2018年4月30日月曜日

20180430 分解と再構築の過程にあるもの・・精神・記憶?

おかげさまで昨日投稿分の記事も一昨日に続いて多くの方々に読んで頂きました。読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

さて、これら記事にて述べた『思想・観念』の保持もしくは有無とは、異言しますと、その『思想・観念』が内面化されているか?もしくはインカーネーション(人間化)されているか?によって判断されるのではないかと思われます。

しかしそれは、たとえばある言語化された『思想・観念』を記憶し、暗唱することが出来れば、その『思想・観念』が内面化・人間化ということには必ずしもならず、単純にそれだけであれば、録音・再生機能を持つ機器によっても『思想・観念』を内面化・人間化することは可能であるということになります。

その相違とは、言語にて著された『思想・観念』の意味・内容を読み解き、そして解釈し、己のコトバにて、その意味・内容をある程度精確再構成することが出来るか否かということになるのではないでしょうか?

これをまた異言しますと、文字・文章による『思想・観念』を解釈により分解し、その後再び自身のコトバによりその『思想・観念』の本質を損なうことなく再構築することが出来るかという分解と再構築のプロセスが可能か否かということになります。

そして、昨今のコンピューター技術・人工知能の進化発展に伴い、これに関しても随分怪しくなってきたのが現在ではないかと思われます・・。

そうしますと、そこで我々人間が持つ、各種機器にはない優れた特質とは、個々の『思想・観念』の解釈の仕方、個々により異なる精神の働きである想起の仕方ではないかと思われるのです。(ある種の選択が為されること。)

これが機械的に一様でないこと、さまざまな『思想・観念』の微妙な相違を記憶を参照することにより看取し、それを言語によって著し、評価・検討し、新たな何かを創造することが出来るのは、未だ我々人間のみでしか為し得ることではないかと思われます。(加上?)

しかしまた、そのように考えてみますと『では、その起点もしくはとなるものは一体何であるのか?』という考えに帰着するのですが、これもまた個々により異なる何らかの、あるいはいくつかの記憶の連合といったものではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

精神という土壌(もしくはマトリックス)に突き刺さった記憶という中空のストロー状の杭が精神の奥深くまで達していれば、そこから抽出されるモノは、技巧の巧拙はあるにせよ、やはり何らかの情動・想起を惹起させることが出来るのではないかとも思われます・・。しかし逆に、情動・想起を惹起させるものが精神の内奥より生じたものであろうと考えることは、いささか危険なことであるようにも思われます・・(近代以降の我々は、いつもこうした一見分かりやすい・近道のようなものにより間違いを犯し、それは現在においてもまた同様であるようにも思われます・・おそらく、そうしたことは検算出来るものではないように思われます・・。

ともあれ、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

近年より現在に至るまでに、日本列島各地にて生じた、もしくは現在も継続している
地震・大雨・水害・火山噴火といった大規模自然災害によって被害を被った、被っている諸地域の諸インフラの復旧そして復興を祈念します。


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ISBN978-4-263-46420-5




2018年4月29日日曜日

20180429 継続して自身を何かに投じることにより得られるものとは・・?

本日は休日ということもあってか、昨日投稿分の記事はかなり多くの方々に読んで頂けました。読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

たしかに昨日投稿分の記事にて述べた『思想・観念』に関しての議論は難しく、仮に誰かが、その『思想・観念』を完全に理解しているとしても、それにより、その誰かが『思想・観念』を保持していることにはなりません。

おそらく『思想・観念』を保持することとは、そこに自身を(ある程度持続的に)投じてみる必要があるのではないかと思われます。

約言しますと『『思想・観念』を保持するためには、自身がそれと一体化する必要性があり、それは客観視による理解とは、異なった相にあるものと云える。』となります。

そこに昨日投稿分の記事にて述べた『我が国は『思想・観念』の構成要素である文字に関しては古来より高い識字率を誇ってきたが、それを用いて編まれる『思想・観念』に関しては広く関心を持たれることはなかった。』ということを加味して考えてみますと、我が国は、実用的であり且つ娯楽享受のための手段ともなる文字に関しては、時代を通じて積極的に広く受容したが、それと同じ文字を用いる『思想・観念』については、本質的にそれらは自身を投じる必要があり、そこから人の思考・行動をも変え、ひいては社会の安定のためにも好ましからざるものとされ、忌諱されるに至り、それが尾を引き現代に至っているとも考えられますが、さて如何でしょうか?

ともあれ、そうした事情から我が国は『思想・観念』に関しては、同じく科学技術全般などと比較した場合、それと同水準にあるとは決して云えなく、また今後もこうした『思想・観念』を扱う分野においては、国際間では言語の違いなどもあるのでしょうが、それ以前にさきに述べたような背景により、我が国はさらなるガラパゴス化を余儀なくされるのではないかと思われます・・。

そして、そこから招来されるであらう事態を多少は改善できるのではないかと思われる方策は、第二外国語のように文系であれば理系の何か、理系であれば文系の何か能動的に取り組む自身を投じてみる)ことが出来る分野・科目を副専攻として研究することが一般化することであると考えます。また、ここで重要なことは、あくまでも能動的(自身を投じてみる)ということであり、それが出来そうでなければ、どちらか一つでも十分ではあるのですが、ただ、そうした方々が増えることにより、将来における『思想・観念』の創造性は多少は良くなるものと思われますが、さて如何でしょうか?

おそらく我が国は伝統的にその多くが定住型の水稲耕作民であることからか『思想・観念』に限らず、自身を何かに投じてみることを忌諱する傾向があるのではないかと思われます。

その意味で、当ブログは本名にて運営しており、いくらかは自身を投じているとも云えますが、それでも将来における『思想・観念』の創造性は不明のままであり、また同様に文体の獲得も未だ為されていませんが、それでも何かしら自身が寄与できそうなことに継続して能動的に取り組む自身を投じてみる)ことが、さきの創造性の素描となり、文体の獲得となっていくように思われますが、さて如何でしょうか?

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

ここ数年来、現在に至るまで、列島各地において生じた、もしくは現在も発生している地震・大雨・水害・火山噴火といった大規模自然災害により被害を被った、被っている諸地域の諸インフラの復旧そして復興を祈念します。


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20180428 『思想・観念』は『その思想が述べられている文字列?』・『木を隠すなら森の中?』

本日の首都圏は天気も良く、温度も上がり、ゴールデンウィーク初日にして既に晩春を感じさせるような陽気であったと思われます。
さて、現在あらためて読み進めている著作が『大学とは何か』であること、および昨日投稿分記事から着想したと思われるのですが、先ず
『思想・観念』には色やカタチといったものはありません。
他方、たとえば何らかの『病気・症状』なども、さきの『思想・観念』とほぼ同程度に、その具体像が思い浮かぶというものありません。しかしながら『病気・症状』には目視可能な何らかの像を結ぶ存在があり、そして、それを専門とする方々にとっては、色やカタチなどを含めて何らかの具体像が思い浮かぶ存在であると云えます。そして、それと同様の意味合いにおいて『思想・観念』には具体像といったものがなく、そこから『思想・観念』とは『文脈ありき』もしくは、ある程度の時間的な継続性に依拠する存在であると思われます。また、それは以前に抜粋引用した中井久夫の記述によると『積分回路』・『参照のシステム』であり、あるいは、強いてその具体像を表現してみますと『その思想が述べられている文字列』となります。
しかし、であるからといって『その思想が述べられている文字列』が存在さえすれば、そこに『思想・観念』がたしかに存在する、もしくは存在したと証明出来るわけでもなく、皮肉なことであるのか『思想・観念』が著される『文字』が広汎に用いられる、一般化されることにより、その『思想・観念』の存在は、反比例的にとも評し得るほどに減少していくのではないかと思われます。
約言すると、文字が一般化された社会においては特に、ある『思想・観念』の存在を『その思想が述べられている文字列』の有無により判断することが困難となり、その意味で古くから識字率の高さが一つの特徴である我が国が、同時に『思想・観念』などに関しては、実質的にあまり重要なものとは考えない、関心を持たないこととも浅からぬ関連があるように思われるのです。(またそれは、現在のさまざまな国際レベルにおける歴史問題にも通底するものがあるように思われます・・。)

また、たとえ『思想・観念』が実際に存在するとしても、そこに、他の大量の『思想・観念』とは云えない何かしらの文字列が存在すれば、さきの『思想・観念』は相対的なものとなり、次いでその中に徐々に埋没していくのではないかと思われます。(それはまさしく現代の大量生産・大量消費社会ではないだろうか?)
その意味で『思想・観念』とは云えない何かしらの文字列の存在が比較的少なかったかつての時代の方が、幸せであったのかもしれませんが、しかし、そうした社会であっても、文字の運用を『思想・観念』に関しての議論および新たな
創造に多くの人々があまり関心を持たないといった傾向とは、かつての特に近世以降の施政に淵源があるのか、あるいはそれ以前よりそうした傾向が社会に存在していたのか分かりませんが、そこには、やはり時代を通じ普遍的に理解・解釈可能な正典が存在しないことが、ある程度影響しているように思われるのです・・。

また、さらに近年のインターネットなどの情報技術の進化発展に伴い、画像も文字も更に一般化されつつありますが、そうしたいわば多くの画像・文字情報に恵まれた状態こそが、新たな創造、進化発展において適しているというわけでもないように思われるのですが、さて如何でしょうか?
ともあれ、今回もまたここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。


現在までに列島各地にて発生した、あるいは現在も発生している地震・大雨・水害・火山噴火などといった大規模自然災害により被害を被った、被っている諸地域の諸インフラの復旧そして復興を祈念します。


