こうしたことは、既に認識してきたことではありましたが、その原因については特に考えたことはありませんでした。
しかし先日、ブログの記事投稿が200を越え、また閲覧者数が若干増加しつつある現状を考えますと、多少はそういった要素について思いを巡らせても良いのではないかと考えるようになりました。
そのような経緯により、閲覧者数の多寡の原因を私なりに考えてみたところ、先ず書籍の抜粋においては、軍事関連などの硬質な書籍においては閲覧者数が伸びにくい傾向を示すことがわかりました。
その一方において近現代史、あるいは同時代の思想、また考古学、古代史などを扱った書籍からの抜粋に関しては比較的多くの閲覧者を得やすい傾向があることがわかりました。
そして自身の作成した対話形式のブログの場合、色々と対話内容が飛んではいるものの、何かしらまとめとしてのオチがあるものが比較的多くの閲覧者を得ている傾向があることがわかりました。
私がこれまでの一連のブログ作成において考えたことの一つを挙げますと
「現在の私は短編から長編まで物語、小説などを書く能力はなく、そうした現状において、手持ちの知識を含めた能力を用いて書くことのできるものは一体何であろうか?・・それは、これまで学んできた具体的な内容を日常的にどのような形で使用して会話をしているかを示すことではないだろうか・・。」
ということであり、その結果、多少の試行錯誤を経て現在の対話形式の文章となりました。
一連の対話形式の文章作成においては、当初自身の記憶をどのようにして蘇らし、文章化するかに重点を置いてきましたが、ある程度の期間が経つと、文章作成に際し用いる実際の記憶が減り、それと共に自身による創作的な部分が多く湧出してくるようになりました。
しかし同時に、これには波があり、比較的最近に書いたものの中においても、その多くが実際の記憶に多く基づいて作成されたものもあります。
ただ、全体的な傾向としては、作成記事が多くなるにつれ、つまり最近作成のブログになるにつれて、自身による創作的な部分が多い記事が多くなっているといえます。
また、一つの記事の作成に費やす時間ですが、これは大体1時間程度ですが、それ以前に様々なところで思いついたことをブログのネタとしてノートに記していますので、その時間を含めますと、もう少し長くなるのではないかと思います。
とはいえ、実際こうした自分なりの記事作成の方法が確立する以前は、もっと時間をかけて且つ、多少無理しても様々な要素を詰め込もうとしていた感があります。
これは初期に作成したブログ記事において、その傾向が強いのではないかと思います。
そして同時に、さきに述べました初期に書かれたブログ記事の方がより実際の対話での記憶に基づいている傾向があることを加味しますと、たしかにかつて私共が行っていた対話あるいは議論とは、ある程度内容の濃いものであったと思います。
そうしたものを活き活きと文章によって蘇らせることが出来たならば、それは一つの記録として、現在の私にとって満足できる成果であると考えております。
しかし、私が過去の有益であると思われる記憶を文章化により、鮮明に蘇らせたという自己満足的な感覚を得たとしても、それを良いものであると判断するのは、残念ながら私自身ではありません。
それを判断するのは読んでくださっている方々です。
それを判断するのは読んでくださっている方々です。
ですから、どのような文章であれ、文章とは本質的に意味が不明瞭な美辞麗句で飾り立てず、言語とそれが示す対象が精確に対応しており、それを基礎として思考、対話が成立し、積み上げられてゆき、それが読み手に的確に伝達され、さらにその内容が何かしらの感銘、感動あるいは知的好奇心なりを惹起させるものが良いものとして認識に価する文章ではないかと思います。
この点において論文、散文、詩文などであっても全て同様であると考えます。
その中において、現在私は散文に近い対話形式の文章を選択し、これまでの記事に用いていております。
それらがどのように読まれ、またどの程度影響力を持っているのかとは、さきに述べた通り、残念ながら私にはわかりません。
そうした状況において、どのような記事が多く読まれているかを知るということは、閲覧者数を増やすという実際的な目的であると共に、どのような文章が良い文章であるのかを知るための方策でもあります。
ブログ作成当初においてあまり多くの閲覧者数を期待しておりませんでした。
それは現在においても概ね同様ですが、同時に、最近、自身が上記の意味で良い文章を作成するための実際的な指針がここにあるのではないかと思うに至りました。
それを言い換えると、私が閲覧者の多寡という評価を信頼するに至ったということです。
今後はそれを参考としつつ、これまで同様の対話形式を用いて引き続きブログ記事を作成してゆきたいと考えておりますが、それが成功、功を奏するかどうかは不明です。
ただ、そのようにして作成された記事が、より多くの閲覧者に対して、何かしらの良い効果を促すものであれば、記事を書いた私にとっては僥倖であり、また実際に私と対話した方々にとっても同様であると考え、継続してみます。
しかし、それは一体どのようにしてわかるのでしょうか?」
皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。」
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