2020年12月31日木曜日

20201230 年の瀬に思ったこと:来年の目標

 ここ数日、本格的な師走となりましたが、こちらは本日が仕事おさめとなりました。また、当ブログの方も、以前に設定した年内での目標である1445記事には到達したことから、特に新規の投稿をする必要がないのだとは云えますが、逆にそうなりますと不思議なことに「何かしら書いてみよう」という気になってくるものです(笑)。

そこで「現在のような年の瀬で何を書けば良いか?」と考えてみますと「来年の目標」が妥当であると思われました。当ブログについては来年、本格的な春が訪れるまでに、どうにか1500記事まで到達し、さらに来たる6月22日まで記事作成を継続し、丸6年のブログ作成期間を更新したいと考えています。

1500記事そして6年間、ブログ記事の作成を継続しますと、何かが生じるというわけでもなさそうですが、しかし、現在までどうにか続けることが出来たのであれば、そこまでは継続した方がキリが良いと思われるです。そして、その後、さらに書き続け、上手く行けば2年後の年の瀬までには、あるいは2000記事まで到達することも出来るかもしれません・・。

しかし、この2年後の2000記事への到達は、現時点ではあくまでも「絵に描いた餅」であり、そこまで上手くことが運ぶとは、あまり考えていません。

また、他の目標としては、少しでも当ブログをも含め、自身の作成する文章で収入を得てみたいと考えています。そしてさらに、現今のコロナ禍においては困難であるかもしれませんが、これがおさまりましたら、西日本のある医療福祉系学部・学科を擁する大学(相対化のため出来れば複数)に定期的に継続して訪問させて頂き、その大学の面白く、新たな取組みなどを取材し、記事を作成し、自身のブログなどを含め、どこかで自身の文章として発表してみたいと考えています。

しかし、そのためには現時点での自身のブログは未だ力不足と云えることから、とりあえず、さきに挙げた目標まではどうにか書き続けて行こうとも考えている次第です。

さて、昨日も投稿しました【架空の話】はおかげさまで、比較的多くの方々に読んで頂き、またツイッターにおいては「いいね」を頂くことも出来ました。これを読んでくださった皆様どうもありがとうございます。

また、先刻、年末の挨拶にてお電話を差し上げた文系院時代の先輩から「鹿児島時代の話は面白いですよ。」と仰って頂きました。この先輩はお世辞を言われるタイプではありませんので、正直、嬉しかったと云えます・・(笑)。

そのため、今後、スランプの時期もあるとは思われますが、しばらく書き続けてみようと考えています。また、これに登場させて頂いているモデルの皆様、どうもありがとうございます。あまり美化して書くつもりはありませんが、先日お話しさせて頂いた師匠の見解と同様、あの時期は、自身にとっても(かなり)濃厚な経験の連続であったと云えますので、それを自分なりに上手く文章にて表現出来ればと考えており、そして、今後とも読んで頂ければと願っております。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!



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2020年12月28日月曜日

20201228【架空の話】・其の57

その後の「飲み方」は特に荒れることもなく盛り上がり、私も以前と比べ、少しは周囲の方々と打ち解けたような感じを受けたが、それはまた、次の月曜日になってみないと分からないといったところであろう・・。

やがて翌週になり、再び普通の大学生活がはじまったが、それらの課業にて専門基礎科目と分類されるものがあり、おそらくそれらは、歯科医療分野に直接は関与しない、医療系科目全般を指すものと思われるが、元来、人文社会科学分野あがりの私としては、そうした科目の講義は、はじめて聞く知見が多く、概ね興味を持って聞くことが出来たのではないかと思う。また、それら科目の講義を行うのは、当大学にも近いK大学医学部あるいは歯学部の若手教員か、研究畑に進もうとする同大学の院生達であった。

概して彼等は、そこまで教え方が上手いというわけではなかったが、他方で何と云うか、若く勢いのある研究者の熱気のようなものがあり、それらがあまり慣れていない講義への未熟さを補って(多少)余りがある、といった感じを受けた。また、これは以前の大学院修士課程での指導教員についても同様のことが云えるのではないかと思われる。

さて、私が在籍する口腔保健工学科にて養成する歯科技工士とは、国家資格による医療専門職ではあるものの、実際に患者さんを相手にすることは他の医療専門職と比べると少ないといえ、さらに歯科技工所などでの勤務となると、自分の作製した補綴装置を使用する患者さんに相対することはかなり稀であるとのことであった。

その点、もう一つの歯科医療分野である口腔保健学科にて養成する歯科衛生士は、歯科臨床の大きな担い手であり、いわば医療分野における看護師の役割を果たしていると云える。それだけに学科の学生数も多く、一学年で40名と、口腔保健工学科の二倍以上であった。とはいえ、それもまた看護学科に比べると半分以下であり、こちらは一学年で定員100名となっていた。

