2020年7月29日水曜日

20200729 読んでいる著作で見つけた気になるコトバから

ここ最近は、新たな書籍に手を出すことはなく、蔵書の中で、その時の考えていることや、気分にて選び、何となく読んでいるといった日々を過ごしています。端的にこうした状態は「停滞気味」と評すべきものと云えますが、しかし、この停滞の中で、新たな書籍に興味が湧いたり、また(自身にとって)新たな考えの萌芽のようなものに出くわすことも多々ありますので、この停滞状態においても、何かしら読み続けることは、重要であると考えます。

そうした中で、以前にも当ブログにて取り上げたジャレド・ダイアモンド編著による「歴史は実験できるのか」第一章の「ポリネシアの島々を文化実験する」にて以下の記述が記述が特に興味深く思われました。

p.43
「食料が豊富な年があると思えば、不足する年があるような予測不能な環境では、どの島でも各地の渓谷を支配する首長同士がたびたび対立し合うのも意外ではない。実際、異文化に接する直前のマルケサス諸島では襲撃や武力衝突が大きな特徴で、饗宴やカニバリズムの儀式のサイクルと密接に関わっていた。私は、べつの場所でこれを「競争的退行」と呼んでいる。」

p.45
「最初にトフア(*巨大な石造の祭壇(引用者))が建造されたのは拡張期だったと思われる。しかし、建築活動が最もさかんだったのはサッグスが古典期と呼んだ時期だと考えて間違いない。ヨーロッパ人と接触するよりも1、2世紀以前から、接触が始まった頃までに当たる。この時期は、「競争的退行」のパターンの進行が民族誌学的に証明されている時期でもあり、襲撃が絶えず、饗宴の規模は拡大し、人身御供への注目が高まった。そのうえ、人口密度が最も高くなり、定期的に発生する干ばつや飢饉の影響がマルケサス諸島全域におよび、社会政治的制度が大きく変容を遂げたとも推定される。古代ポリネシアのパターンから離れ、トーマスが「流動的かつ競争的な」社会制度と呼んだ形へと変わっていったのである。」

干ばつや飢饉、そして、そこから生じる既存統治体制の揺らぎは、原初的な祭政一致の社会では、祭祀・儀式への依存・注力が一層強まり、そして、祭祀を同じくする個々の社会集団における凝集性はさらに強まり、反面で、異なる社会集団同士の争いは激化し、また同時に、そうした状況(干ばつ・飢饉・争乱)によって農作物などの拡大再生産は為しえなくなると、さらなる争乱の激化につながっていき、そうした一連の状態を当著作では「競争的退行」と呼んでいると思われますが、このコトバをネットで調べてみたところ、未だ一般的には運用されていないと思われましたが、同時にこのコトバは、この時代(西暦1400年~1600年頃)のマルケサス諸島社会のみにふさわしいといわけではなく、たとえば西暦1500年代前後のユカタン半島のマヤ文明、あるいは、2世紀後半の所謂「倭国大乱」の時代にも、あるいはこれと類似した現象があり、さらには、経済的には継続的な停滞期にある一方、情報技術が更に進化発展し、他方では感染症に社会全体が脅かされている我が国社会においても、こうした「競争的退行」とも認識出来るような状況が多く生じているのではないかと思われました・・。
(記載部分のマヤ文明につきまして、興味がありましたらメル・ギブソン監督の映画作品「アポカリプト」をご覧ください。あるいはジョルジュ・バタイユ著の「呪われた部分 有用性の限界」(ちくま学芸文庫)をご一読ください。)

とはいえ、このコトバが記載された著作「歴史は実験できるのか」は、未だ原書を入手しておらず、どのような英語表記になっているか分かりませんので、現段階では何とも云えませんが、この「競争的退行」というコトバは、昨今の我が国社会の状況、あるいはまた、世界規模でのある種の状況を指すものとして、適切であるようにも思われましたが、さて、如何でしょうか?

慶應義塾大学出版会株式会社刊 ジャレド・ダイアモンド ジェイムズ・A・ロビンソン編著 小坂 恵理訳 「歴史は実験できるのか」
ISBN-10: 4766425197

新型コロナウィルス感染症そして東アジアを含めた世界情勢が出来れば今後、収束そして鎮静化することを願っています・・。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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ISBN978-4-263-46420-5

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20200728 新型コロナウィルス感染症と昨今の東アジア情勢から思ったこと・・

目標であった7月内での1350記事更新も為されて、今月は新たな記事作成を行う必要性もありませんが、ここ数日間は書籍からの抜粋引用部を記事として充ててきたことから「このあたりでまた、自身の文章による記事作成を行った方が良いのでは・・」と考え、さきほどから記事作成を始めた次第です・・(苦笑)。

ここ最近の首都圏は、新型コロナウィルス感染症の第二波とも云える状況から、あまり大手を振って外出も出来ません・・。自然と引きこもり気味になり、そして、どうにか夕方か夜半になって、運動不足解消のために、しばらく家の周囲を出歩くといった感じの生活スタイルが定着しつつあります・・。

それ以前では、新型コロナウィルス感染症も収束気味との観測から、休日には都内に出向き、これまでの習慣であった長い散歩をしていましたが、今後はまた、そうしたことも今しばらく控える必要性があるのかもしれません・・。

そういえば、先日スマートフォンを紛失していたことを述べましたが、このスマートフォンの一つの機能として「万歩計」があり、その記録を見てみますと、やはり休日である木・金曜日の歩行距離が明らかに長く、大抵は5km以上であり、10kmを超えている日も少なからずありました。首都圏の生活にて「悪くない」と思うことは、割に歩かなければならないということであり、また、少なくとも、自身の場合「歩く」ことと「読書」には密接な関連があると考えていることから、さきの新型コロナウィルス感染症の第二波によって、都内での長い散歩が困難になってきますと、また4・5月のような緊急事態宣言下での悶々とした日々に戻ることになることが予想され、暗鬱とした気分になってきます。

他方で、東アジアをはじめとする世界情勢もまた、ここ数十年のなかで、かなり緊迫した状況であるとも云えますので、こうした状況を忘れないまでも、何かしら心が明るくなるような出来事を探したくなることは、人の心の自然な流れであるように思われます・・。

しかしながら、ここ最近はそうした出来事もなく、たとえるならば、ひたすら長い、先の見えないトンネル内を歩いているといった感じがあります・・。そして、それは何時の状態に似ているのかと記憶を参照してみますと、指導教員が退職された後の2010~2013年の鹿児島での生活が少し近いような感じを受けます。

とはいえ、当時の鹿児島での生活は、先こそ見えなかったものの、明確な目標があり、また休日は思う存分に歩き、そして、その後には贅沢にも温泉に浸かっていましたので、他にも様々な相違はありますが、どちらが良かったかと考えてみますと、その明確な答えは出てきません・・。ともあれ、こうした時は、たとえ牛歩ではあっても、前に進む以外ないと思われますので、本日もこうして記事を作成して休もうと思います。

新型コロナウィルス感染症そして東アジアを含めた世界情勢が出来れば今後、収束そして鎮静化することを願っています・・。

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2020年7月27日月曜日

20200727 株式会社岩波書店刊 岡義武著「明治政治史」上巻 pp.229-233

「ところで、士族層の経済的没落に対しては、新政府としても到底無関心ではありえなかった。明治6年に参議木戸孝允は、その建議の中で、「我邦人口三千万と称すると雖も、其実を推して之を算すれば、僅かに二三百万人に過ぎざるべし。何となれば、孝允嘗て西洋諸国を歴覧するに、其人民貴賤を問わず貧富を論ぜず一も国の為に其義務を尽さざるは莫くして、我邦は即ち之に反せり。農は唯穀粟を出すを以て己が務と為し、工は唯什器を製するを以て其業と為し、商は唯有無を通ずるを以て之が職と為し、皆国事に於いて毫も関渉する所無し。国の正気は民心に在て、民既に国事に心無し。何を以て民と為すに足らんや」とし、このような中で、「我邦四民中、猶能く廉恥を知り愛国の念を存し、国の為に其義務を尽さんと欲する者、独り一士族中に多きのみ。是三千万人中其器械たるを免かかる者、僅かに二三百万人に過ぎずと謂うべきなり」として、士族をまことに貴重な存在であるとみなしている。また明治11年に右大臣岩倉具視は上に引用した「華士族授産之儀に付建議」の中で述べて、「士族の情況を考ふるに、鎌倉以来の武士は猶馬を馳せ剣を試みるの戦卒たるに過ぎざりしに、徳川氏の中葉以後儒学世に行はれ、地方に学校あらざるなく、士族たる者文武を兼ぬるを以て常識とし、其子弟学問に就かざる者なく、父兄の訓ゆる所、師友の導く所一に忠孝節義、治国安民に非ざるはなく、脳漿に浸涵して幾んど固有の天性を成すに至り、其中才徳の士彬々輩出し、諸藩の治績々観るべきものあり」とし、「士族は其積世涵養の力を以て、其精神以て百科に進むに足り、其志行以て艱苦に耐るに足り、其気力以て外人と競争するに足る。今の現況を据るに、学問百科凡そ以て国の事業に進むべき者、士族の性の尤も近き所とす。・・今姑らく士族の名称を除き虚心以て之を商量するに、将来果たして国の文明を扶けて独立を維持する者、此の高尚なる種族に非ずして何ぞ乎。此高尚なる種族を除く外、我邦の人民を槩論するに、学問なく士気なく、以て重任を負担するに足らず。蓋し其の能く進修有為の地に進み、外人と競争するに足るの日を待つは、猶ほ二三十年の後に在るべし。故に我政府は此の高尚の種族を失わずして与に共に前路に進むとき、大に将来の進歩を裨益すべし」となしている。また参議伊藤博文は明治十三年十二月のその建議の中で、「今天下の人物、品流を概論するに、其国事を担当して文明を率先たるに堪ふるもの、士族に望まざることを得ず。而して、士族の位置は宜く貴族の一部たるべし」と唱えており、翌十四年に諸参議が連署して提出した立憲政体に関する奏議の中にも、「士族の封建武門の世に於ける、平民の上に位し、教育素より気節有為の人多く其間に出づ。是れ宜く貴族の一部たるべし」となしている。

