2024年5月28日火曜日

20240528 株式会社 河出書房新社 三島由紀夫著 対談集「源泉の感情」pp.129‐131より抜粋

株式会社 河出書房新社 三島由紀夫著 対談集「源泉の感情」pp.129‐131より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4309407811
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4309407814

野坂 昔の戦争はえらくロマンチックで、弾丸が飛んでも、敵はだれかわかるわけだけど、今のベトナムのナパーム弾もそうだろうけど、僕ら空襲のとき、雲の上から何か落ちてくる、どこからくるかわからない。どうにもならない。現代の戦争というのは、そういうものでしょう。それに入ってゆくためには、気違いになるための要素がないとだめでしょう。それが今の日本にはないと思う。剣道部のいかに先鋭的な人間だって、雲の上から何発もやられたら、とてもやりけれるものじゃないと思う。自分の恋人、女房、子供を守ろうという気持も、あの人たちにはないんじゃないですか。

三島 僕は最近、神風連を興味をもって調べたんだけど、あれは絶対に勝つ見込みがない戦争を仕掛けたんだね。しかも日本刀だけしか使わない。鉄砲は外国からきたものだから、汚れているといって使わない。熊本の鎮台に対して戦うんだ。初めは奇襲で少し勝つけど、相手は鉄砲をもって攻めてくるから、所詮、勝負は決まってるわけだね。なぜ日本刀だけで負けると解って戦争をやったか。僕はね、それはやっぱり彼らがインテリゲンチャだったからだと思う。インテリゲンチャというのは、そういうものなんだね。つまり計算して、こうだからやるというのは生活者の考え方なんだね。生活者の考えと、インテリゲンチャの考えはいつも違うんだ。あなたがどっちの立場に徹するかということは大問題だと思う。生活者に徹すれば、日本は価値のない国、戦争にも抵抗できないという生活者の知恵でみるだろうね。神風連の事件は、生活者にはできないもので、日本の近代インテリゲンチャの思想の源流なんです。あなたが芸術家であるか、生活者であるかという分かれ目にぶつかったときには、必ずその矛盾が出てくる。今のあなたの書いているものを読んで感じるのは、やっぱり片足はまだ生活者に突っ込んで、生活者の知恵と身体で体得したものを基礎にしているから、生活者のバイタリティと新鮮さがあると思う。あなたがもし、もう一つ芸術家の立場を完全にもたなければならないということになったら、生活者の知恵だけでは足りない何かが出てくる。そのときにはバカなことでも、絶対に敗北するとわかってる戦いでもやらなければならなくなってくる。

野坂 敗北すると解ってる戦争をこっちから仕掛けるかどうかわからないけど、雲の上からB29が焼夷弾を落としていたとき、僕はなぜ逃げなければならないかを考えた。僕は鉄砲一挺もってたら、ただ逃げ回るんじゃなくて、雲の上めがけて撃ったと思う。そして相手が三島さんだったら、どんなにこっちが未熟でも、棒きれをもってたち向かうと思う。負けるとわかってもやる。しかし敵は飛行機で、こっちは無一物で、つまり一方的に被害者の立場でしょう。こっちから仕掛けるなら別だけど、あの場合は逃げるしかなかった。ほんとに鉄砲でもあったら、岩かげにひそんで、B29のガソリン・タンクめがけて引金を引いたと思う。それがたとえ、どんなに実際上無意味な行為でもね。

三島 僕もあのときは高座の海軍の工場にいたけど、艦載機が飛んできて機銃掃射をやられて、こっちは何ももっていないしね、あの時代の恐怖感ていうものは、今も残ってる。残ってるから、抵抗したいという気持もある。淋しい話だね。



20240527 景文館書店刊 ジョルジュ・バタイユ著 酒井健訳「魔法使いの弟子」pp.29‐32より抜粋

景文館書店刊 ジョルジュ・バタイユ著 酒井健訳「魔法使いの弟子」pp.29‐32より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4907105053
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4907105051

神話は、芸術、学問、政治に満足することのできなかった人の意のままに今なおなっている。愛はそれだけで一つの世界を作りあげるのだが、この世界の周囲に対しては何も影響を与えずにいる。逆に、愛の体験のおかげで周囲の世界に対する明晰さと苦しみが増しさえする。つまり愛の体験のおかげで、腐敗した社会に触れて生じる不快感がどんどん高じていき、むなしい印象も疲れるほどに大きくなっていく。次々試練にあって心を打ち砕かれてしまった人に、唯一神話だけが、豊かな生を送り返す。人々が集う共同体へと広がっていく豊かな生をイメージしてこの人に送り返すのだ。唯一神話だけが、肉体にまで入って人々を結合させ、彼らに同じ期待を抱くように要求する。神話とは、どの踊りにもある、あの勢いのことだ。神話は実在をその〈沸騰店〉へ高める。悲劇的な情動によって、実存は自分の聖なる内奥に近づけるようになるのだが、神話はまさにそのような悲劇的な情動を実存に伝達する。というのも神話は、ただ単に、運命の神々しい形象であるばかりでなく、この形象が移される世界、つまり共同体のことでもあるのだから、神話は、共同体から切り離すことができない。神話は共同体の一部になっている。儀式の場において、共同体は神話の王国を所有ことになるのだ。民衆は祝祭の騒ぎのなかで神話への合意を表明し、その合意は神話を生の人間的現実にしている。だからこそ神話はただのフィクションとは違うのだ。神話はたしかに寓意ではある。しかし、もしも人が、この寓意を踊って根底から突き動かす民衆を目撃し、寓意がその民衆の生きた真実になっているのをまざまざと目にしたならば、この寓意をフィクションとは正反対の地点に位置づけるようになるはずだ。自分たちの神話を儀式においてとことん所有しようとしない共同体は、もはや暮れゆく生の真実した所有していない。逆に共同体が生き生きとしてくるのは、存在したいという共同体の意志が、その共同体の内奥の実存を形象化している神話のひとかたまりの偶然を活性化するとき、このときにほかならない。それゆえ、一個の神話は、ひとつの全体的存在が分裂してできたばらばらの諸断片と同じだとはどうにもみなせないのである。一個の神話は、総合的な実存と連帯している。一個の神話は、総合的な実存の感性的な表現なのだ。

 神話は、儀式の場で生きられると、真正の存在をはっきり開示するようになる。というのも、儀式として生きられた神話では、生が、ベッドの上で裸になった愛する女に劣らず恐ろしくもまた美しく現れるからである。聖なる場所の暗がりは実在の現存を抑えこんでいて、恋人たちが閉じこもる寝室よりももっと息苦しい。ただし、聖なる場所で認識に差し出されるものは、寝室の場合と同様に、実験室の学問とは無関係なのだ。人間の実存は、聖なる場所に案内されると、運命の形象に出会う。それは偶然の気まぐれによって固定化された形象だ。学問が定義する決定法則は、生を構成する幻想のこの遊びとは正反対のところに存在している。この遊びは、学問から遠ざかり、芸術の諸形象を生み出す錯乱と重なりあう。しかし、芸術は、人間を抑圧する真なる世界の優越性、究極的現実性を認めているのに対して、神話の方は人間の実存の中へ、ある力のようになって入っていく。力自身が王国となって、下位の現実に従属を求めている、そんあ力のようになって人間の実存の中へ入っていく。

2024年5月27日月曜日

20240526 今後2200記事まで到達出来た後のことについて

中華人民共和国が23日より台湾(中華民国)独立派の頼清徳新総統就任に対する圧力として、台湾海峡および台湾島東側の海域において台湾攻撃を想定した大規模な軍事演習を実施し、また、その演習区域から遠くないところに我が国固有の領土である与那国島があることを知り驚かされました。

そして、ほかの原因もあってか少し体調を崩してしまい数日間ブログ記事の作成を休止しました。以前述べた当面の目標では「今月中に2200記事到達を目指す。」としましたが、これは、さきのような体調不良があっても、どうにか達成可能であると思われるため、今しばらくは引続き記事作成を継続します。

しかし、実際に目標である2200記事に到達することが出来ましたら、またしばらくの間、記事作成を休止したいと考えています。しかし、それはしばらくの期間、記事作成を全くしないのではなく、具体的には、週一程度の作成頻度にて、しばらく継続したいと考えています。

