2018年4月9日月曜日

20180409 文章の奥にあるもの、見えるものについて・・

昨日投稿分の記事にて述べましたが、残り40数記事の投稿により1000記事へ到達するという実感はほぼありません。またそこからさらに、今後1000記事に到達することが出来たとしても、ある程度の達成感を実感することはないようにも思えてくるのです・・(苦笑)。

とはいえ、この程度までどうにか継続することが出来ますと、達成感よりも自身の作成する文章がより明確に著されていることの方が重要に思われてくるのです。もとい、元来文章とはそうであるべきものではあるのですが、しかしこれを継続していますと、なかなかそれが難しい行為であることも分かってくるのです・・(苦笑)。

また、そうしたことから、作成記事それぞれの閲覧者数に偏差が生じ、くわえて、そこから自身の作成する文章に波のようなものがあることも分かってくるのです。これまで作成した記事(文章)を見ますと、自身はある程度温暖な時季に作成した文章の方が相対的に多く読まれている傾向があり、また、実際にそうした時季に作成された文章の方が活性が上がっているためか、より観念的・抽象的な傾向があり、文章として読む分においては多少は読み易いようにも思われるのです・・(笑)。

しかしながら他方、活性と作成する文章の面白さはあくまでも随伴するものであるのかと考えてみますと、必ずしもそうではなく、そうしたことが、あくまでも身体の物理的な活動を基礎とするスポーツと、こうした活動の大きく異なるところではないかと思われるのです・・。

あるいはまた文章となりますと、その判断基準がさまざまであり、これに関してはスポーツの方がより単純でより分かり易く、そして、それがスポーツの持つ普遍性の根源であり、一つの偉大なところであると云えます。文章はこのようには行きません。ただ、これもまた記事作成の継続を通じて思うところですが、自身が読んでみて分かり易い、読み易い文章といったものが、ある程度明瞭になってきたという実感が以前にくらべてあるのです。もしくは、より精確に云いますと、書かれた文章の背景を以前に比べて多少深く理解することが出来るようになってきたということなのでしょうか?

これは新聞記事・小説などにおいても同様であるのですが、他方で、面白いことに特に自然科学系学問分野の学術的・硬質な文章とは、敢えて意図的にそうした要素をその独特の文体によって打ち消している・排除しているのではないかと思われるのです。

たしかに客観性や再現性を重視する自然科学系学問分野においては、そうした文章・文体の方が簡潔で適しているように思われますが、しかし一方で、そうした表層の文章・文体を真似して何かをカッコよく知的に表現したと思われてしまう、評価される社会は、やはりその全体的な価値観を疑われても仕方がないようにも思われるのです・・(苦笑)。

そしてまた、現在の我が国の文化全般には、何やらそういった傾向が認められるのではないでしょうか・・(笑)?

ともあれ、今でもよく分かりませんが、何れにせよ文章の奥には一体何があるのでしょうか、見えるのでしょうか・・?

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

近年来から
現在に至るまで列島各地にて発生した、もしくは現在も継続して発生している地震・大雨・水害・火山噴火などの大規模自然災害によって被害を被った(被っている)諸地域の諸インフラの復旧、安全確保そしてその後の復興を祈念しています。



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