 士族層を高く評価して、これを重要視したのは、しかし、新政府に限らなかった。福沢諭吉の場合のごときも、その一つのよい例である。福沢は「封建の門閥制度」にためにその父が学才を生かしえなかったのを回想して「門閥制度は親の敵」と考えたことは、よく知られている。しかし、そのような彼もまた封建制度の遺産である士族層に対し強い期待を寄せたのであった。彼は「時事小言」(明治十四年)の中で「国民の気力を養ふ」方策として「士族の気力を維持、保護する」ことが必要であるとし、「日本の社会に於て事を為す者は古来必ず士族に限り、乱に戦ふ者も士族なり。治に事を執る者も士族なり。近くは三十年来西洋近時の文明を入れて其主義を世間に分布し、又維新の大業を成して爾後新政を施したる者も士族ならざるはなし。所謂百姓町人の輩は唯これを傍観して、社会の為に衣食を給するのみ。之を人身に譬れば百姓町人は国の胃の腑にして、士族は其脳の如く又腕の如きものなり。事を為すの本源は脳に位して、其働は腕に在り」とし、胃のみが丈夫で脳と腕との力を発揮できないものは「活溌の人」とはいいえない。これを動物にたとえれば豚のごときものである。それ故に、「今我国に士族の気力を消滅するは、恰も国を豚にするものにして、国権維持の一事に付き其影響の大なること論を俟たずして明」かである。士族はひとり政治、学術の面ばかりでなく「殖産の道」においても「全国の魁を為して人民の標準たるべき者」であるとし、また述べて、人の能力は実際に血統に因る天賦である。「この能力遺伝の主義を以て日本全国の人民を通覧したらば、士族の血統を惜しむ可しとの理由は特に喋々の弁を俟たずして明白」であろう。それ故に、士族の「数百年来遺伝の教育血統(武士層の間に行われて来た伝統的な精神教育を指すー著者)」を保全することは、「天下の大計」上から必要であり、士族層をむなしく経済的没落の運命に委ねることは、「百丈の大木鬱々たるものを故さらに発掘して其根を露し之を日に照らして、坐して其枯るるを待つ」ようなもので、「智者の策」とはいえない、と力説したのである。」

2020年7月26日日曜日

20200726 株式会社文藝春秋刊 山本七平著「日本教徒」pp.255‐256

「日本の歴史や現況などを調べていて、私などが何より困るのは、この「虚構は虚構として尊ぶ」という徳川期の商人の行き方の現代版である。もう20年近い昔のことだが、その半生を日本で送ったさるアメリカ人は、「日本人とは何ぞや?一言にしていえば「勧進帳」である」という、まことに面白い言葉を述べた。けだし名言である。

 たとえば総理大臣ベンケイ氏が、霞が関と隣合せたアタカの関という国会で、野党トガシ党の前で、施政方針演説という「勧進帳」を読む。そして不磨の大典という六法を踏んで、大見得を切って赤ジュウタンの花道を引き揚げて行く。「かぶき」は元来町人のもの、従って「昭和元禄の田舎芝居」とやらも確かに虚構であっていい。だが、この芝居はただそれだけではなく、この主人公ベンケイ氏は、虚構の従者義経の家臣だから、虚構のなかの虚構の主人、読んでいる「勧進帳」は実は虚構で古い手紙、しかも聞き手のトガシ野党がだまされているのが、これまた虚構・・・となると、実に、虚構の舞台で虚構の主人公が、虚構の従者のため虚構の文書を読むと、相手が虚構に信ずる、という形になるという虚構が演じられていることになるので、一体全体「勧進帳」における「真実とは何か」少々気になる。さらに税金という入場料を払って国会座という立派な劇場でのこの演出を見ている観客やカンジン元の大町人たちは、この劇の中に何を見ているのだろうか、となると、だれでも少々わけがわからなくなるであろう。

 では一体「勧進帳」における真実とは何かと質問すると、たちまち「いやああれは、君臣父子夫婦を基本とする徳川封建制下の道徳を基礎にした・・」といった説明が出てくるのだが、よく聞いていると、どうもこの説明自体が「勧進帳」で、その人が聞いているのも反古に等しい古い手紙らしいのである。虚構の説明をまた虚構でやられるのでは、ただただ混乱はますばかり、では一体どうすればよいのであろう。」
株式会社文藝春秋刊 山本七平著「日本教徒」
ISBN-10: 4163647406ISBN-13: 978-4163647401

20200725 スマートフォンを紛失して思ったこと

おかげさまで、今回の記事投稿により、総投稿記事数が1350に到達します。また、ここ最近は、書籍からの抜粋引用を以て投稿記事としており、本日もまた、そのようにしようと考えていましたが、抜粋引用部を投稿記事とすることを続けていますと、どうしたわけか自身の文章による記事を作成してみたくなってくるのです。そこで、今回の投稿記事は、多少区切りが良い1350記事への到達回目ということもあり、自身の文章にて記事を作成することにしました。とはいえ、ここ数日間は、それ以前の自身の文章による記事を投稿していた時期と比べ、閲覧者数が伸びていました。

これは、自身の書籍および抜粋引用部の選択に帰するのか、あるいは、自身の作成する文章の面白くなさに起因するのか、はたまた双方共に関係があるのか、分かりませんが、何れにしましても、あまり喜ぶべき状態とは云えません・・(苦笑)。

他方、ここ数日間はスマートフォンを紛失していましたが、その数日で気が付いたことは、無論、使い方次第ではあるのでしょうが、スマートフォンは思いのほかに体に負荷をかけているということです・・。つい先日、無事にスマートフォンは見つかり、戻ってはきましたが、その後は、数日間のスマートフォンがなかった生活を思い出し、出来るだけ、その画面を見ることを避けています。この意識的な取り組みは一体、いつまで続くのでしょうか・・(苦笑)。【スマートフォンの画面を見なくなってから、書籍がより読み易くなり、肩凝りが大幅に軽減し、さらに少し視界が広くなったような感じさえあります。】

また、おそらく、それとは関係ないと思われますが、昨日、一昨日は、当ブロガーでの記事を多く共有しているツイッターでのインプレッションが、特定の記事が極端に「バスる」といった現象はなかったものの、これまでと比べ、かなり伸びました。これは自身でも驚きましたが、ツイッターは、ブロガーと比べ、インプレッション(閲覧者数)を決める因子が多く、そのうちの何かが、この昨日、一昨日は良い方に働いたのではないかと思われました。しかし、ツイッターであれ、ブロガーであれ、この先、さらに多くのインプレッション(閲覧者数)を(それのみに注力して)得たいとは、現時点では考えてはいませんので、今後もただ、続けるところまで続けてみようと考えています・・(笑)。

ともあれ、そのように考えてみますと、弱小の当ブログであっても一応、5年間程継続していますと、総閲覧者数は47万以上となっており、これは現在の自身でも、あまり実感が湧かず、また、それは、さきに書いたツイッターでのインプレッションにおいても同様と云えます・・。また、それと同時にツイッターの場合、ツイートした内容に対しての反応が比較的多くありますので、これはこれで面白く、全く実感が湧かないということはありません。端的にブロガーと比較して、ツイッターの方が、よりダイナミックと云えるかもしれません・・。

くわえて、ここ最近の九州を中心とした大雨による被災状況を報道番組や動画サイトを通じて視ましたが、出来るだけ早期の被災からの復旧と、ケガをされた方々の回復と、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。そして、現今のコロナ禍が近い将来に過ぎ去り、また、さまざまな面で双方気兼ねすることなく、九州に訪問することが出来る日が来ることを切に願っています。

ここ首都圏に在住していると、共感されることは多くはないものの、私見としては、純粋に住む場所の環境としては、九州や瀬戸内地域などの方が、余程良いのではないかと思われます。そして近い将来、1年のうちの半分程度を九州や瀬戸内地域に住み、残りの半分をここ首都圏に住むといった生活スタイルが採ることが出来ればと考えています。また、ここまで、あまり意識していませんでしたが、当ブロガーであれ、ツイッターであれ、あるいはnoteであれ、それらが、その何らかの布石になるのではないかと少し思い始めてきました。さて、そのためには、今後、私は何をすれば良いのだろうか・・?

