A「昨日分の投稿記事にて書きましたが、今回の記事投稿によって総投稿記事数が750に到達します。
そうしますと、とりあえずの目標である800記事到達までは残り50記事、そしてさらにその先にある1000記事を目標としますと、残り250記事ということになります・・。
今後さらに250記事を作成することは現在においてはあまり想像することが出来ませんが、一方、あと50記事程度を作成することは、特に無理をすることなく為し得るのではないかと考えます・・。
そして、その50記事を終えた後にまた、さらに先の具体的な目標へと設定し直すことが出来るのではないかと思われます・・(これが実質的且つ現実的であると思われます。)。
あるいは、私はある種の想像力が乏しいのかもしれません・・(苦笑)。
とはいえ、はじめからあまり大きな目標を述べ・立て、書いたりすることもまた、自身に関してはかなりのプレッシャーとなり、現在となっては特に、そうした行為とはおそろしくてすることが出来ません・・(苦笑)。
また、こうした『おそれ』の根源にあるものとは、一つに『言語に対する認識』であるのではなかかと思われるのです。
自身の意見を簡単に一般化することは避けた方が良いとは考えますが、それでも、おそらく一般的に『言語に対する認識』の程度が、ある程度までに達すると、自然とこうした心情、精神が生じてくるのではないかと思われるのです・・。
また、そうした心情、精神が社会において広汎に存在し、そして社会において作用することがなければ、伝統文化そしてその先にあるであろう創造性全般といったものは、これまでの歴史のどこかで潰えてしまったのではないかと思われるのです・・。
そしてそれ(言語に対する認識より生じる、ある種のおそれ)は、昨今何故だかあまり聞くことがない『良心』というコトバと強い親和性、関連があるのではないかと考えます・・。
さて、ここで『良心』よりもより具体的な行動等に関わる指針として『道徳』もまたあります。
そして我が国の場合、古来からの傾向として、実際に採られる行動によって感じ取られる、測られる道徳といったものに、より重点を置く社会であるといえることから、抽象的といいますか、その奥にある『良心』に関しては類似したものとして古くからの『真心』といったコトバがありますが、往々にしてそうしたコトバ、そしてそれが持つ意味、概念とは時間の経過に伴いインフレし、形骸化してしまうといった傾向が強いのではないかと思われます・・(苦笑)。
また、面白いことにか、残念なことにか、ここでもまた問題となるのは『言語に対する認識』であると考えるのです・・(苦笑)。
それ故、超常現象的な意味での言霊とは存在するかどうかは置いておき、その一方で『言語に対する認識』より生じる各個が持つ観念、精神には、良い悪いといった価値判断を抜きにして、何らかの相異があるものと考えるのです・・。
ともあれ、今回もまたここまで読んで頂いてどうもありがとうございます。
750記事に到達しても全く感慨がありません・・(笑)。
そして、昨年より現在までに生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被害を被った地域における諸インフラの復旧・回復そして、その後の力強い復興を祈念しています。」
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