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2018年4月28日土曜日

20180427 1000記事到達まで30記事を切って当ブログについて思うこと等々・・

これまでに自身が作成したブログ記事は、概説的なものに関しては、作成の際に書籍を開き調べつつ作成してきましたが、そうでない散文的な記事で、いくらかの知識・知見が散見される記事に関しては、概ね作成の後、インター・ネットにてそれらを検索し、リンクさせています。

さて他方、これまでに作成・投稿した全ての記事のうち、200記事程度は書籍からの抜粋引用であり、残りの700記事以上は一応自身オリジナルの文章であると云って良いです。また、さらにそのうちの200記事程度は対話形式であり、独白形式の散文にて作成したオリジナルの記事は全体として500記事程度と云えます。

しかし、であるからといって、これまでに投稿した900記事以上全てをオリジナルの独白形式の文章にした方が良かったとは考えていませんし、また、それが現在の自身の文章力であり、そして同時にその文章力は、これまでの記事作成・投稿の過程により、かつてに比べ、いくらかは進化・向上したのではないかと思われるのです・・。

それ故、1000記事までどうにか到達することが出来た後、どこまで記事作成を継続するか分かりませんが、その後の継続は、ある意味では、これまでと同様ですが、継続の為の継続ではなく、より意識して作文能力の向上・文体の獲得を目指して継続していきたいと思います・・。(しかし、目指したり意識しても出来るものでもないのですが・・(苦笑)。

またさらに、ブログ記事作成の手法における新たな試みも行ってみたいと考えていますが、そうしたことは1000記事まで残り数記事となったみたところで実際に考えてみようと思います。

そういえば、本日に関してはどうしたわけか、直近数記事にて延べてきた思想的なことの着想が得られませんでした。また、電車の中ではつい先日に読了した『大学とは何か』を再読し、その際には、いくらかはブログ記事の題材となりそうなことも泡のように心中に浮かんできてはいたのですが、いざ記事作成の段になると、こうした有様になってしまうことに関しては、今後何らかの手段を考えることにより、いくらかは改善することが出来るようにも思われます。

また、それとは別に現在光人社 村上兵衛著『桜と剣』を読んでいますが、これも我が国の太平洋戦争の敗戦に至るまでの近現代史の一側面を述べたものとして一連の『石光真清の手記』と同様、興味深い著作と云えます。そして、我が国の近現代史について興味をお持ちの方は特に御一読の価値があると思います。

司馬遼太郎の小説のように概ね俯瞰的な視野にて歴史の様相を扱った著作もたしかに面白いのですが、やはり、歴史を帰納法的に知るためにも、こうした著作が比較的多く存在している我が国は、やはりどこかしら優れたところがあるように思うのですが、さて如何でしょうか? 

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

近年来より現在に至るまで、列島各地にて発生した、あるいは現在も発生している地震・大雨・水害・火山噴火といった大規模自然災害によって被害を被った、被っている諸地域の諸インフラの復旧そして復興を祈念します。


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2018年4月27日金曜日

20180426 970回目の投稿、ここ数日の投稿記事から悲劇の英雄と都会対地域の構図

今回の記事投稿により総投稿記事数が970に到達し、同時に1000記事達成まで残り30記事となります。そして今後もまた、現在の調子にて記事作成を継続することにより、来月中の1000記事達成がいよいよ現実味を帯びてきます。

とはいえ、今更1000記事達成とは書いてみましても、あまり現実味どころか高揚感らしきものも殆どないのが現状と云えます(苦笑)。そうした状況の中で記事作成が出来ているのは、これまで継続してきたことからくる惰性らしきものと、読んでくださっている皆さまの存在に因ると云えます。

また、それにも多少関連して昨日投稿分の記事は、ここ数日間の投稿記事内容を関連させたものとなりましたが、思いのほかに多くの方々に読んで頂けました。読んで頂いた皆さまどうもありがとうございます。また、そこで述べた内容は、特に銘記するまでもなく、あるいは意識の有無に関わらず、我が国の歴史の基層部に組み込まれている、流れているものであると思われます。

それは、欧米由来の近代学問がもたらした普遍的な歴史の発展様式とは異なった土俗的、情念的なものであり、また同時にそれは我が国の歴史の流れ、渦といったものを惹起させる作用をも持ち、端的に、それ抜きにして我が国の歴史は語れないと考えます(あまり声高に主張すべきことでもないのでしょうが、そこに民俗学の価値があるのではないでしょうか?)。

ともあれ、それは父権的な強さ、あるいは母性的な慈愛を備えた啓的宗教といったものを好まず、持たない我が国においては、浮遊し易い良心に対して錨のような効果を持ってきたのではないかと考えます。しかし他方で、時代が経過すると、そうした存在に対し、実在性の認識に由来する共感を抱くことが困難になり、新たなそうした存在を半ば無意識のうちに要請するようになるのではないでしょうか?

その意味において今年の大河ドラマが近代日本最大の悲劇の英雄とも云える西郷隆盛であることには、あるいは深い意味合いがあるのかもしれません・・。

しかし、これまでにも述べてきたことではありますが、そうした都会(概ね東京)発のメディアが発するコンテンツは、昨日分の投稿記事に挙げた歴史上の悲劇の英雄を扱う場合、その活動において最も特徴的であり、且つ注力すべきである悲劇の様相の徹底的な描写を意図的であるのか避けているように思われるのです。

何故ならば、多くの場合、そこには都会対地域といった構図が見え隠れしているからではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

あるいは地方が叛乱を起す程度にまで元気になられると国家
としては困るのかもしれません。そして、その意味での現在の地方創生・再活性化などは都会(概ね東京)発のメディアなどが牽引するのは、いくらか長い目で考えてみますと、あまり良い効果はもたらさないようにも思われるのですが。さて如何でしょうか?

ともあれ、今回もまたここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

近年とり
現在までに列島各地において発生した、あるいは現在も発生している地震・大雨・水害・火山噴火などといった大規模自然災害により被害を被った、被っている諸地域の諸インフラの復旧そして復興を祈念しています。

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2018年4月26日木曜日

20180425 形而上的要素と形而下的要素との関係性について昨日・一昨日の記事に関連して・・

本日の首都圏は朝方からの強い降雨が昼過ぎ頃まで続き、その後断続的な小降りとなり、現在に至っています。

さて、昨日投稿分の記事の記事もまた一昨日に続き書籍からの抜粋引用でしたが、これも投稿翌日にしては比較的多くの方々に読んで頂けました。読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

ともあれ、こうした、かつて為された対談を文章として読み、それを書き写していますと、数十年後である現在の我々の方が、そこから進化し、優れているとは云い難いといった感覚を覚えるのです・・(苦笑)。

さて他方で、我々が用いる諸道具については、一般的にかつてに比べ進化し、優れたものになっているとは思われるのですが、やはり、さきの対談にて述べられていたような知見・見解については『現在では、こうした知見・見解のを自身のものとして述べることが出来るような方々は一体どれだけいるのだろうか?』と思うに至り、冒頭のような感覚を覚えるのです。

漠然とした見解ではありますが、おそらくこれまで地球上に存在した様々な文明・文化もまた、諸道具などを包括するような形而下的要素と、さまざまな無形の概念・思想などを包括するような形而上的要素によって構成されており、概してそれらは時代を遡るにつれて、その関係性が看取し易くなるものと考えます。つまり、過去に遡れば上るほど、社会における情報伝達の手段・精度などが制限されることにより、そこから形而上的要素に対して変化をもたらす刺激が乏しくなり、形而上的要素を創造の母胎とした諸道具などの形而下的要素との関係性が単純なものとなり、その関係の看取も比較的容易になると思われるのです。

とはいえ、当時の人々はあまりそうしたことを考えることはなく、むしろそれだけに無心に、そして純粋に各々の形而上的要素と形而下的要素がしっかりと噛み合い駆動・活動していたと考えます。また、その分野の専門ではありませんが、この視点が原始芸術とも云えるさまざまな遺跡・遺物などを観察する際において大事であると考えます。

また、その意味において、近年のインターネットによる情報技術の進化発展は、検索内容に画像も含まれることから、さきに述べた関係性といったものも比較的容易に認識することが出来るようになったのではないかと思われます。

しかし一方で『その方法(インターネット)にて得た認識がどの程度の応用性・持続性といった、いわば認識としての強度を持っているのか?』ということが今後の問題になるように思われます。

これを考えてみますと、否応なしに想起するのは、欧米をモデルとした急速な近代化を推し進めた近代以降の我が国の歴史であり、こうしたものは、本来であれば出来るだけ漸進的に、そして自然に変化していく方が望ましいのかもしれませんが、世界の極東に位置する我が国は、古来より、軽佻浮薄をもあるいは是とするような、急速な変化を余儀なくされるという、いわば地政学的な意味での宿命らしきものがあるのかもしれません・・。

そして、そうした視点から見ますと一昨日に抜粋引用した『大学とは何か』と昨日の『対話・日本人論』もまた特に無理なくつながるのではないかとも思われるのですが、さて如何でしょうか?

