現在読んでいる著作も余すところ50頁を切りました。
おそらく今日、明日中に読了に至るのではないかと思われます。
そして、この著作を読み終えることにより、通史的な著作をほぼ、たて続けにて読んだことになりますが、こうした著作とは分類としては一体どのようになるのでしょうか?
それぞれ巻末に参考・引用文献が載せられておりますので単に物語・小説といった分類でもないのでしょうが、その一方で、我が国の一般的な学術論文(文系・理系を問わず)などともまた、かなり異なっていると思われますので、こうした著作の明確な分類とは、未だよく分からず読んでいるといったところです(脱線し、さらに誤解を招くかもしれませんが、おそらく我が国においては本当の文系とは、かなりの少数派ではないかと考えます。それは法律・会計といった実学系とされる文系ともまた本質的に異なるのではないかと思われます。もとい、それ故、私見としては(特に今後)我が国の文系の多くを医療・介護といった実学系の学問と混淆あるいは振り替えてみても、大きな問題は生じないのではと考えます。むしろ人体に関する普遍的知識をより多くの学生(国民)が得ることは民度、文化水準の向上に寄与するものと考えます。)。
とはいえ、こうした著作とは物語・小説に比べ、明らかに読み進めるのに時間を要し、時にはネットを用い、分からないコトバの意味を調べつつ読むといったことも度々ありますので、たとえますと、船によって通常の海原を航海するのと、氷の張った海を砕氷船にて進むのと似通った相違があるとも云えるのです・・。
また、そのように、ある程度苦労して読了した著作であれば、その達成感もなかなかのものであり、さらには、読む際に調べたコトバの意味も多少は増え、少しは賢くなったような錯覚をもおぼえるに至るのです・・(笑)。
とはいえ、この『コトバの意味も多少は増え』に関して、より詳細に考えてみますと、それは一回の読書にて調べて『知った』コトバとは、本当の意味で『知った』という意味ではなく、未だそれは消極的なものであり、実際に自身が何かを能動的に書く段において、そのコトバはまだ運用し得る段階にまでは達していなかこつが殆どです・・。
その後、類似した内容の他著作を読み続けていく間に、そのコトバの意味が自身のなかで重層的、立体的なものとして理解され、そうしてはじめて自身の書く文章において、そのコトバを運用し得るまでになるのです・・。
おそらく自身とは、なかなか簡単には自信を持つことが出来ない性分であるのでしょうが、その性分とは、この読書においてもまた影響しているのかもしれません・・(苦笑)。
またそれは、実験に用いる試料の数においても、一連のブログ記事の数においても、何かしら似通った、通底するものがあるのではないかとも思われるのです・・(笑)。
また、それはコトバを変えれば『執拗』といったことにもなるのでしょうが、自身の性分におけるそうしたいわゆる『暗部』に関してもまた、未だよく分からず書き続けている次第ではありますが、自身は何かしら(強い)思い込みを抱えているのでしょうか、あるいはまた、何かしら強い不安を抱えているのでしょうか・・(苦笑)?
しかしながら、そうした自身の持つどこかしら(多分)おかしい部分(こそ)が、これまで自身が行い、そしてどうにか出来た(あまり普通とは云えない)ことがらの主たる駆動源であるとするならば(おそらくそうであろう)それはそのまま放置しておいた方が面白いのではないかとも思われます・・(笑)。
とはいえ、この一連のブログ記事における750記事程度とは、未だ到底『普通』の域を出ていないのですが・・(笑)。
何れにしましても、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年より現在までに列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被害を被った地域における諸インフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。
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