一方、昨年10月のパレスチナのイスラム教原理主義組織ハマースによるイスラエル領土への越境奇襲攻撃を端緒としてはじまったパレスチナ・イスラエル戦争もまた、経過や背景をの理解が困難であり、それ以前からの第二次宇露戦争もほぼ同様あったことから、露軍の侵攻からここ2年ほどは、それら出来事の関連書籍を読むことが多かったと云えますが、後日、2200記事まで(どうにか)到達することが出来ましたら、そうした書籍の読書からしばらく離れて、また、スマホも書面も(出来るだけ)眺めない日をしばらく過ごしたいと考えています。

というのも、2022年の宇露戦争以来からのPCでの動画視聴や、スマホを日常的に用いるなかで、目が疲れたのか、書籍を読む際の文字への焦点が以前と比べて合いにくくなってしまい、ここ最近はそれが慢性化してしまったのではないかと思われます。そうしたこともあり、引用記事の作成も以前と比べて億劫に感じられたことは、我が事ながら少しショックでした。

おそらく、そうした身体的な要因があったり、あるいは重なることによっても、こうした活動への意欲が多少は削がれるとも思われますので、2200記事まで(どうにか)到達することが出来ましたらブログ記事の作成を休止し、あるいは書籍も我が国の古代史関連の著作をまた読んでみたいと考えています。

そういえば、以前にも当ブログにて述べたことではありますが、私は季節が夏に向かうと、どうしたわけか、我が国の古代史についての著作を読みたくなってくるようです。その傾向の淵源について考えてみますと、これもまた、以前に述べた南紀での生活にあると思われます。そもそも、私が古代史関連の著作を初めて購入したのは南紀への転勤以前の札幌市在住の頃であり、立ち読みから購入したまでは良かったのですが、その大半を理解することが出来ませんでした。しかし他方で当時、文系の師匠からの影響で、ポール・ケネディによる「大国の興亡」上下巻など、ある程度は「読み応え」がある著作を読み、内容もある程度は理解出来ていると自覚し始めた頃でしたので、そこでもまたショックを受けて、その著作は本箱の奥にしまわれて南紀への転勤を迎えることになりました。そこからは、これまで何度か述べている通りではありますが、しかし、そこで面白いと思われたことは、南紀での日常生活で、神域として囲われてはいるものの、目に着く処に開口して草生した横穴式石室の小円墳といったものがごく普通に存在していたことです。そこから「これは一体何だろう・・?」と思うようになり、また当時の仕事がホテルのフロント係ということもあり、それについての説明文なども読みましたが、それでもイマイチよく分からなかったため、関連する初心者向けの書籍などを何冊か購入して読み、部分的にはボンヤリと理解出来たと思われましたが、それでも、全体としてはよく分からないままで年が経過して、今度は東京への転勤となりました。

現在こうして思い返してみますと、この南紀在住の頃より本格的にテレビを視聴しなくなり、他方で、これまでに専攻したことのない分野の著作を日常生活での内発的な興味本位にて分からないままで書籍を読み続けたことが、意外と、その後に活きたのではないかと思われるのです。

とはいえ、現在でも我が国の古代史については、やはり知らないことの方が多いのでしょうが、それでも、南紀在住の晩春や初夏の頃、時にはスコールのような激しい雨音が外に聞こえる環境のなかで、古代史関連の著作を分からないなりに熱心に読んでいた時期(当時はインターネットで検索するといった習慣もまだ定着していませんでした。)があったからこそ、その後、大学院で自らの専攻として能動的に勉強することが出来たのではないかと思われるのです。そうした視座から考えますと、現在のよう暖かくなってきますと、私はその当時の理解出来た感覚を再び取り戻そうとして、その準備として、この分野への興味が再活性化するのではないかとも思われるのですが、私の場合については、やはり、その背景に南紀での生活があると考えます。そして、南紀あるいは紀州については、また別の機会にも述べてみたいです。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!

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ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

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2024年5月26日日曜日

20240525 中央公論新社刊 「自由の限界」世界の知性21人が問う国家と民主主義 中公新書ラクレ pp.97-99より抜粋

中央公論新社刊 「自由の限界」世界の知性21人が問う国家と民主主義 中公新書ラクレ pp.97-99より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4121507150
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121507150

世界は重苦しい傾向にある。社会は分裂し、かつ閉鎖的になってきた。そのことは、英国のEU離脱を決めた英国民投票を含む、各国の投票結果として表れている。だから、私は米大統領選でトランプ氏が勝つと予想した。この傾向は今後も続く。

 トランプ氏の勝利に失望する人々がいるが、トランプ氏は民主的に選出された。米国の民主主義は機能している。

 しかし「米国第一」を強調するトランプ氏は、開かれた社会や国際主義に対する脅威である。ナショナリズムの台頭という脅威だ。

 今日の世界は一九一〇年頃の世界と比較できる。当時も科学技術は進歩し、民主主義は機能し、グローバル化が進行していた。世界は民主的で満ち足りた発展を手にすることも可能だったはずだが、閉鎖的なナショナリズムの台頭が野蛮を生み落とした。二度の世界大戦だ。今日の世界も自らを閉ざそうとしているように見える。

 私の考える二〇一七年の最大の脅威は日米と中国の紛争だ。トランプ氏はロシアを友、中国を敵と見なしている。

 南シナ海で人工島を建設する中国の動き、核・ミサイル開発を強行し続ける北朝鮮の動きなどを加算すると、アジアは爆発寸前の状況にある。東シナ海と南シナ海で起こりうる全てのことが心配だ。大きな危険がそこにある。もし将来、日米と中国が戦争に至る事態になれば、世界戦争に拡大するだろう。そうならないように私たちは今、脅威の存在をしっかりと知っておく必要がある。

 軍事的な火種はこの他に五つ。ロシア対ウクライナなどの旧ソ連領、インド対パキスタン、中東、アフリカ中央部、そしてイスラム過激派組織「イスラム国」。「イスラム国」はイラクで支配地域を失うかもしれないが、リビアなど別の国で新たなる支配地域を得るに違いない。

 そして更なるテロが起きる。並外れた数の難民・移民が発生する。世界は緊張をはらみ、不安定になる。

 だが「世界の警察官」はいない。米国はオバマ政権時代にその役回りから降りている。「アラブの春」の後に軍事クーデターの起きたエジプトに介入せず、化学兵器を自国民を使用したシリアのアサド政権をたたかなかった。米国は既に世界から手を引きつつあるのだ。私は二〇〇六年に米国が撤退する世界に警鐘を鳴らしたが、現実のものになりつつある。

2024年5月21日火曜日

20240520 混迷する国内外の情勢と未来への不安

2020年初頭から本格的に感染拡大が始まった新型コロナウィルス感染症に始まり、2022年2月からの第二次宇露戦争、そして翌23年10月にイスラム教原理主義組織ハマースによる奇襲攻撃を契機として勃発したパレスチナ・イスラエル戦争は、なおも収束することなく今なお続いています。くわえて、その期間の世界各地では、クーデターによる政権の転覆、あるいは内戦状態の継続、元首の暗殺(未遂も)そして地震、台風などの天災などが相次ぎ、それ以前と比べて世界情勢が不安定化してきていると云えます。

そして、この世界情勢から、普段、そうしたことに(そこまで)強い興味・関心を抱かなかった私をも注視せざるを得なくなり、また、皮肉なことであるのか、情報収集のために視聴していた海外報道動画から英語を学ぶ機会にもなりました。正直なところ、当初、私も「そこまで長い期間(1年以上)戦争は続かなないだろう」とタカを括っていましたが、東欧での戦争は既に2年以上が経過し、侵攻以来、世界情勢はさらに不安定化して、既存の国際秩序に対する挑戦とも見受けられる出来事も世界各地で頻発していると云えます。そこから、わずか3年ほど未来の世界も、それがどのような様相になっているのかを予測することは困難と云えますし、また、その予測され得る未来には、我が国にとって嬉しくない出来事も含まれますので、なおのこと未来について考えることが躊躇されます・・。

そうしたことから、たしかに昨今の世界情勢は、おそらく、私がもの心がついてから、もっとも厳しい状況にあると云え、さらに国内においても政界、財界、マスコミ、芸能界などでの不祥事が明るみになり、それらに対する信頼が大きく揺らぎ、そして、それが以前のように戻ることは相当困難であろうと思われます。

