2018年4月24日火曜日

20180424 夏目書房刊 林房雄 三島由紀夫 『対話・日本人論』pp.38‐42より抜粋引用

夏目書房刊 林房雄 三島由紀夫 『対話・日本人論』pp.38‐42より抜粋引用
ISBN-10: 4931391966
ISBN-13: 978-4931391963

『林 僕は英霊の声についての文芸批評を、ほとんど全部読んでみたが、みんなあれはイデオロギー小説だと思っているようですが、しかし「英霊の声」には、イデオロギーはない。
批評家諸君はイデオロギーという言葉をどう解釈しているのか、イデオロギーはふつう、社会思想と訳されているが、つまり集団の思想で、個人の自由な思想とは対立する。「英霊の声」は思想小説であっても、イデオロギー小説ではない。三島由紀夫という個人の自由な発想の上に成り立っている。

イデオロギーは、一つの集団、または党派の立場から絶対化されたものだから、個人の思想をのみこみ、場合によっては圧殺するものです。そういう意味のイデオロギーは「英霊の声」のなかにはない。三島君の心の中に「憂国」や「十日の菊」のころから萌芽し成長し続けた自由な思想がある。その自由な思想が現在の日本という大衆社会化され、平均化され、アメリカナイズされ、占領民主主義化された現状にたいして激怒している。
神格天皇と人間天皇の問題で戦後の天皇制にまで怒りのしぶきがかかっている、ここに詩がありますね。三島君自作の詩。

『日の本のやまとの国は・・・
人ら泰平のゆるき微笑み顔見交わし
利害は錯綜し、敵味方も相結び、
外国(とつくに)の金銭は人らを走らせ
もはや戦いを欲せざる者は卑劣をも愛し、
邪まなる戦いのみ陰にはびこり
夫婦朋友も信ずる能わず
いつわりの人間主義をたつきの糧となし
・・・・
大ビルは建てども大義は崩壊し、
その窓々は欲求不満の蛍光灯に輝き渡り、
感情は鈍麻し、鋭角は摩滅し
烈しきもの、雄々しきも魂は地を払う。
・・・・
かかる日に、
などてすめろぎは人間になりたまいし』

たいへんな怒りです。「などてすめろぎは人間になりたまいし・・」これは一つの「自由な思想」です。天皇制についてはいろいろと議論があるでしょう。私の天皇観は三島君と少しちがうようだが、私はそれにこだわらずに読むことができた。あなたの現在日本の大衆社会に対する怒りがいかに激しいかを感得しただけです。 


三島 やはり狼少年みたいなもので、僕はときどき、狼が来るぞと人をおどかすものですから。ほんとうに狼が来たと思って書いたのですけれども、そうするともうだめなんです。だれも信じない。それはやはり、自分が悪いのだと思います(笑)。

 ある批評には、三島君本人が本気で信じているかどうか疑問であると書いてありましたがね、この批評は次元が低い。おのれの低さを告白しているだけのものだ。作家というものは、信ぜずに書けるはずはありませんよ。戯作や喜劇でさえ。

三島 「英霊の声」は、自分でいうのはおかしいが、非常にとりつかれたようになって書いたので、嘘であんな気分にはなれませんね。

 と思いますね。僕たちは現在の大衆社会というものについてもっと考える必要がありますね。つまり、あなたをこれだけ怒らせたものは何か?それは大衆社会だ。ここでヤスパースを引用したいのですが、ちょっと読んでみます。ヤスパースは大衆というのは、民族とは違うと言っている。

民族はさまざまな秩序に成員化され、生活方式、思惟様式、伝承において自覚的である。民族は、実体的なものであり、共通した雰囲気をもち、この民族の出身の個人は、彼を支える民族の力によっても一つの個性をもっている。・・・これに反して、大衆は成員化されず、自己自身を意識せず、一様かつ量的であり、特殊性も伝承ももたず、無地盤であり、空虚である。大衆は宣伝と暗示の対象であり、責任を持たず、最低の意識水準に生きている
テクノクラシーの時代の大衆ですね、平均化された大衆が大量に生産されて時代を支配する。この大衆においては、労働が機械化され、平均化されるばかりではなく、余暇つまり、レジャーでさえ機械化され、遊興もまた別種の労働になる。・・・いわゆる人間疎外状態ですか。ヤスパースの言葉でおもしろいのは、大衆は知識人たる自分自身のなかにも存在しているといっている点です。

個人は、民族であると同時に大衆である。個人は、彼が民族である場合と大衆である場合とで、まったく別々な感情を抱く。状況は、大衆たることを強い、人間は民族たることを固執する。例をあげて具体的に説明すると、大衆としては普遍的なもの、流行、映画、そういうような、私は単なる今日の現象を追い回し、民族としては具体的に生きている現実、かけがえのない現実と、歴史的に源泉的な伝統を欲する。
大衆としての私は、ステージの上のスターに熱狂して声援を送り、民族としての私は、私の内奥で生を越える音楽を味わう。大衆としての私は、数でものを考え、なにもかも積み重ね、水平化してしまう。民族としての私は、価値の上下を区別し、組織立てて考える」

と言っています。民族としての自覚というのは、歴史的自覚ですね。それを失うと、その民族は滅びてしまうというのが、ヤスパースの主張なんです。』



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