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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2020年7月24日金曜日

20200723 日本経済新聞出版社刊 ジャレド・ダイアモンド著 小川敏子、川上純子訳「危機と人類」上巻pp.164‐170

明治時代のおもな選択的変化のうち、まだ考察していないものがひとつある。それは、西洋列強の領土的野心の対象になっていた日本が、海外への領土拡大と軍事的侵略をおこなう国に変貌を遂げたことである。これまでみてきたように、江戸時代の日本は鎖国政策をとり、海外の領土を占領しようという野望はもっていなかった。1853年の日本にははるかに強大な軍事力を備えた西洋列強からの脅威が迫っていた。

 しかし、1868年に明治時代に入って、陸海軍の改革と殖産興業が進展すると、差し迫った脅威が消えて、逆に段階的な領土拡大が可能になった、第一段階は、1869年の北海道併合だ。もともと日本人とは違う先住民族のアイヌ人が住んでいて幕府による部分的な支配を受けていたこの北の島を、正式に日本の領土としたのである。つづいて、台湾に漂着した宮古島の島民が台湾原住民によって何十人も殺されるという事件が起き、1874年には台湾に日本から征伐軍が派遣された。最終的に日本は軍を撤退させ、このときは台湾併合にはいたらなかった。1879年、今度は琉球王国が日本に併合された。そして1894年から95年にかけて日清戦争を戦った日本はこれに勝利し、下関条約で台湾を併合した。これが明治日本の最初の対外戦争だった。

 明治日本が最初に西洋列強相手に軍事力を試したのは、日露戦争(1904~05年)だった。日本の海軍と陸軍はそれぞれロシア軍を破った(口絵3・7・、3・8)。これは世界史上の画期的な出来事だった。西洋列強が総力戦で初めてアジアの国に負けたのである。戦後結ばれたポーツマス条約によって、日本はサハリン島の南半分を併合し、南満州鉄道の権利を獲得した。朝鮮半島では、1905年に大韓帝国を保護国化し、1910年には併合している。1914年、日本は中国の膠州湾にあったドイツの租借地を占領し、ドイツ領ミクロネシアを手に入れた(口絵3・9)。そして1919年にはついに、日本は中国に対し対華21箇条要求を突きつけた。
この要求がすべて通れば中国は事実上日本の属国となっていただろう。だが、中国は要求を一部しか呑まなかった。

 1894年以前から、日本はすでに中国や韓国に攻め込むことを考えていた。実行しなかった理由は、軍事力がまだ十分ではないと日本が考えていたことと、西洋列強に介入の口実を与えてしまうことを恐れていたことが挙げられる。明治日本が自身の戦力を過大評価して判断を誤ったのは、日清戦争末期の1895年の一度きりだ。日本が当時の清国から引き出した譲歩には、遼東半島の割譲も含まれていた。中国大陸と朝鮮半島を結ぶ陸路と水路の要衝だ。だがフランス、ロシア、ドイツの三国干渉によって、日本は遼東半島を手放さざるを得なかった。ちなみにロシアはその3年後、旅順を租借地としている。この屈辱的な失敗によって、日本は、西洋列強に単独で対抗するにはまだ力不足であることを認識した。そこで1902年に、日本はイギリスと日英同盟を結んだ。こうして後ろ盾と保険を用意してから、1904年にロシアとの戦争に臨んだのである。また対華21箇条要求も、第一次世界大戦がはじまって西洋列強が軍隊を自由に動かせなくなるのを待ってから突きつけた。日英同盟で安全は担保されていたものの、1895年の三国干渉のような介入を西洋列強ができないようにするためだった。

 明治日本の軍備増強と領土拡大は、成功に次ぐ成功をおさめた、それは、現実的かつ注意深く、確度の高い情報にもとづいて公正な自国評価がおこなわれ、日本と対象国との相対的な国力差を見極めていたからだ。日本は現実的に何が出来るのかを正しく判断しながら、少しずつ慎重に行動していた。この成功した明治時代の拡大政策を、1945年8月14日の状況と比較してみよう。このとき日本は、中国、アメリカ、イギリス、ロシア、オーストラリア、ニュージーランドと同時に戦線を構えていた(他にも対日宣戦布告をしていた国は多数あったが、実際に戦争をしていたののはこの6カ国だけだ)。対戦相手としては最悪の組み合わせだ。日本陸軍の大部分は、もう何年も前から中国で膠着状態に陥っていた。アメリカの爆撃機は、日本のほとんどの大都市を燃やし尽くしていた。ふたつの原子爆弾は、広島と長崎を潰滅させていた。米英艦隊は、日本の本土沿岸部に艦砲射撃を浴びせていた。ロシア軍は、弱弱しい日本の抵抗を蹴散らして満州とサハリンに進撃した。オーストラリアとニュージーランドの部隊は、太平洋上の島々に点在した日本軍の駐屯地を掃討していた。日本の大型戦艦と商船団はほぼすべて撃沈されたか、航行不能状態だった。すでに300万人以上の日本人が殺されていた。

 これらの国から同時に攻撃される原因が外交政策の失敗だったとしても、充分ひどい話なのだが、日本が犯した重大な失敗はもっとひどかった。日本のほうからこれらの国に戦争をしかけていったのだ。1937年、日本は中国と全面戦争に入った。1938年と39年には二度にわたってソ連と国境で戦った(張鼓峰とノモンハン)。ふたつとも戦闘期間は短かったが、死傷者が多数出た悲惨な戦いだった。1941年には、ソ連との戦いがまた起こる可能性があったにもかかわらず、日本は英米蘭を同時に奇襲する。イギリスに攻撃をしかけるということは、イギリス統治領のオーストラリアとニュージーランドを戦争に巻き込むことを意味した。日本はオーストラリアへの爆撃もはじめた。1945年、とうとうソ連も対日戦争に参戦した。1945年8月15日、遅きに失した感はあるものの、日本はついに不可避の帰結に屈服した。降伏したのだ。1868年以降の明治日本は、現実的な軍備増強と領土拡大を段階的かつ着実に成功させていった。だが、なぜ1937年以降の日本は、非現実的かつ最終的には失敗に終わる領土拡大を、一歩ずつ間違った方向に進んでいったのだろうか?
 
 理由は多数ある。日露戦争の成功、ヴェルサイユ条約への失望、1929年の世界恐慌を発端として輸出主導型で経済を成長させるもくろみが増えたことなどだ。しかし、本書のテーマと非常に関連の深い理由をもうひとつ挙げよう。明治日本の指導者と、1930年代、40年代の日本の指導者では、公正な自国評価を行うための知識や能力に違いがあったのである。明治時代には、軍幹部を含む多くの日本の指導者が海外に派遣された経験があった。そうして中国やアメリカ、ドイツ、ロシアの現状や陸海軍の実力を詳細に直接知ることができ、日本と各国の国力差を公正に評価できた。彼らの成功を確信した場合にだけ、攻撃をしかけた。対照的だったのは1930年代に中国大陸に展開していた日本陸軍だ。大陸の将校たちは若く急進的だったし、海外経験もなかった(ナチスドイツを除いて)。そして、東京の大本営にいた経験ある指導者層の命令を聞き入れなかった。若き急進派将校たちは、アメリカの工業力や軍事力を直接見聞きしたことがなかったし、日本の潜在的敵国についても無知だった、アメリカ人の国民心理も理解できず、アメリカというのは厭戦思想の蔓延する商人の国だと考えていた。

 1930年代でも、政治家や軍幹部(とくに海軍)の長老の多くは、欧米の力を直接見聞きした経験があった。私が日本で経験した、非常に強く印象に残っている話をしよう。初めて日本を訪れた1998年のこと、日本の製鉄会社の元重役だった90代のご老人と一緒に夕食を囲む機会があった。彼は1930年代にアメリカの製鉄所を視察したときのことを私に話してくれた。アメリカの製鉄所の高級鋼生産能力が日本の50倍であることを知り、彼は衝撃を受けたそうだ。その事実ひとつだけで、対米開戦が狂気の沙汰であることを確信したという。

 だが、1930年代の日本では、海外経験のある長老級の指導者たちが、海外経験のない若い急進派に恫喝され、威圧され、何人かは暗殺された。幕末期の1850年代末から60年代にかけて過激な志士たちが当時の日本の指導者たちを恫喝したり暗殺したりしたのとそっくりだ。志士たちも1930年代の青年将校たち同様、外国の強さを直接的には知らなかった。違ったのは、志士が西洋人を襲ったことにより、西洋の強力な軍艦が鹿児島の城下町や馬関海峡の両岸を砲撃したことだった。これにより、志士たちですら、自分たちの戦略は非現実的だと納得させられた。だが1930年代には、海外に行ったこともない若い将校たちに現実をたたき込む外国による砲撃はなかったのだ。

