2017年8月30日水曜日

20170830 書き続けることにより強迫観念から単なる観念へ・・文体の獲得?

A「対話の中にて自身のことを振り返り話す際、思い出されるように、かつての自身の状態が明瞭になることがあります・・。

これまでに何度か当ブログ記事にて書いたことではありますが2009年冬から2010年秋に掛けては自身にとってはいささか重過ぎる耐出来事が連続して生じました・・。

これら期間の私とは、対外的、表面的には【ある程度】まともには振る舞っているつもりでしたが、週末の散歩の際などは、視線を落とし、そうした状況を忘れるためかMP3プレーヤーにて音楽を聴きながら無心で鹿児島市街を歩いていたことが思い出されます・・。

それでも2013年の春頃には多少おかしくもなりましたが、しかしそれは、この週末の長い散歩が無ければ、それ以上にひどいことになっていたのではないかと思われるのです・・。

また同時に現在であれば、そうした(精神的に)危険な状態から完全に脱し、安全圏にいるというわけでもなく、現在は現在で『何かしら文章を書いていないとおかしくなってしまう』といった強迫観念にも近いものに支配されつつ、こうしてブログ記事の作成を継続しているとも表し得るのです・・(苦笑)。

しかし同時に、現在になり思うことは、こうして強迫観念らしきものに促されブログ記事を作成し続ける自身に対し慣れつつあるということであり、またそれを決しておぞましいものであるとは感じないということです・・。

そして、こうした感覚に完全に慣れ、そしてそれが自己同一化が為された時に、あるいは自身の文体といったものが得られるのではないかとも思われるのです・・。

あまり科学的、理路整然とした内容ではありませんが、整理、認識のための後付けの理論を考え得ない、持ち得ない内的な現象に対しては、斯様に、とりあえずのところは感覚に基づいた言語を以って書いてみても良いのではないかと考えます。

また、おそらく詩と理論の間にある認識の層とは、多くの場合、そのようなものではないかとも考えられます。

そして、そのように考え得ることにより、さきに書いた強迫観念らしきものは、そうであることを止めて、単なるニュートラルな観念へと変態・収束するのです【とはいえその収束のためにはある程度継続しなかれば安定化しないようです・・】。

さらに同時にその収束点あるいはその近いところに『文体の獲得』があるのではないかと考えることは特に不自然なことではないと考えますが、さて、如何でしょうか・・?


とはいえ、今回もここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございます。


昨年より現在までに生じた地震・大雨・水害といった一連の大規模自然災害により被害を被った地域での諸インフラの復旧・回復そして、その後の復興を祈念します。」

















2017年8月29日火曜日

20170829 組織および人を見る上での一つの視座について思ったこと・・昨日の続き

本日は複数の著名とされている先生からお電話を頂き、かなり驚きました。

こうした種類の対人での緊張感とは昨今なかなか経験することがなかったため、あるいは電話での応対の際、かなり『あやしげ』であったのではないかと思われます・・(苦笑)。

メールでのやりとりであれば、概ね大丈夫であると思われるのですが、やはり実際の対人応接能力に関しては慣れておくことが重要であることを再認識しました・・。

その意味において、昨日投稿のブログ記事にて書いた『医局・講座』は、始終何かしらの人がいる環境であることから、たとえ臨床を含まない基礎講座においても、ある程度、多岐にわたる対人応対能力は自然に修練そして保持されるのではないかと思われます・・。

またそれは他の理系の研究室とも微妙に異なり、さらに文系の研究室とも大きく異なるといえます・・。
(医療系においてもバラつきは少なくないかもしれないが)

ともあれ、自身としては、最も居心地が良かったと思われるのは、自由度が極めて大きかった文系院の研究室であり、また、おそらくこれが自身の学問に関しての原風景・刷り込みであったのではないかと考えます。

それ故、のちに歯系院の講座に所属することになった当初の自身とは、かなり浮いた変な存在であったのではないかと察せられます・・(苦笑)。

そしてまた、そのことから周囲の方々に対して色々とご迷惑をおかけすることもあったのではないかとも思います・・。

しかし、そこで大変偉いと思うのは周囲の先生方であり、そうした(異様な存在である)私に対し特に頭ごなしに型に填めようとするのではなく、何となく、自然に講座に馴染むような接し方をしてくださったように思われるのです
あるいはこれも一種の地域性の発露であるのかもしれません)・・。

とはいえ、もう少しこれを考えてみますと、自身が属した講座とは、一般的な見地から何らかの意味で『変わった人』が多く、そのことから当時のこの講座とは、そうした方々が集まってくる『何か』があったのではないかとも思われるのです・・(笑)。

そして、そこまで書いておりますと不図思い起こされるコトバは大分以前に文系の師匠が仰った『教育者の本当の力量というものが如実にあらわれるのは、時折いる良くも悪くもの規格外の学生等に対する伸び代へのアプローチとその後でしょう・・』というコトバであり、そして今になり振り返ってみますと、たしかに、この師匠のもとにも、どうしたわけか、多少変わった方々が多く集まっておりました・・。

また、同様に文系院においても、よく議論を交わした方々と連れ立って質問を携え度々訪問した先生もまた、現在に至るまで、時折いるこうした種類の(変わった)院生に慕われているとのことです・・。

私はこうしたことを的確に認識出来るような感覚およびその感覚の洗練とは、きわめて重要ではないかと考えるのですが、さて如何でしょうか・・?

とはいえ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年より現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被害を被った地域における諸インフラの復旧・回復そして、その後の復興を祈念します。」










20170828 医局・講座制の今後の持続(発展)可能性について思ったこと・・

本日のブログ記事投稿により総投稿記事数が730となります。

これも、あまり区切りの良い数字ではありませんが、これにより、とりあえずの目標としている800記事まで残り70程度となり、さらに現在のペースにて記事作成を継続することにより2カ月以上3カ月未満にて、この目標に到達することが出来ます。

そのように考えてみますと、先は長いようですが、同時に、このようにして書き続ける以外に良い方法があるとは思われないことから、おそらく今後もしばらくは書き続けることになると思われます・・(苦笑)。

さて、以前に投稿したブログ記事において大学の学部・研究科により、その単位となるグループ組織の名称およびその背景文化が大きく異なると述べましたが、その中でも特に医療系(医科・歯科)にて古くから存在する医局講座制とは、かなり独特な組織ではないかと思われます・・。

これに類似しているものを挙げるとすれば、それはあくまでも想像ですがヤクザの世界ではないかと思います・・(笑)。

また、我が国では以前より医局・講座を舞台とした小説、ドラマ、マンガなどが少なからず存在しておりますので、もしかするとヤクザの抗争ものの映画と同様、男性を主とする組織の権力闘争とは、観客として見る分においては、少なくとも、つまらないものではないのかもしれません・・(苦笑)。

・・とはいえ、であるからといって自身は医局・講座が悪いものであるとは決して考えません。

むしろ、ある程度専攻する研究分野が決まっているのであれば、その研究分野に最も近いことを主として研究してる医局・講座に属するということは、研究の効率的な進展のために望ましく、またその際に否応なく生じる上下関係などは、仕方がないというよりも当然のことではないかと思われるのです・・。

しかし、その点において文系学問での博士課程においては、全般的にもう少しフラットな自由競争に近いものであり、自身の努力・才覚如何によっては(面倒な)上下関係など飛び越え、早々に学位を取得し、研究者として就職することも可能であるとのことです・・。

以上の見識から(ある程度確からしい)結論を出すことなどは到底できませんが、それでも大きな傾向として思うことは以下のとおりです。

医療系をはじめとする(臨床)技術を基礎に置く理系学問分野においては、特に古くからの徒弟制度的な機能が(ある程度)組織にて担保・保持されていないと、その機能を媒介として更新継承され続けてきた(臨床)技術にくわえ、その機能が文化としての役割を果たし為されてきた医療倫理あるいは哲学などの更新継承が絶えてしまう(形骸化してしまう)のではないかと思われるのです・・。

私見としては、今後、医療介護などを包括するような大学外の講座(学外講座)といったものが実質を伴い増加することにより、大学および外部医療機関双方の持続(発展)可能性が強化されるのではないかと思われます。

そしてまた、そうした環境に何らかのカタチで文系の人間を合金、セラミックスの成分設計における微量元素の添加にように少数放り込んでおくと時折面白いことが生じる(こともある)のではないかと思われます・・(笑)。
そして、逆もまた同様であるかもしれません・・(笑)。

ともあれ、今回もここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございます。

昨年から現在までに発生した地震・大雨・水害といった一連の大規模自然災害によって被災された地域の諸インフラの復旧そして回復および、その後の復興を祈念します。」


2017年8月28日月曜日

20170827 『抽象化・解釈の仕方の傾向から我が国のことを考えてみると・・』

本日の首都圏は日中、夏らしい暑さではありましたが、日が暮れてきますと、日中の暑さは和らぎ、夜半においては幾分秋の気配らしきものをも感じさせました。

さて、ここ数日来ブログ記事題材において『抽象化』を扱っておりますが、抽象化とは換言してみますと『解釈の仕方』ではないかと思われます。

たとえば数人にてある実体としての動物を見た場合、その生物としての分類、かわいいかどうか、そして食用になるかなど、さまざまな解釈の仕方が存在するといえます。

そして、それぞれの解釈の仕方から、さらに深化したカタチにて考察、議論が為されていくのでしょうが、これにもまた各々の『解釈の仕方』が存在し、そしてそれに伴いまた抽象度が高くなっていくものといえます。

具体的な例を挙げますと『蛇』は生物的には爬虫類に分類(解釈の仕方)され、また他方、世界各地の信仰、宗教などにおいては、それぞれ地母神、豊穣、精力、死、悪魔といった多様な意味合い(解釈の仕方)を持っています。

さて、以上のことを踏まえ、特に普遍性をその学問的基礎に置く理系学問分野においては
さきの『蛇』の場合、その起点においては概ね生物学的な分類があり、そこから派生し、各々分野における特有の抽象化が為されるといえます。

とはいえ、こうした方向での考察、議論とは、その起点にあるものが(国際的な意味においても)普遍性を礎とするものであることから、たとえ言語が異なっていようが、その意味・内容を理解することが可能であるならば、多くの場合、既に為されている最先端の考察、議論に追いつく、キャッチアップすることは(比較的容易に)可能であるといえます。

そして我が国の国際間での理系学問分野における優秀さの基礎となるものとは、おそらく19世紀中葉頃において強く悟った西欧諸国の優秀な科学技術(理系学問の具現化されたもの)への効果的な対応の方法に拠るものであり、またそれ以前より古くから外来異文化の吸収を習い性としてきた我が国特有の一種のTraitにあるのではないかと考えます。