そういえば昨日の『対話・日本人論』の抜粋引用部は主に三島由紀夫著『英霊の声』に関しての記述であり、この小説では『われらは30年前に義軍を起こし、叛乱の汚名を蒙って殺されたものである』。また、『われらは戦の敗れんとするときに、神州最後の神風を起さんとして、命を君国に捧げたものだ』と、2・26事件と神風特攻隊をにて亡くなった方々のコトバを神主に憑依して述べるといったカタチをとっていますが、こうした生前の行為を裏切られ、そして命を落とし怨霊となった方々の物語・伝承(筑紫君磐井・菅原道真・平将門・早良親王・崇徳上皇・・)については古代より事欠かない我が国とは、やはり謀(はかりごと)が好きというよりも、どちらかというと論理的・筋道の通った話し合いによる合議的なものよりも、情緒的な会話にてナアナアにしておいてから、物理的に始末するといった、ある意味での情緒的清浄性の方が好まれている(これは一種の精神的な意味での潔癖症であるのか?)ようにも思われるのですが、さて如何でしょうか?

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

近年より現在に至るまでに列島各地において発生した、あるいは現在も発生している地震・大雨・水害・火山噴火などといった大規模自然災害によって被害を被った、被っている諸地域の諸インフラの復旧そして復興を祈念しています。


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2018年4月24日火曜日

20180424 夏目書房刊 林房雄 三島由紀夫 『対話・日本人論』pp.38‐42より抜粋引用

夏目書房刊 林房雄 三島由紀夫 『対話・日本人論』pp.38‐42より抜粋引用
ISBN-10: 4931391966
ISBN-13: 978-4931391963

『林 僕は英霊の声についての文芸批評を、ほとんど全部読んでみたが、みんなあれはイデオロギー小説だと思っているようですが、しかし「英霊の声」には、イデオロギーはない。
批評家諸君はイデオロギーという言葉をどう解釈しているのか、イデオロギーはふつう、社会思想と訳されているが、つまり集団の思想で、個人の自由な思想とは対立する。「英霊の声」は思想小説であっても、イデオロギー小説ではない。三島由紀夫という個人の自由な発想の上に成り立っている。

イデオロギーは、一つの集団、または党派の立場から絶対化されたものだから、個人の思想をのみこみ、場合によっては圧殺するものです。そういう意味のイデオロギーは「英霊の声」のなかにはない。三島君の心の中に「憂国」や「十日の菊」のころから萌芽し成長し続けた自由な思想がある。その自由な思想が現在の日本という大衆社会化され、平均化され、アメリカナイズされ、占領民主主義化された現状にたいして激怒している。
神格天皇と人間天皇の問題で戦後の天皇制にまで怒りのしぶきがかかっている、ここに詩がありますね。三島君自作の詩。

『日の本のやまとの国は・・・
人ら泰平のゆるき微笑み顔見交わし
利害は錯綜し、敵味方も相結び、
外国(とつくに)の金銭は人らを走らせ
もはや戦いを欲せざる者は卑劣をも愛し、
邪まなる戦いのみ陰にはびこり
夫婦朋友も信ずる能わず
いつわりの人間主義をたつきの糧となし
・・・・
大ビルは建てども大義は崩壊し、
その窓々は欲求不満の蛍光灯に輝き渡り、
感情は鈍麻し、鋭角は摩滅し
烈しきもの、雄々しきも魂は地を払う。
・・・・
かかる日に、
などてすめろぎは人間になりたまいし』

たいへんな怒りです。「などてすめろぎは人間になりたまいし・・」これは一つの「自由な思想」です。天皇制についてはいろいろと議論があるでしょう。私の天皇観は三島君と少しちがうようだが、私はそれにこだわらずに読むことができた。あなたの現在日本の大衆社会に対する怒りがいかに激しいかを感得しただけです。 


三島 やはり狼少年みたいなもので、僕はときどき、狼が来るぞと人をおどかすものですから。ほんとうに狼が来たと思って書いたのですけれども、そうするともうだめなんです。だれも信じない。それはやはり、自分が悪いのだと思います(笑)。

 ある批評には、三島君本人が本気で信じているかどうか疑問であると書いてありましたがね、この批評は次元が低い。おのれの低さを告白しているだけのものだ。作家というものは、信ぜずに書けるはずはありませんよ。戯作や喜劇でさえ。

三島 「英霊の声」は、自分でいうのはおかしいが、非常にとりつかれたようになって書いたので、嘘であんな気分にはなれませんね。

 と思いますね。僕たちは現在の大衆社会というものについてもっと考える必要がありますね。つまり、あなたをこれだけ怒らせたものは何か?それは大衆社会だ。ここでヤスパースを引用したいのですが、ちょっと読んでみます。ヤスパースは大衆というのは、民族とは違うと言っている。

民族はさまざまな秩序に成員化され、生活方式、思惟様式、伝承において自覚的である。民族は、実体的なものであり、共通した雰囲気をもち、この民族の出身の個人は、彼を支える民族の力によっても一つの個性をもっている。・・・これに反して、大衆は成員化されず、自己自身を意識せず、一様かつ量的であり、特殊性も伝承ももたず、無地盤であり、空虚である。大衆は宣伝と暗示の対象であり、責任を持たず、最低の意識水準に生きている
テクノクラシーの時代の大衆ですね、平均化された大衆が大量に生産されて時代を支配する。この大衆においては、労働が機械化され、平均化されるばかりではなく、余暇つまり、レジャーでさえ機械化され、遊興もまた別種の労働になる。・・・いわゆる人間疎外状態ですか。ヤスパースの言葉でおもしろいのは、大衆は知識人たる自分自身のなかにも存在しているといっている点です。

個人は、民族であると同時に大衆である。個人は、彼が民族である場合と大衆である場合とで、まったく別々な感情を抱く。状況は、大衆たることを強い、人間は民族たることを固執する。例をあげて具体的に説明すると、大衆としては普遍的なもの、流行、映画、そういうような、私は単なる今日の現象を追い回し、民族としては具体的に生きている現実、かけがえのない現実と、歴史的に源泉的な伝統を欲する。
大衆としての私は、ステージの上のスターに熱狂して声援を送り、民族としての私は、私の内奥で生を越える音楽を味わう。大衆としての私は、数でものを考え、なにもかも積み重ね、水平化してしまう。民族としての私は、価値の上下を区別し、組織立てて考える」

と言っています。民族としての自覚というのは、歴史的自覚ですね。それを失うと、その民族は滅びてしまうというのが、ヤスパースの主張なんです。』



20180423 主に書籍からの抜粋引用 岩波書店刊 吉見俊哉著 『大学とは何か』より

先日より読み進めていた新書も去る土曜日に読了しました。その著作は岩波書店刊 吉見俊哉著 『大学とは何か』であり、読んでいる際に何度か読み進むのを止めて考えさせられました・・。
これまで当ブログにて述べてきたことではありますが、自身は元来が人文社会科学系の人間であり、そこから、高等教育において教養教育を大事にした方が良いとは考えているのですが、しかしそれは、現在の我が国においては困難であるように思われるのです・・。

おそらく現在の大学が持つ一般的な傾向は、将来において役立つ専門的知識の獲得に主眼が置かれ、また、それはそれで正しいとは考えるのですが、ただ、それのみに、いくらか近視眼的にピントを合わせ過ぎているのではないかとも思われるのです・・。

しかしまた、他方で、少子化が進み、学生数全体が減少している昨今の状況においては、大学においても、市場をめぐる企業のように、何か一つの顕著な傾向・動きが生じると、それを基軸として競争のようなものが否応なく生じ、そして、その中で孤高を保つことは実質的に困難であると思われますので、仕方がないのかもしれませんが・・。

そして、そのように考えてみますと『では大学とはそもそも一体誰のものか?』といった根本的な疑問が生じてくるわけですが、それについて面白い記述がありましたので、以下に抜粋引用しようと思います。

岩波書店刊 吉見俊哉著 『大学とは何か』pp.235‐236より抜粋引用
『この半世紀に及ぶ大学改革で問われ続けたのは、「大学はだれのものか」という問題だった。かつての帝国大学では、この問いへの答えは明白だった。大学は国家のためのもので、それはすなわち天皇のためのものだった。新制大学で、当然ながらこの前提は否定された。それでは戦後、大学は「国民のため」のものになったのか。しかし、戦後の大学を特徴づけてきたのは私立大学の利益目的の大拡張であり、理工系の規模拡大であった。
その結果、大量の品質保証された「会社員」や「技術者」が養成された。つまり戦後の大学が貢献したのは、経済成長に突き進む企業社会であった。それなら大学は、「天皇」のものから「企業」のものになったのか。しかし、他方で大学は、企業が求める有用性からはずれる教養知を保持し続けた。そのような知を擁護してきたのは大学教師たちであったから、大学はその教師たちのためにあったことになるのだろうか。彼らは、国家という主人が消えた大学で、自ら主人となったのだろうか。

六〇年代末の学生の叛乱は、これらのいずれとも異なる仮説を立てた。彼らからすれば、大学は学生のもの」だった。
たしかに、バリケードのなかの「もう一つの大学」は、学生たちのものであった。しかし、四六答申も、永井の公社化構想も、大学を学生たちのものだとは考えていない。学生は大学の不可欠の担い手だが、大学は彼らだけのためにあるのではない。学生が大学の主人であるとすると、かつての「闘う学生」の時代はともかく、八〇年代の「消費する大学」の時代には、大学は移り気な消費者のためのサービス財になってしまう。

だから大学が、単に国家のものでも、産業界のものでも、教師たちのものでも、さらには学生たちのものでもないとするならば、大学はいったい誰のものなのか。

すでに見たように、カントデリダ、あるいは南原繁など、近代的大学概念の転換点に直面した思想家たちは、この問いに一定の答えを与えてきた。彼らが主張したのは、何らかの人類的普遍性である、大学はこれまでも何度かの危機に際し、目前の関係者の利害を超える普遍的な価値を標榜してきた。そして中世から近代への境目、あるいは現在のように、この価値への信憑が失われるとき、大学は重篤な危機に直面してきた。

この普遍的な価値への志向を保持し続ける限りにおいて、大学は完全には法人になりきることができないが、しかし法人としての大学は、そのような価値を顕示し、それに支えられるのでないと、どこにでもある知識サービス産業と変わらないものになってしまう。社会に適合した法人の持続可能なマネジメントと普遍的価値への奉仕、この両面を未来の大学はいかに組み合わせていくべきだろうか。』


さて、なかなか考えさせられる文章ではないでしょうか?