こうした学科構成からも、お分かり頂けると思われるが、口腔保健工学科は当大学で最も小規模な学科であり、その存在感もまた、あまり大きなものとは云えなかった。また、当学科の専任教員は概ね、さきのK大学の歯学部からの出向組であり、私が入学前に夜のT文館で遭遇したE先生もその類型であったと云える。

そういえば、このE先生は、元々、K市のご出身であるものの、東京の中心部にある大学に進み、そこを卒業され、1年の臨床研修期間の後、帰郷し、そしてK大学大学院に進まれたとのことであった。そのため、私としては東京の話題で盛り上がることで出来る数少ない方であり、また、E先生の方も教員ではあるものの、比較的年齢も近く、さらには私が学科で少し浮いている存在であることも知ってか知らずか、よく気さくに話しかけてきてくださった。

このE先生は私の入学と入れ違いにて大学院を修了されていることは以前にも述べたが、その後も継続的にK大学歯学部の歯科理工学教室には出入りしており、私が3年生に上がり、半年ほど経った頃、おもむろに「ウチの学科長とK大の歯科理工学教室の先生方には許可は貰っているのだけれども、今度、実験で試料を作りたいのだけれど***君、手伝ってくれるか?もし、大丈夫だったら火曜と木曜日の夜にK大の実験室と技工室で作ることになるけれども・・いや、バイト代は出ないけれども、夕食くらいはご馳走するよ・・。それと学会に入ってくれればペーパーに名前を載せてもらうよ。」とのことであった。一応、私も分野違いではあれ、そうした世界を経験していたことから「これは面白いかもしれない・・。」とすぐに思い、その申し出を受けさせて頂くことにした。ともあれ、そうなると一度、K大の歯科理工学研究室へ挨拶に行く必要があることから、E先生が日程調整をして頂き、10月初旬某日の金曜夕方に訪問することになった。また、教授に挨拶をするとのことで、大学指定の作業着である薄いブルーの白衣(日本語が少しおかしいですが・・)を持参しK大学の学内で着用することになった。(ちなみに、E先生より、この予定の伝達を聞いた時、何故だかシェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」冒頭部が思い出された。)

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!



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2020年12月26日土曜日

20201226 社会思想社刊 森浩一企画・編集 田中幸人著「日本の遺跡発掘物語7 古墳時代Ⅲ(西日本)pp.256-238より抜粋

 社会思想社刊 森浩一企画・編集 田中幸人著「日本の遺跡発掘物語7 古墳時代Ⅲ(西日本)pp.256-238より抜粋

ISBN-10 : 4390602470
ISBN-13 : 978-4390602471

竹原古墳は、北部九州の福岡県鞍手郡若宮町の諏訪神社の境内にある。この古墳には九州の装飾古墳の中で特異なことが二つある。その一つは、それら九州の装飾古墳群の中で位置的に北限にあるということである。近年、さらに北の宗像古墳群の中から桜京古墳(同県玄海町)がみつかったため、最北端ではなくなったが、桜京古墳が貧弱な同心円しか描かれていないのにくらべ、装飾の進展性や規模からいって、竹原は、王塚古墳とならび北部九州の代表的な装飾古墳であることは誰も異論がないであろう。

 その二は、古墳の図柄が特異なことである。九州の装飾古墳の装飾文様は、北上するに従って幾何学文様から具象的図柄へと変化していくのが特徴である。南部の熊本県・緑川・白川・菊池川水系の古墳群が、同心円、三角文あるいは直弧文を主体とする幾何学文中心であるのにくらべ、北上するに従って、馬、鳥、船、波など具象的図柄が加わっていく。筑後川水系になると珍敷塚(福岡県吉井町)や鳥船塚(同)、五郎山古墳(筑紫野町)のように図柄は互いに組合され被葬者を黄泉国へといざなう世界観のようなものを現す物語的要素を帯び始める。そして、王塚や綾塚(京都郡)に至っていっそう複雑化し、そしてこの竹原へくると完全な具象絵画が完成するのである。もっとも、その展開は、畿内の高松塚古墳(奈良県高市郡明日香村)が発見されるまでの流れではあるが、九州独自の装飾古墳文化の中では、この竹原古墳は具象的図柄の極点ということができる。

さて、竹原古墳は、この古墳を特徴づける図柄の意味と、奇妙な因縁のもとで発掘された。昭和31年のことである。

 古墳のある諏訪神社は、毎年春になると村相撲が開かれる。この年、春祭りの土俵を補修しようと氏子たちが境内の南側の崖に鍬を入れようとしたところ、羨道入口付近の天井石にぶつかたのが発見の事始めだった。それまで諏訪神社が前方後円墳(前方の部分はほとんど短く円墳に近い変形)の上にあるとは村人はもちろん氏子たちの誰も気づいていたものはなかった。古墳に関する伝説も所伝も伝っていなかったのである。

