さて、昨日投稿分の記事の記事もまた一昨日に続き書籍からの抜粋引用でしたが、これも投稿翌日にしては比較的多くの方々に読んで頂けました。読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
ともあれ、こうした、かつて為された対談を文章として読み、それを書き写していますと、数十年後である現在の我々の方が、そこから進化し、優れているとは云い難いといった感覚を覚えるのです・・(苦笑)。
さて他方で、我々が用いる諸道具については、一般的にかつてに比べ進化し、優れたものになっているとは思われるのですが、やはり、さきの対談にて述べられていたような知見・見解については『現在では、こうした知見・見解のを自身のものとして述べることが出来るような方々は一体どれだけいるのだろうか?』と思うに至り、冒頭のような感覚を覚えるのです。
漠然とした見解ではありますが、おそらくこれまで地球上に存在した様々な文明・文化もまた、諸道具などを包括するような形而下的要素と、さまざまな無形の概念・思想などを包括するような形而上的要素によって構成されており、概してそれらは時代を遡るにつれて、その関係性が看取し易くなるものと考えます。つまり、過去に遡れば上るほど、社会における情報伝達の手段・精度などが制限されることにより、そこから形而上的要素に対して変化をもたらす刺激が乏しくなり、形而上的要素を創造の母胎とした諸道具などの形而下的要素との関係性が単純なものとなり、その関係性の看取も比較的容易になると思われるのです。
とはいえ、当時の人々はあまりそうしたことを考えることはなく、むしろそれだけに無心に、そして純粋に各々の形而上的要素と形而下的要素がしっかりと噛み合い駆動・活動していたと考えます。また、その分野の専門ではありませんが、この視点が原始芸術とも云えるさまざまな遺跡・遺物などを観察する際において大事であると考えます。
また、その意味において、近年のインターネットによる情報技術の進化発展は、検索内容に画像も含まれることから、さきに述べた関係性といったものも比較的容易に認識することが出来るようになったのではないかと思われます。
しかし一方で『その方法(インターネット)にて得た認識がどの程度の応用性・持続性といった、いわば認識としての強度を持っているのか?』ということが今後の問題になるように思われます。
これを考えてみますと、否応なしに想起するのは、欧米をモデルとした急速な近代化を推し進めた近代以降の我が国の歴史であり、こうしたものは、本来であれば出来るだけ漸進的に、そして自然に変化していく方が望ましいのかもしれませんが、世界の極東に位置する我が国は、古来より、軽佻浮薄をもあるいは是とするような、急速な変化を余儀なくされるという、いわば地政学的な意味での宿命らしきものがあるのかもしれません・・。
そして、そうした視点から見ますと一昨日に抜粋引用した『大学とは何か』と昨日の『対話・日本人論』もまた特に無理なくつながるのではないかとも思われるのですが、さて如何でしょうか?
そういえば昨日の『対話・日本人論』の抜粋引用部は主に三島由紀夫著『英霊の声』に関しての記述であり、この小説では『われらは30年前に義軍を起こし、叛乱の汚名を蒙って殺されたものである』。また、『われらは戦の敗れんとするときに、神州最後の神風を起さんとして、命を君国に捧げたものだ』と、2・26事件と神風特攻隊をにて亡くなった方々のコトバを神主に憑依して述べるといったカタチをとっていますが、こうした生前の行為を裏切られ、そして命を落とし怨霊となった方々の物語・伝承(筑紫君磐井・菅原道真・平将門・早良親王・崇徳上皇・・)については古代より事欠かない我が国とは、やはり謀(はかりごと)が好きというよりも、どちらかというと論理的・筋道の通った話し合いによる合議的なものよりも、情緒的な会話にてナアナアにしておいてから、物理的に始末するといった、ある意味での情緒的清浄性の方が好まれている(これは一種の精神的な意味での潔癖症であるのか?)ようにも思われるのですが、さて如何でしょうか?
ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
近年より現在に至るまでに列島各地において発生した、あるいは現在も発生している地震・大雨・水害・火山噴火などといった大規模自然災害によって被害を被った、被っている諸地域の諸インフラの復旧そして復興を祈念しています。
~書籍のご案内~
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
ISBN978-4-263-46420-5
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