ともあれ、今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

近年来より現在に至るまでに列島各地にて発生した、あるいは現在も継続して発生している地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模自然災害により被害を被った、被っている諸地域の諸インフラの復旧そして復興を祈念しています。


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2018年4月22日日曜日

20180422 常軌を逸した衝動を持ちつつ角の取れた文章を書き続けようと試みること・・

昨日投稿分の記事は思いのほか多くの方々に読んで頂けました。読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。そこで選んだ主題は現在の我が国社会においては特に相応しいのかもしれませんが、しかし、歴史とは一面において、まさしく、そうした世代交代と社会勢力図の変遷そのものであるとも云えます。そして、その中で繰り返される旋律のようなものを認識し、それを如何なる形式であれ表出することが、人文社会科学系学問全般の根源にある大きな衝動であると考えます。

以前にも述べたことですが、それは詩歌、物語、論文いずれの形式であれ構わないのですが、そこで大事なことは自身の考えを精確に述べることであり、そうすることにより、その考えは有機的なものとして積層・蓄積してゆき、そして時を経て、その考えは新たな段階・相に至ることが出来ると思われるのです。

その意味において、このブログは有意義であり、当初と比較しますと、少なくとも文章としてはいくらかは読み易くなり、また、その述べるところも、公正中立であるとは云えないでしょうが、多少は角が取れてきたのではないかと思われますが、さて如何でしょうか・・(笑)?

しかしまた、ここで大事なことは、文章において角が取れてくるのは良いのでしょうが、しかし、そもそも文章を作成し、それを公表するという行為は、職業での必要性を除いては、いくらかは常軌を逸したものであり、また、自覚の有無に関わらず、そうした(常軌を逸した)衝動により、こうした個人ブログなどは継続されているということです・・(笑)。

文章の角が取れることは結構なことなのでしょうが、同時に文章には顕れない内面にて、常軌を逸した衝動を保持し続けることも文章作成の継続では、かなり重要であるように思われるのです・・。

これまで記事作成を継続して、ある程度明瞭に思うことは、たしかに、さきに『衝動』と評した『勢い』らしきものなしにブログ記事作成を含めた継続的な文章の作成は困難であるということであり、くわえて、この『衝動』がある程度継続出来たとしても、それに対しての読み手の存在が皆無であれば、その衝動の継続もまた困難になってくるだろうということです。

その意味において今後、自身が1000記事の到達であれ、3年間のブログ運営が為されたとしても、それはこれを読んでくださっている方々のおかげでもあるのです・・。

また、おそらく常軌を逸しているであろう自身が、必死に角が取れた文体を目指しつつ、装いつつも、その考えることろを精確・正直に述べようとする行為の中に他者から見て、如何なる面白さがあるのかよく分かりませんが、それでも、さきに述べたように読んでくださっている皆さまのおかげにて、ここまで継続することが出来ています・・。

そして、自身の文体の獲得もまた、このあたりの事情と何らかの関連があるようにも思われるのですが、さて如何でしょうか?

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

近年来より現在に至るまでに日本列島各地にて発生した、あるいは現在も発生している地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模自然災害によって被害を被った(被っている)諸地域の安全確保、諸インフラの復旧そして復興を祈念しています。

~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック
ISBN978-4-263-46420-5



















2018年4月21日土曜日

20180421 眠いなかで思ったこと・・世代交代による社会勢力図の変化?

ここ最近どうも眠いことが多いのは、よく聞く五月病によるものなのでしょうか?考えてみますと、たしかにこの時期は、季節が冬ベースから本格的に春ベースになる時期であり、この季節の変化への身体的な対応が為される過程により、こうした現象が生じるのではないかと思われます。

さて、本日もまた、さきに述べたように電車内においても眠く、それでも先日から読んでいる新書は、ある程度読み進み、読了まで余すところ20頁程になりました。眠くはあっても興味を持ち読み進めている著作を読む際は、やはり多少正気になり集中し、そして背筋もいくらか伸びているように思われます。しかし、面白いことに私の場合、集中して書籍を読んでいますと、キーボード前での当ブログの作成と同様に徐々に前かがみの猫背気味になってくるのです。そこで時折我に返り、再び背筋を伸ばしてから再開するのですが、この癖はなかなか治らないようです・・(苦笑)。

また、本日は休日ということもあり、これまでにも比較的ブログ記事を読んで頂いているのですが、そのなかでもとりわけ『大岡昌平「俘虜記」およびその他について』が多く読んで頂いており、その原因について考えてますと、昨日投稿分の記事内容にあるのではないかと思われました・・。

そして偶然ではあるのですが、昨今読み進めている他の一冊が新潮選書 松本健一著『三島由紀夫と司馬遼太郎「美しい日本をめぐる激突」』であり、この著作もまた、つい先日読了した中公新書 吉田裕著『日本軍兵士』と関連性があるように思われます。それは、両作家(三島由紀夫・司馬遼太郎)それぞれの思想的な相違の基層にあるものは、太平洋戦争時の経験によるものが大きいといった、ある程度一般化し得る言説が、その結節点になるものと思われます。

ともあれ、ここまで書いており、面白いと感じたことは、太平洋戦争にて悲惨な経験をされた世代の著述家の方々が、この十年あたりで徐々に亡くなられていくに伴い、我が国社会の変に偏った右傾化・国粋化主義的な傾向もまた徐々に強くなっていったと思われることであり、これは端的には世代交代による社会勢力図の変化であると云えるのですが、ただ危惧されることは、そうした我が国社会にて生じている変化が、如何なる世界情勢での変化の歯車に噛み合う、対応するかということであり、その点について明治維新から太平洋戦争に至るまでの70年あまりを参照して考えてみますと、どうも現在もまた、さきの70年と同様、あまり良い方向には噛み合う、対応しているように思われないのですが、さて如何でしょうか・・? 

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

近年から現在までに列島各地にて発生したあるいは現在発生している地震・大雨・水害・火山噴火といった大規模自然災害によって被害を被った(被っている)諸地域の安全の確保、諸インフラの復旧そして復興を祈念しています。

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20180420 日常性における相違から地域性が看取される

本日は帰宅が遅く、また目標とする5月内での1000記事到達まで若干の余裕があることから、記事作成をやめようと考えましたが、本日以降もまた、こうした日がないとは断言出来ないことから、半ば惰性のようにして記事作成を開始した次第です(苦笑)。

さて、天候に関しては本日は良い陽気であり、日中はかなり温暖であったといえますが、しかしやはり日が翳ってきますと急激に気温が下がり冷涼となり、今後しばらくは春物のコートをしまうことが躊躇されます。他方、南九州でのこの時期四月後半は、既に気温も大分上がり、暑いと感じる日が徐々に増えてきた頃であったと記憶しています。
そして、当地でのこの時季は半袖シャツの上に以前も当ブログにて書いた薄手のファティーグ・ジャケットをよく着用していましたが、当時よく着用した一着はさすがにボロボロになりましたので捨ててしまいましたが、これは以前も書きましたが、和歌山市のぶらくり丁はずれの洋品店にて購入し、以降数々のフィールド・ワーク、千葉県市川市に戻ってからの日用大工に用いました。そしてその頃から、いい具合に色が落ち、ペンキのハネなども付いてクタビレてきましたので、さらに頻繁に用いるようになりましたが、こうした古着のジーンズに対するような審美感覚は、国内においても普遍的ではないようであり、その後鹿児島にてこれを着用していますとミリタリー・ジャケットを着ている≒右側の方々、あるいは、ペンキのハネがある色落ちしたヨレヨレ気味のジャケットを着用している≒粗雑な感性の持ち主という評価に収束し易い傾向があることを知るまでに多少時間がかかりました・・(苦笑)。

そして、その点においては少なくとも関西南部地域(大阪府南部・和歌山県)は事情が異なるようであり、特に和歌山においては『タキシードとジャンパー』というコトバがあるくらいに、ハレとケの衣服が画然とされ、また余程のことがなければ、ハレの衣服を着用する習慣がないことから、当地の男性の日常的な服装から、その背景をも安易に判断することは困難であるといえます。また、同時に、そうした文化土壌の地域であったことから、自身もさきのファティーグ・ジャケットを当地在住の期間、違和感なく着用出来ていたのかもしれません・・(余談となりますが和歌山県では古代より続く国造家があり、ある意味で我が国全体の縮小図を見ている感じがありました。)。

ともあれ、それは人の評価において、見た目以上の何かを大切にしているのか、あるいは単に実用一辺倒の価値観の所産によるものか分かりませんが、こうした日常性における価値観の相違から、計測可能な数値的なものとは異なるものの、ある程度明瞭にそれぞれの地域性らしきものの輪郭が一部ではあれ見えてくると思われるのですが、さて如何でしょう?そして、こうした認識や判断において重要なことは記憶であり、個人の記憶を現在の損得に基づく打算による同調圧力にて封殺しようと試みるのは、国内・国際双方における我が国のお家芸であると昨今は国際的にもある程度認知されるようになってきたのは、おそらくインターネット・PCによる、さまざまな情報の記憶技術の進化発展によるものが大きいのではないかと思われます。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