開けてみっくり。そこには異様な”怪獣”が見事な筆致で三つも描かれていたからである。発掘がスタートした時、地元郷土史家の清賀義人(故人)をはじめ地元の福丸高校、中学の先生や生徒の手で遺物集収などが行われた。しかし調査するにつれ、それまでの日本の古墳発掘史上例のない壁画が出るに及んで、町教育委員会は県に連絡、あわてて森貞次郎氏(九州産業大学)が派遣され緊急調査が行われたのだった。


2020年12月25日金曜日

20201225 岩波書店刊 金関丈夫著「発掘から推理する」pp131-134より抜粋

 岩波書店刊 金関丈夫著「発掘から推理する」pp131-134より抜粋

ISBN-10 : 4006031300
ISBN-13 : 978-4006031305

竹原古墳奥壁の壁画の主題について語る前に、いま一ついっておかねばならぬ重要なことがある。九州地方の、多くのいわゆる装飾古墳の壁画を見ると、竹原古墳以外のものは、その手法においては、もし信仰的な象徴性というものを考えなければ、例外なく、きわめて自由な、児童画に類するものであって、その手法の伝統を語るものは、縦にも横にも、何もない。いずれも絵画以前のものであり、芸術的価値を云々するべきものではない。全体としての画面構成に考慮を払われたあとはなく、描かれた個々の物象がそれぞれ自由に場所を占めている。表されているものは、全体としての一つの情景ではなく、単独の観念のよせ集めである。そこにはひまをかけた鄭重さが、幼稚さをカバーしているところはあっても、手練からくる奔放さというものはない。

 これに対して、竹原古墳の壁画(図版参照)は、まずその全体の絵画的なまとまり、壁画に対する絵の占める面と、その位置のつり合いが、毫も間然するところがない。これだけを見てもこの画の作者の練達さがはっきりわかる。

両側に大きく描かれた一対の翳(さしば)が、全体を強く引き締めて、中に一つの絵画的空間をはさむ。さしばの大きさは装飾的な拡大ともみられるが、下方の立波と共に近景の位置を占め、動物、人物などが、やや遠景的に取り扱われているーとも見える、ということから、このさしばの大きさの不調和があまり苦にならない。中央の空間の下半は、描かれた個々の像の位置が、相互間の調和をとり、実に的確に、ぴったりと嵌め込まれている。これに対して上方の獣形象は、右方にかたよっているが、その空間的波調によって、かえって全体の平板に陥ることが救われている。ひとり絵画とはいわず、一般芸術を通じて、この種の波調は不可欠な要素である。それと同時に、怪獣の姿体の躍動が、これで一層強められる。跳り上がった前肢をおろす次の動きが、それをおろす空間を前にのこしておくことで、実に活き活きと感取される。心憎い手際といわねばならない。

全体として、筆法は雄勁で、ためらうことなく、大胆に落筆している。作者は多年の経験のある玄人の画工であり、その習熟した筆を走らせて、一つの情景を描き表したのである。個々の象徴を語る個々の像が、一画面に寄せ集められた絵ではない。ここでは、それぞれの像の間に緻密な関連があり、一つの全体を構成している。信仰的統一でななくて、絵画的統一がある。

手法は、洗練、精緻というものでは決してない。むしろ粗野である。表現の力はしかし、かえってこの粗野さによって強められている。その効果は実に見事なものである。作者の素性はおそらく職人的画工であったであろうが、それならば、芸術家の素質と手腕を具えた工人であったと認めなければならない。一つの芸術作品としてこの壁画は非常にすぐれた作品である。この壁画の芸術的な価値について、これまでに最も強い感激を表白されたのは、海老原喜之助画伯であるが、考古学者の側からは、そうした評価はまだ聞けない。

2020年12月24日木曜日

20201224 新思索社刊 ローレンス・ヴァン・デル・ポスト著 由良君美・富山太佳夫訳 「影の獄にて」pp.19-23より抜粋

 新思索社刊 ローレンス・ヴァン・デル・ポスト著 由良君美・富山太佳夫訳 「影の獄にて」pp.19-23より抜粋

ISBN-10 : 4783511934

ISBN-13 : 978-4783511939

むろん、ハラも拷問に加わることがあったが、それは彼の同国人の一団や群れの行うことにはすべて従うという、ほとんど神秘的な、深い必然の感覚が、否応なしに彼を、目の前の出来事と一体のものにさせるときにかぎられていた。まるで彼らは、個人のことは、何一つ経験することができない人間のようだった。まるで、ある人間の考えや行いが、たちまちにして他人に伝染し、黒死病や黄死病のように、残虐行為という悲運の疫病が、あっという間に彼等個人の抵抗心を抹殺してしまうかのようだった。

つまるところ、ハラは、彼等のなかでも最も日本人だったのだ。だから彼は拷問に加わらざるを得なかったが、しかし、彼は一度たりとも拷問の音頭をとったことはなかった。ハラという男は、長時間延々と人を拷問にかけるより、ひと思いに殺すことを好む人間だということが、ロレンスには何となくわかっていた。こういうことをすっかり念頭にしながら、彼はハラをもっと仔細にながめてみた。すると彼の目が常になく輝いており、頬も紅潮しているのに気づいた。