そうした(解釈の仕方の)結果として思うことは、我が国社会とは明治維新以降、断続的ではあるものの、同時に視野を少し大きく【倍率を低く】すれば継続的に、現在に至るまで、それまでも我が国社会において基調として存在していた即物、此岸的傾向を更に増強しつつ、また、まさにその一方で国際的視野において決して普遍的とはいえない固有の文化、伝統といったものを忘れ、捨て去りここに至っているようにも思われるということです・・。
【あるいは我が国の妖怪とはその象徴であるのかもしれないが、その妖怪すら現代的な解釈の仕方によって本来、古来からの意味合いを失いつつある、結句それは各時代時代において商売の道具、メシのタネにさえなれば、何でも良いのかもしれない・・(笑)

もちろんこれも解釈の仕方の一つにすぎませんが・・。

しかしその一方において(たとえ断片的ではあったとしても)事実・真実とされるものもまた、このご時世においては解釈の一つなのです・・(苦笑)。

とはいえ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された地域での諸インフラの復旧・回復そして、その後の復興を祈念します。















2017年8月27日日曜日

20170826 次に読む書籍に関して思ったこと【文体に慣れる】☜これが大事かもしれない

先日下巻を購入した著作はこれまでで半分程度にまで至りました・・。

下巻の方が個人的には興味深いことが多く書かれているようであり、もしも修士課程院生時代にこの著作に出会ってたら、おそらく参考文献のひとつに加えていたことでしょう。

ともあれ、近日中にこの著作を読み終えたならば、どうにか通史的な著作を読める(頭の)準備が整ったということで、次は他のこうした著作をあたり読んでみよう思います。

また、ここで『通史的』著作ということで不図思い出されたのがこれまでに数多くその抜粋引用を行ってきた加藤周一著『日本文学史序説』上下巻であり、これを現在頁を開いてみると如何なる感じを受けるのかと思い、手に取り見てみますと、その文体は簡潔・精緻であり分析は論理的であり『過去の自分はこの著作をよくも複数回にわたり通読したものだ・・。』とも思われるのです・・(苦笑)。

またそれと同時に『これこそ母国語で書かれた知的な著作である。』と一種有無を言わさないような実感が湧いてくるのです・・(笑)(加藤周一や大西巨人の文体より生じるあの迫力とは一体なんであろうか・・?この迫力とは邦訳された通史的な著作からはほぼ感じることは出来ないように思われるのだが。)。

ともあれハナシを戻し、これも先日ブログ記事にて書いたことではありますが、かつて自身が著作内に線引き、書き込みをしたいくつかの部分をあらためて開き読んでみますと、そうした部分に関しては、不思議なことに実際に読んでみると記憶がよみがえり、また著作文章と書き込み部分との関連も(ほぼ即座に)理解されるのです・・。

それ故、この次はあらためて『日本文学史序説』上下巻を通して読んでみようかとも思いましたが、この著作に関しては、もうしばらく寝かせておく方が良いと思われますので、新たに別の面白いと思われる通史的な著作を物色してみようと思います・・(笑)。

また、ここまで書いてきて強く思ったことは『書籍を読むということは、往々にしてその文体に慣れるということではないか?』ということであり、その意味において、決して多くはないにしても私はある程度の種類の文体には接してきたのではないかとも思われます・・。

しかしながら、そうであっても自身が文章を書く段となりますと、その文体とは未だ確立されたという自覚に至らず、かように何やら書き続けてはいますが、その出来上がった文章に対して心底より満足のいったものはこれまで皆無であると云えます・・。

時折、知人よりブログ記事に対して批評のコトバを頂戴することがありますが、それは文体に対してでなく、専ら記事の内容についてであり、そうしたことから『文体とはどうやら自分一人で練り上げて行く以外にないのだな・・』と思われます・・(苦笑)。

とはいえ、それと同時にブログ記事であれ、さすがに1000記事程度まで書き続けていると何か少しは変わり、分かってくるのかもしれないとも思われるのです・・。

さて、次に読む著作の選定の前に現在読んでいる著作の続きを読み進めます(笑)。

そして今回も、ここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございます。

昨年より現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害といった大規模自然災害により被災された地域での諸インフラの復旧・回復および、その後の復興を祈念します。」











2017年8月26日土曜日

20170825 昨日の続き 【事物の抽象化の傾向・癖】【社会全体の創造性】について思ったこと

本日の首都圏はまた昨日同様に気温が上昇し、夏らしく蒸し暑い一日となりました。

また、昨日投稿分の記事は投稿翌日にしては多くの方々(35)に読んで頂けたようです。

さて、この記事の主題であった『事物の抽象化』とは、昨今興味深く思っていることのひとつであり『各個人それぞれが持つ事物に対しての象化の際に見受けられるある種の傾向・癖とは一体どのようにして成り立っているのか?どのような背景を持っているのか?』とは、なかなか奥が深いことではないかと考えます。

さらにまた、こうした視座とは、個人のみならず、地域・国家などの歴史に対しても応用可能であると考えられることから、あるいはさまざまな議論、話し合いなどの際における有効な視座となり得るのではないかとも思われます。

しかしながら、おそらく議論、話し合いでの『当初から』その視座が決められているのであれば、それはそれで、平和な議論、話し合い、そして予定調和的な結論が得易くはなるのでしょうが、そうした状況が常態化し進行しますと、それは議論、話し合いというよりも『演劇』として分類されるようなものになると思われるのです・・(苦笑)。

また、それは本当の議論を(ある程度)経験されたことのある方でしたら、それこそ当記事冒頭で述べたような『事物の抽象化』を通じ、ある程度明瞭に判ぜられるのではないかと思われます。

加えて、それとほぼ同様の理由から、昨今の『テレビ番組全般があまり面白くない』といった意見にもつながるのではないかと思われます。

インターネットが普及した今日においては、本物に似せた演劇・お芝居(映画、ドラマなど)よりも本物を手軽に視聴することが出来てしまうのですから・・。

そうしますと、創造の世界を描き、魅せる(観せる)という意味でアニメ・マンガなどに以後増々頼ることになるのでしょうが、しかし、それも続けざまで行いますと食傷気味になるでしょうし、それより何よりそれは本質的には創造とは異なるものであるように思われるのです・・(原作のアニメ・マンガは創造であると考えますが)。

また、こうしたことは映像文化のみならず昨今の活字文化においても同様の傾向があるのではないかといった意見を聞くことがありますが、私見として、その抽象化の仕方には少なからず同意出来ます。

しかし、そうした批判的な抽象化ばかりに同意出来るといったこの傾向とは、当然ながら自身としてはあまり嬉しいものではなく、また、一応そのように考えていることから、自身の行い得ることとして、一連のこれまでのブログ記事作成に取り組んでいるのではないかとも思える次第です・・(いささか言い訳じみますが)。

しかし、社会全体の創造力を増進する効果的な方法とは一体いかなるものがあるのでしょうか?

【決して悪いことばかりではないですが、昨今よく聞く男性の女性化・女性の男性化が招来するあまり好ましくないと思われる一つの点とは、おそらく社会全体の創造力の劣化・低下ではないかと思われます。】

ともあれ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年より現在に至るまでに生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被災された地域での諸インフラの復旧・回復そして、その後の復興を祈念します。」






2017年8月24日木曜日

20170824 日常の会話から・・事物の抽象化能力の重要性について

大分前に投稿したブログ記事を何かの折にあらためて読んでみますと、そこに書かれている内容にてワザとらしく難解と思われるコトバを【あえて】用いているのではないかと感じられることが多々ありました。

昨今投稿された記事においても、時折はそうした傾向が看取されることもあるかもしれませんが、冒頭に書いた時期の投稿記事に比べますと、その傾向は収まりつつあるのではないかと思われます。

そして、それに関連して思い出されることは、世代が上の理系・文系の研究者の方々とアカデミックな場でなく、日常会話が為されるような場にて、ある種学問・研究に関連するようなハナシをしておりますと、何といいますか難解と思われるコトバを敢えて使わずに、たとえ話、もしくは何やらよく分からない抽象的なハナシになるといった傾向が往々にしてあるということです・・。

とはいえ、これはこれで大変面白く、そうしたものを記憶に留めておくと、後にある程度の量の書籍・文献を読んだ結果『ああ、あの時**先生が云っていた意味はこういうことだったのだな・・』と分かる(と感じる)こともしばしばあるのです・・(笑)。

また、そうした経験が比較的多いのは、私見としては文系学問分野ではないかと思われます。

おそらく(私の知る)理系学問とは、その学問としての性質上、具体性・論拠の明示(再現可能性の基礎となるもの)が強く要求されることから、文系学問ほどに抽象的に語る、あるいは考える必然性に乏しいのではないかとも思われます。

しかし、一口に理系といいましても、たとえば原理的な理論・現象を主として扱う分野になりますと、やはり高度な事物に対する抽象化能力が要求されるようであり、そこで為される会話とは、たとえアカデミックな場を離れていても、時として、ある種の高度な抽象性を見出せることが多々あるようにも思われます・・。

そして、何れの学問分野においても自身が驚き、そして到底敵わないと感じさせる対象が持つ特質とは、概ねこうした(事物の高度にして洗練された抽象化能力)ものであり、その意味において私は老若男女問わずさまざまなタイプの優れた方々を見ることが出来たのではないかと思われます。

そして今回も、ここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございます。


昨年から現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された地域における諸インフラの復旧・回復および、その後の復興を祈念します。」




20170823 食育と夏場の体臭について首都圏から思ったこと

A「つい先日上巻を読了し、下巻を読みはじめた書籍も今日までに100頁以上にまで至りました(下巻全体の四分一)。

まだまだ先は大分長いですが、同時に思いのほか面白く読み進めることが出来ていますので、この調子にて読了に至ることが出来ればと思います。

さて、本日の首都圏は昨日と同様、日中気温が上昇し、本格的に夏らしい一日となったのではないかと思われます。

さて、以前にもブログ記事に何度か書いたことではありますが、こうした時季にしばらく街中を歩いておりますと、どうも九州在住時の記憶が想起されるようです・・(笑)。

また、それに関連して、つい先日気が付いたことは、さきに書いたような蒸し暑い環境にくわえ、周辺の自然の薫りが濃厚に感じられますと、私の場合、紀伊・和歌山での何処かの記憶が連想、想起されることです。

そして、このようなことをあらためて気が付いてみますと、目で見る視覚と同様、薫りといった嗅覚による環境の認識もまた身体レベルでの(包括的)認識という意味において、かなり重要ではないかと思われるのです・・。