霧島連山の硫黄山の噴火が沈静化しつつあるとのことですが、今後も近隣の方々のご無事を祈念します。

過去数年より現在に至るまでに列島各地において発生したあるいは現在も発生している地震・大雨・水害・火山噴火といった大規模自然災害により被害を被った(被っている)諸地域の安全の確保、諸インフラの復旧そして復興を祈念しています。

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2018年4月20日金曜日

20180419 文章を作成する背景・基層にある意識・記憶について

当記事を含めて38記事作成投稿することにより総投稿記事数が1000記事に到達します。おそらくそれは来月末頃になると思われますが、同時にその後しばらく6月22日(確認できる最も古い記事が2015年6月22日の投稿であった。)まで続けることにより、当ブログは3年間継続したことにもなります。1000記事という記事数の区切りも重要ではありますが、同時に3年間の継続も達成可能であれば、達成してみたいと考えています。そのため、今後1000記事まで到達し、数日間休んだ後、記事作成を再開し6月22日まで継続してみようと思います。

以前聞いたコトバで『ブログは1000記事書くと何かが変わる』もしくは『ブログは3年間継続すると成功する』といったものがありましたが、現在においても当初と比べれば変わったと思われますし、また、現在の当ブログも成功しているとは決して云えませんが、雑記的な内容の記事が多い割には、多くの方々に読んで頂いているのではないかと思われます。そして、これがさきの1000記事の到達、3年間の継続により更に変わる、成功するのであれば『とりあえずそこまで継続する』といった程度の野心は、むしろ健全であると考えます。

さて、先日来より電車内にて読み進めている新書も、おそらく今週中に読了に至ると思われますが、そこから気が付いたことですが、電車内にて読んでいる著作は、あまりその他の場所では読まないということであり、家に居る時などは、また異なった分野の著作を読んでいると云えます。そして、この家に居る時に読む著作に関しては、特に季節が温暖になってきますと、古代史特に古墳関連の著作の頁を開くことが多くなると云え、それがおそらく作成するブログ記事の内容に対してもいくらか反映しているように思われます。

自身にとって温暖になり活性が上がるにつれ、この分野の著作を読む傾向があることは、その背景・原因が分からないにしても、なかなか興味深いことであり、心理学的な見地からしますと、何らかの意味を見出すことが出来るのかもしれません・・(笑)。

また、この古代史・古墳関連の著作を読む際は、その背景もしくは基層となる記憶には西日本の気候風土があると云えます。そしてさらには、自身がこれまでに曲がりなりにも文章を書き続けることが出来ている背景・基層にもまた西日本の気候風土による何らかの大きな作用があるように思われるのです。こうした要素はおそらく各人各様の事情が思われますが、自身の場合、それが西日本であるということになるのです・・。そしてもしも今後自身が西日本に住むことになった場合、自身は何を背景・基層として文章を書くことが出来るようになるのでしょうか・・(笑)?

ともあれ、今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

新たに霧島連山の硫黄山が噴火したとのことです。近隣の方々のご無事を祈念します。

近年から現在までに列島各地にて発生したあるいは現在発生している地震・大雨・水害・火山噴火といった大規模自然災害によって被害を被った(被っている)諸地域の安全の確保、諸インフラの復旧そして復興を祈念しています。

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2018年4月19日木曜日

20180418 目途が立つことと 抽象的・具象的なことについて

本日の首都圏は終日雨模様であり、また気温も上がらず、さながら季節が一月程前に戻ったようでした。また明日は天気は晴れ、気温も日中20℃程度まで上がるとのことですが、こうした気温の大きな変動はなかなか面倒なものがあります・・(苦笑)。

その一方、当ブログは、昨日の記事投稿により、総投稿記事数も961に至り、残すところ40記事未満の投稿にて1000記事へ到達します。未だ1000記事に当達していませんが、それでも現在の調子にて記事作成を今後しばらく継続することは、これまで作成してきた期間と比較しますと、そこまでの困難を伴うものではないと思われることから、何と云いますか1000記事到達までの目途がある程度立ったように感じらるのです。とはいえ、もちろんこれにて楽観視することは出来ませんが、ただ端的に、1000記事への到達が現実味を帯びてきたということになるのでしょうか?

思い返してみますと、かつて200~500記事程度を作成していた時期は、100記事毎の区切りが、かなり大きく、そして嬉しく感じられ、500記事への到達の際は嬉しさのあまり、なかなか寝付けなかった記憶があります(笑)。しかし、そこからの更なる記事作成の継続に伴い、この喜びの感情は減衰していき、最近に至っては作成記事数のことを忘れていることすらあります・・(苦笑)。しかしそれでも、どうにか記事作成は継続出来ていますので、こうした感覚の変化・推移もまた、一つのブログ記事作成の継続に伴うものであり、また、それはさまざまな行為に付随する『慣れ』の感覚の一種であるようにも思われます。とはいえ、現在はさきに述べたように、ある程度大きな区切りへの到達であっても、それに伴う喜びの感情はあまり湧出してきませんが、それでも実際に1000記事にまで達してみますと、突然それが変わるようなこともあるのでしょうか?いずれにせよ、こうしたことは実際に経験してみなければ理解できないと思われますので、何はともあれ、今後もしばらくは記事作成を継続してみます。

そういえば、現在読み進めている新書はあれからいくらか頁が進み、近代以降の我が国における高等教育を主とした教育制度について述べられていますが、以前の欧米における大学制度の記述と比べますと、格段に読み進む速度が上がり、おそらく近日中に読了すると思われます。

この著作は以前にも述べましたが、その興味深いと思われた記述を抜粋引用してみようと考えています。また、そして現在も初等・高等教育が関与する案件にて国が多少揺れているようですが、こうした著作からの抜粋引用にて、わずかではあれ、そうした現今の問題に対し、歴史的背景を据えて考えてみる一つのきっかけにでもなれば良いのではないかと思います。

とはいえ、さきに述べたように教育に関する案件にて、国内が騒がしい時に、将来その主役となるべき子供たちについてはあまり聞くことがないのは、さすがに自動車・機械といった工業製品、あるいは土木工事などのハード・ハコモノの製造・建造などにおいて優れた才能・手腕を発揮する我が国らしいといえば、そうであるようにも思われるのですが、さて、如何でしょうか(笑)?

ともあれ、今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

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2018年4月18日水曜日

20190417 何かを格好いいと思うに至る起源について トレンチ・コートから

本日の首都圏は夕刻前より雨が降りはじめ、また気温の方も日暮れに伴いグンと下がったように思われます。さらに明日は寒くなるとのことですので、本日着用のコートにライナーを着けて出ようと考えています。

そうしたことから、ライナーにて暖かさを調節出来るコートはなかなか合理的で便利であり、特にこの時季に用いるのに適しているのではないかと思われます。

現在自身が用いているそうしたコートは、厚手のコットンとポリエステル混紡布地のトレンチ・コートであり、元来軍用の死蔵品(デッド・ストック)であったことから頑丈であり、なかなか重宝しています。また、昨今街を歩いていますと、男女問わず多くトレンチ・コートが着用されており、このコートは現在流行しているように見受けられます。

しかし、その名称が示すようにトレンチ・コートは塹壕戦が一般的になった第一次世界大戦時における英国軍の軍服が起源であり、それが世界各地の一般社会にまで広がってきたものです。また、社会にて広く着用され、認知されるようになった後も、当初は主に男性用の衣服として認識されてきました。我が国においても、最近に至るまで『このコートは男性が着用するもの』といった認識があったのではないかと思われます。

また自身は日本人であり、起源の地である欧州の人々と人種・体型が異なることから、このコートは似合わないと考え、興味を持つことはありませんでした。しかし、数年前に突如として『なるほど、我々日本人でもトレンチ・コートが似合う人もいるものなのだな・・』と考えを改めるに至りました。もちろん、そうした変化が生じるためには、契機といったものが必要であり、自身にその契機をもたらしたのは、体型が(理想化されがちな)欧米人に近いスマート・スリムな方々ではなく、身長も決して高くなく、さらにその体型はどちらかと云うと小太り気味のずんぐりとした方々でした。さらに、そのように感じたのは自身のみではなかったようであり、その時周囲にいた、より若い方々もそのように感じていたことを後になり聞きました。

もう一つの契機は、さきとほぼ同年代の方であり、こちらの方がより日常的にトレンチ・コートを着用されているといった感じがあり、その着慣れた感じが、どうも日本人離れして且つ本質を掴んでいるように感じられた次第です。

ともあれ、こうした契機により、トレンチ・コートを見直すのと同時にある格好を『カッコいい』と感じさせる本質とは一体何であるかと考えるに至りましたが、これはイマイチ分からず、ただ、体型などとは多少次元が異なる発散する一種の雰囲気のようなものが少なからず関与しているのではないかと思われました・・。

しかしながら、おそらく我々が日常的に用いる『ファッション』といったコトバには、こうした個々人で異なる雰囲気といったものは考慮せず、あくまでも即物的・唯物論的・マニュアル的もしくは悪くすれば物神崇拝的なニュアンスをも含まれているようにも感じられます。また、そうしますと、そこで新たに構築された(ある意味独自の)位相・価値観といったものが自然発生的に枝分かれして生じて行くのかもしれませんが、しかし、おそらく、そうしたことを繰り返す・常とする文明は、世界規模において独創的にして普遍的なものを創造するといったことが徐々に困難になっていくように思われる(ガラパゴス化の起源の一つ?)のですが、さて如何でしょうか?

