中には以上のようなこともありました・・。

そして、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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2023年3月23日木曜日

20230322 先日参加のIDS2023から思ったこと①

過日の投稿記事にて扱ったドイツ、ケルン開催の「国際デンタルショー」(IDS2023)に参加させて頂き、去る19日の夕刻前に帰国しました。

帰国翌日は時差ボケのためであるのか日中眠く、怠かったですが、そこからは持ち直しつつ現在に至っています。そして参加したIDS2023のことについてはまた後日述べようと思います。

ともあれ、今回の訪独は、私にとって10年以上振りの海外渡航となりました。過日投稿の記事にて述べた通り、やはり私はそこで度肝を抜かれました。これを異言しますと「カルチャー・ショック」となるのでしょうが、実際に自分が異文化の中にしばらくいますと、これを実感させられます。

また、帰国後数日経っていますが、未だ、この衝撃の余波が体内に残響しているようであり、そして、それを利用して訪問企業ブースで頂いた資料や製品パンフレットなどを眺めていますと、そこで新たな疑問が生じたり、あるいは、現地で入手した他の情報についての見解なども伺ってみたくなり、さきの残響を利用して、その旨を記したメールを作成して、いくつかの企業さま宛てに送信しました。

それが、一昨日、つまり帰国翌日です。この動きは私としては、比較的速やかであると云えますが、帰国前に研究室の先輩が「帰ったら忘れないうちに資料をまとめておこう」と云われていたことが思い出され、自分なりに実行しました。

企業さまへの問合せのメールの返事は、時差があることからすぐにではなく翌日に届くこともあります。これまで数社メールにて問合せましたが、そのうち、今日までに返信があったのは2件でした。

そしてまた、しばらく経つと返信があると思われますが、これまでの感触としては、思いのほか丁寧な返信であり、また、当然であるのかもしれませんが、この先の歯科医療や、その市場の動向などについても、明瞭な見解を持たれていました。そして、こうした欧米を基準とする近現代の歯科治療のど真ん中にいる企業さまの考えや動向は、如何なる形であるか分かりませんが、今後、我が国の歯科医療にも、そしてそれに関連する企業や市場の動向にも、少なからぬ影響を及ぼすものと思われます。

とはいえ、それが何時頃になるか、そしてまた如何なるカタチになるかといった具体的なことは、未だ結像までは至りません。

しかしまたそれは、近年の新型コロナ禍や宇露戦争などにより、否応なく変化せざるを得なかった欧米諸国の社会から生まれたものであり、今後の旧西側世界あるいは自由主義陣営においては徐々に、さきの見解に基づいた考えが規則のようになっていくのではないかと思われます。

他方で、今度はそれを旧西側世界以外の国々においても応用可能であるのかと考えてみますと、それはおそらく困難であると思われます。

我が国の場合であれば、現地に法人や支社がある企業さまであれば、おそらく、こうした事情は既に御存知であり、その対策も検討済みであると思われますが、それが実際のところ、我が国の企業や社会に対してどのような効果を持つのであるか、引続き、経過を注視していきたいところです。

今後もしばらく、このIDSを題材として記事作成をするつもりですので、今回も含めて引続き、どうぞよろしくお願いいたします!
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2023年3月21日火曜日

20230320 河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 『サピエンス全史』上巻 pp.27-31より抜粋引用

河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ柴田裕之
サピエンス全史』上巻pp.27-31より抜粋引用
ISBN-10: 430922671X
ISBN-13: 978-4309226712

ホモ・サピエンスに分類されうる動物が、それ以前の人類種から厳密にいつどこで最初に進化したかはわからないが、十五万年前までには、私たちにそっくりのサピエンスが東アフリカに住んでいたということで、ほとんどの学者の意見が一致している、もしその一人の遺体が安置所に運び込まれたとしても、そこの病理学者には現代人のものと見分けがつかないだろう。火の恩恵を享受していた彼らは祖先よりも歯と顎が小さく、一方、脳は巨大で、私たちのものと同じぐらいの大きさがあった。