「奴さん飲んできたな」と彼は思った。というのは、ハラの頬には、隠そうにも色にでた赤らみがあった。飲むと日本人はすぐ赤くなる。「これで彼の目の輝きのことも説明がつく。これは用心したほうがいいぞ。」

しかし、頬の赤らみにかんしては彼の考えは正しかったが、目の輝きのほうにかんしては、違っていたことがわかった。というのは、突然、ハラがこう言ったからなのだ。出かかった笑いが押し殺されていたためであろう。唇をちょっとひきつらせて、「ろーれんすさん、ふぁーぜる・くりーすます。知っとるかな?」(さん)づけをして言われようとは予期していなかった。それだけに、ロレンスはほとんど全身の力が抜けてしまいそうになり、ハラの言ったふしぎな(ふぁーぜる・くりーすます)という言葉のことが本気に考えてみることができなかった。とうとうハラの短気な眉に、あまり返事がおそいための、無理解の雲がかかるのを彼はみた。この雲は、たいてい、激怒の前触れになる、そのとき、やっと彼には納得がいったのだ。「知ってますとも、ハラさん」と彼はゆっくり答えた。

「ファーザー・クリスマス(サンタクロースのこと)ですね、知ってますよ。」

「エヘーヘッ!」とハラは、かなり満足げに、歯の間からきしるような叫び声をあげた。一瞬、彼のながい唇の間で、金縁の歯がキラリと輝いた。それから椅子にふんぞり返ると、彼はこう申し渡すのだった。

「今夜、わたし、ふぁーぜる・くりーすます!」三・四回、ハラはこの驚くべき言葉を述べたのである。しかも大声で笑いながらなのだ。

ほんとうは何のかことかわからないままに、ロレンスも声を合わせた。あまりにも長い間、営倉でたった一人ぼっちで、死刑を宣告されたまま横たわっていたために、いつも夜の今頃になれば、恒例の拷問の時間だと思うのが精一杯で、ほかにはほとんど何も考えなかった。今日は何月何日かという観念をなくしてしまっていた。実際きょうがクリスマスだったとは、考えていなかったことだった。

おのれの言葉と、それを聞いた、ロレンスのあからさまな当惑の表情とですっかり悦に入ってしまったハラは、特権を一方的に楽しめるこの一瞬を、できればもっと引き延ばしたかったところだろう。あいにく、ちょうどそのとき、ひとりの衛兵が戸口に現れ、背の高い髯面のイギリス人を部屋の中に連行してきた。そのイギリス人は、英国空軍航空隊長の色あせた制服を着ていた。とっさに、ハラは笑いをぴたりと止め、戸口に立ったヒックス=エリスのひょろ長い姿に目を走らせるその表情には、ほとんど憎悪に似た、よそよそしさが宿った。このロレンスの話を聞いていると、わたしには、そのときのハラの姿が、ありありと目に見えるような気がした。

この空軍将校が入ってきた刹那、急に固くなったハラの姿がまのあたりに見えるように思ったのだ。われわれ捕虜のなかでも、ハラは、この背の高い呂律のまわらぬヒックス=エリスを、いちばん、にくんでいるように思えたものだ。「この空軍大佐はな」とハラはいかにも軽蔑しきったように、大佐に向かって手を振りながら、日本語でロレンスに言った。「この収容所の所長だ。さ、おまえはこの男と一緒にもう大部屋に帰ってよろしい。」わが耳を疑う思いで、ロレンスは一瞬ためらった。ロレンスの顔にわれ知らず浮かんだ信じかねるような表情を見て、自分のふるまいの寛大さを確認したのか、ハラはふんぞりかえると、ことさらに笑うのだった。ハラが大笑いしているのをもう一度たしかめてから、はじめて冗談ではなかったことがわかったロレンスは、歩いて大佐のところへ行った。一言もかわさずに二人がいっしょに扉のところまで行ったとき、突然、ハラは恐ろしく鋭い、観兵式の号令のような声で呼んだ。

「ろーれんす!」

絶望に目をつむる思いで、ロレンスはふりむいた。こうくるだろうと予期していてもよかった筈だ。拷問をうけるはずのことが、こんなにいきなり釈放されるなんて、あまり話がうますぎて、ほんとうにできない気が、どこかしていたからなのだ。これもまた、あるいは拷問の一部なのかもしれない。秘密警察の心理学者かなにかが、単純なハラに入れ知恵して、やらせたことかもしれない。しかし、ふりむいてハラの顔を見たとき、彼はホッと安堵の胸をなでおろした。ハラはあいかわらず、いつくしみぶかげに、ニコニコ顔をしたままだったから。謎のようなその顔の、短気そうなひねった唇と金縁をはめた黄色い歯とのあいだに、不可解なよじれたような微笑を浮かべたままだった。ロレンスの視線をとらえると、ハラは、ものすごく力んで、鋭くつんざくような声で呼びかけた。「ろーれんす、めりい・くりーすますぅ!」

