A「おかげさまで昨日のブログ閲覧者数は1000に到達しました。
どうもありがとうございます。
本日の首都圏の天候は始終小雨が降り、グズついたものでした。
また、先日お目に掛かった歯科医師の先生との会話においても「ひょっとして私のブログ記事を読まれている(た)のではないか?」と思うところがありました・・。
こうしたことは気にしはじめますと、結果的に萎縮、緊張してしまい文章の作成がスムーズに行かなくなってしまうのではないかと思われます・・。
加えて、本日は私の文系学問分野の師匠のお一人から久々に連絡がありました。
この師匠からは主に欧米の歴史、文化についてかなり多くのことを教えて頂きました。
しかし、それは教えるというよりも、どちらかというと日常的な会話の中で、そういったことを学んでいたという方が適切であったと思います。
また、その会話、説明の中に出てくる様々な著作、映画などを出来るだけ読むように、観るように心がけ、それを続けた結果、北海道、南紀での会社員時代を通じ書籍を読む習慣が保持され、結果的に「やはり院に行こう・・。」ということになったのではないかと思われます・・。
それ故、この師匠からの影響により、会社員となっていた私が研究という方面に自身の人生の舵を切った(切りなおした)のではないかともいうことが出来ます・・。
もちろん、その他の要因もまたありますが・・。
そうしたことから、紆余曲折を経て現在に至っている次第ではあるのですが「果たしてこれで良かったのであろうか・・?」と時折思うこともあります・・(笑)。
しかしながら、同時に私のような人間が寄与することが出来る大学の職種とは多くはありませんが、あるとは思いますので、それに巡り合うことが出来るよう願い、そしてゆっくりと探し続けてみようと思います・・。
「天網恢恢疎にして漏らさず」とはいいますが、実際のところどうなのでしょうか・・(笑)?
さて、ハナシは大分変りますが、昨日記したブログ記事と関連するのではないかと思われる記述を見つけましたので、それを下に示します。
岩波書店刊 クロード・ベルナール著 「実験医学序説」ISBN-10: 4003391616
ISBN-13: 978-4003391617
PP.305ー307より抜粋引用
「人間の精神は本来体系(哲学)を好む傾向を持っている。
人々が事実よりもむしろ言葉について一致しようと努めているのもこれがためである。
しかしながらこれは、実験的批判における誤った方向であって、事実の存在またはその真価を考えさせる代わりに、いたずらに問題を紛糾させ、また容易に暴論と信じさせる弊害がある。
ところが大抵の場合この異論なるものは、人が現象を解釈する仕方にのみ存在していて、実際には存在していないのである。
予期しない事実、或いは新奇な思想を科学の中に導き入れる幸運をになったすべての人と同様に、私もまた数多の批判の対象となっていた。
現在もまたそうである。
私が今までこれらの反対者に答えなかった理由は、いつも仕事に追われて時間と機会がなかったからである。
しかし本書の続きにおいて、この吟味をなすべき機会がおのずと出てくるであろう。
また我々が前節において指摘した実験的批判の原理を応用することによって、これら一切の批判を判断することも容易であろう。その前にまずここでは単に、実験的批判においては本質的に区別すべき事柄が二つあるということを言っておこう。
実験の事実とその解釈がこれである。
科学は何をおいてもまず事実について一致することを要求する。事実こそは、我々がその上に立って考慮をめぐらすべき基礎であるからである。
その解釈、またはその思想に至っては、各自違っていてもさしつかえない。それどころか討論されるということはむしろよいことである。
なぜならば、このような討論はさらに他の研究を刺激し、また新しい実験をくわだてるように導くからである。
したがって生理学においても、真の科学的批判の原則をどこまでも忘れないで、個人的感情や策略などに決して混同しないように心がけなければならない。
批判の技巧の中には、すでに科学の領域外にあるという点で、我々がこれを論じることをいさぎよしとしないようなものも沢山ある。
しかしその中で、どうしてもここに述べなければならないことが一つある。
それは、他人の研究の中から、すぐれている点や重要な点を無視したり、かくしたりして、ただ弱点や欠点だけを指摘するやり方である。
この方法は誤った批判法である。
科学においては批判という文字と中傷という文字とは同一語ではない。
批判するとは、正しいことを誤っていることから分離しつつ、またよい点を悪い点から区別しつつ、真理を探究することを意味している。
このような批判は学者にとって正当であると同時に、学問にとっても有益な唯一の批判法である。
このことは我々が引き続き陳述しようとする特殊の実例を見れば容易にわかるのである。」
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域における諸インフラの早期の復旧と、その回復を祈念しております。
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