また、この嗅覚による認識とは、近年その重要性が指摘されている『食育』とも、かなり密接な関連があるといえます。

しかしそれと同時に、ここで大変面白く思うことは、特に首都圏において(発汗の多い)夏場の男性の体臭をかなり忌諱するという傾向です。

そのため、男性用の制汗剤、香水などが多く開発、販売そして消費されているのでしょうが、そうした状況の下、この時候の満員電車に乗りますと、さきの体臭よりも男性用の制汗剤、香水あるいはその他香料などの香りの方が強く感じられ、それはそれであまり快適とはいえない環境であるとも云えるのです・・(笑)。

そして、一方において前述の近年その重要性が指摘されている『食育』とは、どうも(夏場の男性の体臭を忌諱する傾向と)本質的あるいは根源的に相矛盾するのではないかと思われるのです・・。

しかし、その反面において、衛生観念および、それに関連する技術の進化発展とは喜ばしいことではあるのでしょうが、どうも我々日本人の場合、そうしたモノあるいは観念を原初の姿から把握しないままで実用性に基づく応用に次ぐ応用を重ねるといった傾向があることからか、多くの場合、どうも変な方向に行ってしまうような傾向があるようにも思われるのです・・(苦笑)。

結句、現在の首都圏における夏場の体臭を忌諱する傾向とは、同じく電車内にて多く見受けられるスマートフォンでのゲームと同様、何やら人間の生来の感覚から逃げだそうとする傾向があるのではないかと思われ、あまり良いものであるとは考えることが出来ないのです・・。

まあ『程度の問題』ではあるのかもしれませんが・・。

ともあれ、今回もここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年から現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った地域での諸インフラの復旧・回復および、その後の復興を祈念します。」




















2017年8月23日水曜日

20170822 再びスランプから思ったこと・・視点を変えてみると・・

A「本日の首都圏は日中気温も上昇し、夏らしい陽気であったのではないかと思われます。

さて、先日投稿のブログ記事に挙げた書籍は、つい昨日より下巻を読み始めました。

この下巻もまた冒頭より面白いのですが、それと同時に思うことは、こうしたいわば自身にとって新たな知見に富んだ(ある程度)専門的な書籍とは、それを読んだあとは、頭脳が疲労するためか、しばらくの間、能動的な文章の作成などといった創造的活動が困難、億劫、面倒になるということです・・。

そして、もしも、この仮説がある程度妥当なものであるとすれば、一昨日投稿分の記事に書いた、昨今より感じているこのスランプとは、現在読んでいる著作(の負荷)に大きく因るものであり、あるいは今後この著作を読了することにより、スランプから脱することも出来るのではないかとも思われるのです。

まあ、それも一山越えてみないと分からないハナシではありますが・・(笑)。

また、そうしたことを題材としてここまで記事を書くことが出来ましたのでスランプであれ、現在の読書であれ、書きようによれば、あまり文章が進まないにしても、とりあえずは何かを書くことが出来るようです・・(笑)。

くわえて、そのことと多少関連があるのかもしれませんが、現在読んでいる書籍(上巻を含めて)を読みながら時折思うことは『この書かれている内容を人に説明する場合、どのようにしようか?』といったことであり、これを勝手に頭の中で考えている時は、頁は進みませんが、それはそれで面白く、あるいは書かれている内容に関連すると思しき考えが想起される場合もなかなか面白く、その考えを忘れないうちに赤ペンにて文中に書き込むわけです・・。

現在になり、そうした箇所の頁を開いてみますと『なるほど、そういった考えか・・』と、ある程度素早くその文章箇所の説明内容を想起、理解することが出来るのです・・。

こういった芸当は、おそらく以前にはあまり出来なかったように思われますので、そのことから、少し視点を変えてみますと、現在のスランプもまた、あるいはそうした類いのものであるのかもしれません・・。

つまり、文章をスムーズに書くことが出来ない時期(スランプ)とは、他方の自身が認識し得ないところにて何かが成長しているのかもしれないということであり、また、こうした現象を無意識下の自身をも含めて肯定し、信じようという精神的態度が文字通りの意味で『自信』であるようにも思われた次第です・・。

自身としては、上記のような考えはあまり好きではないのですが、実際に書いてみますと不思議なことに一理はあるようにも思えてくるものです・・(笑)。

そして今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

昨年から現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った地域での諸インフラの復旧・回復および、その後の復興を祈念します。」
















2017年8月22日火曜日

20170821 読書とブログ記事作成の違い【能動性の多寡】

A「まだまだ先のハナシにはなりますが、現在のペースにて記事を作成投稿し続けることにより、おそらく年内11月中に800記事までどうにか到達することが出来るのではないかと思われます。

とはいえ、これまでどうにか記事作成を継続してはきましたが、その間に何かが大きく変わったと実感するようなこともなく、また、たとえ、この先無事に800記事まで到達することが出来たとしても、おそらくその時もまた、これまで通り大きな感慨もなく、何となく到達するのではないかと察せられます・・。

そして、そうした感慨などの自身を励起・鼓舞するような要素がないにもかかわらず記事を作成し続ける行為とは習慣あるいは意地悪く云えば惰性のようなものであるのかもしれません・・(苦笑)。

また実際にそれを否定出来るような理屈を自身は保持しておりません。

しかし、実際の行動として記事を書き続けるのであれば、そうした批判を否定するいわば防御的な理屈とは特に必要ないのではないかとも思われます・・(笑)。

そうしますと、それはもう一つの自身がこれまで継続している『読書』についても同様であるのではないかと考えが及ぶのです。

先日投稿したブログ記事においても書きましたが、読書に関しては当ブログよりはるかに長く継続していますが、これに関しては、さきに書いたブログ記事作成に対するような防御的な理屈とは、大分以前より考えることもなく、何といいますか、自身の自然な行為の一つとなっているのではないかと思われます・・。

そして、その意味において、さきに書いた感慨などがなくとも記事を作成し続けるようになりつつあることは、それもまた読書と同様、自身の自然な行為へと変化しつつあることを示しているのかもしれません・・。

しかし、読書とブログ記事作成にて大きく異なることは、それら行為の基層にある能動性の多寡であるといえます。

能動性に関しては、読書と比べ、ブログ記事作成の方がより多く必要であるとこれまでの経験より考えます。

そして、その理由から現在に至るまで、ある程度の期間にわたる継続的な文章(ブログ記事)の作成とは為されなかったのではないかと思われるのです。

これを多少詳しく言い換えますと、能動性を発揮し、他者から非難の対象とならず、なおかつ何かしら主張する文章を継続的に作成することは自身にとってはかなり難しいことであり、今現在の段階において(本当に)どうにかそれを行うことが出来ているということです・・。

また、その作成する文章とは客観的な科学的知見を述べるような性質のものではないことから、それ特有の難しさ(表現のバランス)があるのではないかとも思われます。

もちろん、今現在の自身は、そうしたことをただ漠然と感じ、思う程度であり、この先に為されるであろう記事作成を通じ、そのあたりの微妙とも云える感覚を自分なりに開拓あるいは進化発展させることが出来れば良いと考えています・・。

とはいえ、今回もここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございます。

昨年より現在に至るまでに生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った地域での諸インフラの復旧・回復および、その後の復興を祈念します。」








2017年8月21日月曜日

20170820 スランプの時はどのようにすれば良いか・・?【価値観の多様性と世の中・社会を実地に学んでいく経路・手法】

A「本日は休日ということもあり、以前に投稿した記事を比較的多く読みました。

そうしますと、この程度の期間(2年数カ月)ではありますが、継続的にブログ記事の作成投稿を行っておりますと、その間に何度かスランプといえる期間があったことが思い出されます・・。

そしてまた、おそらく今現在も、そうしたスランプといえる期間であると感じています。

それは毎日の記事作成の際に『やる気があまり出ない』『良い着想が得難い』といったところから実感されます・・。

しかしながら、他方において、これまでの継続的な記事作成を通じ『たとえスランプに陥った場合においても、それはあくまでも一時的なものであり、ある程度の期間を経れば良くなる』といったことをも認識していますので、そうした期間は【とにかく】もがき続ける(何かしら書き続ける)のが良いのではないかと考えます。

また、もがくように書き続ける行為の中から、自身にとって何らかの更なる進化発展、文体獲得の契機となるものを見つけることが出来るのではないかとも考えています。

くわえて、面白いことにこのスランプの期間とは、思いもよらぬことから(急激に)霧が晴れるように再び書くことが出来るようになることも(往々にして)あるため、何といいますか、その変化を的確に感知しスムーズに為されるよう(たとえスランプであるとしても)何かしら書き続けるのが良いのではないかと考えるのです。【微弱な振動を与え続ける】

とはいえ、このことは、これまでどうにか継続的な記事作成を行ってきたことから実感として得られた、いわば【内的感覚に依拠する】個人的な見解であり、そこに普遍性あるいは何らかの応用可能性があるかどうかは分かりかねるところです・・。

そしてまた、以前よりたびたび述べてきたことではありますが、これまでの継続的な記事作成がどうにか為された主たる外的な要因とは、何よりも、それら記事を読んでくださる方々がいたことであり、こうしたことは現在のスランプといえる期間においては、そうでない期間に比べて割合痛切に感じられるものであるようです。

そしてまた、このように考えてみますと、おそらく我々人間とは、さまざまな場合において、あまり調子が良くない時には周囲の支えをより強く感じ、一方調子が良い時にはそのようなこと(周囲の支え)など考えず、省みず内面から湧き上がる力によって活動的でいられるのでしょうが、おそらく我々とは『そのどちらか一方の状態のみが続く』といったことはなく双方の期間を順繰りに経験することによって世の中、社会といったものを実地に学んでいくのではないかと思われます・・。

そして、こうした世の中、社会を実地に学んでいく経路・手法には、ある程度の普遍性があるのではないかと漠然とながら思うところではあるのですが、他方、その学ぶ対象となる世の中、社会といったものの種類が多岐に渡り、おそらく、そのことが多様な価値観といったものが生じる所以ではないかと思われます。

また、この価値観の多様性とは一般的に都市部にて看取されるということは、それだけ多くの世の中、社会の縮図としての会社、組織(ある程度の閉鎖性を持った人の集団)が存在することに因るものと考えられます。

このことはもう少し考えてみると面白いのかもしれませんが、今回の記事はこのあたりで終えます。

今回もここまで読んで頂いてどうもありがとうございました。

昨年から現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害といった大規模自然災害により被災された地域での諸インフラの復旧・回復および、その後の復興を祈念しています。』






