2015年9月22日火曜日

宮崎市定著 礪波護編「東西交渉史論」中央公論社刊pp.61-67より抜粋

人類の文化の進化はその経過の間に、幾つかの新しい文化の層(Schicht)を造っては重ねてきた。その最も有力なものは言語の層である。

然るに言語の伝統はあまりにも古く、従って派生し固定した種類はあまりにも多種多様であり、もし之を幾つかの語系に大別して見ても、それを以って直ちに歴史的地域区分とすることは出来ない。

言語の成立した時期があまりにも古いということは、言語史の年代は、文化の進歩した社会を対象とする歴史学の取り扱う年代とは、余りに懸け離れてずれていることを意味する。

言語の壁の後に出来たものは文字の層である。この文字の層はその起源が相当古いにも拘らず、それがユーラシア大陸の略々全部を蔽うまで成長するには長年月を要した。

故にこの層の広がりは時間による傾斜が甚だしい。例えば埃及バビロニアで右から文字、或いは左から文字が成立したのは西紀前20世紀の古代であるに対し、雲南の土着民族の文字が成立したのは西紀後16世紀前後のことに属する。

併し、こんな不均衡が存在するにも拘らず、この文字の排列法が、歴史地域区分法に有力な支持を与えることが出来るのは決して偶然ではない。

何となればこの文字の層の拡がってゆく30数世紀の間が、正しく歴史学の取り扱う時期と一致するからである。

そしてこの時代は既に文化の相当に進歩した時代である、進歩した文化が次々に未開の地域を征服してゆく時代でもある。

文字はある意味から言えば、文化の結晶である。一つの文化がその伝統を以って、一つの歴史的地域を形成してゆく時に、文字の伝播がその径路を示さない筈がない。

併しながら、あまりに文字を重視して、文字で歴史的地域区分を行うことにもなると、次に、然らば未開の民族、例えば蒙古キルギスステップ地方の遊牧民族が、未だ文字を持たなかった時代、彼等はその所属する地域が無かったかというと疑問が生じよう。
厳密に言えば或いはそういっていいかも知れない。

併し彼等が後世、蒙古人ならば立て書きの蒙古文字を有し、キルギスのトルコ人が右からの書きのトルコ文字を有するようになった事は、彼等が古くから如何に密接にその南方の文化民族と交渉を有していたかを示すものである。

故にたとえ彼等自身が未だ文字を有していなくても、彼等の将来を示すであろう如く、夫々立て書き地域、或いは右から書きの中に在ったと看做して差し支えないであろう。

このような物の見方について最後に残る問題は、文字の層が示す意義について、何故に字形其物よりも、字と字との間の空白を重要視したかの点である。

ある字形が行われる範囲は言うまでもなく、一種の有力な文化圏であろうことを示唆する。

併し乍ら広い世界の地位区分を行おうという時に、小さな文化圏の境界は暫く無視せざるを得ない。

ヨーロッパ地域を立てる為には、ゲルマンとラテンの民族差も、ロシア文字とラテン文字との差異も暫く目を閉じて看過せざるを得ない。

字形を無視し乍らその間から共通の要素を抽出しようとすれば、勢い文字の形よりもその排列法を重視する外はない。

文字の層は文化の層の重要な一種であるが、それは単一な層ではなくて、実は字形の層と排列法の層との複合体なのである。

文字の排列法というような、一見で重要ならざる、或は意味から言えば必然性のなさそうな所に絶大な意義が含まれている理由は先に已に一言したが、この意味は更に改めて考え直す必要がある。

文字の字形そのものは、どこかにそのモデルとなった文字の痕跡を残し、従ってどこかに古い伝統を伝えているものなるは言うまでもない。

併し乍ら文字の形は言葉との一致の為に大きな制約を蒙る。
異なる言語を写す文字を以って他の言語を写す時には、勢い多少の変形を蒙らなければならない。

この点で字形の層は言語の層と密接な関連を有して居り、両者全く相一致する場合が多い。

そして字形が転々として各地に伝わる間には最初の形が殆ど失われて了う場合も考えられる。

印度の古代文字の根源が今なお明確に指摘されないのはこのような事情によるものであろう。然るに文字排列法の層は三種に限られているから、その伝統を探る上に大なる便宜がある。