 東アフリカのサピエンスは、およそ七万年前にアラビア半島に拡がり、短期間でそこからユーラシア大陸全土を席捲したという点でも、学者の意見は一致している。

 ホモ・サピエンスがラビア半島に行き着いたときには、ユーラシア大陸の大半にはすでに他の人類が定住していた。では、彼らはどうなったのか?それについては、二つの相反する説がある。「交雑説」によると、ホモ・サピエンスと他の人類種は互いに惹かれ合い、交わり、一体化したという。アフリカ大陸からの移住者は世界中に拡がる過程で、他のさまざまな人類種の集団と交雑し、現代の人々はこの交雑の産物である、というわけだ。

 たとえば、サピエンスは中東とヨーロッパに達したとき、ネアンデルタール人と遭遇した。ネアンデルタール人はサピエンスと比べると、筋肉が発達し、大きな脳を持っており、寒冷な気候にもうまく適応していた。道具と火を使い、狩りが上手で、明らかに病人や虚弱な仲間の面倒を見た(思い身体的障害を抱えながら何年も生き長らえたネアンデルタール人の骨が考古学者によって発見されている。(これは身内に面倒を見てもらった証拠だ)。ネアンデルタール人は凶暴で愚かな「穴居人」の典型として風刺画に描かれることが多いが、最近得られた証拠によって、そのイメージが変わった。

 交雑説によれば、サピエンスはネアンデルタール人の土地に拡がったとき、彼らと交雑し、ついには一体化したという。もしそれが正しければ、今日のユーラシア人は純粋なサピエンスではなく、サピエンスとネアンデルタール人の混血だ。同様に、サピエンスは東アジアに到達したとき、現地のホモ・エレクトスと交雑したので、中国や朝鮮半島に住む人は、サピエンスとホモ・エレクトスの混血ということになる。

 これと対立する、いわゆる「交代説」は、それとは大きく異なる筋書きを提示する。ホモ・サピエンスは他の人類種と相容れず、彼らを忌み嫌い、大量殺戮さえしたかもしれないというのだ。この説によると、サピエンスと他の人類種は異なる解剖学的構造を持ち、交合の習性はもとより、体臭さえも違っていた可能性が非常に高いという。彼らは互いにほとんど性的関心を抱かなかったはずだ。そして、仮にネアンデルタール人のロミオとサピエンスのジュリエットが恋に落ちても、繁殖力のある子供たちは残せなかった。両者を隔てる遺伝的な溝は、すでに埋めようがなくなっていたからだ。この二つの人類種は完全に別個のままであり続け、ネアンデルタール人が死に絶えたとき、あるいは殺し尽されたとき、その遺伝子も同じ運命をたどった。この見方に従えば、サピエンスは、自らより先に誕生していた他の人類種と混じり合うことはなく、彼らすべてに取って代わったことになるそれが正しければ、現代の人類種と混じり合うことはなく、彼らはすべてに取って代ったことになる。それが正しければ、現代の人類全員の血統は、七万年前の東アフリカまで、純粋にたどれる。私たちはみな、「生粋のサピエンス」というわけだ。

 二つの説をめぐる論争には、多くがかかっている、進化の観点に立つと、七万年というのは比較的短い期間だ。もし交代説が正しければ、今生きている人類は全員ほぼ同じ遺伝子コードを持っており、人種的な違いは無視できるほどにすぎない。だが、もし交雑説が正しいと、何十万年も前までさかのぼる遺伝的な違いがアフリカ人とヨーロッパ人とアジア人の間にあるかもしれない。