2017年8月20日日曜日

20170819 これまでのブログ記事から・・読書傾向から思う自身の性質・特徴について

A「本日は休日ではありましたが、所用のため仕事場に夜半までおりました。

とはいうものの、同時に日中、書店での物色、立ち読みも行いまた新たに面白そうな書籍を見つけてしまいました・・(笑)。

さて、そこで大変面白いと思うことは、こうした立ち読みにて面白いと感じる書籍を購入した場合、概ね、かなり速いスピードにて読了に至るということです・・。

もちろん、一応その内容は概ね理解しているつもりではありますが、それら書籍とは小説であったり、あるいは学術書に分類されるようなものもあり、多岐にわたると評しても良いのではないかと思われます・・。

そして、そのことから自身が内容を理解しながらもスムーズに読み進めることの出来る書籍の傾向を通じ、何らかの自身の性質・特徴らしきものが看取されるのではないかとも思われるのです・・。

また、それ故、本棚に並んでいる書籍を見れば、概ねその人の背景、学識等を理解することが出来るといった言説が生じるものと考えられます。

しかしながら、殊自身に関しては、どうした理由によるものか、こうした見地にて考え、認識することが困難であるように思うのです・・(苦笑)。

とはいうものの、他方において、そこで看取される(客観的ともいえる)自身の性質・特徴を認識したいという欲求とは、ないわけではありませんので、今後機会を見つけ、そうしたことをもう少し考えてみたいとも思っています・・。

そしてまた、こうした読書傾向の系譜あるいはその経時的な変化について考えてみますと、それはそれで面白く、一方で多少怖い気もしますが、相対的なものとして他者のそれと比較・検討してみますと更に面白い新発見があるのではないかとも思われるのです・・。

また、以前であれば、こうした読書の傾向とは、周囲の方々からの影響を強く受けていた記憶があります。

しかし、近年になりますと特に何らかの必要性がある場合を除き、あくまでも自身が理解し、興味を持って読むことが出来る書籍に集約され、その点において以前と比べますと、読む書籍の分野・傾向とは収束しているとも評し得ます。

とはいえ、この傾向とは今後このまま収束、安定するとも断言出来ず、またそれを望まないといった一面もありますので当面その判断は差し控えます。

しかし他方、自身の読書傾向において一貫する要素は何かと考えてみますと、それはかなり単純であり『歴史』であるといえます。

『歴史』関連の書籍に対しての興味・愛好とは小学生の頃から継続しており、その地域、時代に関しては種々変化しましたが、その変化とは内発的なものであり、また、それぞれ(地域、時代には)ある種の関連性、繋がりがあり、それは一つの(個人的な)体系と表現しても良いと思われます。

そして、以上のような認識、自覚に拠って、これまでのところ、どうにかブログ記事の更新が為されているのではないかとも思われるのです・・。

さらに、そうした自覚に立ってみますと、もうしばらくはブログの記事作成を継続することは出来るようにも思えてきます・・(笑)。

ともあれ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から現在までに発生した一連の地震・大雨・水害といった大規模自然災害によって被災された地域での諸インフラの復旧・回復および、その後の復興を祈念します。』















2017年8月19日土曜日

20170818 720記事到達・・現在読んでいる書籍の上巻読了から・・

A「今回の記事投稿により総投稿記事数が720に至ります。

これもまたあまりキリの良い数字ではありませんが、700記事に到達後、あまり期間を経ずにここまで至ったように思われます。

また、昨日投稿分の記事は投稿翌日のわりには、これまた多くの方々(37)に読んで頂けました。

くわえて、先日来より読んでおります、ある通史的な文献(上下二巻本)の上巻を本日移動中の電車内にて読了しました。

今後あらためて再読し、その際には重要と思われる箇所、疑問に思ったことなどを赤線引き、記入していこうと考えています。

さて、先日もブログ記事にて書きましたが、通史的な文献とは、その書かれている内容(歴史の流れ)について、ある程度の基礎的な理解を得ていない場合、読み進めることが困難となるため、その読み進める速度とは、小説などと比べますと、有意に遅くなる傾向があると云えます(調べつつ、思い出しつつ読むため)。

とはいえ、この本日読了に至った上巻は、どうにか(理解しつつ)読み終えた実感がありますので『では、その内容への基礎的な理解とは一体どこで得ていたのか?』と考えてみますと、それは主に以前読んだ宮崎市定による一連のアジア史関連の著作にあるのではないかと思われます。

そして、そこからもう少し考えてみますと、本日読了に至った著作(上巻)とは、書店の話題の書籍コーナーに置かれてている傾向があるのですが、その視点、内容の面白さとは日本人の私からみますと『実のところ(宮崎市定の一連の著作と)あまり変わらないのではないか・・?』とも思われてくるのです・・(笑)。

しかしながら、もとより私見にはなりますが、宮崎市定に劣らぬほどに面白いということは同時に『かなり面白い』ということを意味しますので、今後、下巻を出来るだけ安く購入し読んでみようと考えています。

また、それに加えて、先日投稿のブログ記事に取りあげたことに因るものか陸奥宗光著『蹇蹇録』をあらためて読んでみたいと思うようになりましたので、これは後ほど本箱を開けて探してみることにします。

さて、そこからハナシを記事冒頭に戻し、昨日投稿分の記事の関してですが、文系・理系の院における院生の置かれる環境が大きく違うことを自身は経験を通じて実感したわけですが、これは現在考えてみますと『どちらが絶対的に良い』とは(決して)断言できないものであり、どちらもそれなりに(大変)良い面があったように思われます。

また、出来るならば、上記のものを含め、さまざまな経験を持つのが良いと思われるところですが、その意味において、特に医科・歯科系の院において見受けられる(大学とは別の)外部医療機関にて為される研修等が、さらに大学組織との連携を深め、外部医療機関自体にて単位等(複数大学の)を付与・認定出来るようなシステムが構築されるならば、それは若い医療スタッフの流動性を高め、医療スタッフ各個人の望むキャリア・デザインがより柔軟に為されるのではないかと思われ、また同時にこれはあまりムリがないハナシであるようにも思われるのですが、さて、如何でしょうか?

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年より現在に至るまでに生じた一連の地震・大雨・水害といった大規模自然災害によって被災された地域での諸インフラの復旧・回復および、その後の復興を祈念しています。』










2017年8月18日金曜日

20170817 おかしくなってはじめて出来ること・・【生命力燃焼の程度の上昇】

本日の首都圏は日中そこそこ気温も上昇し、ようやく夏らしい一日になりましたが、それでも八月半ば過ぎにしては若干涼しい方であったのではないかとも思われます。

さて、昨日投稿分の記事も投稿翌日にしては割合多くの方々(33)に読んで頂けました。

読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

また、この記事をあらためて読んでみますと、そこに書かれている、いわば『議論の前提』については、あまり共通理解が得られずに議論が為されているのではないかと思うことが度々あります・・(自身も含めて)。

あるいは、
そうした事情がこの記事を読んで頂くことに繋がったのではないかとも考えられます。

・・
とは述べるものの、自身も以前はこうしたことを今現在以上にあまり考えずに議論を行っていたという(比較的明瞭な)記憶があります・・(苦笑)。

そして、それがどうにか是正、修正された(無論、現在でも十分であるとは思いませんが)のは、文系修士課程での継続的な議論によってであると考えます。

現在思い返してみますと、当時は本当にさまざまな議題で議論していた記憶があります・・。

しかし、このさまざまな議題とは、当初よりそれを企図したものではなく、あまり規模の大きくない文系の大学院とは、概ねごった煮状態で、さまざまな専攻内容を持つ院生が院生研究室という大部屋にて机を並べるといった状態により自然発生的に生じた議論がそうしたものであったということです・・。

くわえて(文系の)あまりお金にならなそうな専攻内容を敢えて研究しようとする方々とは、概して探求心が(きわめて)旺盛であり、さらに関西特有のボケ・ツッコミの文化が加味されると、自然、さきに書いたような議論に適した環境が醸成されたのではないかと思われます・・(笑)。

とはいえ、自身がそうした環境を経験することが出来たことは、かなりの幸運であったのではないかと考えます。

また、現在になり考えてみますと、何故、当時そうした議論をしながらも、同時に(自身としては)多量の書籍・文献を読むことが出来たのかとは、かなり不思議に思われるのです・・。

おそらくあの当時とは、多少おかしくなり、何と云いますか生命力の燃焼程度が有意に向上していたのではないかと思われます(M2病)。

その意味において歯系院生の頃もまた、それなりにおかしくなってはいたのでしょうが、少し年齢が上がっていたためか、文系院生の時ほどに(変な情熱をもって)無茶なことが出来なくなっていたように思われるのです(文系院生当時の自身を街中で見かけた場合、現在の私は一体どのような感想を持つのであろうか・・?)。

しかし文系、歯系いずれにおいても、どこかしらおかしくなっていた自身を鷹揚に(そして概ね親切に)対応して頂いた両都市そしてそれらの文化風土全般(無論大学をも含む)には大変感謝しています。

おそらく、これが首都圏、東京であったならば、さまざまな理由から半ば無意識的にではあれ生命力の燃焼程度を強化させることを抑制、躊躇していたのではないかと思われます。

しかしまた、これら(地方で)経験した生命力の燃焼程度の向上が可逆的に他方において生命力の増進を為さしめていたのではないかとも思われるのです。

それ故
、これらの経験なければ、現在の自分自体がなかったようにも思えるのです・・。

ともあれ、今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年より現在に至るまでに生じた一連の地震・大雨・水害の大規模自然災害によって被害を被った地域におけるインフラの復旧・回復そして、その後の復興を祈念しています。












2017年8月17日木曜日

20170816 昨日投稿分の記事に関連して スポットライト・ピント 実験的手法・歴史【視野の明瞭化】

A「本日の首都圏もまた断続的に比較的強い雨が降り、昨日同様、八月半ばとは思えない程に冷涼ともいえる一日でした。

そして、ここまできますと今年の首都圏に関しては冷夏と評しても良いのではないかとも思えてきます。

また、こうした天候の事情と関連してか、今年の日本列島を通過する台風とは『変な動き』が多く見受けられるとのことですので、これもまた近年時折聞くエルニーニョ現象による影響ではないかとも思われます。

夏季においては、暑過ぎるのはもちろん嬉しいことではありませんが、同時にここまで気温が上がらない夏らしからぬ日が続くのも、多少先が心配になってきます・・。

さて、ハナシは変わりまして昨日投稿分の記事は投稿翌日にしては多くの方々(33)に閲覧して頂きました。

また、その主題として取り上げた歴史を見る、考える際のスポットライトとは『視野を明瞭にする』という意味において、あるいはピントと換言しても間違いではないのかもしれないと思われます・・。