そして、さきの厳しい世界情勢よりも、新型コロナ禍以来、国内で明らかになった不祥事による混乱の方が、自らの日常感覚とも接点があるように思われ、あるいは、それらの多くは、以前から燻っていたものでもあり、ここに来て、火薬庫での火事のように次々と誘爆を起こしているといった観があります。

今後、それらがどのようなカタチで収束して、さらに新たな価値観が形成されていくのかは、興味深いところではあるのですが、しかしながら、世界情勢は前述のとおりであるため、様相としては「鬼の居る間の洗濯」であるように思われます。そして、こうした状況を我が国の歴史を遡り検討してみますと、近いところで、19世紀半ば過ぎからの幕末期が似ているのではないかと思われるのです・・。

とはいえ、幕末期では幸運なことに、日本以外の地域にて欧米列強間の植民地獲得などをめぐる紛争があり、あるいは国内で市民戦争があったりと、我が国のみに列強の武力が集中することはなかったため、外国からの大きな干渉を受けずに、何度か国際的な危機もあったものの政治体制を明治新政府にリフォームすることが出来て、どうにか近代国家として進むことが出来たのではないかと思われます。

その意味では、現在の方が危機としては深刻であると思われます。悲観的な見方をしますと、これから先、2030年に至るまでに、外国からの攻撃により、太平洋戦争以来の規模での人的被害が我が国になければ、それはかなり大きな僥倖と云えるのではないかと思われます。

と悲観的なことを書いてしまいましたが、これが杞憂であればと強く願います。また、それに加えて、こうした、いわば内憂外患の時期であるからこそ、次の時代フェーズにて我が国が実力を示し、出来るだけ良い国際的地位に立つためにも、教育、特に高等教育に注力することが、とても大事であるのではないかと考えます。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!
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ISBN978-4-263-46420-5

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2024年5月19日日曜日

20240519 株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田 裕之訳「21 Lessons ; 21世紀の人類のための21の思考」 pp.37-39より抜粋

株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田 裕之訳「21 Lessons ; 21世紀の人類のための21の思考」
pp.37-39より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4309467458
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4309467450

ロシアは自由民主主義の代替モデルを現に提示しているが、このモデルは首尾一貫した政治的イデオロギーではない。むしろそれは、少数の寡頭制支配者が国の富と権力の大半を独占し、それからマスメディアを統制して自らの活動を隠し、支配を強固にする政治的慣行だ。民主主義は、「すべての人を一時、一部の人をつねに騙すことはできるが、すべての人をつねに騙すことはできない」というエイブラハム・リンカーンの原理に基づいている。もし政府が腐敗していて、人々の生活を向上させられなければ、いずれ多くの国民がそれに気づいて、政権を交代させる。だが政府がマスメディアを統制すれば、リンカーンの論理を崩れる。国民が真実に気づけなくなるからだ。寡頭制政権はマスメディアの独占を通して、失態をすべて他者のせいにすることを繰り返し、外部の脅威(それが実在のものであれ架空のものであれ)へと注意を逸らすことができる。

 そのような寡頭制の下で暮らしていると、医療や汚染といった退屈な事柄に優先する、何かしらの危機が絶えず存在するかのように思いこまされる。国家が外部からの侵略や極悪非道な破壊活動に直面していたら、病院の混雑や河川の汚染を気に病む暇がある人などいるだろうか?腐敗した寡頭制政権は、次から次へと危機をでっち上げ、いつまでも支配を続けることができる。

 もっとも、この寡頭性モデルは実際に耐久性があるとはいえ、それに魅力を感じる人はいない。自らのビジョンを誇らしげに詳しく語る他のイデオロギーとは違い、寡頭制の支配者たちは自らの慣行を誇りに思っておらず、他のイデオロギーを隠れ蓑に使う傾向がある。たとえば、ロシアは民主主義国家を装い、指導部は寡頭制ではなくロシアのナショナリズムと東方正教会の価値観への忠誠を公言する。フランスとイギリスの右翼の過激派は、ロシアの支援を仰いでプーチンを礼賛してもおかしくないが、彼らを支持する有権者でさえ、実際にロシアのモデルをコピーしたような国には住みたくないだろうー腐敗が蔓延し、各種のサービスは機能せず、法の支配は絵空事で、信じられないほど不平等な国には。見方によっては、ロシアは世界でも指折りの不平等な国で、富の八七パーセントが一〇パーセントの富裕層の手に集中しているという。フランスの右派の政党「国民連合」を支持する労働者階級の人々のどれだけが、この富の分布のパターンを自国で真似たいと望むだろう?

 人間は足を使って投票する。私は世界を旅して回る間に多くの国で、アメリカやドイツ、カナダ、オーストラリアに移住したいという、おびただしい数の人に出会ってきた。中国や日本に移り住みたいという人も何人かいた。だが、ロシアへの移民を夢見ている人には、まだ一人も会ったためしがない。


20240518 株式会社国書刊行会刊 井上文則著「天を相手にする: 評伝 宮崎市定」pp.125-128より抜粋

株式会社国書刊行会刊 井上文則著「天を相手にする: 評伝 宮崎市定」pp.125-128より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4336062765
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4336062765

昭和七年一月十八日、前年に起こった満州事変を受けて、反日感情が広まる中、上海において日蓮宗の僧侶が中国人に襲われて死傷する事件が起こり、これがきっかけとなり、二十八日には日中両軍は武力衝突に至った。これが第一次上海事変である。現地駐留の日本軍は苦戦したため、二月二日に犬養内閣は、第九師団と混成第二十四旅団を派兵したが、これらの部隊も苦戦した。そのため、犬養内閣はさらに二月二十三日に第十一師団と第十四師団を増派することに決めた。そして、この十四師団こそ宮崎の属する宇都宮師団に他ならなかった。

 増派の決定がなされた翌二十四日に、宮崎には電報で召集がかかった。軍服をはじめ軍装一式の準備がなかった宮崎は、その日のうちに急ぎ調達に京都市内南部の伏見に行った。翌二十五日の早朝には、父市蔵が召集令状をもって京都に来た。宮崎は、同日午後一時には京都を出立。まだ満一歳にならない娘を残しての出征である。東京の上野駅では、飯島忠夫と、その女婿窪田潔夫妻が宮崎を見送った。

 宮崎は、深夜十二時ごろに宇都宮に着いた。雪が降っていた。翌朝、二尺ほど積もった雪の中を輜重大隊の兵営に出勤し、馬廠長に任じられた。馬廠とは、軍馬の管理をするところである。しかし、実際には、時代は既に自動車の時代となっており、物資を輸送する馬はなく、将校用の馬しかなかった。馬廠には六十名の隊員がおり、宮崎はその指揮官になった。六十名の隊員は、「多く群馬、栃木、長野県下の農民が始めて狩り出された者で、素朴で忍耐強い。この部隊を率いてなら、一戦争戦えそうという頼母しさがあった」。なお、輜重大隊は、五個中隊と馬廠からなっており、中隊は人員百二十名で、馬廠の倍であったが、馬廠は中隊と同格に扱われ、馬廠長は幹部会議に中隊長と共に出席することになっていた。三月六日、十四師団は盛大な市民の見送りの中、宇都宮を出立した。

 八日、京都駅を通過、ここで宮崎は、同僚や三高生の見送りを受けた。京大の羽田亨、矢野仁一も来ていた。この時、前章で述べたように羽田は、小川琢治から軍刀を借りて来て宮崎に手渡した。これは市上に軍刀が払底して手に入らなかったためである。小川は、古刀剣の研究でも有名で、宮崎に貸し与えられた軍刀も宗正の銘を持つ備前刀の名刀であった。軍刀には、「従軍行 送宮崎文学士応召従軍」と題する次のような漢詩も添えられていた。