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

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2018年4月17日火曜日

20180415 昨日投稿記事から思ったこと 背景学問の重要性について・・

昨日の天気予報によると本日は終日降雨とのことでしたが、結局のところ夜に至るまで雨は降りませんでした。また、昨日投稿の記事は投稿翌日にしては多くの方々に読んで頂けました。読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。しかしながら、当記事は作成はしてみたものの、その内容が、これまでにブログ記事として述べた内容と異なることから、上手く書くことが出来たように思われません。

傾向として、当ブログでは、我が国の近現代史であれば概ね戦前・戦中までを題材として扱い、そしてその中から看取された特徴・傾向などを現代社会に照らし合わせ、記事として述べてきたと云えます。そして、昨日記事にて、はじめて戦後冷戦期を題材として記事を作成しました。また、書いた後になり気が付いたことですが、おそらく当記事作成の背景には先日読了したサミュエル・ハンティントン著『文明の衝突』そして同じくDVDにて観たスティーヴン・スピルバーグ監督の『ブリッジ・オブ・スパイ』からの影響があったのではないかと思われます。特に後者映画作品に関しては最近映画を観る習慣が乏しくなった中で久しぶりに観ましたが、かなり面白く、以前に好んで観たフレデリック・フォーサイス原作の映画とも通じる部分が少なからずあるように思われました。

ともあれ、そうした自身の近況と昨日、地中海東岸某国にて生じたことが反応し、昨日の記事作成におよんだと云えますが、しかしながら、その記事はさきにも述べた通り上手く書けたように思われないのです・・(苦笑)。また、そうした実感を通じ、これまでに半ば当然のように作成してきた歴史を題材とした記事に関してもまた、機会を見つけ新たに再検討を行う必要性を考えるようになりました・・。また、それと同時にブログ記事といえども、ある程度確からしい内容を書くことを試みるのであれば、その分野における血肉化された知識・知見の重要さを改めて知りました・・(苦笑)。

さて、さきに挙げたスティーヴン・スピルバーグ監督の『ブリッジ・オブ・スパイ』は冷戦期の国際情勢を知るために有益な一作であると思われ、出来ればロジャー・ドナルドソン監督の『13デイズ』そしてスタンリー・キューブリック監督の『博士の異常な愛情または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』あたりと一緒に観ることにより、さらにその理解は深まるものと思われます。しかしながら、こうしたことを書いておりますと、不図、文系分野での師匠の話し口調が思い起こされるのです・・(苦笑)。

ともあれ、今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

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20180417(0416分) 創造性を駆動させるための通過儀礼・・文体の獲得?

本日はインターネットにつながらない状態であることから、現在ワードにて本日分の記事作成を行い、明日昼頃に加筆修正をして当記事を投稿してみようと考えています。

本日の首都圏の天気に関しては日中においては日差しもあり、比較的温暖な一日と云えましたが、日が沈んだ夕刻頃から急激に寒くなったように感じられました。そのため、この時季はまだ上着が手放せないと云えます。

さて、一昨日(20180415)投稿分記事も比較的多くの方々に読んで頂けました。読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。また、そこから、時には歴史を扱った映画作品を紹介する記事を作成するのも悪くないように思われました。とはいえ、思い返してみますと、この方面での基礎的な知識は概ね、昨日分投稿記事にて述べた文系分野の師匠からのものであると云えます・・。かつて、この師匠との会話にて出てきた著作・映画作品を出来る限り読み、観て、そしてさまざまな場面にて意見を述べることにより、以前と比べれば、自分なりの考えらしきものを持つに至ったように思われます。しかし、現在あらためて考えてみますと、これまで我流にて、そうした活動を継続してきたつもりではあるのですが、果たしてその活動はどの程度自身を変化させ、成長せしめたのか?といった疑問が生じるのです。そして、この疑問について考えてみますと、それは、時折当ブログにて述べる自身文体の変化と同様、明瞭に実感・認識することは難しいものであるように思われるのです・・(しかし、当初よりそれを目的とすると、おそらく今度は変な方向に行くのではないかと思われる・・(それが現在の我が国?))。

他方、これまた同様に当ブログにて何度も繰り返していることではありますが、以前と比べてある程度明瞭に変化し、成長したと思われることは、当ブログの継続による文章作成の身体化であると云えます。

もちろん、そこには調子の波のようなものがありますが、それでも何かしら書き始めれば、ある程度の文量は作成することが出来るといった実感であり、これは文章内容・語句の簡潔さを重視する方々からしますと、無駄・余計なことと思われるのかもしれませんが、しかしながら、これも自身の感覚・実感に基づく意見ですが、我々の創造性は、始終、用いる文章・言語の簡潔さといった価値観にて拘束されていますと、次第に拘束内での文章・言語の作成の方へと注力するに至り、そして、肝心の創造性のための活力が減衰もしくは壊死してしまうのではないかと思われるのです。また、こうしたことは用いる言語体系の煩雑さなどもまた同様の効果を及ぼすのではないかとも思われます。しかし、それだからこそ、そうした言語を吸収・克服し、自身のものとする(身体化)ことを試みる価値があるのではないかとも思われるのです。そしてまた、それぞれの扱う言語を吸収・克服し得た状態こそが、まさしく文体の獲得ではないかと思われるのです。また、そのように考えてみますと、文体の獲得とは、創造性を駆動させるための通過儀礼の一つであるのかもしれないと思われてきましたが、さて如何でしょうか?

今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

近年来より現在までに列島各地において発生、もしくは現在も継続して発生している地震・大雨・水害・火山噴火など大規模自然災害によって被災された(されている)諸地域の各種インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しています。




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2018年4月15日日曜日

20180414 具象と抽象もしくは物理的なるものと観念的なるもののギャップから生じること

本日の首都圏は早くより曇り、そして夕刻に至る頃には断続的に小雨が降るといった状況でした。また海外においては予断を許さない事態が生じているようですが、ここ極東では有効と思われる為す術もありませんので、このまましばらく事態の推移を静観する以外ないと思われます。

とはいえ、一国が行う対外的な軍事行動の実質的な目的が、その政権の支持層の拡大・維持を狙うようなものになれば、それはかなりマズい事態であるようにも思われます。

現在は冷戦期と異なり、二大強国によるいわゆる二極構造でもなく、世界はいくつかの文化圏を基軸としたブロック化といった様相を示していると云えます。その中では冷戦期の二大強国も、かつてほどの軍事力を背景とした強権に基づく世界秩序の維持は困難になると云えます。また、そうした状況がある程度継続し、世界レベルにて、その共通認識が定着した後で、たとえばかつての威信を取り戻そう(政権の支持層の拡大・維持を目的とした)、あるいは景気刺激策の一環として軍需産業の振興をはかる政権が誕生し、そして何らかの武力行使が妥当と内外に対し説明出来るような事態が生じたならば、その政権国家が軍事行動をとる蓋然性はおそらく冷戦期より高くなるのではないかと考えます。

それが冷戦期における自国陣営内での事態であれば、軍事行動・武力行使を行っても大きな問題として扱われることは少なく、また一方で、それが対立陣営内にて生じたのであれば、非難声明などは出すのでしょうが、しかし地政学的に重要な地域である場合を除き、軍事行動をとるにまでは至らず、対立陣営の盟主国が何らかの対応をして幕を閉じるといった事態が多かったのではないかと思われます。

しかしながら、現在はさきにも述べた通り、世界がブロック化しており、そのブロックもしくそれを構成する国々の軍事力といった物理的な力においては、それぞれかなりバラつきがあるのですが、その一方で、国際社会における、それぞれの立場とは、冷戦期以降の前世紀末から現在にまで至るまでの主にインターネットによる情報技術の飛躍的とも云える進化発展により、標準化・平均化されて認識されるようになったのではないかと思われるのです。これを異言しますと、実際の世界においては国・ブロック毎に冷戦期同様の軍事力のバラつきがある一方、我々がさまざまな認識を得る抽象的なインターネット空間においては、そうしたバラつきはあまり認識され得ず、またそれが平等であるといった言説も容易に生じ、そして国際的な見解として認知されるのですが、しかし、やはりさまざまな出来事はあくまでも現場にて起きるのです・・(笑)。

上手く表現出来たか分かりませんが、おそらくこれに類する作用機序、そしてそれを更に抽象化した構造・メカニズムに含まれる具象と抽象もしくは物理的なるものと観念的なるもののギャップこそが現在世界中にて生じているさまざまな出来事の大きな要因ではないかと思われるのです・・。

その意味において世界規模にて共有され得る抽象的、観念的なるものが乏しい我が国は、見方によれば幸せであるのかもしれませんが、しかし同時に、現在の多少変化が激しい時期が終わった後の世界における国際的な存在感はおそらく戦前もしくは冷戦期に比べ、薄くなっているのではないかとも思われるのです。

また、それを多少なりとも好転する方法が、将来の我が国を支える人々に対する教育、特に高等教育にあると考えるのですが、これについては以前も何度か当ブログにて述べてきましたので、そちらを御覧頂ければと思います。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

ここ数年来、現在までに列島各地にて発生した、もしくは現在も継続して発生している地震・大雨・水害・火山噴火といった大規模自然災害によって被害を被った(被っている)諸地域の諸インフラの復旧および安全確保そしてその後の復興を祈念しています。


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2018年4月13日金曜日

20180413 最近の活動について思ったこと・・

かねてより当ブログにて歯科医療機関を主とした求人情報を掲載していることとも多少関連がありますが、現在私はいくつかの活動を行い、それぞれの活動は歯科医療機関、歯科大学、大学歯学部そして歯科衛生士養成校(大学、短期大学そして専門学校)を主たる対象としています。もとより、それらは個人の活動であり、また他に行うこともあることから、その活動は制限されるのですが、それでも自身が行った活動が何らかの効果をもたらす、あるいは何かに結実することは嬉しいものであり、今後は、それらの経験を活かし更なる拡大再生産に結び付けることが出来ればと考えています。