そして、それをさらに異言しますと、どの部位、倍率にてピントを合わせるかにより、得られる観察像(視野)が(ある程度)決定され、それに基づいて言語を以って推論され物語ることが可能な現象が徐々に明瞭になっていくといった実験を伴う手法とも通底するものがあるということです。

とはいえ、こうした手法により歴史を観察する際において重要なことは、他部位、倍率でのさまざまな様相、観察像の(様相の)傾向をある程度事前に認識しておくことではないかと思われます。

また、その代わりに一見汎用性、普遍性があるとも見える演繹法における前提から現象を推察、推論し、物語ることは、少なくとも歴史を観察する特に早期の段階においては避けた方が良いのではないかと思われます・・。

しかし、であるからといって歴史を観察する上において演繹法におけるような前提となる言説全てを忌諱すべきというわけでもなく、大事なことは、あくまでも、そうした前提を『あまりにも早急に用いない』ことではないかと思われます。

あるいは、比較的早期の推論の段階にて、そうした言説を用いる場合においては、あくまでもそれが『仮説』であることを明言すべきであるということです。

そして、こうしたいわば些細とも云える手続き的なことが、歴史を観察する上においても、実験を伴う手法を用いる場合においても同様に、スポットライト、ピントを共有、共通し合わせた状態での(有効ともいえる)議論を可能ならしめる要件ではないかと思われます・・。

また、それ故に、それ以前のごく初期の段階において自身の論敵に対し勝ち名乗りを挙げるような議論の仕方とは、児戯にもならないのではないかと思われますが、どうも我々日本人とは、どうしたわけか、こうした議論の仕方をことのほか愛好する習性があるのではないかと度々思うこと【特に昨今】があるのですが、さて、如何でしょうか?

また、これはどちらかというと自身に対する注意喚起であるかもしれませんが・・(苦笑)。

とはいえ、今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から現在までに生じた一連の地震・大雨・水害といった大規模自然災害により被災された地域でのインフラの復旧・回復そして、その後の復興を祈念しています。』


2017年8月16日水曜日

20170815 市ヶ谷駅より靖国通り沿いを歩いていて思ったこと・・『平常心』?

本日の首都圏はこれまた八月半ばのわりには気温が上がらず、且つ断続的に比較的強い雨が降るといった夏らしからぬ一日でした。

また、本日が我が国のある種の記念日であることも、すっかり忘れ、昼過ぎ頃、私はJR市ヶ谷駅から靖国通り沿いを九段下方面に歩いていました(久しぶりにお天気雨(きつねの嫁入り)にも出くわしました)。

そうしますと、道沿いにただならぬ数の黒塗りを基調とした大きめの車両(中には白字にて多少時代がかっているとも感じられる文言を書き連ねているものもありました。)が停まり、そして、それら周辺には一様に黒の背広上下を着用され髪を短く刈った方々が数多く見受けられました。

それに加え、警察の車両、警備の警察官もまた、いたるところに配備されているのを見て、ようやく「ああ、そうだ今日は敗戦(終戦)記念日だ!」と思い出しました(苦笑)。

そういえば、この記念日の表現を『敗戦』あるいは『終戦』と言い立て争う方々がいるようですが、戦争の大義はともかく、とりあえず我が国が無条件降伏を主旨とする連合国軍側から提示されたポツダム宣言を受諾したという意味においては、この戦とは正確には『敗戦』であったのではないかと思われます・・。

とはいえ、歴史とは概ね、何処に、どの程度のスポットライトを当てるかにより、その受ける印象、認識が著しく変化するものであるといえますので、より精確には、そうしたコトバとは、用いる文脈の主旨によって多少は変化させても良いのではないかとも思われます・・。

では、その歴史に対して当てるスポットライトについてですが、たとえば我が国による台湾、朝鮮半島、中国大陸、東南アジアへの侵出とは、もう少し時代を遡ってみれば、同様、類似の事例として西欧列強によるアフリカ、中東の分割植民地化、欧米列強による中国南部都市(上海)の分割統治、大英帝国によるインド・パキスタン・ビルマの植民地化、フランスによるベトナムの植民地化、オランダによるインドネシアの植民地化などと数え上げたらキリがありません・・。

それ故、こうした大き目(時間軸・地域軸)のスポットライトに基づいて考えてみますと、さきに述べた我が国の海外侵出などは『駆け出し』あるいは『新参者』と評して良いものであり、あるいは『駆け出し』もしくは『新参者』と評し得るほどに帝国主義のほぼ最後の段階において、海外侵出を果たした我が国であるからこそ『現在』を基軸とした歴史的視点からは、その企図の挫折といった結果をも加味され、あまり芳しくない内外における評価を(より多く)甘受しなければならないのかもしれません・・。

しかしながら、別の歴史的視点においては、そうした一連の行為とは、半ば無意識的にではあるのかもしれませんが、軍事力を背景とした弱肉強食のあからさまな帝国主義を為し得ないものとし、ひいては現在の世界大勢の重要な一面を招来したのではないかとも考えられます。

また、それは世界史的に見れば、あまり光輝ある役割とはいえないのかもしれませんが、しかし同時にそれは、何処かの国が引き受けなければならない大変重要な役割(世界史規模の狂言回し)であったのではないかとも考えられます・・。

それ故、我が国は、こうした歴史的事実を誇大妄想的にも卑屈的にも陥らずに、そして内外の声高に叫ぶこと(のみを)を是とする勢力に怯むことなく、屈することなく、まさに理系学問にて我が国がその能力、真価を発揮し続けるように、淡々と歴史的事実の検証そしてそれらの再構築を行うのが良いのではないかと思われます・・。

そして、その場合、さきの大戦は、やはり負けは負けということで『敗戦』で良いのではないかと思われます・・。

そういえば、西欧のフランスは度々戦争にて負けてはいるものの、その文化をはじめとする世界に対する影響力とは依然として強いのではないかと思われます・・。
【私は特にフランスびいきというわけではありません。】

そしてもし、ここに我が国の性質との相違が認められるのであれば、その相違とは一体どこに由来するものなのでしょうか・・?

とはいえ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害などの大規模自然災害により被災された諸地域での速やかなインフラの復旧、回復および、その後の力強い復興を祈念しています。」

最後に、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!

一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。








2017年8月14日月曜日

20170814 あらためて東京の街で思ったこと・・マンガ文化と活字文化

A「ここしばらくの間、かなり久しぶりに通史的とも云える書籍を読んでいます。

こうした種類の書籍は、読みそしてその内容をある程度理解するまでに多少時間を要することから、ここ最近は敬遠していたように思います・・。

これまでに読んだ、こうした通史的な文献にて面白いと感じた最初の著作はポール・ケネディ著の「大国の興亡」であり、これを読んだ時期とは、丁度、近現代史に対する興味が本格的なものとなっていた時期でもありましたので、それなりに熱心に読んだ記憶があります。

とはいえ、我が国において時折、ベストセラーと称され、書店店頭に高く積まれる、こうした通史的な書籍とは、たしかに宣伝にあるように多く購入されているのでしょうが、それと同時に、果たして、その書籍が、どの程度まで深く読まれているのであろうか?と疑問に思うことがあります・・。

その理由とは、こうした通史的な書籍とは、冒頭に書いたように『その内容をある程度理解するまでに多少時間を要する』ことから、少なくとも、その書籍が売れた時期からいくらかのタイムラグを置き、その影響といったものが徐々に社会に現れてくるのではないかと思われるのです・・。
【その影響らしきものを感知することは極めて少ない。】

あるいは、書籍文章の字面のみを辿っていくのもまた読書であり、また、そうした読み方が主流であるとするならば、その影響といったものが社会に現れてくることはかなり少ないのではないかとも思われます・・【実質的に読まれていないのだから】。

この後者の意見とは、かなりひねくれた見方であるのかもしれませんが、しかし、時折耳にする、あるいは書籍文献などで読む『我が国の性質』といったものを勘案してみますと、案外この後者の方が事実に近いでのはないかとも考えさせられることがあります・・。

そうしますと、実際の現在の我が国の文化水準とは概ね、あるいはアニメ、マンガ(のみ)によって表出可能なものであるのかもしれません・・。

もちろん、私はアニメ、マンガをあまり好きではないにしても、バカにするつもりはありませんが、その本質において、活字文化とマンガ文化とは異なるものであり、どちらか一方で、自国の文化を代表し得る、あるいは活字文化もマンガ文化に包摂可能であると考えることは、おそらく文化全般としては衰頽の兆候ではないかと思われるのです・・。
【何でも(マンガのように)分かり易ければそれで良いというわけではないと思うのですが・・。】

しかし、とは思いつつも、それに対する適当な対案も今現在のところありませんので、歯がゆいところではあるのですが、まあ、どうしようもないのでしょう・・(苦笑)。

ともあれ、そこからハナシを戻し、現在読んでいるこの書籍の内容に関連して『便利さ、分かり易さが至上命題となった社会においてマンガ文化が活字文化を併呑、凌駕し、それに伴い文化水準全般が劣化し、その国が崩壊に至るということはあるのだろうか?』と考えさせられるのですが、果たしてどうなのでしょうか・・?

何れにしましても、露出がやけに多いコスチュームをまとった何らかのマンガ・アニメヒロインが駅の大きなポスターに貼りだされていることはどうしても普通、尋常な事態ではないと思われるのです。

また、外国人もそうした光景を見て日本人に対しては『日本のアニメ文化はポピュラーでここまで社会に根付いているのですね。』といったことを述べつつも、その隠された本音とは、ここでは到底書けないようなことを考えているのではないかと思われるのです・・。

期せずして高度経済成長期(あるいはそれ以前)に日本が海外に発信した本音と建前といった文化は、21世紀に至り、外国の方々にも広汎に認知され、それを本家本元たる我が国にて用いることが流行しているのではないかと不図思うことがあります・・(苦笑)。

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

昨年より現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された地域でのインフラの復旧・回復そして、その後の力強い復興を祈念しています。』










20170813 久しぶりに西日本に出向いて思ったこと・・意味を感じる、理解する・・?