 さらに、明治の日本人指導者と、1930年代の指導者たちが経験した歴史が正反対であったこともある。明治の指導者たちが成長したのは、弱い日本、いつか強力な敵国が現れ攻撃されるかわからない状態の日本だった。だが1930年代の日本の指導者にとって戦争といえば、痛快な勝利をおさめた日露戦争だった。旅順港のロシア太平洋艦隊を壊滅させた奇襲攻撃や、対馬沖でバルチック艦隊を完膚なきまでにたたきつぶした日本海海戦を思い浮かべるのだ。旅順港の奇襲攻撃は、真珠湾でアメリカの艦隊にしかけた奇襲攻撃のモデルとなった(口絵3・7)。このように一国のなかで世代によって経験した歴史が異なるためにまったく異質な政治観を持つことになった例は、第6章のドイツでもみられる。

 そういうわけで、勝算が絶望的にないにもかかわらず日本が第二次世界大戦をはじめた理由の一部(あくまで一部)は、1930年代の若い軍幹部に現実的かつ慎重で公正な自国評価をおこなうのに必要な知識と経験が欠けていたことだ。そしてそれが日本に破滅的な結末をもたらしたのである。

日本経済新聞出版社刊 ジャレド・ダイアモンド著 小川敏子、川上純子訳「危機と人類」上巻
ISBN-10: 4532176794ISBN-13: 978-4532176792

2020年7月22日水曜日

20200722 株式会社新思索社刊 L・ヴァン・デル・ポスト著 由良君美・富山太佳夫訳「影の獄にて」pp.12-14

「実際、ハラは恐るべき小男だった。イワン雷帝が恐ろしかったという意味で恐ろしかっただけではない。あの民族独特の、デーモニッシュな恐ろしさという意味でも、恐ろしかった。こんなに長いあいだ、こんなに背が小さかったということへの復讐や償いとして、何千年にわたる背の低さを、ひとつ実人生のうえで仕返ししてやろうとするものすごさに似たものが、ハラのなかにはあった。ハラは高さや長身に対する羨望のようなものを持っていた。それが裏返しになって表れると、高さや長身に対する情け容赦のない憎悪に変わった。ハラのなかのデーモンー大黄色人種の世界制覇心と、みずからの意志をもって、彼の内面ふかくに潜む、昔ながらの、飽くことを知らぬ、打ちかちがたい力をもった一面ーが、こころのなかで騒ぐとき、わたしはハラが、われわれのなかでいちばん背の高い男を、ただ彼よりも背が高いからという以外の何の理由もなしに、たたきのめすのをよく見た。ハラの肉体の外観からして、すでに正常の人間の姿態にたいする拒否であり、復讐であった。いわば、日本の男性の容姿の拡大諷刺がハラであり、カリカチュアであった。

 ハラの背丈は実に低く、ほとんど小人と間違えられるばかりであり、あまりに横に広いため、ほとんど正方形に近かった。頭はないに近く、後頭部のほとんどない絶壁頭が、その広い肩のうえに、ほぼ垂直に鎮座していた。頭髪は濃く、漆黒だった。極度に粗いガサガサの毛質の、坊主がりにされた毛は、雄豚の背中の剛毛のように、堅く、こわばって、空中に突きだしていた。両腕は異例なまでに長く、ほとんど膝にとどかんばかり。反対に足のほうは、ばかに短くて極端に太く、ひどいガニ股になっていたから、われわれといっしょに収容所に入れられていた水兵たちは、ハラのことを、〈旧式短剣足〉(「旧式短剣)は、短い弓形の護身用短剣で、昔の海軍水兵は、これを戦闘の際に使用した。今日では、海賊の絵などに、しばしば見られる)と呼んでいた。口のなかには、薄黄色い、巨大な、丹念に総金縁にした歯がズラリと雁首をならべていたが、顔のほうは、ほとんど真四角に近く、額は狭くて、どことなく類人猿を思わせた。ところが、ハラの両眼ばかりは、実にすばらしく美しく、容貌や容姿と、まるで何の関係もないようだった。彼の両眼は、日本人にはまれなほど大きな、つぶらな瞳で、光と光輝を帯び、ごく上等のシナの翡翠のような、暖かな、いきいきした、輝きをもっていた。美しい両眼のおかげで、この恐るべき男が、どれだけ滑稽に堕さずにすんでいたか、まことに驚くべきものがあった。その両眼をちょっとのぞきこんだだけで、からかう気持ちは消えてなくなってしまうのだった。この歪くれた男は、どことなくヨーロッパ人の理解を越えた、献身的な、完全に無私の人物なのだということが、その瞳をちょっとのぞいただけで納得がいくのだった。

 そのハラの両眼に、最初にわれわれの注意をむけさせてくれたのは、実に、ハラの手にかかって、いちばん酷い目にあったジョン・ロレンスなのだ。おそらくロレンスは、ハラのために殺された人をのぞけば、もっとも酷い目にあった男であろうが、ある日、獄内で、ものすごく撲たれたあと、彼がこう言ったのを、わたしは今でもはっきりと覚えている。
「いいかね、君がハラという男について忘れてはならないことはだ」と彼は言った。「彼は個人でもなければ、ほんとうの意味で人間でもないということなんだよ。」さらに言葉を続けて、彼はこう言ったのだった。ハラは生きた神話なんだ。神話が人間の形をとって現れたものなんだ。強烈な内面のヴィジョンが具現したものなんだ。日本人を一致団結させ、彼らの思考や行動を形づくり、強く左右する、彼らの無意識の奥深く潜む強烈な内的ヴィジョンの具現なんだ。2600年にわたるアマテラスという太陽の女神の支配の周期が、ハラの内面で燃えさかっていることを忘れてはいけない。古代日本の内に深く眠る民族の魂の、気づかれないほどひそやかなささやきに、自分ほど忠実で忠誠心ある者はないと、ハラは確信しているんだ。民族の魂の励ますようなささやきを、心のうちに受け入れるほど、ハラという男は、おのれを虚しくできる。単純な無教育な男であるハラは、高等教育などのつけ入る余地のない原始のままの高潔さをそなえた田舎者なんだ。昔の神話や伝説をすべて本気に信じこんでいればこそ、なんのためらいもなしに、人を殺すことができるんだ。つい前の被、ハラはロレンスにある体験を話して聞かせたばかりだった。それは、満州で、シナ軍が線路に仕掛けた地雷を知らずに、日本兵を満載した列車が驀進していったところ、突如、列車は宙につりあげられて、ふしぎや、地雷の届かぬとなりの線路にまた無事におろされたという話で、これもアマテラスという太陽の女神のご加護だったという。「とにかく、彼の両眼をちょっとのぞいてみることだ」とロレンスは言った。「あの瞳には一点の下劣さも不誠実さの影もさしていない。太古の光を宿しているだけだ。現代の油を補給され、光を増した、明るく輝く太古の光がね。あの男には、なんとなく好きになれる、尊敬したくなるなにかがあるな。」
 この最後の言葉は、当時のわれわれにとっては、あまりにも異端の考えだった。私は、すぐさま抗議を申し込んだ。ロレンスが何と言い、何と釈明しようとも、ハラという人物に関してわれわれの抱いていた〈白の野獣〉いや〈黄色の野獣〉という考えをぬぐいさるものではなかった。わたしはロレンスの言葉をうけつける気になれなかった。」
株式会社新思索社刊 L・ヴァン・デル・ポスト著 由良君美・富山太佳夫訳「影の獄にて」
ISBN-10: 4783511934ISBN-13: 978-4783511939

2020年7月21日火曜日

20200721 株式会社文藝春秋刊 山本七平著「ある異常体験者の偏見」pp.307‐309

「それはいずれの時代でも同じかもしれぬ。渦中にいる者は不思議なほど、大局そのものはわからない。従って今なら「戦史」で一目瞭然のことを知らなくても不思議ではない。しかしそれは、前述のような微細な徴候から全貌の一部が判断できなかった、ということではない。

 昭和19年6月ーこれもまた6月だったがーといえば、ガダルカナルの撤退からすでに1年4カ月、アッツ玉砕から1年、マキン、タワラ両島も半年前に全滅し、クェゼリン、ルオット両島の守備隊も、4カ月前の2月1日に全滅していた。とはいえ一方では大陸打通作戦が開始され、インパールへの快進撃がはじまり、その陥落占領は「時間の問題」といわれ、報道される全般の戦局は何となく一進一退という印象でも、大日本帝国の無条件降伏が1ヵ年余の後に迫っていようとは、だれも予想しないのが実情だった。そして自転する中で、それが生活になっている一歯車には、この機構が永久機構の如くつづくように思われた。-ふっと「我に返る」ことが時々あっても。

 いま考えれば不思議かもしれぬ。しかし人間は習慣の動物、同時に習慣的思考の動物である。昨日の如く明日があると、破局の瞬間まで信じている。信じればすべてはそう見え、そう見えるための理屈はどうにでもつく。ガダルカナルやアッツ等の苦戦・撤退・全滅が暗い予兆であったとはいえ、その損害はノモンハン、台児荘、平型関等で受けた打撃と比べれば、確かに微々たるもの。少なくとも軍隊内にいる限り、一個大隊の大損害は、珍しい事件ではないことは知っている。しかも過去においては、そういう損害を受けつつも満州を保持し、中国の戦線も維持して、一応、優勢は保ち続けていた。多少の損害はあっても、占領した地域は保持し続けたのが、昭和6年以来すでに12年つづいていた実績であり、人びとは何となく、この過去の経験の延長線上に現在と未来を見ていた。それは戦後の人が、何回かの不況に見まわれながら急激に回復した過去の経験から将来を予測しているのと同じ状態であろう。そして私も、その例外ではなかった。

