そうしますと、概ね5日のうち4日程度の割合にて記事を作成投稿してきたことになります。また、上記程度の割合にて文章を作成してきたことは、これまでの私の人生においてありませんでした。その意味において今回300回目のブログ記事を更新できることはなかなか嬉しく思います。
しかし傍から見ますと「随分地味なコトで嬉しく思うものだ。」と感じる方々もおられるのではないかと思われます・・(苦笑)。しかし他方で、私はこれまでにある程度、自身が従事した専門分野における書籍を読んできたものと考えています。また、それ以上にそれら専門分野とは直接的には関連のない様々な分野の書籍をも読んできたとも考えています。そして、それらは自身にとってインプットといっていいものであると認識しています。
このインプットとは咀嚼・消化し更に表出(アウトプット)することにより強く自身のものとして定着するのではないかと最近思います。
そして、それらのインプットの組み合わせ、そして表出(アウトプット)の傾向などがヒト一人の様々な意味での精神的傾向、性格などを特徴付ける大きな要因となるのではないでしょうか?
また「教養」といったものも、そうした過程により徐々に獲得されてゆくのではないかと思われますが如何でしょうか?
一般的に書籍などを読まなくとも、生きていく上においては大きな支障はなく、むしろ、そういったものは生きてゆく上においては何も意味がないだけでなく、むしろ邪魔なものであるといった考えも表には出しませんが、根強く我々の社会全般にて共有されているのではないかと思いますが如何でしょうか?
それ故、最近「反知性的」というコトバをよく聞きますが、こうした考えは今現在「だけ」特にそうした傾向が認められるものではなく、古来より遍く存在しており、むしろ、それがあまりにも一般的であったために、これまでに「反知性的」というコトバが社会批判的な文脈として用いられてこなかったのではないかと思われます・・。
そしてそれはまた、我が国における極めて強い現世的、此岸的な傾向とも強い関連性があるのではないかと考えさせられますが如何でしょうか?
また、こうした傾向とは、おそらく我が国について実地に研究し、生活をした経験を持つ者であるならば、概ね認識しているのではないかとも最近よく考えさせられます(具体例としてSTAP細胞、現象の事件の発生、経緯、顛末に至るまで・・)がこれを読んで頂いている皆様はどのようにお考えになるでしょうか?
さらに加えて、こうしたことは時代遅れ、過去の概念として認識されがちな「アジア的停滞」といったコトバとも何かしら関連があるのではないかと考えさせられます・・。
ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。また、先月の九州、熊本における大地震にて被災された地域のより早期の復旧そして復興を祈念いたします。
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