所用にてしばらく首都圏を離れ、西日本某都市へ赴いていました。本日の夕刻過ぎにこちらに戻りましたが、やはり西日本の方がいくらか蒸し暑かったのではないかと思われます。

それは日中から夜半を通じ、歩いている際にも自然と汗が出てくるといった感じであり、この感覚は、何といいますか、久しぶりに体験することにより、かつて、そうした環境・大気の中にて住んでいたことが思い出されるといった感覚であるとも云えます。

また、この感覚は、ある程度の期間、その地域に住むことによって(はじめて)体得し得るといった性質のものでもあり、且つ、それは地域内広域において感じ得るもの(大気、日光の強さなど)から地域内においてさらに限定的に感じ得るもの(特定のお店が提供する食べ物など)に至るまで多岐に渡り、それら全てを包含した「系」のようなものが、感覚的な意味における『その地域』ということになると思われます。

こうしたものは、おそらくあまり言語化されることはありませんが、こうした感覚、体感がなければ、その地域、都市と
は自身にとって、単なる地図上の地名としての記号に留まるもの、または書籍文献に書かれている具体的内容を感知し得ない言説つまりは無機的なコトバの羅列に留まるということになるといえます。

そしてまた、こうした感覚は、地域軸のみならず時間軸においても作用もしくは応用可能であり、その意味で、地域におけるさまざまな史跡、遺跡あるいは寺社仏閣などとは、さきに書いた感覚的な意味での現時点の『その地域』の構成要素であると同時に、さらに、それらに付随するさまざまな『物語としての歴史』をも認識し、それを現時点における感覚と結節することにより、その感覚とは、時間軸においても延長・拡大することが出来るのではないかと考えます。

つまり、先ずはじめに現時点における種々認識があり、そこからさまざまな能動的な興味関心に基づいた知見を深める、広めることにより多面(地域・時間軸等)にわたり『その地域』というものを(先ずは主観的に)知っていくのではないかと思われるのです・・。

また、そのように考えてみますと、少なくとも自身の場合、そうした方法の繰り返し、蓄積を通じて(決して多いとは云えないものの)いくばくかの知識、知見を得てきたと自覚しますが、こうした方法とは、さきの『その地域』あるいは『物語としての歴史』のみならず自身の場合は、実験を用いる理系学問分野においてもまた同様であったのではないかとも思い至るのです。

このことをもう少し具体的に書きますと、自身の場合、地域での日常生活のなかで自然に発生した時間軸的な要素への興味、つまり出土、発見された遺跡、古墳および土器、青銅器、鉄器などに対する漠然とした興味あるいは、どうにかそれらを認識したいといった欲求から、あとに続く現在の歯科用材料に対する実験を用いる方法、アプローチへの興味に結節したということになるといえます・・。

とはいえ
、こうした方法あるいは(自然発生的ともいえる)興味の生成過程が、現在の諸学問において用い得る、価値を持つ方法論として正統、正当であるのかは分かりかねるところではありますが・・。

しかしながら、こうした方法に拠って、いくつかの学問分野を横断する知識、知見が得られたという個人的な実感、自覚とは、少なくとも虚偽ではなく、また自身という決して優秀とは云いかねる人間が一応そうした実感を得るに至ったことには、応用の仕方が限局されるものではあるのかもしれませんが、何かしらの人間そのものに対する知見が多少は含まれているのではないかとも考えられるのではないかと(多少自意識過剰気味ではあれ)思うことがあるのですが、さて如何でしょうか・・(笑)。

とはいえ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年より現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害などの大規模自然災害によって被害を被った諸地域での速やかなインフラの復旧、回復および、その後の力強い復興を祈念しています。』








2017年8月11日金曜日

20170810 自身のかつての【複数】専攻分野と現在の状況について思ったこと・・

本日の首都圏もこの時期(8月初頭)のわりにはイマイチ気温の上昇がなかったと感じられるものの、それなりに暑く徒歩での移動には少し難儀しました・・(苦笑)。

くわえて、明日から休みということもあり自身のブログ記事作成もまた、明日から数日間休ませて頂きます。どうぞよろしくお願いします。
さて、昨日の投稿記事は投稿翌日にしては思いのほか多くの方々(33)に読んで頂けました。
自身としては、気が付いた歴史的な偶然と云えるものを書いたつもりではありましたが、こうしたことに興味を持って頂ける方々も少なからずおられるのかもしれません・・。
また、同時に私とは、悲しいことに(?)こうした(歴史に関すること)を書いている時の方が比較的面白い文章を書くことが出来るのかもしれません・・(苦笑)。とはいえ、昨今は日常においては概ね忘れがちではありますが、あくまでも自身の専攻とは歯科理工学でもあるのです・・。これを換言しますと(一応)博士(歯学)という肩書きを保持しているということになりますが、実際のところ、それが現在の仕事の役に立っているといった実感は(かなり)少ないと云えます・・(苦笑)。それ故、さきに書いた『概ね忘れがち』といった事態になるのでしょうが、その一方で面白いことに訪問した歯科医院にて院長が医院運営の傍らで得た実験データ、もしく他のデータあるいは執筆した記事、文章を読ませて頂くと、それが何を意味、意図しているのかは、概ね理解出来ているのではないかと思われます・・。しかし他方、この複数の歯科医院を訪問し、さまざまなお話しを聞いて廻るという行為自体とは、さらに以前の地域学を専攻した修士課程における聞き取り調査、ヒアリングにも相通じる要素が少なからずあるのではないかとも思われるのです・・。ともあれ、そのように考えてみますと、さきに書いた自身の専攻内容そして結果的にそこで(どうにか)取得に至った肩書きとは、昨今忘れがちではあるものの『まさに日常での意識が及ばないところにて生かされているのかもしれない』とも考え得るのです・・。そして、そうしたことを書いておりますと、一昨日投稿の記事『一昨日に投稿した記事(書籍からの抜粋引用)から思ったこと・・歴史・文化について』にて書いた以下の文章が(恥ずかしながら)思い起こされるのです・・。

『我々日本人とは外来文化を摂取する際、往々にして、その背景文化から摂取するのではなく、その外来文化に特殊に認められる何か『のみ』を摂取し、それを自分なりに改変、改造していくといった傾向がある。』つまり、我が国において外来文化が摂取される時は、それを過去の歴史・文化の文脈から切り離し、その場だけで通用するような『別の何か』にしてしまうといった意味合いになるのでしょうが、そのように考えてみますと、その対象とは、あるいは海外の文化のみならず自身の簡単には理解出来ない遠い過去の文化に対しても『実際のところよくわからない』ことから、それに見合ったような対応・操作をしているのではないかと思われることが少なからずあると思われるのですが、さて如何でしょうか?

とはいうものの、これを自身に対しての批判と捉え、抗弁させて頂きますと以下のようになります・・。

「如何にも正論で考えますとそのようになるのでしょうが、私の場合、生きるためにはそうせざるを得なかったのです・・。その一方で、これまでにブログ記事の作成をどうにか継続しておりますので、少なくとも過去の経験の相対化あるいは自身を対自的存在としていこうと試みている【自閉的にはなっていない】ことに関しては(少しは)肯定し得ることなのではないでしょうか?」
また、文章を書き続けておりますと、往々にしてこうした(自縄自縛とも云える)事態が現出しますが、それに対しては上に書いたように多少開き直り気味になりながらも、自身に対して抗弁、説得し続けなければならないのではないかとも思われます・・(苦笑)。
(これは特に可笑しい、醜いことではないと考えます。)
そしてまた、その一方で自身の正論もしくは理想といったものを模索し続けなければならないのではないかとも思われるのです・・。
このあたりの消息とは夏目漱石著の『愚見数則』を読んで頂ければ、何となく分かって頂けるのではないかと思います・・。
ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年から現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被災された地域でのインフラの復旧・回復そして、その後の力強い復興を祈念しています。





2017年8月9日水曜日

20170809 1895・1945:広島・長崎 【帝国主義の出発点と終着点】★★★★

本日の首都圏は日中気温も上昇し、ようやくこの時期らしい陽気になったのではないかと思われます。

そして、今現在(22:07)もまた多少蒸し暑く感じながら、当ブログ記事作成をはじめた次第です。

さて、現在の我が国において広島、長崎と聞きますと、殆どの場合『原子爆弾が投下された都市』という反応が返ってくると思われます。

しかしその一方で、そこ(1945年)から50年遡った頃にて広島、長崎と考えてみますと、それは丁度日清戦争の講和会議が為された頃であり、当初、清国側の使節は広島に上陸したものの日本政府側から必要書類の不備および使節人員地位が不十分であると指摘されたことにより広島から長崎へ渡り、そこから一旦帰国したことが陸奥宗光著『蹇蹇録』に記されています。

その後、本国にて書類が整えられ、しかるべき地位の人員構成による新たな使節が来日し講和会議が為され下関条約(馬関条約)が締結されたことは御周知のことと思われます。

とはいえ、この締結された条約内容は、その直後のロシア、フランス、帝政ドイツによる所謂三国干渉によって強圧的に改変され、そして我が国にとっては次なる戦争(日露戦争)への端緒が切って落とされることになるわけです・・。

ともあれ、この50年の年月を隔て、両都市が歴史の流れに登場することは、おそらく単なる偶然ではあるのでしょうが、少し見方を変え、これらのこと(1895年、1945年)考えてみますと、それぞれ日本帝国主義の国際的な意味での出発点と終着点とも評することが出来るのではないかと思われます・・。

しかしながら、こうした歴史の見方とは、要するに後知恵の最たるものであり『そうであるから次はこうなる。』といった見方に基づく未来の推測・予測が為されてはいけない類いのものであると考えます。

もとい、このように歴史の流れとは大変面白いものでありながら、それを扱う我々人間の普遍的ともいえる浅はかさを簡単には修正、補完させない何かがあるのかもしれません。

とはいうものの、であるからといって(表層的にはどうであれ)歴史を無視、バカにすることから生じる災厄とは、前者の結果に劣らず恐ろしいものであることもまた認識しておく価値があることではないかと思われますが如何でしょうか?