江南飛雪未催春 江南雪を飛して未だ春を催さず

浪雑鼓声圧滬浜 浪は鼓声を雑えて滬浜を圧す

投筆従軍吾老矣 筆を投じて軍に従うには吾老いたり

羨君徇国我忘身 羨む君が国に徇いて身を忘れんと欲するを

なお、小川の次男は中国古代史の貝塚茂樹、三男はあのノーベル賞をとった湯川秀樹である。三高生のひとりとして、この場にいた青山光二は、この時の様子を次のように記録している。「確か昭和七年、私が三年生のとき、宮崎教授に召集令状がきた。第一次上海事変が始まった年てあり、満州事変は前年九月すでに火蓋を切っていた。宮崎教授が現役訓練をうけた陸軍将校であるのを私たちは知らなかった。というより、知って意外に思った。まったくの学者肌で、陸軍軍人といった風格はどこにもなかったからである。
 誰が云いだしたのか、宮崎教授が原隊へ向けて出発される日、生徒一同が京都駅に集まって歓送しようということになった。

 当日、京都駅ホームは、手に手に赤い旗を持った三百人を越える三高生で文字通り埋まった。赤い旗は応援団の備品で、夏の対一高戦のとき全校生による応援団が用いたもの。野球やボートレースの応援に、一高は白、三高は赤の幟や応援旗をそろえて威勢を張った。
「宮崎教授、ばんざい」
の声が、駅のホームをどよもし、下り列車のブリッジに立った軍装の宮崎教授は、挙手の礼を返している。
 宮崎教授、当時三十一歳。陸軍尉官の軍服に革長靴、革のベルトに軍刀を吊った姿はいかにも凛々しいが、平素おとなしすぎて、どことなくジジムサイ感じさえする風貌が、凛々しい軍装で一変するというわけには行かず、むしろ軍装がイタにつかぬおもむきさえ見てとれるのが気の毒、というより、こういう人物が戦場へ引っ張りだす国家というものが、そのとき理不尽に思えてならなかった。
’’紅萌ゆる’’を合唱する声が起こっている。召集されて戦場へおもむく教授の、たしか第一号ということもあったかもしれないが、やはり、学生のあいだで宮崎教授は人気があったのだろう。京都駅に三百人もの生徒が集まって見送るというのは、かなり異常なことだった。レジスタンスというほどの気分はなかったが、集まった学生のあいだに、
ー宮崎さん、むだ死にせずに、生きて帰ってきてください。
という、声にならない声がわだかまっていたのは、たぶん事実だった。そんなことを宮崎教授にじっさいに云った学生もいたような気がする。
発車のベルが鳴り、学生たちは旗を振って、’’紅萌ゆる’’を合唱していた。

2024年5月17日金曜日

20240516 株式会社筑摩書房刊 アレクシス・ド トクヴィル 著 小山 勉 訳「旧体制と大革命」pp.231-232より抜粋

株式会社筑摩書房刊 アレクシス・ド トクヴィル 著 小山 勉 訳「旧体制と大革命」pp.231-232より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4480083960
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480083968

人間を差別し、階級の区別を強調する方法はいろいろあるが、税の不平等はその最たるものである。それはきわめて有害なうえ、階級間の乖離を生み出し、この不平等と乖離をともに、いわば治癒不能にしかねないからだ。税の不平等がもたらす結果を見れば、その理由がわかるだろう。ブルジョアと田舎貴族とが、もはや同じ税を払う義務がないとすれば、課税基準と徴税こそが、年ごとに階級の差を鮮明に浮かび上がらせることになるだろう。特権者ならだれでも、民衆と混同されないほうが実際大いに得策だと考えて、ひとり孤立するために新たな努力を惜しまない。

 公共の問題は、ほとんどが税に始まり税に終るものばかりだから、ブルジョアと田舎貴族の納税義務が平等でなければ、両階級が一緒に審議をしたり、共通の要求や意識をもつ理由はもはやない。いわば行動をともにする契機も意図もなくなったなら、両階級をわざわざ分離しておく必要もない。

 バークは、フランスの古い制度を実際よりも美しく描写してみせた。彼はそのなかで、わが国の貴族制度に好意を抱きつつ、ブルジョアたちはある官職を取得することによって容易に爵位を得ることができる、と主張している。彼には、それがイギリスの開かれたアリストクラシー(上流階級)と類似の現象と思われたようである。確かにルイ十一世は。授爵を増加した。これは、貴族の地位を低下させる措置だった。その後の歴代国王も、金を得るために惜しみなく爵位を与えた。ネッケルによれば、当時貴族の爵位を得るための官職の数は四〇〇〇にも達していた、という。これは、ヨーロッパのどの国にも見られない事態だった。バークが指摘したフランスとイギリスの類似点は、むしろ誤解に基づくものにほかならなかった。


以下Geminiによって生成された要旨になります。

税の不平等は、階級間の関係を悪化させ、階級を分断・乖離させる要因となる。

  • ブルジョアと田舎貴族が異なる税率を負担すると、課税基準と徴税が階級差を明確化し、特権階級が民衆と混同されるのを避けるようになる。
  • 公共問題は税金に関連していることが多いが、両階級の納税義務が平等でない場合、共通の利益や意識を持つことができなくなり、協力する必要性がなくなる。

バークは、フランスの貴族制度がイギリスの上流階級に似ていると誤解していた。

  • フランスでは、ルイ十一世以降の王が金儲けのために爵位を乱発し、貴族の地位を低下させた。
  • イギリスでは、ブルジョアは官職を取得することで爵位を得ることができたが、フランスとは異なり、貴族の地位を低下させるものではなかった。


2024年5月15日水曜日

20240514 株式会社 河出書房新社 三島由紀夫著 対談集「源泉の感情」 pp.163‐165より抜粋

株式会社 河出書房新社 三島由紀夫著 対談集「源泉の感情」
pp.163‐165より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4309407811
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4309407814

三島 それで僕はね、こないだ自衛隊なんかにも行って軍人によく言ったんだよ。「きみたちいまのうちにうんと一流の芸術を読んでおくれ。どれが一流で、どれが三流かということをよく読んでおいてくれ。いまだに吉川英治を一流の文学と思っているようじゃだめだぞ。

 それできみらはね、僕らはきみらの将来におそれているけど、もしきみらが権力を持って、言論統制なんか始める時代がきてみろ。君らのまわりに集まってくるのは二流か三流の文士で、自分の原稿を載せてくれなかった総合雑誌をつぶして、自分をいい気な顔して見下していた流行作家を密告してやる。あいつは女のおっぱいの話を書いたから、あの本は出しちゃいかんぞ、というように密告して歩く。きみたちが判断がつかなきゃ、そういうやつの言うことをほんとだと思うだろう。おんなじばかなことを繰り返すんだよ。僕は、きみたちが、あの時代と同じにバカだと思わないけど、いまのうちに目をみがいておいてくれなきゃしょうがないじゃないか。そして一流のものだけ残して、二流から五流のものはきみたちがたたきつぶせばいいんだ」そこは言い過ぎ(笑)。

福田 いや、そのくらい言い過ぎた方がいいよ。文武両道というのは、日本の何か美徳のように言ってたけどね、これは少なくとも明治以後は離れる一方だね。

三島 これがどうしてもくっつかなきゃいけないんですよ。絶対くっつかなきゃいけない。つまり全然原理の違うものというのを見ないで、くっつけようとするでしょう。それは政治と芸術論、政治と文学論の左翼の連中の一番甘いとこ。くっつけようとする。くっつけないために両方持ってなきゃいかん。両方の原理を自分がしっかり握っていなくてはいけないと思いますね。武の原理って危険ですからね。そのために死ぬことだってあるかもわからない。文のために死ぬことはあまりないけれども、武のほうはそのためにいつか死ぬか解らないんだ。それでも両方持っていなきゃいけない。僕は絶対そう思うね。

福田 だけど、ある意味で言うと、明治以後もそうだけれども、日本というのは、平和・安定の時代に入るとね、どうしても離れるという傾向があるんだな。

三島 あるね。元禄時代もそうだ。

福田 平安時代もそうでしょう。だからそれはある意味で、明治以後の近代化、西洋化によって起った現象だけじゃなくてね、日本はもともとそういう要素があるんだよ。ところが、昔はそれでいいですよ。いまは夷狄とつき合っているんでしょう。西洋人みたいな。それなのに、日本の文化は、ことにそういうふうに文武を分けて育てたもろさを持っていますから、なおのこと武を片手に持たなきゃだめだということを感ずるんだよ。