しかし、同時に忘れてはいけないことは、そうした経験をさせて頂いたのも、日頃よりお世話になり、またはお邪魔してお疲れの中、相談に乗って頂いた方々がおられるからであるということです。また、そうして組み立てた計画を実行し、そこから何らかの反応があったり、あるいは先方にこちらの存在もしくは活動を認知していることなどを知らされますと、それもまた嬉しく、また同時に多少身が引締まる思いもします・・(笑)。

個人特定の要素を除き、そうした一つの具体例を述べますと、先日ある用件にて某歯科衛生士養成校(大学、短期大学そして専門学校のうちのいずれか)に電話をかけ、担当者に繋いで頂く際、電話越しの少し遠くなる音声で「**(私が関与している活動の一つ)さんの担当の方からお電話ですよ~。」と聞きとれました。その声色から察するに、特に面倒、邪険といった様子はなく、更に踏み込んで(想像をたくましくして)みますと、これまでに何度か話題となった対象といった響きがあるように感じ取られました。そして担当の方が出て、改めて用件をお伝えしたところ「ええ**(私が関与している活動の一つ)さんの活動は憶えていまして、先日こちらでお預かりした書類につきましては年度が改まりましたので、また新たにお送り頂くことになりますが、よろしいでしょうか?」といった感じでした。

そしてつい先日、新たに書類を作成して先方にお送りしましたが、その後直ぐに今度は他の歯科衛生士養成校(大学、短期大学そして専門学校のうちのいずれか)より別件でのお問い合わせを受け、対応させて頂きました。こうしたことは集中するような性質があるのかイマイチよく分かりませんが、もう少しこうした活動を継続してみようと考えています。また、これまで就職支援活動、医院、研究室等見学のご案内は、結果的に伝手による歯科医師からのお問い合わせのみでしたが、歯科衛生士養成校の学生さん、専攻生、院生の方々で、そうした希望をお持ちの方々からのお問い合わせがあった場合も同様に対応させて頂きます。

もちろん、これまで通り歯科医師からのお問い合わせも対応させて頂きます。またこれらに関してはSNSからのお問い合わせでは対応いたしかねますので、下記メールアドレスまでご連絡頂ければと思います。そして、今後とも草の根的な歯科医療を中心としたIR活動(最近覚えたコトバです(笑))を行うつもりですので、どうぞ遠慮なくお問い合わせ頂ければと思います。

conrad19762013@gmail.com(アドレス内@を半角英数に替えてください。)

そして今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

近年来から現在に至るまで列島各地にて発生した、もしくは現在も継続して発生している地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模自然災害によって被害を被った(被っている)諸地域の各種インフラの復旧および安全確保、そしてその後の復興を祈念しています。



~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。

ISBN978-4-263-46420-5






20180412 閲覧者数の変遷、自身ブログおよび文章、文字について

かれこれ三年近く当ブログを運営しており、当初は1日の閲覧者数が10人にも届きませんでしたが、その後徐々に閲覧者数は増え、また急激に増えるというわけでもなく、ここ最近では1日の閲覧者数は凡そ400~1000人程度となっています。この閲覧者数が多いのか少ないのかは分かりませんが、自身の感覚としては『ブログ記事内容の割には多くの方々に読んで頂いているのではないか・・』といったところです。時折、他の人気があるブログを閲覧させて頂きますが、そうした記事の真似は到底出来なさそうに思われ、今後もこの調子にて、とりあえずキリの良い1000記事まで作成し続けるほかないように思われます・・(笑)。

また首尾よく1000記事まで到達することが出来ましたら、是非とも1ヶ月ほどブログ記事の作成を休んでみようと考えています(笑)。そして、これが一体どのような効果をもたらすのか検証してみようと思います・・(笑)。とはいえ、よくよく考えてみますと、自身は現在においてもほぼ毎日、当ブログ記事作成以外で合計して1日に1000文字程度の文章は作成していると思われます。それはメールの作成、返信などが主なものですが、それに加えて今後はもう少しハガキ・手紙などで文章を書いてみようと考え付きました。それはつい先日所用にてペンにて文章を作成していたら、その文字が我ながら下手なことに驚いたからです・・(苦笑)。元来自身は文字が上手ではありませんが、それでもある程度書き続けていれば、もう少しはまともな文字を書くことが出来ると思われるのです・・。また、文字の上手さに関しては、自身の歯科理工・文系の師匠は共にどちらかといえば悪筆の部類であり、そのことから、時折聞くことがある『文字が下手な人は教育水準が低く人間的にも問題がある』といった見解は、単なる偏見に属するものであると考えています。

とはいえ、であるからといって、文字の上手い方々を批判するわけではありませんが、事実とはむしろその反対の傾向があり独創性のある才能、卓越した学識を持つ方々は特に個性的な文字、表現を変えると悪筆の方が多いのではないかと思われるのです・・。また、そのように考えてみますと、ここからもまた、表層・外見(のみ・ばかり)を評価の基準とする古来から我が国が連綿として持つ性質・傾向を見出すことが出来るのではないかと思われます・・。

また、そうした性質・傾向とは書かれる言語に対してだけでなく、話される言語においても、主に評価の基準となるのは、その内容よりも口調であり、そうした世の中では丁寧な口調にて虚偽の内容を堂々と、もしくは平然と、押し出しも良く明朗に話すことが出来る、身だしなみの良い方々の方が好感を以て受け入れられるのかもしれません・・(笑)。

いや、もしかすると現在の我が国社会にて生じていること、およびそれらの報道とは、大きな意味でのバカ発見器のようなものであるのかもしれませんが、それは自国民度に対する過大評価なのでしょうか・・(笑)。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

ここ数年来、列島各地において発生した、もしくは現在も継続して発生している地震・大雨・水害・火山噴火といった大規模自然災害により被害を被った(被っている)諸地域の諸インフラの復旧および安全確保そしてその後の復興を祈念しています。


~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック
ISBN978-4-263-46420-5






 









2018年4月12日木曜日

20180412 中央公論社刊 岸田秀著「ものぐさ精神分析」pp.255-257より抜粋引用

中央公論社刊 岸田秀著「ものぐさ精神分析」pp.255-257より抜粋引用
ISBN-10: 4122025184
ISBN-13: 978-4122025189

『エリクソンがさかんにアイデンティティの確立ということを説いているが、このアイデンティティなるものも、たとえば自分の土地に自分の家を建てるような具合に、自分の人格のなかに一つの実態的存在として構築できるわけのものではない。わたしがほかならぬこのわたしであるということの根拠は、わたしのうちにはない。わたしがわたしであることを支えているのは、わたしが属する集団の共同幻想であり、わたしがわたしであることを、わたしの性質、考え、身分、地位、能力などがかくかくであることを他の人びとが認めてくれているからにほかならない。この支えが崩れれば、わたしのアイデンティティは一瞬にして瓦解する。

さきにわたしは、幼児は多形妄想的であると言ったが、実をいえば、おとなだって大して変ってはいないのである。いわゆる正常なおとなとしての人格は、その多形妄想、その私的幻想の一部分の共同化によってかろうじて支えられているに過ぎない。いわば、大きな紙を数個のピンで壁にとめているようなもので、そのピンが外れれば、たちまち紙は落っこちてしまう。わたしの見解によれば、精神分裂病と呼ばれているところのものは、多い形妄想の再現または再現の途中の状態である。あるいは、その再現を防止しようとする必死の努力である。我々は誰でも、我々の超自我および自我、アイデンティティまたはセル・フイメージが、われわれの属する集団の共同幻想による支えを失えばたちまち精神分裂病となるであろう。

したがって、ある個人の属する集団のメンバーが全員一致して、当の個人を精神分裂病者にしようと思えば、理論的にはそれは可能であろう。彼が彼自身について、世界について抱いているさまざまなイメージ、感情、観念などを、単に間違っているとか、不道徳だと非難するのではなく、どうしてそう思えるのか見当もつかない、とんでもないたわごとと見なし、そのレベルでの彼とのコミュニケーションをいっさい断ち、そしてかつ、彼には本当と思えない架空のイメージ、感情、観念のレベルでなら、コミュニケーションに応じるのである。このレベルでなら、彼に対してどれほどやさしく献身的につくしてやってもよい。つまり、集団の共同幻想と彼の私的幻想とを切り離す、いいかえれば、彼の私的幻想の共同化を阻止し、それが共同化されたものでないところの共同幻想を押し付けるのである。彼の人格は二重構造を持つようになるだろう。つまり、集団に受け容れられるために押し付けられることに甘んじた共同幻想と、共同化を目指して挫折し続ける私的幻想との二重構造である。レインの用語を借りれば、前者が外的自己、後者が内的自己である。この二重構造ができれば、精神分裂病の発病の条件は整ったわけで、そのうち彼は押し付けられた共同幻想をかなぐり捨てて、その私的幻想を噴出させるだろう。

実際問題としては、おとなの個人に対してこのような企てが成功するのは、非常に難しいであろう。おとなは一般に、一つの限られた集団だけに属しているのではないから、彼の属する集団のメンバーが全員一致してそんな芝居を打つなんてことはなかなか起こり得ないであろう。また、こういうことは意識的に芝居を打つつもりでやったのでは、うまくゆかない、少なくとも意識的には、そうすることが正しいのだと思い込んでいる必要がある。したがって、実際にこういうことが可能なのは、個人がまだ幼児期にあって家族という狭い集団しか知らないときだけであろう。