これはいわば人種差別的なダイナマイトで、一触即発の人種説の材料を提供しかねない。

 ここ数十年は、交代説がこの分野では広く受け入れられてきた。こちらのほうが堅固な考古学的裏付けがあり、人種差別的でなく穏当だった(現生人類の間に重大な遺伝的多様性があると主張して、人種差別というパンドラの箱を開けることを、学者は望んでいなかった)。だが2010年、ネアンデルタール人のゲノムを解析する四年に及ぶ試みの結果が発表され、この論争に終止符が打たれた。遺伝学者たちは、化石から保存状態の良いネアンデルタール人のDNAを十分な量だけ集め、現代人のDNA全般的に比較てきた。その結果は科学界に大きな衝撃を与えた。

 中東とヨーロッパの現代人に特有のDNAのうち、一~四パーセントがネアンデルタール人のDNAだったのだ。これはたいした量ではないが、それでも重大なことに変わりはない。その数か月後、第二の衝撃が走った。デニソワ人(ホモ・デニソワ)の化石化した指から抽出したDNAを解読すると、現代のメラネシア人とオーストラリア先住民のDNAのうち、最大六パーセントが、デニソワ人のDNAであることが立証されたのだ。

 もしこうした結果が確かであれば(さらなる研究が進行中で、これらの結論は補強あるいは修正されるかもしれないことは、ぜひ留意しておいてほしい)、交雑説の支持者は、少なくとも部分的には正しかったわけだ。とはいえ、交代説が完全に間違っていたことにはならない。ネアンデルタール人は、今日の私たちのゲノムにほんのわずかのDNAしか与えていないので、サピエンスと他の人類種が「一体化」したとは、とても言えない。両者の間の違いは、交合して子孫を残すのを完全に妨げるほど大きくなかったとはいえ、そのような交合はやはり非常に稀だったはずだ。

 それではサピエンスとネアンデルタール人とデニソワ人の間で見られる生物学的なつながりは、どう理解すたらいいのか?彼らは明らかに、馬やロバのように、完全に異なる種ではなかった。その一方で、ブルドッグとスパニエルのように、たんに同じ種の別の集団でもなかった。生物学的な現実は、白と黒というふうに、はっきり二分されてはいない。重要なグレーゾーンもあるのだ。馬とロバのような、共通の祖先から進化した二つの種はみな、しばらくの間は、ブルドッグとスパニエルのように、同一の種の二つの集団だった。そしてその後、両集団の個体がすでに互いにかなり異なりはしたものの、稀に交合して繁殖力のある子孫を残すことができる時期があったに違いない。やがて新たな突然変異が起こって、両者を結びつける最後の絆が断ち切られ、両者はそれぞれ別の道をたどり始めた。

2023年3月12日日曜日

20230311 やる気や情熱を減衰させるものについて

当ブログをはじめてから、およそ7.75年となり、またその間での総投稿記事数は1960程度であることから、その間、10日のうち7日は1記事ずつ投稿してきたことになります。そして今後は40に満たない新規記事投稿により、目標とする2000記事に到達出来るわけですが、昨今、それが現実味を帯びてきたことからか、あるいは他の理由によるものか、記事作成への「やる気」や「情熱」がさらに減衰したように感じられます。端的には「ここでわざわざ記事作成などしなくても良いのではないか・・」といった思いが強くなったということです。しかし以前であれば、こうした怠け心を起こす思いを除去する他の思いがいくつかありましたが、ここ最近は「若さ」が失われたことよるのか「反発心」のようなものが減衰したように感じられるのです。

たしかに当ブログ開始から1000記事到達までの3年間ほどは、さきの「反発心」あるいは「勝手な義務感」によるものであるのか、自分なりにではありますが、頻繁に新規での記事投稿をしてきました。そしてまた、この時期は現在とは異なり、そこまで労せずに記事作成に集中することが出来ていたと記憶しています。つまり、当時は「やる気や情熱」によって記事作成を行っていました。その点において、昨今は、これまでにも当ブログにて述べているように気力が減衰した代わりに、それまでのブログ記事作成を通じて培った技術のようなもので、どうにか継続しているといった状況であると云えます。