三島 全く同感だ。ソヴィエトがこのくらい理解してくれていると思わなかった(笑)。

福田 あんた中共じゃないんですか(笑)。これは日ソ会談じゃなくて、中ソ会談らしいぞ。

三島 やっぱり話し合いは必要だ。だけど、文武両道なんということは、いまの一般インテリに言うと、フフンてなもんだね。

福田 そうだね。

三島 あの中にどういう原理が入っているか、ああいう考えの中にどういう現代の知識人の根本的な問題が入っているかということは、みんな本当に考えていないと僕は思うな。

福田 いま三島さんが自衛隊の人に説いたのとおなじことを、やっぱりいまの政治家や官僚にも説きたいよ。

2024年5月14日火曜日

20240513 記憶の索引になるものについて:南紀での生活から

昨日の投稿記事で述べたように、これまで102記事作成して、現在、休止中である【架空の話】の続編を作成したいと考えていますが、それと同時に当ブログ作成の一つの大きな契機となった「南紀での在住」についても述べたいと考えていますので、今回は「南紀での在住」について述べます。

これまで、南紀について扱った記事は比較的多く、記事文中に「南紀」という言葉が含まれる記事は100以上はあると思われます。そのため「まだ書くことがあるのか?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、こうしたことは面白いもので記事を作成していますと、またどこからか、その当時の新たな記憶が想起されてくるのです。

しかし、そうした記憶は毎回の記事作成時に想起されるわけではなく少なからず、重複した記憶に基づいて作成したものもあります。とはいえ、たとえ重複した記憶に基づいていても、そこで記憶を文章化して、ある程度明瞭にしておかないと、それと関連するものとして、新たな記憶もまた想起され難くなるものと考えます。

そのために性懲りもなく、また新たにブログ記事を作成しているのですが、そのネタ探しとして、既投稿のブログ記事を読み、そこからブログ記事の題材となる新たな記憶が想起されるということも度々あります。そうしたことから、当ブログが自らの記憶の索引のような役割を果たしているとも云えます。

あるいは換言しますと、これは自らの記憶を外部化または即自的なままの記憶を対自化する作業であるとも云えます。そして、そうした行為を(どうにかであれ)9年近く継続していますと、それを行う私の内面にも何らかの変化が生じるのではないかとも思われ、また、そうした変化とは、遅々とした漸進的なものであるためなのか、かねてより関心は持っているものの、それを実感することは、以前にも述べた通り、ありません・・。

さて、話を南紀に戻しますと、私は千葉県市川市の出身ではあるのですが、転勤により南紀に赴任するまでは北海道に2年間在住して、また、それ以前は、千葉県市川市と都内とを往復する生活を送っていました。つまり、まがりなりにも首都圏文化の中で生まれ育ったと云うことは出来ます。そして、首都圏の在住の方の多くがそうであるように、首都圏の文化全般が最も優れたものであることを疑うことはありませんでした。

そうした価値観での南紀への転勤は、当初、それなりに落ち込むものでしたが、転勤しますと4月の南紀の自然の薫りが濃厚な大気の中で徐々に感覚が変化して、当地の歴史文化や自然風土などに能動的な興味を抱くようになったのですが、この興味の深化の過程においては書籍などの活字媒体が重要になると思われるのです。

つまり、ある地域に住み、当地の歴史文化や自然風土に興味を持ったとしても、当初からヒアリングなどにより知見を蓄積することは困難であり、まず最初に地域についての文脈・コンテクストを感覚的なものとして理解する必要があると考えます。そして、その際に重要であるのが、さきに述べた関連する書籍を読み、自分なりの認識や理解をある程度明晰化することです。そして、その先に、さきに述べたヒアリングなどの活動などがはじめて意味を持ち得るのだと考えます。

その点について考えてみますと、私は最初の赴任地であった北海道札幌市では、初めての社会人経験であるため余裕がなかったのか、地域の歴史文化などを扱った著作を読むことはありませんでした。ともあれ、そうした経験を2年間経て南紀白浜に転勤しますと、先ずは、その南方的とも云える横溢な自然環境に圧倒されました。当初は、以前にも述べたように、自然の薫りが濃厚な大気や雨の降り方などから「ここは本当に日本なのか?」と感じることも多々ありましたが、次第に、この南紀は、都市圏から離れいくらか鄙びてはいるものの、遺跡や古い言い伝えやそれを示す碑などが少なからずあり、またそれらは首都圏でのさまざまな史跡・遺構などとはどうも趣が異なるのです。南紀のそれらの多くからは、何といいますか、その存在から主張が感じられるのです・・。

そして、そうした主張があると思われることから関連書籍を入手しようと思うに至るわけですが、ここで私が幸運であったのは、当時、アマゾンのサービスが一般的になっていたことです。もちろん、北に隣接する田辺市には当時、比較的大きな書店がいくつかあり、しばしば書籍も購入させて頂きましたが、当時刊行されたばかりであったロバート・グレーヴスによる「この私、クラウディウス」はアマゾンを通じて購入して、合川ダムへの釣行の際に持参して、一人レンタルボートの上で釣りをしつつ読み、また読みつつ釣りをしていたことが想起されます。

また、この合川ダムへの釣行の際には、釣った魚(ブラック・バス)を記録するために、これまた当時一般化しつつあったデジカメを購入、持参していましたが、しばしば魚でなく風景なども撮影することもあり、そこで撮影した風景画像を当時定期購読していた日本版「ナショナル ジオグラフィック」誌のデジカメ写真コンテストに応募して、どうしたわけか佳作として入選しました。そして、それと同時期に還暦近くであった伯父に博士号が授与されました。その祝賀会のために帰郷しましたが、当時は、その11年後に自分が分野こそ違え、同じ学位を取得することになるとは全く考えていませんでした。

しかし同時に、漠然とながら、大学院に進学したいとは考えていましたので、何と云いますか、そうした「夢」とは、実現に向けて実際に動き出してみますと、徐々にそこに至るまでに要する経路が明瞭になってくるといった性質があるように思われます。

ともあれ、南紀についてはまだ書きたいことがありますので、また別の機会に書いてみたいと思います。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!
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ISBN978-4-263-46420-5

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2024年5月13日月曜日

20240512 【架空の話】再開のための準備・整理

先日の鹿児島訪問から本日まで、当ブログが読まれているのか、あるいは単なる偶然であるのか不明ですが、複数の方との会話にて、現在休止中の「架空の話」を想起させる話題になりました。また、私としても「架空の話」の続編は作成したいと考えていましたので、タイミングも良いと考え、今回の投稿記事は「架空の話」再開のための準備に充てます。

これまで「架空の話」は102話まで作成しましたが、現在考えてみますと、われながら、よく100記事以上も作成出来たと思われます。しかし、それらの主たる作成期間は、新型コロナウィルスが流行して、緊急事態宣言などにより、外出もままならない時期に作成していたことが思い出されます。

そのため、一連の「架空の話」は、新型コロナ禍の所産であったとも云えます。また現時点にて「同じものを作成出来るのか?」と問われますと、それは困難であろうと思われます。つまり、新型コロナ禍のために制約された日常であったからこそ「架空の話」は作成出来たのだと云えます。そこから、たしかに、ある種の文章作成のためには、たとえ半ば強制ではあっても、自らを閉じ込めることは有効であると考えられます。しかしまた同時に「架空の話」の続きを作成するためには、また閉じ込めることが有効であるのかと考えてみますと、それは感覚的ではあるのですが、違うと思われます。それよりも、現在の102記事まで作成したハナシの経緯と現在の状況を再確認して認識することの方が重要であるように思われます。

そこで、今後の「架空の話」のスムーズな再開のためにも最新である「其の102」での内容および背景を要約しますと、これは、以前からの「東京訪問篇」の流れであり、K医療専門職大学の口腔保健工学科の実務家教員の選定のため、K大学歯学部歯科生体材料学研究室のS主任教授からの指示により、E先生(K医専大口腔保健工学科助教)と主人公(博士課程院生)が東京に赴き、彼の地で著名と聞く開業歯科医師CH先生が運営する歯科医院を訪問して、その規模、設備等に半ば圧倒され、さらに、同日夕刻過ぎからの理工学分野研究者との共同研究打合せにも同席することになり、その宴席の場面にて話が終わっていました。

