pp.82-85より抜粋
ISBN-10 : 4121805968
ISBN-13 : 978-4121805966
茶と同時に、中国から磁器が輸入された。イギリス東インド会社の研究で知られるロンドン大学のチョウドリ博士はつぎのようにのべている。「十七、八世紀における中国磁器の輸入は、ヨーロッパにおけるティ、コーヒー、チョコレートの消費と関連して出現してきた新しい社会習慣の、文化的美的側面を代表している。・・・中国陶磁器は藁で包むと、臭いがせず、したがってティといっしょに選ぶには、理想的な補助的貨物であった。磁器をつめ込んだ茶の包装箱は、ひどく重量があり、船に必要なバラストとして積み込まれたのである」
中国磁器の名は、すでに十四、五世紀に、ヨーロッパ諸国の諸王族の調度控えなどに現れていたといわれるが、十六世紀以降、西欧諸国の東アジア進出につれて、中国磁器のヨーロッパへ輸出されるものが、ようやく莫大な数にのぼっていった。十七世紀中頃から十八世紀中頃にいたる時代は磁器輸入のピークをなし、当時のヨーロッパにおける中国磁器の流行はすさまじく、中国磁器ブームにのって、日本からも有田の染付や柿右衛門の赤絵がオランダの手をへて大量にヨーロッパへ輸出された。
中国の磁器生産の中心はいうまでもなく景徳鎮で、そこの窯からつくり出された芸術の香り高い名品が、「世界各地に伝播して異常なる賞賛を博し」つつあった。(ダントルコール、小林市郎訳注「中国陶瓷見聞録」東洋文庫)。ティやチョコレートの舶来飲料を飲むものは、高価な芸術品であった中国製のティ・ポットや茶碗などを使うのが当時のナウな風俗であった。ヨーロッパは食事文化のみならず、磁器文化においても、中国や日本の前に頭を下げざるをえなかったのである。
中国磁器は、はじめバンタムで中国船から買ったものがオランダをへてヨーロッパへ輸入されたものが多かったが、イギリス東インド会社は一七一七年以後、広東をつうじて盛んに磁器買付けを行った。イギリスは、たとえば把手のついたチョコレート茶碗、うけ皿と組みになった紅茶茶碗、ティ・ポット、ミルク入れ、砂糖入れといったものを特別に注文して作らせた。また多くの皿には日本風の飾り絵をデザインするように注文した。
こうしたヨーロッパ人の東洋文化への傾倒はふつう東洋趣味として片づけられているが、たんなる美術史上の東洋趣味という以上の重要な意味をもっていたのである。というのは、東洋趣味はオランダ、フランス、イギリスなど十七世紀から十八世紀はじめにかけてのヨーロッパ諸国に広くみられたけれども、そのなかで茶を選択したのはイギリスであった。茶とほぼ同時に入ってきたコーヒーにはアラビア文化の背景があったにしても、十七世紀のヨーロッパ人にとって、コーヒーはもはや神秘的な飲み物ではなかった。またチョコレートについては、ヨーロッパ人の優越感をかき立てるものでこそあれ、その文化的背景は問題にしなくてよかった。ところが、東洋文化のシンボルであった茶はコーヒーやチョコレートに比べると、はるかに高いランクを占めていたばかりか、西洋人に強いコンプレックスを抱かせるものであった。とくにコーヒーにおいてオランダに敗れたイギリスが、風土的条件に適していたこともあって茶を選択しなければならなかったことが、中国へのコンプレックスとなり、それがインパクトとなって逆に文化的・経済的・政治的シンボルへとイギリスをかき立てることになる。このようにしてイギリス近代史が形成されてゆく。
ISBN-13 : 978-4121805966
茶と同時に、中国から磁器が輸入された。イギリス東インド会社の研究で知られるロンドン大学のチョウドリ博士はつぎのようにのべている。「十七、八世紀における中国磁器の輸入は、ヨーロッパにおけるティ、コーヒー、チョコレートの消費と関連して出現してきた新しい社会習慣の、文化的美的側面を代表している。・・・中国陶磁器は藁で包むと、臭いがせず、したがってティといっしょに選ぶには、理想的な補助的貨物であった。磁器をつめ込んだ茶の包装箱は、ひどく重量があり、船に必要なバラストとして積み込まれたのである」
中国磁器の名は、すでに十四、五世紀に、ヨーロッパ諸国の諸王族の調度控えなどに現れていたといわれるが、十六世紀以降、西欧諸国の東アジア進出につれて、中国磁器のヨーロッパへ輸出されるものが、ようやく莫大な数にのぼっていった。十七世紀中頃から十八世紀中頃にいたる時代は磁器輸入のピークをなし、当時のヨーロッパにおける中国磁器の流行はすさまじく、中国磁器ブームにのって、日本からも有田の染付や柿右衛門の赤絵がオランダの手をへて大量にヨーロッパへ輸出された。
中国の磁器生産の中心はいうまでもなく景徳鎮で、そこの窯からつくり出された芸術の香り高い名品が、「世界各地に伝播して異常なる賞賛を博し」つつあった。(ダントルコール、小林市郎訳注「中国陶瓷見聞録」東洋文庫)。ティやチョコレートの舶来飲料を飲むものは、高価な芸術品であった中国製のティ・ポットや茶碗などを使うのが当時のナウな風俗であった。ヨーロッパは食事文化のみならず、磁器文化においても、中国や日本の前に頭を下げざるをえなかったのである。
中国磁器は、はじめバンタムで中国船から買ったものがオランダをへてヨーロッパへ輸入されたものが多かったが、イギリス東インド会社は一七一七年以後、広東をつうじて盛んに磁器買付けを行った。イギリスは、たとえば把手のついたチョコレート茶碗、うけ皿と組みになった紅茶茶碗、ティ・ポット、ミルク入れ、砂糖入れといったものを特別に注文して作らせた。また多くの皿には日本風の飾り絵をデザインするように注文した。
こうしたヨーロッパ人の東洋文化への傾倒はふつう東洋趣味として片づけられているが、たんなる美術史上の東洋趣味という以上の重要な意味をもっていたのである。というのは、東洋趣味はオランダ、フランス、イギリスなど十七世紀から十八世紀はじめにかけてのヨーロッパ諸国に広くみられたけれども、そのなかで茶を選択したのはイギリスであった。茶とほぼ同時に入ってきたコーヒーにはアラビア文化の背景があったにしても、十七世紀のヨーロッパ人にとって、コーヒーはもはや神秘的な飲み物ではなかった。またチョコレートについては、ヨーロッパ人の優越感をかき立てるものでこそあれ、その文化的背景は問題にしなくてよかった。ところが、東洋文化のシンボルであった茶はコーヒーやチョコレートに比べると、はるかに高いランクを占めていたばかりか、西洋人に強いコンプレックスを抱かせるものであった。とくにコーヒーにおいてオランダに敗れたイギリスが、風土的条件に適していたこともあって茶を選択しなければならなかったことが、中国へのコンプレックスとなり、それがインパクトとなって逆に文化的・経済的・政治的シンボルへとイギリスをかき立てることになる。このようにしてイギリス近代史が形成されてゆく。
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