 ただ現場にいる者は、「これはおかしいぞ」といった微細な、しかし見方によっては破局的と思える徴候を、一種の感触でつかみうることも事実。私のみならず多くの人が、敗戦の感触をひやりと膚で感じたのは、19年5月29日、門司で輸送船に乗船したときであったろう。

 連隊の「自転する組織」の中で日常業務に埋没していれば、その機構の永久存続を信じうる。動員下令で新部隊が編成されて営庭に整列しても、観兵式や射撃演習のときとそう変わらない。ただ被服が全部新品の夏物だということだけの差である。整々と四列で営門を出、品川から汽車に乗るときも、別にこれといった変わったことは起こらない。門司に着き、旅館・学校・民家等に分宿しても、これまた秋期大演習のときなどと余り変わらない風景であり、久々の畳の感触を楽しむ方が先になる。

 船舶司令部に幹部集合を命ぜられ、そこで参謀から説明を受けたが、これまた今まで何回も聞かされた訓示と同じ発想、同じ趣旨のもので、何の新味もない。当日私といっしょに出席していた102師団の石塚中尉は、その日記に次のように記している、「5月27日(細雨)・・打合会に出席、海難に於ける損害減少等すべて指揮官、幹部の能力に左右せらるること多きは当然。然るに説明する者も聴く者も依然シナ大陸式に適当に表面を糊塗せんとするもの多きを知り遺憾なり・・」と。私もこれを聞いていたわけだが、内容は何も頭に残っていない。結局、実情は説明せずの精神訓話と訓示、聞く方も、大方そんな内容だろうと、実際は何も聞いていなかったということである。そうなるのも今までの経験で、聞き流しても一向に支障がない内容であることを、すべての人間が知っていたからであろう。こういう「お偉いさん」と自転は、元来、無関係だからである。

 だが、その日から2週間近くたった今日、6月11日の夕刻、魔のバシー海峡の真中で、西の水平線に落ちて行く真っ赤な太陽を眺めていると、この2週間の悪夢のような体験のすべては、一切が、恐ろしい勢いで破滅に突き進んでいることを、否応なしに突きつけ、見せつけているように見えてくるのであった。」
株式会社文藝春秋刊 山本七平著「ある異常体験者の偏見」
ISBN-10: 4163646701
ISBN-13: 978-4163646701


2020年7月20日月曜日

株式会社文藝春秋刊 山本七平著「ある異常体験者の偏見」pp.198‐199

グアム島でまた日本兵が現れたらしいという記事が新聞に出ていた。こういうニュースは何となく気になる。何気なく読んでいると「兵隊はみな天皇の声を知っているから、天皇の声を録音して放送したら出てくるであろう」という意味の横井さんの談話が出ていた。一瞬「オヤ」と思う、同時に「これは戦前の人間の生き方そのものだなあ」とも思い、また「戦後も同じなのかな」とも思った。

 いうまでもなくこの横井さんの談話は一種の「嘘」である。兵隊は天皇の声など知らない。戦後すでに30年近くをすぎているから、「戦前そのもの」とは別の、戦後にそれを再構成した一種の「戦後神話」ともいうべきものが出来てしまっており、その「戦後神話」では「天皇の軍隊の兵隊は天皇の声を知っている」という言葉もしくは発想それ自体は必ずしも不自然ではないのかも知れぬ。

「戦後神話」しか知らず、「戦前」とは「戦後神話」だと思っている世代、「マック制」を「天皇制」だと思っている世代が、こういうことを言っても不思議ではないし、また戦前を経験している人々もいつしか「戦後神話」がしのびこんできており、この二つの自らの内に峻別することに、私自身が非常に神経質にならざるを得ないのが実情だから、戦後の日本に住みつづけた戦前の人が、そういうことを言っても、これまた必ずしも「嘘」とはいえない。が、しかし、横井さんはそうではなく、それが「戦後に創作された神話」にすぎないことを、最も正確に知っているはずの人なのである。ちょっと考えると、そういう人はこの「神話」を否定しそうに思うが、面白いことにそうならず、そういう人がまっさきに、その神話を事実だと証言するのである。私が「戦前の人間の生き方そのもの」といったのは、この点である。

 私はここで少し興味をおぼえて、横井さんの出て来て以来の、その談話乃至は談話として掲載された言動を、出来る限り詳細にたどってみた。そして一種の驚くべきことを、また見方によっては当然のことを発見した。この「戦後」も「戦後神話」も知らないはずの人が、一種の「見えざる触覚」のようなものを出して、あらゆる方法でこの「神話」を察知し、その神話が横井さんとの接触でかもし出す雰囲気を一種の「皮膚感覚」のようなもので捉えて、まるで「熱いものに触れたらサッと手をひくように」すばやくこれに反応し、それをもとにして、この神話との間に絶対に摩擦が生じないように、実に的確な、岸元首相も顔負けの、文字通り「ソツのない」応答をくりかえし、全くボロを出していない、という事実である。これは一種の「環境適応」の天才といえるだろうし、これだからこそ27年のジャングル生活を生き抜いたのであろうし、またこれが「すべての日本人」なるものの典型的な行き方かもしれないとも思い、同時に、それなるが故に全日本人が横井さん以上に巧みに戦後の大激動をくぐり抜けて今日の繁栄(?)に到着したのだとも思えた。

だが同時に「事実」を知っているはずのその人が、真先に神話を事実といえば、それは一人間を「現人神」にするのも、「南京大虐殺」を事実にしてしまうのも、実に簡単なことだろう、そしてこれが日本を破滅させたのであろうと思った。何しろ、それが事実でないことを確実に知っているその人が、真先に「事実だ」と証言するのだから、どうにもならない。
株式会社文藝春秋刊 山本七平著「ある異常体験者の偏見」
ISBN-10: 4163646701
ISBN-13: 978-4163646701

2020年7月19日日曜日

20200719 株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」pp.335‐338

「人類は前代未聞の革命に直面しており、私たちの昔ながらの物語はみな崩れかけ、その代わりとなる新しい物語は、今のところ一つも現れていない。このような史上空前の変化と根源的な不確実性を伴う世界に対して、私たちはどう備え、次の世代にはどんな準備をさせておけるのか?

今日生まれた赤ん坊は、2050年には30代に入っている。万事が順調にいけば、その子供は2100年にも生きていて、22世紀に入っても溌剌と暮らしてさえいるかもしれない。

2050年あるいは22世紀の世界で生き延び、活躍するのに役立ててもらうためには、その子供に何を教えるべきなのか?その子は、仕事を得たり、周りで起こってることを理解したり、人生の迷路をうまく通り抜けていったりするためには、どんな技能を必要とするのか?

あいにく、2100年は言うまでもなく、2050年の世界がどうなっているかは誰にもわからないので、このような疑問の答えを私たちは知らない。もちろん、これまでも人間は未来を正確に予測することはできなかった。だが今日、未来の予想はかつてないほど難しくなっている。なぜなら、テクノロジーのおかげでいったん体と脳と心を作り変えられるようになってしまえば、もう何一つ確かに思えるものがなくなるからで、それには、これまで不変で永遠のように見えていたものも含まれる。

 今から1000年まえの1018年には、人々は未来についてわからないことはたくさんあったが、それでも人間社会の基本的特徴が変わることはないと確信していた。もしあなたが1018年に中国に住んでいたら、1050年までに宋王朝が崩壊したり、契丹が北から侵入してきたり、疫病で何百万もの人が亡くなったりしうることは承知していた。とはいえ、1050年にもほとんどの人が依然として農民や職工として働き、支配者たちが依然として軍隊や官僚制を人間で賄い、男性が依然として女性の上に立ち、平均寿命が依然としておよそ40年で、人間の体はまったく同じままであるだろうことは明白だった。したがって、1018年には中国の貧しい親は、子供たちに田植えの仕方や絹織物の織り方を教え、豊かな親は、息子たちに儒教の古典の読み方や書道、馬に乗っての戦い方を、娘たちには慎みのある従順な家庭婦人になることを教えた。こうした技能が1050年にも必要とされることは明らかだった。

 それに対して、今日私たちは、2050年に中国や世界のその他の国々がどうなっているか、想像もつかない。人々が何をして暮らしを立てているかも、軍隊や官僚制がどのように機能するかも、ジェンダー関係がどうなっているかも、まったくわからない。今よりもはるかに長く生きる人もおそらくいるだろうし、生物工学や、脳とコンピューターを直接つなぐブレイン・コンピューター・インターフェイスのおかげで、人間の殻らそのものが空前の革命を経ているかもしれない。したがって、今日子供たちが学ぶことの多くは、2050年までに時代遅れになっている可能性が高い。