精神分裂病の治療の場合は、これと逆のことをやればよいわけである。病者の私的幻想を共同化(病者と治療者との関係において)した形の擬似現実を提供し、その擬似現実を、一般社会で現実とされているところの擬似現実にだんだんと近づいてゆけばよい。そして、病者の私的幻想を社会の共同幻想に共同化するところまでもってゆけばよい。』

20180411 突如として読まれる記事があること、および記事作成を行う時間帯について思ったこと

これまでにも度々あったことですが、突如、以前に投稿した記事が集中して読まれるといった現象が生じることがあります。こうした現象が何故生じるのかは、よく分かりませんが、これを機会にそうした記事を読み返し、その原因についてあれこれと考えてみることは、決して面白くないことではありません・・(笑)。

そしてまた、時々は、そこで思い巡らした内容が新たに作成する記事の題材になることもありますので、それはそれで記事作成に対しては良い効果をもたらしてくれているといえます。あるいは、そうした現象の蓄積により、無意識ながら自身内部にぼんやりとした疑問が蓄積され、時としてそれが睡眠中の夢となり顕れることもあるように思われます。

また、その意味において昨日は、ここ数年間ほぼ毎日のルーチンとしていた記事作成を行わないで寝入ったことにより自身の精神に対して何らかの変化が生じたようであり、昨晩は久しぶりに夢を見ました・・(笑)。

残念ながら夢の内容は忘れてしまいましたが、特に良い夢でも悪い夢でもなかったこと、およびその夢の終わりと同時に目覚めたのが朝5時45分であったことは覚えています。ブログ記事の作成を行わないと、起床時間も多少早くなるようであり、今朝は目が覚めてしばらくの間『今後しばらく早朝にブログ記事の作成を行ってみるのも悪くないかもしれない・・』とも思いましたが、これはおそらく今後1000記事に到達するまでは実行するはないと思われます。現在に至っては、この夜半における記事作成がほぼ組み込まれていますので、それは敢えて現在変える必要性はないのです。

しかしまた、もしも今後無事に1000記事にまで到達し、しばらくの休息ののち、また記事作成を再開するのであれば、その時はまた記事作成の時間帯について考えてみようと思います。どうなるのかは今もって分かりませんが・・。

さて、ハナシは変わりまして、ここ最近新たに歯科医療機関を主として求人情報を頂きました。今後も新たに当ブログでの求人情報を増やしていこうと考えていますが、他方で求職者側の医療機関(主に歯科)への求人などに関しての情報を得たいと考えておられる方がいらっしゃいましたら、こちらも出来るかぎり対応させて頂きますので、ご遠慮なく下記メールアドレスまでお問い合わせ頂ければと思います。どうぞよろしくお願いします。

conrad19762013@gmail.com(アドレス内@を半角英数に替えてください。)

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

ここ数年来、現在に至るまで列島各地において発生した、もしくは現在も継続して発生している地震・大雨・水害・火山噴火といった大規模自然災害により被害を被った(被っている)諸地域の諸インフラの復旧および安全確保そしてその後の復興を祈念しています。



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2018年4月11日水曜日

20180411 PCの急な不具合により1日記事作成を休むと・・

昨晩はPCの不具合によりブログ記事の更新が出来ませんでした。不測の事態とはやはり時折生じるもののようです。ともあれ、そのためか昨日は久しぶりに集中して読書出来たように思われます。読んだ書籍は現在電車内にて読み進めている新書ではなく、既に読み、そしてこれまでに何度か当ブログにてその文章を抜粋引用した竹山道雄著『昭和の精神史』であり、この著作は現在読んでみますと、あらためて大変興味深いことが書かれていることに気が付かされます。興味のある方はご是非一読をおススメします。

とはいえ、著者である竹山道雄は、おそらく著した文章が後世、このようにして読まれることはあまり考えず、ただ、ご自身の知識・知見などを踏まえて当時あるいは往時の出来事についての考えを述べたのであると思われますが、そうした文章が後世たる現在において、単にかつての時代精神・雰囲気を知るための材料としてでなく、現在の社会を知る上においても有効であると認識されることは、そこに書かれた考えの射程が長く、ある程度の普遍性があることを示し、同時に書かれる対象の普遍的な性質をも示すのではないかとも考えられます。また、それは具体的な内容であればあるほど、その洗練の具合は高まり鮮明な著述となり、そしてまた、それに伴い受容・拒絶の様相も明確になってくるのではないかと思われます。

さて、おそらく我が国の特に近現代史を扱う人文社会科学系学問においては、さきに述べた事情がいまだ生々しいものであり、単なる(昔の)学説の認識の仕方などに留まらず、現在の個人の思想・信条といった、より深い部分にも密接に関与・影響することから、特に公的な場面におけるその取り扱いが難しいのではないかと思われます。

これは思想・信条の自由という環境の中で自身の考えを正直に述べれば良いというわけでもなく、またそこで変に学識の程度などが論われることもまた、少しおかしいのではないかと思われますのです。

ある考えを持っているから、その人の学識は高くないなどと判断することは、恥ずかしながら自身においても身に覚えがあるのですが、しかしそれは表層のみを見て判断していることであり、それはある種の効率性を装った知的怠惰であるように思われるのです・・。

では、何を以てある見解の本質あるいはその背後にあるものを判断するかと考えてみますと、それはやはり、よく会話してみることと、書かれた文章をある程度読んでみることではないかと思われます。

正直なところ以前に比べれば大分マシにはなりましたが、私は自身の作成した文章を読むのがあまり好きではなく、当ブログにて記事を作成、投稿した後は、加筆修正を行うため近い日付の投稿記事に関しては開くことがありますが、大分以前(2年程)に作成した記事に関しては、あるいはそちらの方が現在と比べて深い内容が書かれていることが多いのかもしれませんが、同時に自身が書いたものとして認識し難い、読み難くさせるような何かがあるように思われるのです。おそらく、その間に自身に何らかの変化があったものと思われますが、しかしながら面白いことにそうした実感は全くないのです・・(笑)。

それ故、文体の獲得もまた、同様のことの延長線上にあり、明瞭に認識できるような変化などは生じないのかもしれないと思われてきます・・。ともあれ、これに関しては未だ未経験のことですので、あくまでも予測ではあるのですが・・。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

ここ数年来、現在までに日本列島各地にて生じた、もしくは現在も生じている地震・大雨・水害・火山噴火といった大規模自然災害により被災された(被災されている)諸地域の安全の確保・復旧そしてその後の復興を祈念しています。



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2018年4月9日月曜日

20180409 文章の奥にあるもの、見えるものについて・・

昨日投稿分の記事にて述べましたが、残り40数記事の投稿により1000記事へ到達するという実感はほぼありません。またそこからさらに、今後1000記事に到達することが出来たとしても、ある程度の達成感を実感することはないようにも思えてくるのです・・(苦笑)。

とはいえ、この程度までどうにか継続することが出来ますと、達成感よりも自身の作成する文章がより明確に著されていることの方が重要に思われてくるのです。もとい、元来文章とはそうであるべきものではあるのですが、しかしこれを継続していますと、なかなかそれが難しい行為であることも分かってくるのです・・(苦笑)。

また、そうしたことから、作成記事それぞれの閲覧者数に偏差が生じ、くわえて、そこから自身の作成する文章に波のようなものがあることも分かってくるのです。これまで作成した記事(文章)を見ますと、自身はある程度温暖な時季に作成した文章の方が相対的に多く読まれている傾向があり、また、実際にそうした時季に作成された文章の方が活性が上がっているためか、より観念的・抽象的な傾向があり、文章として読む分においては多少は読み易いようにも思われるのです・・(笑)。

しかしながら他方、活性と作成する文章の面白さはあくまでも随伴するものであるのかと考えてみますと、必ずしもそうではなく、そうしたことが、あくまでも身体の物理的な活動を基礎とするスポーツと、こうした活動の大きく異なるところではないかと思われるのです・・。

あるいはまた文章となりますと、その判断基準がさまざまであり、これに関してはスポーツの方がより単純でより分かり易く、そして、それがスポーツの持つ普遍性の根源であり、一つの偉大なところであると云えます。文章はこのようには行きません。ただ、これもまた記事作成の継続を通じて思うところですが、自身が読んでみて分かり易い、読み易い文章といったものが、ある程度明瞭になってきたという実感が以前にくらべてあるのです。もしくは、より精確に云いますと、書かれた文章の背景を以前に比べて多少深く理解することが出来るようになってきたということなのでしょうか?

これは新聞記事・小説などにおいても同様であるのですが、他方で、面白いことに特に自然科学系学問分野の学術的・硬質な文章とは、敢えて意図的にそうした要素をその独特の文体によって打ち消している・排除しているのではないかと思われるのです。

たしかに客観性や再現性を重視する自然科学系学問分野においては、そうした文章・文体の方が簡潔で適しているように思われますが、しかし一方で、そうした表層の文章・文体を真似して何かをカッコよく知的に表現したと思われてしまう、評価される社会は、やはりその全体的な価値観を疑われても仕方がないようにも思われるのです・・(苦笑)。

そしてまた、現在の我が国の文化全般には、何やらそういった傾向が認められるのではないでしょうか・・(笑)?

ともあれ、今でもよく分かりませんが、何れにせよ文章の奥には一体何があるのでしょうか、見えるのでしょうか・・?

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

近年来から
現在に至るまで列島各地にて発生した、もしくは現在も継続して発生している地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模自然災害によって被害を被った(被っている)諸地域の諸インフラの復旧、安全確保そしてその後の復興を祈念しています。



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