この気力の減衰は、ある程度巨視的に眺めれば、仕方のないことであるのかもしれませんが、未だ目標とする2000記事を目指している私としては、出来ればまた回復したいところです。しかしブログ記事の作成のような個人的な活動には、回復に繋がるような参照し得る過去の自らの事例といったものがなく、そこから闇雲あるいは泥縄式に、どうにか現在に至るまで続けてきました。そして、そのうちに「やる気や情熱」が再起してくるのではないかと期待していますが、残念ながら現在に至るまで、その気配のようなものはありません・・(苦笑)。

くわえて、さきの「気力の減衰」に関連して、数日前にネット上の報道動画で知った某芸能事務所に関連した一連の報道、そして、それらに対する国内各テレビ局の反応を見て、近年では珍しいほどの嫌悪感あるいは絶望感とも云えるような、ネガティブな感情をおぼえました。

未だに先が見通せないコロナ禍、そして1年以上続く宇露戦争によって心が荒みがちと云えることから、そうした嫌悪感などの悪感情を抱き易くなってしまっているのかもしれませんが、しかし、この事件(事件であるかどうかが問題であるのかもしれません)に対する国内外での反応を、既にここ1年以上続いている宇露戦争に関しての報道サイト・動画などを閲覧・視聴する習慣を転用して眺めたところ、何と云いますか、我が国のことがほんの一刹那、あたかも別の国のように感じられたのです。そして、この感じを受けてから「あ、これは我が国日本のことを報道しているのだ・・」とすぐに気が付いて我に返った時に、さきのネガティブな感情が生じるのです・・。

また、こうしたことはおそらく、個人レベルでの会話においても見受けられ、こうしたことを巧みに、あるいは半ば無意識であるのか分かりませんが、会話に織り交ぜて他者を攻撃することは、我々の社会全般においてもしばしば見受けられることです。

こうした、いわば相手に攻撃を悟らせつつも、その実名を用いないことにより、その相手からの攻撃な反応を免れようとすることは、おそらく、世界各地で見られる、それなりに普遍化された、ある種の技術であるのかもしれません。しかし同時に、こうした行為に対し「良心の呵責」のような、抑制的に働く情動が惹起されずに、そして、それが常態化するようになりますと、さきに述べた「やる気や情熱」といったものが徐々に減衰し、そして枯死してしまうのではないかと思われるのです。

その意味において、当記事は、まさに前述の「相手に攻撃を悟らせつつも、その実名を用いないことにより、その相手からの攻撃な反応を免れようとすること」とも云えることから、こうした記事はあまり作成しない方が良いのかもしれません・・(苦笑)。

しかしそれでも、そうしたことを承知のうえで、ネガティブな内容とも云える当記事を投稿する背景には「さきの嫌悪感や絶望感は、この先に癒され、寛解するものか分かりませんが、何れにしても忘れない方が良い」といった思いがあるからです。そしてまた私見としては、それが、歴史などの事実による過去の記録が、たとえ、それが悲惨なものであったとしても重視される理由とも繋がるのではないかと考えますが、さて、これもまた実際のところはどうなのでしょうか?

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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2023年3月9日木曜日

20230309 株式会社文藝春秋刊 山本七平著 山本七平ライブラリー②「私の中の日本軍」 pp.204‐205より抜粋

株式会社文藝春秋刊 山本七平著 山本七平ライブラリー②「私の中の日本軍」
pp.204‐205より抜粋
ISBN-10 : 4163646205
ISBN-13 : 978-4163646206

大分前のことだが、源田実氏が「ベトナム戦争は、純軍事的に見れば北ベトナムの実質的敗北に終ることは明らかだ」といった意味のことをいわれ、当時これが「勇気ある発言だ」と書かれていたのを何かの雑誌で見たが、瞬間ムカッとしたのである。今それを言うなら、なぜ、太平洋戦争の前にそれを言わないのか!米・英・中三国との戦争の結果は、あなたには「純軍事的に見れば、はじめから明らか」であったではないか。あなたは軍人ではなかったのか。軍事の専門家ではなかったか。他国のことに発言するくらいなら、なぜ自らの祖国とその同胞のために発言しなかったのか。