その後の展開としては、Kに帰り、S教授に「CH先生が当学科の実務家教員として適任」との報告を行い、次にS教授が研究室で同意を得てから、E先生がCH先生に連絡をしてS教授との面談のための日程調整を行い、それと並行して、医専大の事務サイドにも実務家教員選定の進捗状況および、さきの展開の見込みについての報告を行い、次の動きに備え、そしてS教授が動き出す(東京訪問)といった流れになる予定です。

そういえば、これまた不思議なことに、さきの「実務家教員」について、ここ最近、複数分野の研究者の方との、それぞれ異なった場面での会話にて話題になりました。そして、それら会話から「実務家教員」は、当然ではあるのかもしれませんが、学部、学科によって、その定義や、その具体像が異なるように思われました。

医学・歯学分野においては、他の研究分野と比較してみますと、大学から個人運営の医療機関などに出て、そして、そこからまた研究機関や大学に勤務するといったことが普通にあり、そこから、比較的ルートが柔軟・多様と云えることから、その分野での「実務家教員」となるための基準は、正式には無いようでありながら、通常の教員に求められる基準に準じるものとすれば、内外に対して特に問題はないものと考えられるのですが、それについては実際の続編にて述べていきたいと思います。

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2024年5月12日日曜日

20240511 株式会社文藝春秋刊 山本七平著 山本七平ライブラリー⑦「ある異常体験者の偏見」pp.182-184より抜粋

株式会社文藝春秋刊 山本七平著 山本七平ライブラリー⑦「ある異常体験者の偏見」pp.182-184より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4163646701
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4163646701

占領下の言論統制やプレスコードの実態は不思議なほど一般に知られていない。マスコミ関係者がこの問題をとりあげると、必ず、例外的な犠牲者を表面に立て、自分はその陰にかくれて、自分たちは被害者であったという顔をする。それは虚偽である。本当の被害者は、弾圧されてつぶされた者である。存続し営業し、かつ宣撫班の役割を演じたのみならず、それによって逆に事業を拡張した者は、軍部と結託した戦時利得者でありかつ戦後利得者であって、「虚報」戦意高揚記事という恐るべき害悪をまき散らし、語ることによって隠蔽するという言葉の機能を百パーセント駆使して「戦争の実態」を隠蔽し、正しい情報は何一つ提供せず、国民にすべてを誤認させたという点では、軍部と同様の、また時にはそれ以上の加害者である。占領下の言論統制やプレスコードという問題になると、この点の究明は避けるわけにはいかないが、細かい点は別の機会に譲るとして、多くの出版人が言うように「プレスコードのしめつけは東条時代よりひどかった」のは事実だろう。

 この点、内務省や軍部の統制には、表むきは実にきつく、つまらぬことまでうるさく干渉するくせに、どこか幼稚なところがあった。「**は***である」で本が出せた時代などは、ソビエトや中国の言論統制と比較すれば、幼稚を通り越した間抜けであろう。戦時中は非常にきびしくなったとはいえ、やはり、こういった間抜けがあった。戦前の伝説的ベストセラー「小島の春」の出版社社主、故長崎次郎氏からは、いろいろな教えをうけたが、以上の点で非常に面白い話をきいた。戦争中「小島の春」は実質的には発禁であった。再版したくても紙を配給してくれないので出版できない。今この本を読んでも、軍部がなぜこの本を発禁にしたか、だれにも理解できないであろう。どこを探しても軍部批判も戦争非難もあるわけではない。従って一種の感情的な「毛嫌い」とでもいう以外にないが、当時日赤の名誉総裁であった貞明皇后がこの本の愛読者で、「何とか再版できぬか」といろいろ骨を折られたが、それでも軍部が頑として拒否し、紙を配給せず、従ってどうしても再版できない。軍部にも戦争にも直接には何の関係もない愛生園の一ルポにも、これほど神経質なのだから、当時のマスコミが、軍部の一顰一笑にまで神経質に迎合しただけでなく、その結論をわれ勝ちに先取りして競争して掲載したとしても不思議ではない。しかしこれだけ統制しながら、抜けた点もある。というのは、「小島の春」は少部数だが再版できたのである。これは一つの美談であろう。しかしその背後にあるものは、軍部に迎合すれば多量の紙を配給されて大出版社たり得、軍部ににらまれれば紙の配給をとめられて実質的に廃業に追いこまれて行くという当時の実態である。

 マックの統制はこれとは型が違ったらしい。神経症的な毛嫌いはなく、かつ、枠は一見大きいように見えたが、占領政策に障害ありと認めたものは、即座に出版を停止させ、抜け道は一切なかった。「野呂栄太郎全集」の中断は、それが理由だときいた。たかだか二千部三千部という、部数という面から見ればほとんど影響はあるまいと思われるものにまで直接的統制が及んだということは、新聞、放送は徹底的に統制されていた証拠といえるであろう。そしてこの、日本的な抜け道がないということが、「東条時代よりきつい」という印象の原因といえるであろう。そしてこの、日本的な抜け道がないということが、「東条時代よりきつい」という印象の原因であろうと思う。事実マックは、「私信」すら遠慮なく組織的に開封して点検した。こういうことは、戦争中の軍部も行わなかったし、日本軍の占領地でも全く行われなかったそうである。ほかの多くの例は除くが、あらゆる点から見てマックの言論統制が戦争中より徹底したものであるという古い出版人の意見は、妥当性があると私は思っている。ただ彼は軍部よりはるかに巧みであって、一般の人びとにはほとんどそれを感じさせず、「言論」が自由になったような錯覚を、統制した新聞を通じて、人びとに与えていたのである。そして今でも人びとは、この錯覚を抱きつづけている。民主主義と軍政の併存(?)は、実は、この錯覚の上に成り立った蜃気楼にすぎない。

 プレスコードによって情報源を統制してしまえば、あとは放っておいて「自由」に議論させればよい。そしてその議論を誘導して宣撫工作を進めればよいわけである。この点日本の新聞はすでに長い間実質的には「大日本帝国陸海軍・内地宣撫班」(と兵士たちは呼んだ)として、毛沢東が期待したような民衆の反戦蜂起を一度も起させなかったという立派な実績をもっており、宣撫能力はすでに実証ずみであった。これさえマック宣撫班に改編しておけば、占領軍に対する抵抗運動など起こるはずはない、と彼は信じていた。これは私の想像ではない。私にはっきりそう明言した米軍将校がいる。そしてそれはまさに、その通りになった。「史上最も成功した占領政策」という言葉は、非常な皮肉であり、同時にそれは、その体制がマックが来る以前から日本になり、彼はそれにうまくのっかったことを示している。そしてこれは戦争中の軍部の位置をマックに置いてみれば明らかであろう。

2024年5月10日金曜日

20240509 実感される内面の変化への欲求から:ブログ記事作成と動画視聴と読書

おかげさまで、直近投稿の訪問記からのスピン・アウト記事も投稿後3日としては、比較的多くの方々に読んで頂けました。これを読んでくださった皆さま、どうもありがとうございます。

こちらの記事で述べた「環境の変化による内面の変化」は、以前より興味を持っていたことであり、当ブログ初期の2015~17年の頃にも、何度か記事題材としていたことが思い出されました。

そして、こうして書いていますと、これまた以前に当ブログにて述べたことではあるのですが、複数ある私の興味の対象の循環のようなものが感じられるのです。これは季節によるものであるのか分かりませんが、どうにか9年近くブログ記事の作成を継続していますと、そのようなこと(自らの興味の循環)が時折、感じられるようになるようです。

くわえて、去る2022年2月に勃発した第二次宇露戦争から、情勢の推移を知るため、いくつかの海外報道機関による動画を視聴する習慣が身に着きましたが、これは、以前のホテル勤務時代での外国人宿泊客への接客応対から、文系大学院修士課程での英語科目の講義や留学生の方々とのやりとり、そして歯系博士課程院生での論文読解や作成、海外学会での口頭発表や質疑応答といった経験により「基礎」のようなものがあったためか、しばらく継続していますと、また徐々に、いくらかは聞き取れるようになってきたように感じられます。

そして、去る2023年3月にドイツ・ケルンにて開催の国際デンタル・ショー(IDS2023)への特派員としての参加の際にも、これらの経験はいくらかは役立ったと云えます。