 現在、情報を詰め込むことに重点を置いている学校が多過ぎる。過去にはそれは道理に適っていた。なぜなら、情報は乏しかったし、既存の情報の緩慢で、か細い流れさえ、検閲によって繰り返し堰き止められたからだ。たとえばあなたが1800年にメキシコの田舎の小さな町に住んでいたら、広い世界について多くを知ることは難しかっただろう。ラジオもテレビも日刊紙も公共図書館もなかったからだ。仮にあなたが字を読め、個人の書庫に出入りできたとしても、小説と宗教の小冊子以外には、ほとんど読むものなかっただろう。スペイン帝国は、各地で印刷される文書はすべて厳しく検閲し、外部からは念入りに検査した出版物がわずかに持ち込まれるのを許すだけだった。あなたがロシアやインド、トルコ、中国の田舎町に暮らしていても、状況はほとんど同じだった。近代的な学校が設立され、子供たち全員に読み書きを教え、チリや歴史た生物学の基本的事実を知らせるようになったのは、途方もない進化だった。

 それに対して21世紀の今、私たちは膨大な量の情報にさらされ、検閲官たちでさえ、それを遮断しようとはしない。むしろ彼らは、せっせと偽情報を広げたり、無関係な情報で私たちの気を散らしたりしている。もしあなたがメキシコの田舎町に住んでいて、スマートフォンを持っていたら、一生かけてさえとても足りないほど、ウィキペディアを読んだり、TEDの講演を観たり、無料のオンライン講座を受講したりできる。どんな政府も、気に入らない情報すべて隠すことは望めない。その一方で、相容れない報道や、人の気を逸らす情報を世間に氾濫させるのは、驚くほど易しい。世界中の人が一回マウスをクリックするだけで、シリアのアレッポの爆撃や、北極圏の氷の融解について、最新情報を手に入れられるが、矛盾する話があまりにも多いため、何を信じていいか困ってしまう。そのうえ、たった一回クリックするだけでアクセスできるものは他にも無数にあるので、的を絞るのが難しく、政治や科学があまりにも複雑に見えるときには、愉快な猫の動画や、有名人のゴシップや、ポルノに、ついつい切り替えたくもなる。

 そのような世界では、教師が生徒にさらに情報を与えることほど無用な行為はない。生徒はすでに、とんでもないほどの情報を持っているからだ。人々が必要としているのは、情報ではなく、情報の意味を理解したり、重要なものとそうでないものを見分けたりする能力、そして何より、大量の情報の断片を結びつけて、世の中の状況を幅広く捉える能力だ。」
株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」
ISBN-10: 4309227880
ISBN-13: 978-4309227887

20200718 株式会社講談社刊 谷川健一著「魔の系譜」pp.11‐14

「私は日本の歴史に触れて、しだいに一つの考えを抱くようになった。死者が生者を支配するーといった現象が、日本の歴史において、あまりにも多いように思うのだ。死者が生者を支配するーというのは、周知のようにオーギュスト・コントの有名な言葉だが、それは死者と生者の連帯を意味するのであろう。ヨーロッパでじゃ、伝統とは死者と生者の連帯というほかにない。

しかし日本では先祖とのつながりはあるにしても、普遍的な死者と生者の連帯はない。あるのは対立だ。しかも死者が生者を支配するのだ。
 いったいこういう歴史がほかのどの国にあるのか、寡聞にして私はそれを知らない。死者が生者をうごかす。生者は死者のそうした力を信じ、おそれ、それをとりなすためのあらゆる努力を傾ける。こういえば、悪霊をしずめる未開社会の心理を連想するだろうが、日本のばあいは未開社会とちがう発展の歴史をもっている。
 しかも日本ほどたやすく死者の復活を信じている国民はすくないだろう。わずかこの一世紀ばかりの、あるいは戦後20年ばかりの歴史を尺度にして私はいっているのではない。何千年もの伝統をふまえて、そういっているのである。
 普遍的な発展の法則にしたがっている日本歴史の裏側に、もう一つの奇怪至極な流れがある。それは死者の魔が支配する歴史だ。この死者の魔は、老ゲーテの信じた肯定的デーモン(地霊)とはちがって、否定的な魔である。
 それは表側の歴史にたいしては挑戦し、妨害し、畏怖させ、支配することをあえて辞さない。死者は、生者が考えるほどに忘れっぽくないということを知らせるために、ことあるごとに、自己の存在を生者に思い出させようとするかのようだ。
 この魔の伝承の歴史ーを抜きにして、私は日本の歴史は語れないと思うのだ。
 しかも、このばあい、死者は敗者であり、生者は勝者なのだ。弱者が強者を、夜が昼を支配することがあっていいものか。弱肉強食が鉄則になっているヨーロッパの社会などでは考えられないことだが、敗者が勝者を支配し、死者が生者を支配することが、わが国の歴史では、れんめんとつづいている。この奇妙な倒錯をみとめないものは、日本の歴史の底流を理解することはできない。
 死者の否定的な魔が歴史をうごかすーそれは史観と呼んでも差し支えないであろうが、私はそこまでいうつもりはない。ただ私は、日本人が忘れっぽくない民族であることを証明したいだけである。
 戦後の日本人のそれぞれが体験した労苦は生やさしいものではない。この時期に日本人は敗者としての意識をいやというほどに味わった。しかも敗者が敗者のままでとどまるかぎり、それは所詮どうにもならぬことであることも痛切に体験した。
 敗者として同情されることを日本人は嫌悪した。敗者の地位に立たされた日本人が、全力を尽くして考え抜いたことは、いかにして被害者が加害者になりうるかということであった。その証拠には残酷という言葉が、一時期を風靡したことでもわかる。
 こうした情念は、日本人が占領者アメリカにたいして、あるいは政党の被除名者がその政党にたいして抱く感情の代表的なものである。私が戦後の日本人の心情をもち出したのはほかでもない。挫折者または敗者の心情体験をとおして、死者の生者にたいする関係が、あらかじめ理解できるとおもうからだ。
 戦後の日本人が生きのびたという、それだけの理由のために勝利者づらするのを許さない死者たちがいる。彼らは、被害者から加害者への道おひらくことにおのれを賭けて、生者をゆさぶり、ひっぱたき、生者たちを眠りこませないようにしている。
 もとよりそうした死者は戦死者だけではない。政治的事件や反乱に参加して処刑された死者たちも含まれるのである。彼らの企ては挫折し、彼らは敗者としての死を強制された。勝者にたいして一言の抗弁もゆるされないときに、彼らができることといえば何か。
「夜に入り陰雨猛雨交々として来る。雷電激して閃光気味悪し、遠く近く雷鳴続く、鬼哭啾啾タリ 村兄は読経をす 余は 寺内、石本等不臣の徒に復讐す可くノロヒの祈りをなす、ノロヒなり、ノロヒなり。」
 これは二・二六事件の首謀者として死刑を宣告された磯部浅一が、処刑に先立って書いた獄中日記の一部である。一切の希望が絶たれたときに可能なことは、自分を理不尽な運命につき落とした神と生きた敵とをのろうほかにない。磯部は神々を叱咤し、罵倒し、それでなお神々がうごかないとみると
「余は祈りが日々に激しくなりつつある。余の祈りは成仏しない祈りだ。悪鬼になれるように祈っているのだ。優秀無敵なる悪鬼になるべく祈っているのだ。必ず志をつらぬいて見せる。余の所信は一分も一厘もまげないぞ。」
という境地にまで達する。生きながら死者の列にかぞえられている人間の再生するすがたがここにみられる。
「地獄堂通夜物語」によると、佐倉惣五郎(木内宗吾)は処刑のさいに眼をかっと見開いて「極楽往生に望みなし、念仏供養も頼み致さず」といいきった。このとき一天にわかにかき曇り、篠をたばねたような大雨がふりかかって、雷が鳴りわたり、処刑に立ち会った連中は、いっせいに逃げ去ったという。
成仏ーつまり死者の安らかな眠りを断乎として拒否し、悪鬼として復活をねがう瞬間に、私たちは立ち会っているのだ。二・二六事件の被告にかぎらず、怨恨と呪詛が、ついに「魔」の誕生を必然化させる過程をここにみることができる。」
株式会社講談社刊 谷川健一著「魔の系譜」
ISBN-10: 4061586610
ISBN-13: 978-4061586611

2020年7月17日金曜日

20200717 潮書房光人社刊 エルンスト・ハスハーゲン著 並木 均訳 「Uボート、西へ!」pp.17‐20

「人間世界は変わるが自然は不変である。自然は永遠であり海もまた同じである。風は太古より西から東へ、東から西へ吹きすさぶ。世代は移りゆくが、海は人智を超えて悠久にして広漠である。

船乗りは幾千年前と同様、今日においてなお戦士である。

船は形を変えたが海は昔と変わらない。白い帆が消えても風は消えない。海岸には標識灯が置かれ、信号も発明された。海はなお相変わらず奔放で力強く、人間のあらゆる発明や技術を嗤い、無数の船を毎年のように浜辺に打ち上げる。それに勝つことはできない。海を渡ろうとする者は闘わねばならない。