(めりい・くりーすます)と(ふぁーぜる・くりーすます)という二つの言葉。これがロレンスにとって、ハラが口にするのを聞いたただ二つの英語だった。たぶんこれ以外には知らなかったのだろう。この言葉を言おうとして、ハラの顔面は、もう一度、ピンクの度を増した。それから、猫のように喉の奥をゴロゴロ鳴らし、司令官の椅子の上で、くつろいだ態度に返った。



20201223 10000時間の法則と文体獲得に至るまでについて思ったこと・・

 これまでどうにか1400記事以上作成してきたから、こうした文章を作成するのが楽になってくるというわけでもなく、自身の記憶と感覚に基づきますと、それは波があると云えます。

また、継続して作成している記事の様式があれば、それに則り、そこまで労せずに記事作成が出来るとは云えますが、そこでもまた別種の波のようなものがあるように思われます。

これまでの【架空の話】は、概ね自身の記憶に基づいて作成していますが、その作成に際しても「そういえばこんなことがあった・・。」といった記憶が、書いているうちに沸々と湧いてくる時と、そうでない時があり、後者である場合は、何故だかとても眠たくなってきます。そうした時は、まさに寝落ちしそうになりながら作成しています。対して前者である場合は、調子が良いと、本当にスルッと1時間も経たずに、ある程度キリが良く、そしてまた適当な文量になっています。

しかしながら、こうした日は決して多くはなく、大半は後者に近いのが現状と云えます。こうした違いが何により生じているのかを明らかにすれば、もう少し効率的な記事の作成に繋がるように思われますが、しかし、それを明らかにする前に次の記事作成を行っていると云えることから、未だにそれは改善されていません・・(苦笑)。

おそらくそれは、今後首尾よく1500記事に到達して1カ月程、新規の記事作成を休止している時に何か良いアイデアが浮かんでくるのではないかと捕らぬ狸のなんとやらを行っています・・(苦笑)。

また、昨今よく聞くハナシで10000時間の法則というものがあるとのことで、何かの技芸の上達のためには、それを10000時間継続する必要があるとのことです。その伝で考えてみますと、1記事の作成に2時間を要する場合、5000記事の投稿が必要であり、3時間であれば3333記事程となります。

そうしますと、所用作成時間が2・3時間の何れの場合であれ、未だ現在半分にも至っていないこととなり、途方に暮れてしまいます・・(苦笑)。しかし他方で、もしも、当ブログ記事作成を始める以前の、さまざまな文章作成に費やした時間をも加算することが妥当であるのならば、感覚的にではありますが「半分以上までには至っているのではないか?」とも思われてきます・・。

とはいえ、そうしたものは、何かの拍子にパッと気付くものであるのか、あるいは加齢の様に、気が付かないうちに、徐々に進行していくものか分かりませんが、そうしたことが起きるのをボンヤリと期待し、気に留めつつ、その都度の記事作成を続けるのが、最も堅い進め方ではあるように思われます・・。

そして、もしもそのようになったら、一体自身の文体はどのようなものになるのでしょうか・・?あるいは「何でも文章で表現できる!」といった自信にでもなるのでしょうか?そして、さらに、それは何に生かすことが出来るのだろうか?

馬鹿らしいかもしれませんが、そうした期待のようなものは思いのほかに大事ではないかと考えますが、さて、如何でしょうか?

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!






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2020年12月21日月曜日

20201221【架空の話】・其の56

こうして、その様子を傍から眺めてみると、彼等彼女等はいかにも若く、どうも高校生の様にも見えるのであった。

一般的に大学2年生は十九歳もしくは二十歳(はたち)であることから、参加メンバーには未成年も少なからずいたと云えるのだが、そのあたりは、最近はシッカリとしているらしく二十歳になっている者のみ、お酒を注文することを許されていた。とはいえ実際に「飲み方」が始まると多少ルーズになってしまうらしく、会の終わり頃になると、どうしたわけか二十歳に達していないと思しき学生達も、顔を赤くして上機嫌な様子になっていた(出来上がっていた。)。

こうした本来であれば禁じられた飲酒をしてしまうのは、概ね男子学生であり、女子学生の方は、少なくともこうした場所では、飲酒を伴わないような陽気さで盛り上がっていたように見受けられた。

私の在籍する口腔保健工学科は、一学年で私を入れて十八名であり、そのうち半分が女子学生であった。また、私以外の男子学生は現役か一浪であり、つまり、その中では私が突出した年長者であった。

とはいうものの、私には頼るべきツテなどなかったことから、以前にも述べたように学科内では何となく浮いてしまい、また、それを改善すべく私の方も「友達作り」を積極的に行わなかったためか、ここでは、最後まで友達らしい友達は出来ずに終わった。

