2017年1月31日火曜日

20170131 岩波書店刊 エルヴィン・シュレーディンガー著「生命とは何か」―物理的にみた生細胞― からの抜粋

岩波書店刊 エルヴィン・シュレーディンガー著「生命とは何か」―物理的にみた生細胞― からの抜粋
pp.151ー152
「この最後の章で私が明らかにしようとおもうことは、一口でいえば、生きているものの構造について本書で学んだこと全体から、生きているものは物理学の普通の法則に帰着させることのできない或るやり方で働きを営んでいるという結論を出す準備が整ったに違いない、ということです。
しかもそれは生きている生物体内の一つ一つの原子の行動を指図する何か「新しい力」とか、あるいは力以外の何ものかが存在するということを根拠としているのではなく、生きているものの構造が、物理の実験室でいままで研究されてきたどんなものとも異なっているという理由に基づきます。
大ざっぱに説明すると、たとえば蒸気機関しかよく知らない技師が電気モーターの構造をみて一通り検べ終えれば、おそらくこの技師はそれが自分のまだ知らない原理に従って働いているという結論を出す準備が整っただろうというようなものです。
彼はボイラーなどでよく知っている鋼がここではコイルに巻かれている長い長い銅線として使われており、また梃や棒や蒸気筒などでよく知っている鉄がここでは銅線のコイルの内側をみたしていることに気がつきましょう。
彼はきっと、これは同じ銅と同じ鉄であり、自然界の同じ法則に従うに違いないと考えるでしょう。
この点で彼の考えは正しいのです。
その技師は、これほど構造が違っているのだから働き方が全然異なっているだろうと考えるのでしょう。
だが電気モーターはボイラーや蒸気もなしにスイッチ一つひねればまわりだすのだから、何か幽霊によって運転されるのだろうというような疑いを起こすことはないでしょう。」

pp.154ー156
「いずれにせよ、繰り返し何度でも強調すべき点は、物理学者にとってこのような事態は先例がないので、ありえそうもないと思えるばかりでなく、実に驚愕すべきことだという点です。
一般の人が信じているところに反して、物理法則により支配されている規則正しい物事の成り行きは、原子が高度の秩序をもった配列をしていることの結果ではなく、原子の配列状態が、周期性の結晶の場合またははなはだ多数個の同種の分子からなっている液体あるいは気体の場合のいずれかの場合のように、同じ配列がはなはだ多数あることに基づいて出てくる結果に他なりません。
化学者が実験室でははなはだ複雑な分子を取り扱う場合でさえも、必ず莫大な数の同様な分子を相手にしています。
或る特定の反応がはじまってから一分後には半数の分子が反応を終えており、二分後には四分の三が反応を終えているという場合がありましょう。
だが、仮に或る特定の分子の(反応)経路を追跡することができるとしても、その分子がすでに反応を済ませたものの中にあるか、まだ反応を起こしていないものに含まれているかどちらかであるかを予言することはできません。
それはまったく偶然のことがらです。
私は単に理論的に推測してこういっているのではありません。
それは、われわれがただ一個の小さな原子団あるいはただ一個の原子の運命を観察することがどうしてもできないからというのではありません。
事実それを観測できる場合も少なくありません。
しかしその場合にはいつでも必ず完全な不規則性が見出されるのであって、それらを合わせて平均してはじめて規則性が生まれます。
その例はすでに第一章で説明しました。
液体の中に漂っている一個の小さな粒子のブラウン運動はまったく不規則です。
しかし同じような粒子が多数あれば、それぞれの粒子の不規則な運動によって全体としては規則的な拡散の現象が現れます。

ただ一個の放射性原子が崩壊するのは観察することができます。(或るものを放射しそれが蛍光膜に当たると目がチラチラした光を放ちます。)

しかし放射性原子をただ一個だけ取り出したとすると、その寿命を予言することは健康な一羽の雀の寿命をあてるよりもずっと困難です。

事実その原子の寿命については次のこと以上何もいえません。

すなわち、その放射性原子が生きている限りいつまでたっても(しかもその寿命は何千年あるかもしれないのですが)、次の一秒間の間に崩壊する確率は、確率自身の大小にはかかわらず、同種の放射性原子が多数あれば、その結果として正確に指数関数に従う崩壊の法則が出てくるのです。」

エルヴィン・シュレーディンガー
生命とは何か
ISBN-10: 4003394615
ISBN-13: 978-4003394618



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