 もちろんベトナムについて発言することすら勇気がいるのだから、当時の日本で、日本について同じような発言をすることは、死を覚悟しなければ出来なかったであろう。しかし、たとえ、代表的な新聞が社説で「対米開戦」を主張しようと、それは本多勝一氏のように「百人斬り」を近代戦の実態と考え、これを確固たる「事実」と主張しているアマのハッスルにすぎず、それに対したとえ一知半解人が双手をあげてこれに賛同しようと、それは専門家の判断の基準にはならないはずである。

 その場合、専門家は、たとえいかなる罵詈雑言がとんで来ようと、たとえ、いわゆる「世論」なるものに、袋叩きにあおうと、殺されようと、専門家には専門家としての意見を言う義務があり、それをはっきり口にする人が、専門家と呼ばれるべきであろう。ただ私は、宮沢浩一教授の「ペンの魔力」という一文を読んだとき、つくづく戦争中を思い出したのである。次にその一部を引用させていただく。

 わが国では、各地のいわゆる公害裁判で、原告に加担するマスコミがすでに結論がでているとばかりに、被告の訴訟活動に不当な圧力をかけている。被告会社の主張を科学的に裏づけようとする鑑定証人に加えられるペンの暴力によって、専門家は発現を事実上封ぜられる。裁判の場では、両当事者は対等の立場で、使用しうる限りの科学的知識を動員して、その主張の合理性を争わねば、真実を誤る。

 法律の適用についていかにすぐれた能力を持つ裁判官でも、科学的な判断には、専門家の助けを借りなければならない。冷静に戦わされる専門家の意見に耳を傾け、原告・被告の言い分をじっくり聞いて判断を下さなければならないのに、先走った感情論から、被告側の鑑定人の足をひっぱる応援部隊が、「資本家の走狗」よばわりする図は、中世の暗黒裁判に似ている。

 金沢大学の学長が、イタイイタイ病問題での、まわりの付和雷同性をたしなめると、今度は学生が騒ぎ、マスコミが弾劾の論陣をはる。いつになったら、この頓馬なセンセーショナリズムがなくなることだろう。

 教授は「この頓馬なセンセーショナリズム」と書いておられるが、戦争中は文字通り「この頓馬なセンセーショナリズム」の連続であり、「百人斬り競争」という記事は、その一つだったにすぎない。

 そしてこういったセンセーショナルな記事の連続が、専門家の口を封じ、アマだけを異常にハッスルさせるという結果になった。それが、秦郁彦氏の指摘した戦争末期の実情であろう。そして小規模ならば、太平洋戦争と同じのこのパターンの事件は、国内の至るところでくりひろげられているように思われる。

2023年3月7日火曜日

20230306 ブログ記事の作成と「力の配分へのバランス」について・・

おかげさまで、今回の記事投稿により、総投稿記事数が1963に到達します。そして、今後当記事を含めて新たに37記事投稿することにより、当面の目標としている2000記事に到達出来ます。

これは、今後毎日1記事を投稿することにより、1カ月と数日程度にて達成が可能との目途が立ちますが、おそらくことはそこまでスムーズには進まず、その2倍程度の期間、すなわち2カ月半ほどで(どうにか)達成出来ればと考えています。

具体的には、当ブログ開始から丸8年となる、来る6月22日までに2000記事への到達が叶うのであれば、その経緯はあまり問わないのが、ここ最近での記事作成方針であり、出来るだけ、それが実現出来るように、可能である日は記事作成を行おうということになります。つまり、あまり怠け過ぎず、且つ、根を詰め過ぎずという、所謂バランスのとれたスタンスにて記事作成を行うことが、継続にとっては重要であるように思われるのです。