さて、上記のように、ブログ記事の作成と、海外報道機関による動画視聴の継続を並べてみましたが、前者と同様、後者の動画視聴においても、興味の循環はあるとは思われるのですが、他方で、2022年2月以降からは特に、新たなものとして、海外報道機関の動画を視聴することは多くなりました。

しかし、実際のところ、こうした動画を視聴しなくとも日常生活には大きな支障はないと思われますが、これを継続していますと、地上波であれ、動画サイトであれ、国内の報道番組を視聴すること自体が有意に少なくなりました。

そうしますと、それに伴って自らの興味もまた変化するようであり、そこから「日常生活には大きな影響はない」とさきに述べましたが、それは、ある程度の期間、継続することにより、徐々に内面での有意な変化が生じ、そこから、さらに大きな変化へと進展するのではないかとも思われるのです。

そして、そのように考えてみますと、前述のブログ記事作成の継続もまた、同様の経緯を辿ってもおかしくなく、9年近く継続しているのであれば、実感出来るような変化が多少はあっても良いのではないかとも思われるのですが、これまでに何度か述べましたが、そうした変化の実感といったものは皆無なのです・・。それでも「どうにか」ではあれ、継続していることは事実ですので、あるいは、遠からぬうちに、そのように実感されるような変化が生じるのかもしれません・・。

そういえば、トクヴィル著の「旧体制と大革命」は、その後も読み進めており、6割方は読みましたが、そこにはやはり、以前にも述べた「トクヴィル節」のようなものがあり、また、記載の考えや見解は現代においても適用可能なものも少なからずあるように思われます。

そこから、トクヴィルについて思い返してみますと、興味を持ったきっかけは、さきに述べた後者の動画視聴にありました。そうしますと、動画の視聴は、2022年2月の露軍の侵攻以降、たしかに海外報道機関による動画を有意に多く視聴するようになりましたが、それに加えて、我が国テレビ局による報道動画ではなく、大学研究室や企業等にて、ある程度専門的と云える動画の作成を行っているものがあるのですが、そのうちの一つが興味深く、視聴していたところ、そのなかで、その動画サイト運営者が書籍を刊行されたことを知り、こちらも興味深く思い、書籍を購入して読み進めていたところ、その中にトクヴィルについて記されており、そこから、さらに興味を持ち、トクヴィルの著作を購入したのが昨年の秋頃でした。

そして、それから解説本や著作を数冊読み、昨年暮れからは、以前より面識のある研究者の方の著作内で参考文献として挙げられていたオーランド―・ファイジズ著「クリミア戦争」上下巻を購入して読み進めたことから、トクヴィルから少し離れましたが「クリミア戦争」を読了後から、またトクヴィルに戻り、前出の「旧体制と大革命」を読み進めており、その後は、さらにトクヴィルの積読状態にある著作を読み進めようと考えていましたが、ここ最近興味深い著作を見つけてしまいました・・。それは、井上文則著「天を相手にする:評伝 宮崎市定」であり、おそらく、こちらも精読にて通読しますと、それなりに大変であると思われますが、先日、立ち読みしたところ、大丈夫であろうと思われたことから、「旧体制と大革命」読了出来ましたら、次にこちらの著作を入手して読んでみたいと考えています。

しかし、宮崎市定を私はどこで知ったのでしょうか・・。修士論文の参考文献には、その著書はなかったことから、それ以降であり、おそらくは鹿児島在住の期間であったように思われます。こちらについても、いずれ書いてみたいです。

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2024年5月7日火曜日

20240506 「令和・歯科医院訪問記⑤番外編」からのスピン・オフ:「環境の変化による内面の変化」について

おかげさまで直近、5月4日投稿分の「令和・歯科医院訪問記⑤番外編」も、投稿後2日目としては比較的多くの方々に読んで頂けました。こちらを読んでくださった皆さまどうもありがとうございます。

しかしながら「歯科医院訪問記」と銘打ち、これまで5記事作成してきたものの、未だ医院内にすら入らず、かなり悠長に書き進めています・・(苦笑)。とはいえ、当訪問記は冗長や脱線などは是としており、また、これら「訪問記」は、私の作成した記事としては比較的多くの方々に読んで頂いておりましたので、いわば、少し気を良くして、当記事の作成にあたっているのだとも云えます・・。

それでも、さすがに医院内に入り、一般的な医院説明のように、写真などを示しつつ、説明文章を書き進めるのが良いとも思われます・・。

他方、直近投稿の「⑤番外編」にて「精神の状態」と「地域・場所」との関係について少し触れましたが、これついては、院長先生に質問させて頂いておらず、後日、質問をして、また、それに基づいて、新たな訪問記事を作成したいと考えております。

ともあれ「⑤番外編」のスピン・オフである今回記事では、院長先生から離れて、抽象的ではありますが、もう少し、この「精神の状態」と「地域・場所」との関係について述べてみようと思います。

さて、「精神の状態」と「地域・場所」との関係について考えてみますと、すぐに想起されるのはポーランド出自の英国作家ジョゼフ・コンラッドによる「闇の奥」(「Heart of Darkness」)あるいは、それを原作としたフランシス・フォード・コッポラ監督による著名な映画作品「地獄の黙示録」(「Apocalypse Now」)です。

また、それに加え、史実とされることとして、当ブログにて何度か取りあげたこともある、5世紀後半の朝鮮半島での新羅と百済との戦にて、ヤマト朝廷は、友好関係にある百済の支援のために半島に派兵しましたが、その派遣軍司令官の一人であった紀大磐(紀生磐とも)が、戦地にて精神の状態が変化したのか、自らを神聖と称して三韓の王になろうとしたという話が「日本書紀」(顕宗天皇の御代)にあります。

そして、これら(「闇の奥」・「地獄の黙示録」そして「日本書紀」)に共通する興味として、以下に示す「闇の奥」からの記述が適当であると考えます。

『奥地に行ってその場で一人ひとりの心理的変化のさまを観察すると、科学的には面白いでしょうがね。』

これは、端的に「環境の変化によって、人の心や精神にどのような変化が生じるのか」を述べたものであり、そしてまた同時に、「令和・歯科医院訪問記⑤番外編」の最後にて述べたこと(「それにより、当院長の沖縄在住期間に何らかの変化があったのだとすれば、それはそれで興味深いものがあるようにも思われます。」)にもつながると考えます。

また、このことは20代から、いくつかの地域に移り住んできた私も、いまだ法則性などは見出すことは出来ていませんが、しかし同時に、そうした「環境の変化」が人の内面に少なからず影響を与えるということは実感してきましたし、また、そうした実感と、そこで得た実感を原動力(興味)とする読書との反応により、何と云いますか、徐々に認識が深化されて、当ブログでの関連する記事や、当記事のようなことを自らによる文章や、関連のある出来事や記述などを引用しつつ述べることが出来るようになったのではないかとも思われるのです・・。

そして、この認識の原点となった経験が、これまでに当ブログにて何度か述べた南紀での在住であると考えますが、これにつきましては、また後日、あらためて述べてみたいです。

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2024年5月5日日曜日

20240504 令和・歯科医院訪問記⑤番外編:「少しおかしいながらも活気あふれる様子」について

おかげさまで、直近投稿の「令和・歯科医院訪問記④山梨について」はその後、投稿後3日の記事としては、比較的多くの方々に読んで頂けました。読んでくださった皆さま、どうもありがとうございます。そしてまた、出来ましたら、今後もこうした取り組みを行いたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。

さて、過日投稿の記事末尾近くで、北杜夫著「どくとるマンボウ医局記」を挙げましたが、その後、当著作を探したところ見つからずに、先日、人に渡していたことが思い出されました。当著作は、鹿児島在住時にはじめて読み、その後、何度か当著作を購入しては、興味を持たれそうな先生方にお渡ししてきたことから、私としては、かなりお気に入りの一冊であると云えます。そして、当著作内の山梨についての記述が、先日の投稿記事とも関係がありつつ奮っており、大変面白いと思われたのです・・。

あらためて北杜夫による「どくとるマンボウ医局記」に注意を向けてみますと、当著作は時代背景が昭和30年代であり、現在とは時代も異なり、そのために、おかしく感じられるところもありはするのですが、それでもなお、研究などをする環境に多く通底する、あるいは異言しますと、福沢諭吉による「福翁自伝」にある大阪適塾についての記述とも相通じるような「少しおかしいながらも活気あふれる様子」が描かれていると思われるのです・・。