また、文系学問全般の存在意義とは、究極的にはそういったところにあるのではないかと思われます・・。

ともあれ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から現在までに発生した一連の地震・大雨・水害といった大規模自然災害により被害を被った諸地域での速やかなインフラの復旧、回復および、その後の力強い復興を祈念しています。



2017年8月8日火曜日

20170808 「情報社会における歴史認識と表現の意義」

 昨日は、一休みした後に深夜の作業を予定して午後11時頃に寝たが、疲労が溜まっていたのか、目覚めたのは早朝5時だった。そのまま起床して記事を作成するのも面倒に感じ、結局7時まで寝続けた。

この経験から、記事作成にはある程度決まった時間を設けるべきだと再認識した。一方で、一昨日(8月6日)は偶然2本の記事を投稿していたため、現在の進捗としては1日1記事というペースを維持しているとみなせる。特に問題視せず、今後も記事作成を続けていくつもりである。

そんな中、昨日の間にブログの総閲覧者数が24万人に到達した。これまで読んでくださった方々のおかげで、ここまで書き続けることができたと感謝している。一方で、世の中には桁違いに多くの読者を持つブログが数多く存在することは承知している。しかし、画像や動画といった閲覧数を増やす要素が乏しく、流行に迎合することもなく、自分が書きたいことを書き続けてきたブログであるにもかかわらず、これだけ読んでいただけたのは望外の僥倖であり、自分にとって大きな励みとなっている。

目先の目標である800記事の到達まで、どれだけの方々に読んでいただけるかは未知数だが、少なくとももう少しは書き続ける予定である。これからもよろしくお願いしたい。

一昨日の記事では『コンラッド短編集』の「武人の魂」の冒頭を抜粋引用した。この文章は19世紀的な時代精神が色濃く感じられるため選んだものであるが、著者ジョセフ・コンラッドが当時の世界を実際に生きた経験があったからこそ、日本語訳でも血の通った口語文として表現されていると考えられる。

また、過去と現在を行き来する歴史的な文脈を持つ文章や物語の書き方は、日本でも見られるものの、特に近年では深みを持つものが減少しているように思える。これは、作中に描かれるような実体験を持つ人が減少していることが一因ともいえるが、それだけではなく、歴史に対する安易な認識が広がっていることも影響しているのではないかと感じる。ネット社会の普及がこうした風潮を助長しているのだろうか。

歴史に対する安易な認識は、内外の問題に関する浅薄な思想や考え方と結びつき、輿論形成に影響を与える傾向がある。この現象自体は避けられないとしても、その結果が必ずしも良い方向に進むとは限らない。このような状況こそ、歴史を学び、そこから得られる洞察を大切にすべき理由ではないかと思う。

ここで一つの考えを思い出す。それは「日本人は外来文化を摂取する際、その背景文化から学ぶのではなく、その文化に特殊に認められる部分だけを切り取り、自分たちの都合に合わせて改変する傾向がある」という指摘である。これを踏まえると、過去の文化や歴史に対しても同様に、十分に理解しないまま、独自の文脈で取り扱っている場合が多いのではないかと考えさせられる。

このような現象が我々の文化的態度にどう影響しているのか、そしてそれが未来にどのような結果をもたらすのか、改めて考えていく必要があるだろう。
 
ともあれ、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年より現在に至るまでに生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された地域でのインフラの復旧・回復そして、その後の力強い復興を祈念しています。
*20241201にChatGPTを用いて添削および少しの加筆修正




2017年8月7日月曜日

20170806 其の2 岩波書店刊 コンラッド著  中島堅二編著 『コンラッド短編集』「武人の魂」PP.336-339より抜粋引用

岩波書店刊 コンラッド著  中島堅二編著
コンラッド短編集』「武人の魂」PP.336-339より抜粋引用
ISBN-10: 4003224868
ISBN-13: 978-4003224861

『長い白い口髭を蓄えた老士官は、抑えていた憤りを思いきりぶちまけた。
「貴公たち若い者は、その程度のことを理解する分別も待ち合わせていないのか!
かつては大いに働き、少なからぬ辛酸を嘗め、もはや残っている者とて数少ない世代の老兵をとやかく言う暇があるなら、貴公らはまず、自分の乳臭い唇をしっかり拭っておくのがよかろうというものだ。」
聞き手が大いに恐縮の体を見せたので、年老いた戦士の気持は収まってきた。しかし、彼の口のほうは一向に収まらなかった。
「わしもそんな古参兵の一人なのだよ。つまり、生き残りの一人ということだ」と、老士官は逸る気持ちを抑えかねるように言葉を続けた。「わしたちは何をしたというのだろう?何をなしとげたのだろう?あの大ナポレオンが、アレキサンダー大王にも負けじとばかりに、運霞のごとき連合軍を従え、我々に襲いかかってきたのだぞ。わしたちは、猛攻を加えるフランス軍と、最初のうちは距離をおいて対峙していたが、やがてわが方は、繰り返し繰り返し執拗な攻撃を仕掛け、ついにフランス軍をして、自陣に山なす死体の中に伏して眠らざるをえぬところまで追い込んでやったのだ。次がモスクワの大火だった。火は、彼らの頭上に容赦なく降り注いだ。
そしてついに、あの大遠征軍の長い長い敗走が始まったのだ。わしはそれをこの眼でしかと見た。絶望に打ちひしがれた敵の眼の前に果てしなく広がる、ダンテの地獄の底にも似た極寒の地を、やつれ果てた幽鬼さながらの姿で、蜿蜒列をなして敗走していく遠征軍の姿をな。
逃げおおせたフランス兵どもは、きっと、魂に二重の鋲を打って、それを己の肉体に釘付けにしていたのだろう。あの、岩をも砕くという厳寒の中を潜って、無事にロシアからその魂を運び出すことができたのだから。だが、彼らを一人でも落ちのびさせたのが、わしらの落ち度だと言うならば、それは、あまりにもものを知らぬということだ。だってそうではないか!わが軍とても、ぎりぎりのところまで、その力を使い果たしていたのだからな。名にし負う、ロシア軍の強健無比な精力をもってしてもだ!
もちろん、わしらの闘志は衰えていなかった。それに、大義はわれらの側にあった。
あの戦はいわば聖戦だった。だからとて、兵士や馬に吹きつける風が和らぐものでないことは、言うまでもなかろう。
肉体とは弱いものだ(マタイ伝六章四一節)。意図が善であれ悪であれ、人はその弱さの代価を支払わねばならぬ。よいか!わしが先ほどから貴公たちに語って聞かせている小さな村落の争奪戦とても、古ぼけた田舎家を風除けのねぐらにしたかったばかりに、必死の思いで戦ったのだ。フランス軍とて、同じ思いであったろう。
あれは、栄光のためでも、戦略上の必要によるものでもない戦闘だった。フランス軍は、自分たちが夜明け前にそこを退却せねばならぬことを知っていた。そして、わしたちも、敵軍が退却するつもりなのは承知の上だった。戦いと言うなら、そもそもそんなところで戦う必要性はなかったのだ。だが、わが方の歩兵も敵の歩兵も、まさしく山猫のごとく戦った。勇猛果敢に、と言い直してもかまわぬ。戦いは、村の中での白兵戦となった。その間にも、支援部隊は吹きすさぶ北風の中で凍えながら立ち尽くしていた。地上には雪が舞い飛び、空には大きな黒雲が恐ろしいばかりの速さで流れていた。辺りは白一色だったために、それとの対比で、大気までもが言い知れぬほど黒々と見えたものだ。わしは、あの日ほど、神の造り給うた万物が陰惨に見えた日を知らぬ。
わが騎兵部隊は(といっても、わずかなものだったが)、風に背を向けたまま凝然と立ち尽くし、ときおり飛んでくるフランス軍の砲弾の流れ弾を喰らう以外になすすべもなかった。これがフランス軍最後の砲撃だったと言っても間違いない。結局、彼らが砲兵部隊を布陣したのは、それで最後になったのだからな。それらの野砲は置き去りにされてしまった。翌朝になってから、わしたちは、それらが撤収されぬまま放置されているのを眼にすることになったのだ。だが、まだその日の午後は、敵の砲兵は前進するわが縦隊めがけて地獄の砲火を浴びせ続けていた。荒れ狂う風は、硝煙を吹き飛ばし、砲声をもかき消していたが、フランス軍の前線沿いに絶えず砲火が明滅するのが、こちらからはっきり見て取れた。そして地吹雪がどっと襲いかかるごとに、一切がかき消されて、真っ白な渦の中に、ただ深紅の閃光だけが光っていた。』

2017年8月6日日曜日

20170806 KODANSHA INTERNATIONAL LTD.刊 Hyoe-Murakami著 『Japan The Years of Trial1919-52』pp.178-180より抜粋引用

KODANSHA INTERNATIONAL LTD.刊
Hyoe-Murakami
Japan The Years of Trial1919-52』pp.178-180より抜粋引用
ISBN-10: 087011610X
ISBN-13: 978-0870116100

『The Potsdam Declaration was published on July 26 in in the name of Truman, Churchill, and Ciang Kai-shek. With in the Japanese government, it was Foreign Minister Togo who insited most strongly that Japan should agree to its terms; he had taken note of the fact that they could be interpreted as implying something other than unconditional surrender. The fact that Stalin was not among the signatories of the declaration also gave him grounds to suppose that the Soviet Union, faithful to the neutrality pact, and had mediated on Japan’s behalf. The terms laid down in the declaration-the limiting of Japanese territory to the four main islands, the restriction of the function of the Japanese government, occupation, disarmament, and the punishment of war criminals among them-were extremely harsh, and there was plenty of food for doubt and uneasiness; yet, as Togo saw it, to let this opportunity to begin negotiations go by would be even more fatal. Nevertheless the opposition of the military was as implacable as ever. Suzuki put forward compromise proposal, whereby the press was to report the declaration without any comment whatsoever, thereby giving a signal that Japan was paying heed to it.

The morning editions of the twenty-eighth, however-despite the government’s attempts to impose restraints-carried headlines referditional surrender as ''plot by the three powers'' and dismissing the call for unconditional surrender as ''preposterous.'' Hastly, Suzuki personally called a press conference at which he stated that the attitude of the Japanese government toward the Potsdam Declaration was one of ''mokusatsu''. As Suzuki intended it, this word was the equivalent of the English ''no comment,'' but in Japanese broadcasts directed overseas it turned out as ''ignore,'' and New York Times of July 30 carried a headline annoucing that Japan had rejected the Allies' final call for it to surrender. Thus President  Truman lost any chance of checking use of the atomic bomb at the last moment. The Japanese government, in short, still expecting that the Soviet Union would mediate on its behalf, had attached insufficient importance to its own response to the Potsdam Declaration.