記事作成にあぶらが乗っている時は、昨今でも「もう一つ引用記事でも・・」となることがありますが、そこで(調子乗って)新たに作成すると、後になり、思いのほかに疲れており、数日間、記事作成を休止するといったことも度々あります・・(苦笑)。それ故、さきの「バランスののとれた記事作成へのスタンス」が重要なものとして認識されるのです。

また、こうした所謂「発信活動」への注力の程度について、あらためて考えてみますと、私の場合、思い起こされるのは、過日投稿の数記事にて述べました2012年の出来事です。そこでも述べましたが、当時の私は、これまでのなかで最も躁的になっており、さきの「力の配分へのバランス」のようなことはあまり考慮していなかったものと記憶しています・・。

そしてまた、この2012年初秋に、これまでに何度か当ブログ記事題材とさせて頂いた人文系分野での勉強会に初めて参加させて頂きました。当時在住していた鹿児島からLCCにて関空まで飛び、そこから電車にて和歌山に入りしましたが、この勉強会の頃は、前述のように躁的であったのと同時に、歯科理工学実習と歯科衛生士科の教養英語を担当させて頂いていた時期でもあり、そのノリにて勉強会での発表もさせて頂きましたが、その時の様子もまた比較的鮮明に記憶に残っています・・。

そのように考えてみますと、やはり躁的な状態である方が、記憶などに関する頭脳の働きは概して活発であるようですが、その後に、揺り戻しのように来る虚脱や鬱のような状態を避けるためにも、躁的になる要素を制御しつつ、記憶や感性を働かせることが、さきの「力の配分へのバランス」の要点であるのではないかと、これまでの経験を鑑みて考えるのです。

その意味において、1000記事到達後から現在に至るまでは、ブログ記事作成に対する活力全体は、それ以前と比べて有意に減衰したと云えますが、しかし同時に、その明らかに減衰した活力で、さらに1000記事近く更新出来ているということは、自慢できるほどのことではありませんが「力の配分へのバランス」については、多少は上達したのではないかとも思われるところです。

とはいえ、これについては今しばらく判断を保留して2000記事までは、前述のようにあまり無理をせずに、且つ、そこまで怠けずに継続していきたいと考えています。

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2023年3月5日日曜日

20230304 【書籍をめぐる縁】その2:ブログとSNSとの連携による効果?

先日、読了した著作についてSNSにて発信したところ、何と、その著者ご本人からの反応がありました。これは、去る1月30日投稿分の「昨日のSNS上での出来事から思ったこと【書籍をめぐる縁について】」においても述べたことではありますが、読んだ著作のことをSNSに発信して、それに著者ご本人から反応があることは、やはり現在に至っても驚かされます。とはいえ、先日の出来事については、著者である先生とは、これまでに何度かお目に掛かったことがあり面識もあることから、SNS上でのこうした反応からは、また異なった不思議な感じを受けましたが、同時に全く悪いものではありませんでした。端的に、私にとっては未だ慣れない、新たな種類の刺戟であったのではないかと思われます。

当ブログをはじめて7年8カ月ほどになり、またこれをツイッターにて連携投稿するようになってからは3年2カ月ほどになります。そして、この連携投稿をはじめて、しばらく経ってから、さきのような出来事が生じるようになりましたが、これは前述のように私にとっては未だ驚くべきことであり、その意味において私はツイッターでは未だ新参者であるのだと云えます・・(苦笑)。

そしてまた同時に、昨今、前述のような出来事が続いて生じたことから「私のツイートも新参者なりに、少しは認知はされるようになってきたのかもしれない・・。」とも思われるのですが、これをもう少し考えますと、過日(2月25日)投稿分の「先日の「源泉の感情」と「雑談的会話」の続き・・」にて述べました、2012年春~秋の歯科理工学実習を終えてから、同年晩秋から翌年早春にかけての興味深い出来事とも、通底する何かがあるようにも思われるのです。

とはいえ、これにつきましては、また別の近い機会に述べてみたいと考えています。

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