中国の漢字と、太古の埃及文字を除外すれば、文字の書き方は右から左からかの二通りとなる。

而して書き方の伝統は、何等かの理由がなければ変更することがない。

恐らく文字は宗教と密接な関係を保って発達したらしく、文字排列法の層は宗教の層と一致する場合が多いようである。

而して一たび右から文字の勢力が確立すると、この伝統は恰も宗教の如くどこ迄も持続する性質がある。

この場合、異種の文字が出現したり輸入されたりすることがあっても、文字の排列法は滅多に変化を蒙らない。

個々の異分子の闖入に対しては甚だ寛大であるが、それが異なった動き方をすることは厳然として拒否する。

こうしてアジアの有力な文化の中心に於いて、一たび文字排列法が成立すると、やがてそれが夫々の勢力範囲に普及して行ったので、従ってその範囲が必然的に歴史的地域区分と一致するのである。

但しアジアの三地域に対し、丁度それを区別する標準となる為であるかのように、三種しかない文字排列法が都合よく分配されたことに、何等かの理由があるのか、又は偶然の結果なのかは判明しない。

文字の字形は言わば、意識作用が働く範囲に属する。
始めて文字を制作する時には勿論大いなる精神的労力を要したであろうし、既に出来た文字を書写したり、読んだりする時にもなお多大の注意力の集注が必要である。

然るに文字の排列は言わば意識下の問題である。
我々は文字を読む時に、右へ読もうか下へ読もうかと意識することは殆どなく、只習慣に従って無意識に読み下す。

何となれば文字と文字との間は単なる空白であって、我々の意識に留まるような形態がないからである。

意識作用は伝統に対して反撥するか屈従するかであるが、空白は無意識であるから素直に伝統を受け入れる外はない。

翻って思うに我々の生活には無意識作用が大部分を占めている。

人間が或いは芸術家として、或いは思想家として、或いは政治家として、独特の意識生活を行う時間は、一生の間を通算して見ても、極く僅かな一小部分に過ぎぬのではあるまいか。

その他は殆ど伝統に従って、無意識か或いはそれに近い生活を送っているに過ぎない。

食事をするのも、栄養を採って生命を保つ為と考えての上ではなく、また特に空腹であるからというでもなく、只習慣に従って食事の時間が来たから食事をするに過ぎぬらしい。

然らばこの無意識作用は全人類に共通なものかと言えばそうではない。

尤も、睡眠などの反射作用になれば人類どころでなく動物にまで共通なものになるが、別に意識の直下のあたりに、意識の支配を受けない自覚されざる空白があって、それが各人各様に異なり、而もそれが人生に重大な役割を演じているのではないかと思われる。

勿論この無意識の空白は、文字と文字との間の空白のように、全然伝統に支配されるような、そんな簡単なものではあり得ない。

そこには伝統もあるが、また教養もあり、体質もあり、更に各人各時の健康状態も影響する、つまりこの複雑な空白には個性もあり、類型もあるのである。

人間は同じように口で立派なことを言い、意識で立派なことを考えても、この意識下の空白が実際にはそれを裏切って、その人の個性を決定しているのではなるまいか。

西洋では古画の真贋を鑑別するには、人物の耳を見るがよいろ言われてきた。

偽作者は人物の目や鼻や口や、特徴になりそうな部分には細心の注意を払うので、真に迫った偽作が出来るが、耳のような、特徴になりにくい部分は何気なく仕上げてしまう。

豈計らんや、そういう誰しも注意しない部分こそ、最も作者の個性が現れるのであって、本物と偽作とがすぐに見分けられるという意味だそうである。


更に同様のことは民族なり社会なりを対象とする時にもあてはまりそうである。

日本人とはどんなことを考え、どんな事を行うか、それは思想家や哲学者に聞いて見るよりも、意識下の空白の類型が最もよくそれを表しているのではないか。

日本人には日本人としての空白の類型があり、中国人には中国人の空白の類型があろう。

或いは東アジアには中国人と蒙古人との間に、その生活様式の全く相異なる一面があるにも拘らず、共通の空白の類型があって、ヨーロッパ人のそれと対照をなしているのではなかろうか。

歴史家は軈てこのような空白をも研究の対象として取上げなければならぬ時が来るであろうと思われる。

東西交渉史論 中公文庫
・ISBN-10: 4122031826
・ISBN-13: 978-4122031821
宮崎市定
礪波護





 
 



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