At 3 A.M. on August 6, the Enola Gay took off from the base on the island of Tinian carrying the first atomic bomb ever to be dropped on mankind, and at some time past 8A.M. arrived in the sky over Hiroshima. The bomb, suspended from a parachute, exploded at a point 600 meters above ground level. It was 8:15, at which time the city’s clocks stopped forever. A single bomb wiped out an entire city. Thirteen square kilometers of the center were seared by the terrifying blast, heat, and radiation; at least two hundred thousand citizens either were killed instantly or died after days-in some cases, months-of suffering. As the plane in which Dr. Nishina Yoshio-an atomic physicist who flew to Hiroshima at Japanese army orders-arrived in the sky over Hiroshima, one glance was enough to tell him that it could only have been an atomic bomb. His judgment was confirmed by foreign broadcasts. On the afternoon on August 8, on receiving formal notification from Dr. Nishina that the weapon dropped on Hiroshima had unquestionabley been an atomic bomb, Prime Minister Suzuki realized that the war must be brought to a rapid conclusion and directed Cabinet Secretary Sakomizu to summon a meeting of the Supreme Council for the Conduct of the war for the following day.』

20170805 台風の九州南部接近の報に接して

A「総投稿記事数が700に到達したのちもペースを落とさず、ほぼ毎日記事作成を行ってきましたが、本日はどうも記事作成の意欲が湧かず、色々と書籍、文献等をあたってはみましたが、それでもあまり、さきの状況とは改善されないでいます・・(苦笑)。

このまま本日に関しては記事作成を休もうかとも思いましたが、書籍の抜粋引用であれ、ともかく記事を作成しようと思い立ち、今現在このように何かしら文章の作成をはじめている次第です・・。

そういえば、現在台風が九州南部に接近しつつあるとのことで、目下のところ、これが心配ではあり、またたとえ台風が上陸するにしても、あまり大きな被害を齎さないことを願っています。

また、台風に関してですが、九州南部にて遭遇する台風とは、やはり首都圏における台風と異なり、何と云いますか、より自然の脅威といったものを感じさせます・・。
古代人が台風にカミを見たのは西日本に在住してはじめて実感として分かりました。)

また、このことは和歌山、南紀においても同様であり、殊に北海道からこの地に転勤となり、しばらくの期間とは、このすさまじい雨・台風に大きなショックを受けたことをおぼえています(北海道にはあまり台風が上陸しない)。

とはいえ、我々人間とは概ね、どの地域であれ、しばらくそこに住んでいると、その環境に慣れるものであるらしく、今現在の私とは、さきの自然環境といったものに関しては、ほぼどうしようもないものであるため言及しませんが、その他の環境に関しては『むしろ首都圏の方がおかしいのではないか?』と思うことが多々あります・・。
(朝夕の電車のラッシュ、行列、都心部の雑踏、空気の悪さ、騒音・・)。

また、そうは考えるものの、実際の生活においては以前よりも大分、この首都圏特有の慌ただしさにも慣れつつはあると云えます。

しかしそれでも、これが『自分にとって良い』ものであるとは、どうしても思うことが出来ません・・。

また、以前投稿したブログ記事においても書きましたが、そうした内面における『葛藤』(理想と現実のギャップ)こそが、ブログ記事といったカタチであれ、文章を書き続ける大きな原動力となっているのではないかとも思われます・・。

とはいえ、この程度までどうにかこうにかブログ記事を書き続けていますと時折思うことは『おそらく何処に住もうと当初はしばらく逡巡・呻吟するかもしれないが、何かしらは書き続けることは出来るのではないだろうか?』ということです。

もちろん、これはあくまでも今現在においては希望的観測の域を出ませんが、同時に以前よりも『それが出来るのではないか?』といった実感もまた強くなってきています・・。
(しかしながら、この『実感』がまたクセモノなのかもしれない・・(苦笑)。)

ともあれ、いずれにせよ、このさき未だどうなるか見当もつきませんが、ここまでブログ記事を書き続け、そして上記のような実感をも持ち得るに至ったことは、これまでに(かなり)稚拙なものも多いと思われる一連のブログ記事を読んでくださっている方々のおかげであると云えます。
(おかげさまで、これまでに総計24万人ほどの方々に閲覧して頂きました。)

今後も800記事の到達までは書き続ける予定ですので、今後ともどうぞよろしくお願いします。

また、今回に関しても、ここまで読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

昨年から現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を受けた地域の諸インフラの復旧、そしてその後の早期の復興を祈念しています。』












2017年8月5日土曜日

20170804 昨日との関連:部分と全体:歴史と思想、文系学問全般さらには理系学問も?

A『本日の首都圏もまた気温が上がらずに比較的過ごし易い一日でした。

また、本日は比較的遠くへ出かけたためか、今現在多少疲れています・・。

実際、こうした日とは恒例となっているブログ記事作成を多少面倒に感じるわけですが、書き始めた以上、ある程度書き、本日分の記事作成を行わなければならないと思うのですが、なかなかその記事作成は思うようには捗ってはくれません・・(苦笑)。

さて、昨日分の投稿記事『全体の文脈から考える【書籍からの抜粋引用および歴史について】』もまた投稿翌日にしては多くの方々(36)に読んで頂けました。

くわえて、本日は日中のブログをチェックしない時間帯に比較的多くの方々(120程度)に記事を読んで頂き、冒頭に書いた疲れている日に、こうした現象が生じることは『皮肉ではあるまいか?』と思う一方、新たな記事作成の意欲も湧いてきます・・(笑)。

そうした次第で、本日分の作成記事に関しては、昨日分投稿記事と関連することを書いてみようと思います。

これまでにブログ記事作成にて行った書籍からの抜粋引用と引用元書籍全体内容との関連について考えてみますと、概ね『そこまでは的外れではない』と考える一方で『果たして(本当に)それで良いのか・・?』とも考えることがあります。

そしてそれは部分と全体の関連全般についてもいえることであり、自身の身近なところで考えてみますと、歴史についてがまさしくそれに該当するのではないかと思われます。

また自身は、これまでにそうしたことを(ほぼ無意識ながら)疑問に持ち、考えつつ(ある程度)歴史に関する書籍を読んできたのではないかと思われます。

それはつまり『この時代・地域の歴史に関しては(読書にて)何となく分かったが、他の時代・地域との関連とはどうなっているのであろうか・・?』といった興味・疑問であり、これが積み重なってきますと、それら一つ一つが鎖の輪のようなものとなり、全体としての鎖のようなものを認識出来るようになり、さらに今度は他の鎖(全体像)との関連に思いが及ぶようになるのです・・。

以上の経緯にて、全体としての鎖(歴史の流れ)にまで考えが及びますと、その内容とは、包括的な内容を扱うものの多くがそうであるように、ある程度抽象的なものとなり、歴史というよりも思想・哲学といったものに近づいていくのではないかと思われます・・。

当初、私はこの思想・哲学といったものが全く分からず、また人に聞いてみても、自身の理解力のなさ故にか要領を得ることが出来ませんでした・・(苦笑)。

しかし、さきに書いたように、ある程度歴史に関しての知識・知見を得るようになりますと、ごく自然な流れとして、歴史を題材とした思想・哲学に関しての著作を読むことが出来るようになっていきました(20代前半頃であったと思う)。

また、多くの思想・哲学とは、その知識背景の多くを歴史的なものに負っているのではないかと考えます。

その意味においては、おそらく経済学・社会学・政治学・民俗学など全てもまた、そうではないかと思われます・・。

端的に、それらは『我々人間の蓄積された営み【歴史】に対するアプローチの仕方の相違』といったものに還元し得るのではないかと考えます。

そして、ここからは、さすがに極端な意見ではあるかもしれませんが、自身の場合、その後専攻した歯科理工学においても概ねそのようなアプローチにて臨みましたが、これは同時に【まさしく】目に見えて現在進行形の歴史【加工製作技術の進化発展】そのものであり、そこにさまざまな実験を以って参入することが面白く且つ、遣り甲斐のあることと感じていたのではないかと思われます・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年より現在までに生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された地域でのインフラの復旧・回復そして、その後の力強い復興を祈念しています。』












2017年8月3日木曜日

20170803 全体の文脈から考える

本日の首都圏もまた昨日、一昨日と同様にあまり気温が上がらず過ごし易いといえば過ごし易いのですが、同時に『八月初旬でこの程度の気温で大丈夫であるのか?』とも考えてしまいます・・(笑)。

さて、昨日投稿分記事も投稿翌日にしては多く方々(27)に読んで頂けました。

そして本日の作成記事は、電車での移動の際にノートに書き留めた着想に基づき書き進めていきます。

これまでに自身が投稿したブログ記事のなかで、書籍・文献からの抜粋引用が占める割合は低くはないと云えます。

また、これはブログ記事作成を始めた当初の時期においては、より高い割合を占めていたと云えます。

そうした当時の状況にて時折(私のブログ記事作成を知る)知人と話しておりますと以下のようなご意見を頂くことがしばしばありました。

『たしかに書籍内の面白い記述をブログ記事として抜粋引用するのは面白い試みであると思いますよ、しかし、その記述が書籍全体の中で、どういった意味合い、どの程度の重みを持つものであるのかが、記事を読んでいる方々には往々にして伝わらないと思いますので、そのことは今後もう少し考えてみても良いのではないかと思いますが・・。』

このご意見とは、至極真っ当なものであり、また現在自身も時折、そうしたことを考えることがあります。

つまり書籍全体の文章の流れ、文脈のなかで、果たしてその(抜粋引用)『部分』が如何なる意味を持つのであるかとは、それが当初から恣意的な操作であることから、より注意して行う必要があるのだといえます。

また、当然といえば当然ですが、これまでに抜粋引用に用いた書籍とは、その殆どが(以前に)通読したものであり、またその選択とは、ある程度(自分なりに)注意して行っているとは考えますので、おそらくその大半においては、抜粋引用部をブログ記事にて読んだ方々が、抜粋引用元書籍の大意、全体の文脈を(大きく)誤解されることは少ないのではないかと考えます・・。

とはいえ、それも結局のところ自身の恣意的な操作に基づく希望的観測であるといえますので、最終的には何ともいえないところではあるのですが・・(苦笑)。

また、多少ハナシは変わって、こうした認識の仕方とは歴史全体においても同様のことがいえ、たとえある時代・地域の歴史が分かったという自覚を得たとしても、それが歴史全体については必ずしも応用可能ではないということです。

そして、そうしたことから竹山道雄著『昭和の精神史』に述べられている『全体を包括する大前提のような教義・ドグマを以って個々を認識していくと、必ず間違った認識の方向に行く』という意見の意味合いが認識され得るのだと思われます・・。

しかしながら、おそらく我が国においては少なからず、こうした(一見)便利とも云える『全体を包括する大前提のような教義・ドグマ』を(半ば無意識的に)有難がる、大事にするような傾向があるのではないかと思われます・・。

それはおそらく、本質的あるいは深層において、ある事態・事物に対して能動的に考えることが面倒である場合における態度・対応であり、あるいはまた、そうした心的傾向が少なからず我が国の早急な近代化あるいは戦後の急速な復興を推し進める力であったのではないかとも思われます・・。

しかし、そうしたことは御周知のとおり、何も新しい意見ではなく、夏目漱石の講演に基づいた著作『現代日本の開化』にて明治の時代に既に述べられていることなのです・・。

そして、そうしたことを踏まえ、現在の我が国にて生じているさまざまな出来事を見聞きしておりますと、かなり悔しいことに、つじつまが合ってしまうことが多いのです・・。

これが自身の浅学非才より生じる(無意識ながらの)全体を包括する大前提のような教義・ドグマへの妄信に基づく間違った考えであれば本当に良いのですが・・(苦笑)。

とはいえ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被災された地域でのインフラの復旧・回復そして、その後の力強い復興を祈念しています。』