歴史が教えるところによれば、陸戦は国家と民族の大変革を引き起こし得る。その影響は数千年を経てなお辿ることが可能である。海は征服というものを知らない。留置や横奪を許さない。海はあらゆる痕跡を消し去り、太初より日々新しく無垢である。
 陸戦の本質は常に変わる。海戦の基礎は永久に不変である。海は断固として権利を要求する。今日は友だが明日は敵だ。何をしでかすか分からぬ気分屋で凶暴でもある。せいぜい中立的といったところだが、捉えどころがないことからして敵である。それゆえあらゆる海戦には昔からの共通項がある。武器とその使用法も変わった。だが、基本は変わらない。すなわち、海戦は「海と船、人間、民族の間の相互作用」であるということだ。

海は運命そのものである。

海の恒久的な法と「海の自由」に関する人間の概念が海の状態を決したのである。それが1914年に始まった世界大戦だ。「海の自由」は言論界においては有名な概念であり、それが真実だと本心から信じた者もいただろう。彼らは歴史書を紐解いたことがないのだろうか。海は平時においては自由だが、戦時においては強国にのみ自由である。一民族が自らの存亡を賭けて戦うのなら、自力で海を自由にせねばならない。

だからこそ英国は海上封鎖を宣言したのである。外国からドイツに到着する船はもはや一隻もなくなった。アルゼンチン産小麦もアゾレス諸島産バナナも「禁制品」だったからである。概念や規則に何の価値があろうか。これは戦争だ。そのために拿捕規定があるのだ。それを少しだけ拡張して適切に使用する必要があった。それからじきにドイツは飢餓に苦しんだ。要するに海上封鎖だ。だが、それは海戦法規が規定したほどの効果的な海上封鎖ではなかったため、敵はわれわれの港湾や沿岸を厳に監視し、これを封鎖したのである。これを実施することは危険であり、不可能ではないにせよ困難だった。それで英国は封鎖を宣言するだけで我慢し、ドーバー海峡を通過あるいはスコットランドの北を迂回してドイツに向かおうとする船を全て拿捕したのである。実際に戦時中、西から来る商船は一隻たりともドイツに辿り着けなかった。ドイツにとって状況は絶望的だった。わが国民はいつまでこのような飢餓状態に耐え得るだろうか。それへの効果的対策を知っている者など一人とていなかった。

答えを出したのは戦争自体だった。新兵器の潜水艦(Uボート)が登場したのである。U17は1914年10月20日、ノルウェー沖で英汽船グリトラ号を臨検してからこれを撃沈した。禁制品を運んでいたからである。戦争勃発直前に諸国で議論されてきたこと、つまり潜水艦による通商破壊戦が突如として現実のものとなったのだ。英国の海上封鎖に対抗するドイツ潜水艦!これぞ現実的な対抗措置であり、かくしてUボート戦が始まったのである。

 英国が宣戦布告するや、Uボートはただちにフォース湾に潜入した。日中は潜望鏡で敵艦船の動向をうかがい、夜には吸気のため海面に浮上した。ドイツ海軍軍人は度肝を抜かれながらも英軍艦を見つめ、スコットランドの深く切り立った海岸を背にして自らの姿を隠し、無言の影のごとくそのそばを通過したのだった。それ以外の時間は海底に沈座し、乗組員が睡眠と休養を取った。敵地の真っ只中で信じがたいような静寂に包まれる。これは夢か現か?

 遠くの物音が鋼鉄の船殻を時たま叩く。艦が海底を静かに擦った。ここなら安全であり、敵に攻撃されることもない。翌朝、磨き込まれた小さな鏡が用心深く海面に上げられ、朝日を捕らえた・・。

少し考えてみれば、Uボートからのこの第一報が故国にいかなる影響を与えたかを想像することはさほど難しくないはずである。大胆な哨戒は今までのほかの戦争でもあった。だが、こんなことがあり得ただろうか。やすやすと敵中に入り込み、敵を丹念に監視し、空気がある限り留まり、再び跡形もなくその場から消え去る。今ではこれら全てが容易で当り前のように聞こえる。だが、当時の我々は驚きのあまり絶句したのだった。Uボートは死をもたらす兵器でありながら、自らは不死身であるように思えた。

 かくして初の経験が得られたのである。Uボートの戦果は急上昇した。哨区はドーバー海峡とその北へと拡大された。英国は包囲された。ヘルズィング英巡洋艦パスファインダーを撃沈したが、これはUボートによって破壊された初の英軍艦だった。さらにヴェディゲンは装甲巡洋艦ホーグ、クレッシー及びアブキールを沈めた。ドイツは覚醒し、英国は括目した。乗組員2000人が乗った巨艦を一度に3隻も撃沈したのである。乗組員20人の小さな船がそれを成し遂げたのだった。」
潮書房光人社刊 エルンスト・ハスハーゲン著 並木 均訳
「Uボート、西へ!」
ISBN-10: 4769831390
ISBN-13: 978-4769831396


2020年7月16日木曜日

20200716 対話形式:最近の状況について

A「最近はまた、新型コロナウィルス感染症の感染者数が、非常事態宣言解除後から増えてきているようですね。また、設備の充実によって、PCR検査を受ける人数が以前よりも大分多くなっているとも聞きますので、その陽性率も高くなってきているのではないでしょうか・・?」

B「うーん、先日の非常事態宣言解除によって、この新型コロナ禍も徐々に収束に向かうのではないかと少し楽観的に考えていましたが、現在の東京を中心とする首都圏の状況は、決して楽観視出来ませんね・・。こうして外に出るのも、また控えなければならなくなるかもしれません・・。しかし、そうした状況において、大雨による災害や領海や政界での贈収賄などの問題などが続々と出てくるのは、何だか痛ましい限りですね・・。」

A「ええ、どれも重要な問題であり、国として何らかの姿勢を示すか、あるいは介入しなければならないのでしょうが、その国の中心部が、こうした状況にあることは、たしかに痛ましく、楽観視どころか、暗澹たる気持ちにさせられますね・・。あるいは、この先に、全てを好変させるような「何か」でも生じるのでしょうか・・東京オリンピックも良くて延期ですし、また、こうした状況が来年まで続けば、延期でなくて開催中止になる可能性も十分にありますよね・・。」

B「うん、そうした感染症と共に生きなければならない生活を「withコロナ」と評していますが、イマイチ、それがどういったものであるのかが分かりませんね・・。そうしたコトバや標語も結構ですが、それよりも、明瞭な実地に沿ったビジョンを平易なコトバで提示して頂きたいと思いますね・・。いや、こうしたビジョンも、その文言についての責任問題などで、おいそれとは提示できないのかもしれませんが、それでも現在の特に首都圏では、そういったものが必要であるように思いますね・・。」

A「ええ、少し穿った見方かもしれませんが、最近はマスコミによる報道でも、いわばネタがベタになってしまい、新型コロナ禍についての報道も、メシのタネとして扱っているようにも見えますからね・・。しかし、それでも、たとえ紋切り型のようになってしまっても報道は続けなけれなならないのでしょうが・・。」

B「多分、総合的な視座を得ることが、競争が激しい我が国の社会では、困難であるように思われ、また他方で、そうした総合的な視座を持つと認められるような存在には、実質的な権力を付与されることは少ないのではないでしょうか・・?まあ、おそらく、これは戦前社会からの反動(反省)に由来しているのだと思いますが、それでも、何というのか、社会における伝統的な「父性」のようなものが、戦後以来徐々に減衰してきて、ここにきて完全に欠如に至り、その代用品のようなものとして、欧米人のような髪の色にした、身体の鍛錬を趣味とする大御所お笑い芸人が鎮座しているのではないでしょうか・・(苦笑)?」

A「・・ああ、たしかにそうかもしれませんが、しかし、そのお笑い芸人の方は、以前に日本の伝統的な「父性」のような存在を、ある種の共感できる滑稽さを加味して映画作品を撮っていましたし、また、さきの大戦での合衆国による原爆投下にも憤っていましたよね・・。つまり、根底には、おそらく「そうしたものを大事にしたい!」といった心情はあるのだと思いますが、ここで大事であると思うのは、インカーネーション、血肉化された歴史像であると思います・・。つまり、キレイごとやお為ごかしでない、本当の歴史像です・・。また、これこそが、現代において、多様化してしまい、そのクリアな像を得ることが著しく困難になってしまったものであると云えますが、これが、さきにBさんが仰っていた伝統的な「父性」と密接な関係があるのではないかと思うのです・・。」

B「・・伝統的な「父性」と歴史像ですか・・。ええ、たしかにそれらには関係があるかもしれません・・。いや、それこそが現在、全世界規模で、それらの評価が行われているのかもしれません・・。また、その意味において、近代以降、西欧諸国によって酷い目にあってきた我々の隣国が、明確に権益の拡張をはかっていることには、何らかの深い歴史的な意味あるいは、因果律といったものがあるのでしょうか・・?そして、我々はこの先、どのようにして国際社会にて振舞っていくべきなのでしょうか・・?おそらく、その精錬されていない答えも歴史の中にあるのだと考えます・・。父性的な権威が衰えて、価値観の多様性が広く社会にて許容されると、商品の製造やサービスの提供といった商業・経済活動には諸事都合が良くなるのかもしれませんが、その反面、個人レベルにおいて、自分なりのインカーネーション、血肉化された歴史像を得ることが出来ないままで感性の可塑性がある若い時期を過ごしてしまう方々が多くなっていくのではないでしょうか・・?そして「そうしたものは経済活動にとって有用ではなく、むしろ不要である。」と本音では考える方々が増えると、皮肉なことに、まさに現在のような世界状況になるのではないでしょうか・・?」

A「ううむ、それはたしかに世界規模においても、ある意味、共通しているのかもしれませんが、あるいは、それらの根底にあるものは、スマートフォンの普及による知識やコトバの皮相化であり、その意味で、やはり原始的ではありますが、読書は大事であるのかもしれません・・。」

*その意味で、今後しばらくの間、書籍からの抜粋引用をもって記事としようと思います。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!


