それは『歴史の物語り方』あるいは『史観』とも云えるのかもしれません。つまり、どれほど多くの歴史的な知見を集積しても、それらを統合する、物語ることが出来なければ、それは知見としては不十分なものであり、おそらく、いかなる分野の知見であれ、インプット・アウトプット双方の活動を行うことにより、それら知見は『身体化』され、統合され、物語ることが出来るようになっていくのではないかと考えます。
そうしますと、知見の集積といったインプットによるものと同様にアウトプット、つまりその表出も行った方が良いのでしょうが、その表出の際に重要であると思われるのでが、さきの『歴史の物語り方』あるいは『史観』といった、いわゆるその『枠組み』のようなものです。
そして、この『枠組み』の正当性もしくは学問的な信頼性は、それを構成する個々の知見に依存すると云えますが、他方で、その『枠組み』の物語り方が面白ければ、あるいは何かしらの意味があれば、それはそれで良いといった部分もあり、おそらく世界各地の現代まで伝わっている古代神話などは、そうした部分があったことから、現在にまで伝わっているとも云えます。
もっとも、遡って考えてみますと、おそらく諸規模の共同体において聞かせる共同体の成り立ちの物語・神話のようなものが先ずはじめに存在し、それが進化・発展し、現在の歴史学という学問分野になったと云えますので、枠組みの正当性以前に物語・神話が存在したのでしょうが・・。
また、現在における『枠組み』の物語りの様式は、小説・映画・マンガなど多く存在しますが、おそらく我々日本人は、その原因は分かりませんが、こうした小説・映画・マンガの物語と学問的な知見の信頼性に依拠する物語としての歴史との間にあまり相違を認めないといった、わりあい顕著な傾向があるように思われます。
それは、恐竜に対しての怪獣のように・・。そして、こうした『枠組み』もまた、自由な考え方が出来るという意味では良いのかもしれませんし、また、そうした傾向が基層にあることから、我が国の自然科学系学問分野での世界規模の優秀性が担保され得たと云えるのかもしれません・・。
さて、こうしたことを書いている背景には、本日から新たに読み始めた小説があるからです。この著作は以前から興味があったももの、これまでに読む機会がなく、今回はじめて手に取り読みましたが、冒頭から面白く既に100頁近くまで読み進みました。1000記事の作成を終え、新たな著作は読みたくないと思っているところに、こうした出来事が生じますと、また、そこから湧出する『枠組み』も多少変わるようであり、今回この記事を作成した次第です・・(笑)。
この著作は以前に読んだ荒俣宏著『理科系の文学誌』内に取り上げられていたカレル・チャペック著『山椒魚戦争』(岩波書店刊)という作品です。おそらく作品としてはディストピアものに分類されるのでしょうが、同じくディストピアものに分類されるジョージ・オーウェル著『1984』における国の統治機構による監視・抑圧といったネットリとした暗い陰惨さを伴うものではなく、当時の西洋植民地支配の構図を少し遠巻きから眺めたようなカラリとしたところがあり、また同時に19世紀半ば過ぎに、遅まきにこの支配の構図に参加した(せざるを得なかった)我が国であれば、その視座もまた微妙なものとなるのかもしれません・・。
~書籍のご案内~
前掲著作の著者である師匠による、歯科材料全般もしくは特定の歯科材料に関しての勉強会・講演などのご要望がございましたら、こちらもよろこんで承ります。師匠はこれまで長年にわたり大学歯学部・歯科衛生・歯科技工専門学校にて教鞭を執った経験から、さまざまなご要望に対応させて頂くことも可能です。この件に関しての連絡先メールアドレスはconrad19762013@gmail.com となっております。
併せて、今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
数年前から現在までに列島各地にて発生した大規模自然災害により被害を被った地域のインフラの回復および、その後の復興を祈念します。
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