そしてまた、この「少しおかしいながらも活気あふれる様子」は「創造性」とも親和性があり、そして、それ故に「学問の自由」に大きな意味や価値があるのだと思われます。しかしながら、近年の特に人文社会科学系では、「学問の自由」のもとに「少しおかしいながらも活気あふれる様子」の排除を試みているようにも思われます。そこから、たしかに社会全般の創造性の向上に寄与することのない(ある意味自己完結的な)学問分野は必要であるのかと考えてみますと、その返答は難しいと思われます。

ともあれ、創造性の強化や励起のためには「少しおかしいながらも活気あふれる様子」が適していると思われますが、これを具体的な個人に落とし込んでみますと、それは「躁」や「軽躁」の状態に近いように思われます。とはいえ、この「躁」は、ある種「症状」でもあることから忌諱されがちですが「軽躁」程度ですと、いつもよりも活発になり、多くのことが出来るため、継続可能であれば良いのではないかと思われます。

そして、こうした「躁」や「鬱」といった精神状態は、その人の挙措動作や態度といった表層にもあらわれ、特に「躁」などの、いわば活性化して多動になっている時には、さらに分かり易いと云えます・・。

そして、その視座から、あらためて訪問先医院の院長について考えてみますと、以前に述べたように、山梨、東京そして沖縄を中心として、よく移動をされており、そしてまた勤務されている都内の比較的大規模な歯科医院においても、ご自身で診療をしつつ、院内にいる臨床研修医や若手GPの先生方の指導もされています。では、こうした活発と評して良い歯科医師の日常における態度には何かしら「躁的」なものがあるのかと、検討してみますと、上手く表現することは未だ出来ませんが、ただ、これまでにお目に掛かった「軽躁」的と評し得る方々と共通する、何と云いますか、ある種の「波長」があるようには思われます。

「波長」といいますと、また抽象的な表現ですが、しかし、感覚としては、おそらくご理解頂けるのではないかとも思われます。

そしてまた、こうした「躁」や「鬱」そして「波長」などを、「表層にも表れる精神の状態」と考えてみますと、谷川健一などが述べていた琉球を含む南西諸島や鹿児島などの文化で、人に付着する外来魂である「セヂ」というものがありますが、あるいは、「躁」や「鬱」なども、この「セヂ」の付着に類するものと考えてみても、理解、解釈することが出来るのではないかとも思われるのです・・。

それにより、当院長の沖縄在住期間に何らかの変化があったのだとすれば、それはそれで興味深いものがあるようにも思われます。

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!

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2024年5月1日水曜日

202405012185記事到達:令和・歯科医院訪問記④山梨について 

本日の記事投稿により、総投稿記事が2185に到達して、さらに15記事の新規投稿により、当面の目標としている2200記事に到達することが出来ます。また、先月末頃の鹿児島訪問以降、彼の地で受けた刺戟から、また、出来るだけ自らの地の文章によるブログ記事作成を心掛けるようになりましたが、そうした変化を自然に引き起こしてくれることもまた、日常とは異なる場所に出向く、一つの大きな意味合いであると考えます。

ともあれ、そうした経緯にて、今現在も出来るだけ地の文章での記事作成を試みている次第ですが、そこで不図思い起こされたのが、去る1月末に訪問して、これまでに3記事作成した「令和・歯科医院訪問記」です。これらの記事については、今後さらに2記事は作成する用意がありますが、ここ最近は続編作成への踏ん切りがつかずに、また先方の先生も「大丈夫ですよ。気にしないでください。」といった様子であることから「まあ、急ぐこともないか・・。」と考えていましたが、さきに述べた「自らの地に近い文章」、異言しますと「あまり推敲を重ねずに、思い付いたまま近く作成した文章」で、比較的楽しみつつ作成出来記事が、さきの「訪問記」であったことから、この、いわば「勢い」を利用して、続きを作成してみようと思い立ち、ここまで書き進めている次第と云えます。

さて、これまでに作成した「令和・歯科医院訪問記」では、丁度、山梨市駅から徒歩で医院入口に着いたところで終わりましたので、その続きは、院内各種設備の説明からはじまり、実施している特徴的な治療法や用いる器具などについての解説を行い、その医院の紹介を試みるのが妥当なところであると考えます。また、たしかに、そうした情報は歯科医院の特徴を見出すのに大変有効であると考えますが当「令和・歯科医院訪問記」では、以前にも述べたように、脱線や遠回りを是として、さらにくわえて、地に近い文章での作成をもまた是としたことから、当訪問記が思い起こされて能動的に続編の作成を試みています。

さて、ここで話は飛びますが、大分以前、伯父が存命の頃、ご自宅や管理をされていた伊東市の祖父母の家、そして飲み屋さんなどで、お酒を飲みながら、この伯父の話を聞くことが度々ありました。伯父は仕事柄、話は慣れており、また、それだけに上手く、そしてまた、(あまり月並みではないためか)印象に残る意見や見解を述べることも少なからずありました。さらに、そうしたことが今なお、日常生活の中でハッと思い起こされることもあるのですが、それが、この「訪問記」の続きに繋がるのです・・。

以前、おそらくこれは伊東市の祖父母の家での会話であったと思いますが、富士山の話から静岡県と山梨県の話題になり、その中で伯父は山梨県について「私が卒業した学校の創設者は山梨県出身の財界人としてよく知られているけれど、その起こした事業でよく知られているが東武鉄道でね。それと並んで有名なのが阪急電鉄の創業者である小林一三で、こちらも山梨県の出身だね。さらに遡ると、明治初期から国内各地で鉄道の敷設や殖産事業を手掛けてきた雨宮敬次郎も山梨県出身でね、だから、確かなことは云えないけれど、あの海がなくて山々に囲まれた環境のなかにいると、そのうちのいくらかの人々は、そこから強く出たいと考えるようになって、そして、それを具現化する手段が、折しもの文明開化によって齎された鉄道であったのだと思うよ。」とのことであり、そしてまた「鉄道」を「高速な移動手段」として捉え直してみますと、かつての甲斐源氏武田氏が誇った甲州騎馬軍団もまた、同じ系譜を遡上したところにあるのではないかとも思われました。

そして、さらに重ねて「高速な移動手段」に拘ってみますと、我が国で唯一、航空分野を専門とする中学・高等学校および専修学校を運営している私立の学校法人の起源が、戦前期の、この山梨県であったことも何やら関連があるように思われましたが、これは訪問先医院にてご応対頂いた大先生から伺った話がソースです。その後、ネット検索や資料をあたっていますと、興味深いことに、たしかに昭和初期(7年)に当地山梨の在郷軍人会が航空研究会を発足したことが学校法人の起源となっており、こうした、いわば、ある程度広い世界を知る地元の方々による能動的な活動が、その地域を特徴付ける要素をより明瞭なものとして固定化して、さらにそれが紆余曲折を経ながら後世にまで積層されるといったことは、おそらく我が国の何処でも同様であると考えます。

ともあれ、そうした視座から山梨県の県民性の一つとしては「絶対矛盾の自己同一」のように「愛郷心」と「脱出・遠くへ行きたい願望」が相矛盾しながらも併存するといった個性があるものと考えます。

その意味で、訪問先医院の院長について、以前に述べましたように、御実家の山梨から東京の歯科大学へ出て、そこからさらに沖縄の大学病院近くに転居をされ、さらに、現在においても所用のため、比較的頻繁に沖縄へ訪問されていることは、これまで述べてきた視座から考えてみますと、山梨県人を特徴付ける性質が、比較的強く看取出来るのではないかと思われます。さらに、ここまで書き進めていて、関連するものとして不図、想起されたのが、以前にも何度か引用記事を作成した北杜夫による「どくとるマンボウ医局記」内の記述です。北杜夫は慶應義塾大学病院医局員時代に山梨県の病院(現在の山梨県立北病院)に勤務していた時期があり、当著作に、おそらく、その当時に考えたと思しき記述が散見されるのですが、そうした記述と関連させつつ、また後日、院長先生をはじめ歯科医院のことを、こうした地に近い書きぶりにて、さらに書き進めたいと考えています。

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!

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