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2020年7月14日火曜日

20200714 内的な力の基底にあるもの・・経験・記憶?

先日来の大雨により、大きな被害を被った九州を主とする諸地域にて被害を受けたインフラの速やかな復旧と、被災された方々が以前の生活に戻られることを願っています。

さて、昨今、再び、首都圏にて新型コロナウィルス感染症の感染者数が増加傾向にあり、一時期は「収束に向かうのでは・・」との見通しもあったことから、その落胆の具合は、自身においても決して小さいものではありません・・。

また、去る6月22日に迎えた、丸5年のブログ継続期間後の安心感からか、ここ最近は、あまり積極的にはブログ記事作成を行いたいと思うこともありません・・。どちらかと云うと、6月22日以降の記事は、義務感のようなものにより作成されたと云えます。しかしまた、その後、10記事以上は作成していますので、さきに述べた内面の状態(安心感)からすれば、決して「不本意」というわけではありません。そして、出来れば、今月中に新たな10記事投稿投稿し、1350にまで到達出来れば良いと考えています・・。

さて、ここ最近、歯系・文系の以前お世話になった先生方からご連絡を頂きましたが、その中で文系の先生から「君が以前に研究した歯のことは、現在の役に立っているのか?」とのご質問を頂きました。

この質問は、現在の自身にとって悩ましいものであり、端的に述べますと「それはその後の現在までの自分にとって、なくてはならないものではありましたが、現時点においては、相対的に、その要素は軽く、希薄であるように思われます・・。」といった感じになります。

しかし「軽く、希薄」ではあるものの、それは同時に、これまで5年間にわたり、当ブログ記事の作成をどうにか継続することが出来た、いわば「内的な力」の基底にあるものとも云えます・・。それ故、その意味においては、少なからず「現在の役に立っている」とは云えるのではないかとも思われるのです・・。

また、去る4月末から作成をはじめた【架空の話】も、現段階ではあまり「歯のこと」に深入りしていませんが、今後の展開にて、ある程度、そうしたことにも触れて行くことが予想されます。くわえて、先の展開にて描くであろう歯科分野での研究については、その具体的な研究のハナシ以上に、さきと同様、そうした生活の「基底」にあった「精神構造」をどうにか描き出すことの方が文章の作成としては面白いのではないかと思われるのです・・。

また、この「精神構造」は、現在になり振り返ってみますと、文系時代においても類似したものがあり、多少、不穏当かもしれない表現にはなりますが「何人かの集団で、ある種の変性意識状態になっていたのではないかと思われるのです・・(苦笑)。」

さらに興味深いことに、こうしたことは、文系・歯系であれ、少し勘の良い方は気が付いていたようであり、そうした自らの変になっている様子を、共通して、マンガ「おーい!竜馬」内の血気盛んな若者たちが色々と無茶苦茶なことをしているシーンと結び付けて話されていたことが思い出されます・・(笑)。(小山ゆう氏作中の変になっている若者達の描写はセンスがあると思います・・。)

ともあれ、そうした「変になっている状態」で、何かしら自分の研究課題を追究してゆく中で、よく分かりませんが、ブログを5年程継続出来るような「何か」がインストールされ、そして内在化していくのではないかと思われるのです・・。また、それは自身のような変則的な経路を辿った人間であるならば、猶更であるようにも思われます・・。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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2020年7月13日月曜日

20200712 ブロガーとツイッターの閲覧者数(インプレッション)について思ったこと

2015年6月から当ブログをはじめて、どうにか5年以上経過しました。この間の総閲覧者数は、丁度47万人程であり、これを1年に均しますと9万人程度になります。そして、それを更に1カ月に均してみますと7500人となり、さらに、それを1日に均しますと250人となります。

とはいえ、これはあくまでも平均値としたハナシであり、実際の1日での閲覧者数は、かなり偏差が大きいと云えます。そしてまた、ブログをはじめて5年で、この程度の閲覧者数というのは、そこまで多いものではありません。

他方、今年の1月あたりから、ツイッターを始めましたが、こちらの方では独自の投稿をすることはあまりなく、リツイート以外の自身からのツイートは、概ね、当ブログ記事からの共有となっています。そして、面白いことに、これまで、当ブログから共有したツイートの閲覧者数(インプレッション)が思いのほかに伸び、そのデータを信用するならば、この28日の期間で5万人の方々に閲覧して頂いたことになります・・。

冒頭にて、当ブログの1年間での平均閲覧者数が9万人程度であることを述べましたが、それと比較してみますと、この数値が現在の自身にとって、どれだけ大きいものとして認識されているかは、理解して頂けるのではないかと思われます・・(笑)。

とはいえ、さきの28日の期間においては、いわゆる「バズる」といった出来事もあったことから、今後、同等の閲覧者数(インプレッション)を得られるかどうかは、かなり疑問視されるところですが、他方で、先日の「バズり」後から、わずかではありますが、徐々に全体の閲覧者数(インプレッション)も増加していることから、今後、さらにこの活動を継続することにより、今しばらくの「伸びしろ」はあるのではないかと考えるところです・・。

また、ここ最近は、もう少し、書籍を精読しようと考え、色々と本棚から取り出し、頁を開いていたところ、一種、収拾のつき難い事態となり、そこから「ここから数日間は書籍からの抜粋引用を記事として投稿しようかな・・。」などと考えるに至りましたが、これも案外、原点回帰の良いアイデアであるのかもしれません・・(笑)。また、去る4月末から書き続けています【架空の話】も継続的に読んで頂いておりますので、こちらも折を見て、続きを作成したいと考えています。

おかげさまで本記事の投稿により、総投稿記事数が1340記事になります。そして今後は、今月内での1350記事への到達を目標にしたいと考えています。

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2020年7月10日金曜日

20200710 現在読み進めている著作から思ったこと

ここ数日間は、新たな記事作成を行わずに過ごしました。また、その間に以前から読み進めていた複数著作も大分頁が進みました。

その中の一冊がジャレド・ダイアモンド著「危機と人類」上巻ですが、当著作にて述べられているさまざまな事例は、これまで、あまり知らなかったものが多く、興味深く読みましたが、同時に当著作の全体的なテーマは、同著者が編著にあたった「歴史は実験できるのか」とも通じるものであると思われました。
https://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766425192/

とりわけ、後著作の第5章にて述べられいる「奴隷貿易はアフリカにどのような影響を与えたか」は、自身として初めて読む歴史上の出来事についての考察であり、また、こうした題材がそこまで学術的とも云えない、一般的な書店にて購入可能な著作にて扱われた意味や反響は思いのほかに大きく、あるいは、現今のコロナ禍最中、主に欧米にて生じている大きな動き、思想的な潮流にも影響を与えたのではないかと思われます・・。

とはいえ、こうした考え自体は決して新しいものではなく、特に同著者は、こうした問題(世界規模における文明の発展段階の地域毎の相違、およびその原因について)を著作の主題として多く扱ってきたと云えます。

それに加えて他の現在読み進めているユヴァル・ノア・ハラリ著「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」もまた、こうした歴史的な事例の考察の上に組み立てられた著作であると云え、その意味で、当著作は、同著者による前著の「サピエンス全史」や「ホモ・デウス」といった、歴史的事例が少なからず書かれている著作とは毛色が異なり、より抽象的あるいは観念的色彩と強いと云えます。

それ故、同著は読み進めるのに多少苦労するのでしょうが、また同時に、読書としては面白いと云えるのかもしれません・・。

ともあれ、こうしたことを書いていて、いささか不思議に思うことは「危機と人類」そして「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」などは、まさに現在の我々人類全体に生じている出来事、動きをある意味、予見しているとも考えられる著作でありながら、あまり、そうしたこと、そしてまた、その「意味」を、それぞれの著作を基軸として議論されていないということです。

こうしたことは他の国々においても同様であるのかもしれませんが、我が国においては、言語が違うということもあってか、そうした傾向がいくらか顕著であるように思われ、それが良くも悪くも我が国の通例である「ガラパゴス化」といった現象を生み出しているのかもしれませんが、さきのジャレド・ダイアモンド氏による我が国について扱った記述には「ガラパゴス化」というコトバは我が国に対しては用いられていなかったように記憶しています・・(笑)。

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