飲み屋さんに入り、出席を確認し、飲み物を注文してしばらくすると、つきだしと、はじめの飲み物が運ばれて来た。それらが皆に行きわたると、さきほど私への対応を行ってくださった女子学生が立ち上がり「皆さん、小テストやレポートや実習などでお疲れとは思いますが、今日は今年度から新たに口腔保健工学科に編入された***さんにもご参加をしてもらい、全員参加にて、このような会を開くことが出来ました。今後も皆で力を合わせて頑張り、講義や実習をパスして行きましょう。」といった主旨の挨拶をされて乾杯となった。

会が始まると、しばらくは平和な感じでの飲食となったが、やがて、同期の男子学生の中でも割とヤンチャな感じの三人組がこちらに来て、私に話し掛け、ビールを注ぎ合ったりした。そこまでは何事もなく、まあ穏やかなやりとりであったが、どうしたわけか話題が私の服装のことになり、三人組のうちの一人が少し酔っている様子にて「***さんは、たしか東京から来たんだよね。・・入学した頃から見ていると、着ている服装の好みが結構俺と被っているから、前から話してみたかったんだ・。それで、そこに置いてある帽子なんてなかなか良いよね・・。ちょっと被らせてよ。」といった感じで訊ねてきたため、傍らのブーニーハットを渡すと、それを受け取り被って、他の二人に「これ、どう?」と云った感じに視線で訊ねていた。すると他の一人が突如、その帽子を頭から奪い取り、自分で被ってみて、そしてすぐに、それを座っている床に叩き付けた。その突然の動作に私は驚いたが、しかし同時に、彼らからは特に底意のある悪気のようなものは感じられなかった。もし、そうしたものがあったのだとすれば、それは自らのものとは異なる文化に接した時の本能的な警戒感や違和感のようなものであったように思われる。

それでも、この動作には周囲の注意を引いたようであり、その場が少しの間固まっていた(苦笑)。

しかし、それも酔った上での行動と認識されたようであり、また徐々に「飲み方」の空気は、和やかなものに戻って行った。またその後、Kでの在住期間に、何度かこれに類するような出来事に遭遇したが、それは決して悪い意味でなく、当地域での感情発露の仕方の一つなのであろうと思われた。

その後の「飲み方」は特に荒れることもなく盛り上がり、私も以前と比べて少しは周囲の方々と打ち解けたような感じを受けたが、それはまた翌週の月曜日になってみないと分からないところであろう・・。

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20201220 年内作成記事目標の更新から思ったこと

 おかげさまで、前回の記事投稿により総投稿記事数が1440に到達しました。また、以前に、年内での目標記事投稿数を1440と述べましたが、その目標には到達し、次はその目標を1445に更新しようと思います。

年内残り10日あまりにて5記事を追加投稿することは、そこまで困難とは感じられず、また、これまで書き続けている【架空の話】の続きも作成したいと考えています。

この【架空の話】ですが、直近投稿の「其の55」は、投稿後4日にしては、思いのほか多くの方々に読んで頂きました。これを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

他方で、専門職大学の編入試験からKでのアパート探しまでを概ね時系列的に書いた、其の1~其の52から少し時間が進み、GW後、学科にて開催の「飲み方」について書いた「其の53」も、さきと同様、自身の作成記事としては多くの方々に読んで頂いていたことから、次回投稿の【架空の話】は、この「飲み方」(「其の53」)の先を書いてみようと考えています。

しかし同時に、いずれであれ、これらを更に今後、書き進めていくためには、実際に現地を訪れ自身の記憶を励起させるか、あるいは取材的に現地での見聞を更新する必要があるのではないかと思われましたが、現今状況下では、それは叶いませんので、今しばらくは現在の環境下にて書き続けてみようと思います・・。

また、その際に多少役立つと思われたものは、自身の歯科技工学校時代のノートであり、これは先日、本箱の中から探し出しました。

当時、2007年頃の私は、文系院の修士を修了した直後のためか、変に理屈っぽくなっており、一方で、自らの手があまり器用に動かないことに、苛立ちのようなものを覚え、焦燥感のようなものを抱いていました。しかし、そうであっても初めて見聞する歯科医療分野の知識は大変新鮮であり、特に歯科材料学(歯科理工学)は、それまで文系院にて取組んだ、主に紀南地域の地域性検討のための一要素として定めた弥生時代の青銅製祭器「銅鐸」の作成手法が、原理的には、歯科医療分野での合金製歯冠修復物(メタルクラウン)と同じであったことから興味を持ち、自分なりに色々と取組んだ結果、その分野での大学院に歯科技工士として進むことになりました・・。

現在では、こうした歯科技工士の方々がいらっしゃることは知っていますが、当時(2009年)はかなり珍しかったのではないかと思われます・・。あるいは巨視的に見ると、これは一つの社会実験であったのかもしれませんが、その意味においては、私は「失敗した試作機」と云えなくもないです・・(苦笑)。

しかし他方で、そうした背景を持つ人間(そこでは私が歯科技工士であるということは背景の一要素となる。)が、これまたヘンテコにもブログ記事の作成をどうにか5年以上続け、そしてまた、書籍からの抜粋記事が少なからずあるものの、どうにか1400記事程度まで作成出来ていることは、直接的な社会有用性にはあまり寄与していないのかもしれませんが、それでも、何らかの新たな可能性を社会に示唆しているのではないかと、自惚れではありましょうが提示し、主張してみたくもなるのです・・(笑)。

ともあれ、年内に1445記事まで到達出来ればと思います。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!



