本日早朝に福島周辺を中心として再度、大規模な地震が発生したとのことでした・・。今年に入り熊本、山陰東部、そして今回の福島周辺と、大規模な地震が幾度か発生しておりますが、これで打ち止めとなって欲しいものです・・。
そして上記一連の大地震にて被災された地域の早期の復旧およびその後の復興を祈念します。
また、それと多少関連するかもしれませんが、そこから思い起こされたことは、昭和18年(1943年)から4年連続(鳥取、三河、南海×2)にて発生した一連の大地震のことです・・。
これら大地震とは、我が国において、ある程度周期的に発生しているとのことですが、今回の一連の大地震に加え2011年3月11日に発生した東日本大震災とは、さきに記した昭和18年からの一連の大地震と周期的に何かしら関連があるものか分かりませんが、何れにしても、現在の情勢とは、これら地震以外においても不安感を惹起・助長する要素が散見されるものと考えます・・。
また、そのように考えてみますと、どうもその「周期」というものに対し興味をおぼえるのです・・。
私はこれまで記したブログ記事にて歴史上の出来事を記す際「こうした出来事とは周期的に生じているのではないか?」と幾度か述べてきましたが、これは特に理系学問分野で使われる厳密な意味での「周期」といったものではなく、どちらかというと、記した内容理解促進のための便宜的な語の選択であり、一方、歴史とは、その本質において「周期」(循環して生じる現象の繰り返し)ではなく、あるいは歴史学とは、繰り返し反復されない出来事、現象を科学的に取り扱う学問であるともいえます・・。
また、それに加え思うことは、たとえ歴史が周期的にある出来事、現象が循環して生じるものであったとしても、それを我々が認識、概念化(内面化)することにより、それ(広く概念化・内面化された歴史)が予防接種、ワクチンの様な役割を果たし、未来に生じる出来事、現象を改変(良くも悪くも)することが出来ているのではないかということです・・。
そして「学問」としての、いや「認識される歴史」の一つの大きな価値とは、そうしたところに存するのではなかろうかと思われます・・。
故に歴史を軽く扱うことは避けた方が良いと考えるのです・・。
とはいえ、その一方において、これら認識される「歴史の価値」とは、世界的に見て「地域性」らしきものがあり、我が国のように四季がある程度明瞭に巡り(循環し)、また大地震が周期的に生じるような自然風土の環境においては、自然環境からの影響による周期的な循環を打破・分解するような概念・内面化された歴史観は成立し難く、むしろ、そうした自然環境に慣れることにより、ある意味、逆転した意味にて、そうした自然環境を馴致したという認識を得るに至るのではないかと思われます・・。
そして、こうした考えが以前ブログ記事にて記した和辻哲郎著「風土」における我が国をも包括する「モンスーン型文化風土」であり、また同時に、それはベン図において、大きな重複領域を中尾佐助の生活文化分類における「照葉樹林文化」と共有するのではないかとも思われます・・。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
そして、繰り返すようではありますが、これまでに生じた大地震(熊本・山陰東部・福島)により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。
0 件のコメント:
コメントを投稿