着陸した飛行機から降りて飛行場内の待合室に繋ぐ可動式の連絡通路(ボーディング・ブリッジ)に入りますと、そこではじめて地域の大気に触れることになりますが、そこで何らかの反応であるのか、かつての鹿児島在住時の感覚や記憶が想起され、甦ってきます。
空港から鹿児島市内に行く高速バスに乗りますと、そこでまた地域の大気や景色に触れて感覚や記憶が強化されて、やがて目的の市内停留所に到着してバスを降りて市街地を歩いていますと、ここでも、在住当時の感覚や記憶が想起されます。
こうした一連の経緯は、自らの経験によりますと、和歌山においても同様であったと思われますが、和歌山の場合は、地域の大気から感じられる濃厚な自然の薫りこそが、そこでの記憶の励起や強化に寄与していると思われます。そしておそらく、そうした自然の薫りは和歌山市からさらに海南、有田、湯浅、御坊、印南、みなべ、紀伊田辺、南紀白浜までと南下して行きますと、さらに強くなり、当時の記憶や、それに付随する記憶なども想起されるのではないかと思われます。その意味で、私の和歌山での記憶は、同地の自然環境に強く依拠しているのだと云えます。また、以下については全あくまでも自らの偏見になりますが、そうした豊かで濃厚な自然環境があるからこそ、その地紀伊半島西岸一帯で、世界に知られる我が国の和食文化での重要な調味料である醤油や鰹節が生れたのではないかと思われるのです。
このことは、別の機会でさらに詳細に検討して述べたいところですが、ともあれ、私の場合、在住経験を持つ地域に行きますと、在住当時の記憶が想起されることが多く、そうした中、和歌山でのそれは、彼の地の濃厚な自然環境に依拠するところが大きいと云えますが、その理由については不明です。そして他方、先日訪問した鹿児島については、さきの和歌山と同様、自然環境の薫りに因るとも云えますが、それ以外にも市街地の雑踏や市電での移動時の車両内の様子などといった、その中に人間が含まれている景色から、当時の感覚や記憶が想起されるといったことが多いように思われます。
そして、その理由について考えてみたところ、和歌山の場合は、当初、自然が多い南紀白浜に在住していたことから、雑踏や市電といった都市的な要素が入り込むことがなく、また、南紀白浜への移動は、3、4月とは云えなお寒い雪景色の北海道からでしたが、この転勤に伴う環境の変化が大きかったのではないかと思われます。そして、おそらくはそのために南紀白浜転居後からしばらくの期間は、食べる食べ物が何でも美味しく感じられました。その中でも特に強く印象に残っているのが、転勤後しばらくして行った田辺市宝来町の国道424号線沿いにあるうどん そばのお店で頂いた、うどんと丼ものの定食でしたが、そこで私は初めて関西風のだしの美味しさを実感を通じて理解した記憶があります。ともあれ、このように初めての関西圏での生活は、特に当初から色々と驚くことがありましたが、そうした経験を得たのが、関西圏で辺縁と云える和歌山県の、さらに辺縁である南紀白浜であったことが案外、私にとっては良かったのではないかと思われるのです。
ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5
*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。
連絡先につきましては以下の通りとなっています。
メールアドレス: clinic@tsuruki.org
電話番号:047-334-0030
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