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2020年12月18日金曜日

20201218 本日の神保町での出来事から思ったこと(1440記事の到達)

去る20201022投稿記事にて、入った古書店で声をかけられ、新型コロナウィルス感染症のため中止となった「神田古本まつり」のパンフレットを頂いたことを書きました。そして本日、それと関連があるとも思われる出来事があったため、以下にそのことを書きます。

本日は、番町在の、かねてよりお世話になっている先生のもとにお歳暮をお届けした後、年賀状印刷の依頼をしようと、夕刻頃、4年前と3年前にお願いしたことがある神保町界隈にある印刷屋さんを訪ねました。

店舗内に入り「すみません、以前にも年賀状印刷をお願いしたことがあるのですが・・」と言い切らないうちに「はい、鶴木さんでしょ。」と、受付けをされている、少しご年配の快活な感じの女性に云われました。

それを聞いて「ええ!覚えていたのですか?」と訊ねてみますと「ええ、注文された原版は残っていないかもしれませんが・・。」と少し恐縮されたような感じになりましたが、私が驚いたのは、3・4年前に注文した客のことを覚えておられたことです・・。

ちなみに、この印刷屋さん(1937年創業)は、そこまで暇なお店ではないようであり、私が店内にいた数分の間だけでも、他に二人ほど、入れ替わりで注文していた年賀状や印刷物を引き取りに来られていました(神保町界隈は印刷屋さんが多い。)。

くわえて同界隈の薬局でも類似した出来事があり、試供品の栄養ドリンク(おそらく数百円相当)も頂きました・・(これは地味に嬉しかったです。)。

私は幼稚園児の頃から神保町界隈は出入りしており、それなりに長い(30年以上)とは云えますが、しかし、ここに来て、そうした出来事が続くことは、面白くはあるのですが、同時にまた少し不思議な感じも受けます・・。

また、そのように考えてみますと、私が幼い頃から読書を好んでいたのは、そうした環境(幼い頃から神保町界隈に出入りしていた)にも因るのかもしれません。

他方で、それら読む書籍の主題となることが多いと云える、主に西日本の史跡(古墳など)などに関しては、それらを身体感覚に基づき感じ、楽しむことが、以前と比べ困難になってきたように思われるのです。自身としては、この感覚を再び強めて行きたいと願っております。そして、その具体的方法については、もう少し検討していきたいと思います。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!



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2020年12月17日木曜日

20201216【架空の話】・其の55

「まあ、しかし、君のお父さんとは法事でこれまでに何度か会って、あと若い頃は会社の出張の時に会ったこともあるけれど、君はその息子さんかあ・・。」と両手を組んで感慨深げにこちらを眺めた。

私もまたもう少し意識して院長を見ると、たしかにその顔貌の特徴には、父や父方の親戚筋とも共通する要素があり、不図「パラレルワールドに父親がいたらこんな感じかもしれない・・」といった思いが脳裏をかすめた。

続けて院長は「うん、君のお父さんと私がほぼ同世代だから、君からすると5代前、そして私の4代前、つまり高祖父が同一人物ということになるね。丁度、この高祖父と、その下の曾祖父の世代に明治10年の西南戦争が起きてね・・。そして、まあ、高祖父と何人かのその息子達はその時に亡くなってしまたのだが・・。この高祖父「***さあ」は、戦争当時、既に高齢であったのだけれども、若い頃からボッケモンで通っていたこともあり、西郷軍の小荷駄方として従軍してね、最期は西郷軍本隊を無事に鹿児島に帰すために、殿(しんがり)の一人として人吉という場所での防戦の末、五月の末頃に戦死したと聞いているよ・・。」と、あまり感傷を交えない淡々とした調子にて語ったが、それを聞いた私は、自身の5代前にあたる人物が、我が国近代最大の内戦にて、いわば反乱軍の兵士として戦死していたことは、これまでに聞いたことがなく、さらに、自身内部のこれまで知らなかった「何か」に触れたような感じを強く受けた・・。

ともあれ、そうした共通のご先祖のハナシを聞いているとドアをノックしてトレーに載った弁当とお茶が二組運ばれてきた。運んで来たスタッフに院長は「やあ、どうもありがとう。」と云うと「ええ、ポン酢とゆず胡椒も一緒に持ってきましたから、温かいうちに。」と返事をして「では。」と明るい声で引き下がって行った。

トレーを見ると、たしかに、よくある弁当のパッケージとは別に、小瓶に入ったポン酢らしきものと、緑色のペースト状のものが入った同程度の大きさの瓶が置かれていた。それを眺めていることに院長は気が付いたのか「ああ、丁度昼時だから今日は一緒に弁当でも食べよう。ところで君は「とり天」は知っているかね?」と、これまた鷹揚に訊ねてきた。「とり天」は現在の私にとってはかなり馴染み深い惣菜であり、それは唐揚げに勝るとも云えるのだが、当時は予想される語義通り「鶏の天ぷら」であるとは察せられるものの、しかし果たしてそれがどのような味であるかについては見当が付かなかった。

院長は白衣を脱ぎ、それを執務机横にある木製の古めかしいコートハンガーに掛け、ワイシャツのカフスボタンを外し腕まくりをして、部屋の隅にある洗面台で手洗いを始めた。そして、その途中で手招きをして、私にもそのようにすることを促した。こうして出会う自然な職業的とも云える几帳面さもまた、当時の私にとっては、さきの「とり天」同様、新鮮なものに感じられた。

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2020年12月15日火曜日

20201214【架空の話】・其の54

 Kに住むようになり早や一週間近くが過ぎた。入学式まではあと数日あり、また東京から送った引越荷物も無事に届き、それらの開封・整理を行い、どうにか生活出来る状態にはなった。この時季のKは既にして暖かく、日中、家電などの配置のための力仕事を行っていると、思いのほかに汗をかいてしまうほどであった。

部屋の片付けを行い、一人暮らしで初めての自炊を行ったが、その献立は納豆ご飯に豚汁といった至極質素なものであったが自身の作としては悪くなく、その献立の残りは翌日に持ち越されたが特にイヤだと思うこともなかった。

また、Kに発つ直前に父から教えてもらった遠い親戚を挨拶のため訪問しようと、その住所をグーグルマップにて調べると、現在地から徒歩や市電やバスを乗り継いで1時間ほどかかるとのことであった。

書かれた住所は診療所のようであり、そこに冠された苗字は私のそれと同じであった。市電とバスを乗り継いでK市内の郊外と云えそうな場所、地域の小中学校の近くに診療所はあり、個人事業としては決して小さくはなく、またそのすぐ近くには診療所が併設したと思しきデイケア施設や訪問看護ステーションがあった。

どうやら、この診療所は当地域では古い存在であるようで、デイケアからは元気そうな声が聞こえてきた。私は決して新しいとは云えない造作の診療所に入ると、受付窓口にいる女性に「すみません***と申しますが、***(同じ苗字)先生はいらっしゃいますでしょうか?と、父から預かった名刺を差し出して訊ねると、その女性は名刺を両手で受取り、しばらく怪訝そうな顔をした後「ああ、院長先生ですね。ちょっと待ってください。」と云って、さらに後ろにある事務方の机の間を通り、その途中で何か会話をしていたが、やがて事務室のドアから出て、私のいる待合ロビーまで来て、そのまま診療所玄関の右手にある階段で二階に通された。二階に上がると、消毒臭というのだろうか、いかにも病院らしい匂いがしてきて、さらに廊下には白衣を着た医療職と思しき方々が歩いていたが、私は古風にも「院長室」と書かれた部屋に通され、そこで待つようにと慇懃な調子で云われた。

この「院長室」はまさに前世代、いや、より精確には昭和後期の「院長室」といった趣が濃厚で、あるいは、ひと昔前のドラマに登場する医学部教授室といった感じであった。とはいえ、室内に置かれている調度品や絵画がそれなりに格式があり、品良く思われたため、時代遅れで悪趣味といった感じは受けなかった。

やがて、さきとは別のスタッフの方がお茶を運んで来てくれて「院長先生はもうじき診察が終わって来ますので、もうしばらくお待ちください。」と云って去って行った。

さらにしばらく待っていると、やがてあまり身長が高くなく、どちらかといえばズングリした体型に白衣を着た、初老少し前、私の父とほぼ同年輩の精悍な感じの男性が入ってきた。この男性を見て直観的に思い出したのは、父と少し似たところがある沼津在住の親戚であり、肌の色合が何となく似ているように思われた。頭髪は額から後退気味であるものの整えられ、オシャレ感の乏しい銀縁の眼鏡をかけ、そして白衣の下には白のワイシャツを着て、ダークブラウンのニットタイを締めていた。おそらく毎日そのような感じであるのだろう。

院長はさきほど私が受付女性に渡した父の名刺を見て「ああ***さんの息子さんか。こっちの市民病院近くの新設の専門職大学に入るんだって・・。学部、いや学科はどこかね?」と訊ねてきた。

その感じは一種、鷹揚な快活さがあり、この後の経験で知ったことだが、開業医にはこうしたタイプは割合多いように思われる。

私はソファから立ち上がり、院長と相対していたが、この質問を聞くと「・・はい、あの口腔保健工学科というところでして、歯科技工士を養成するところです。」と若干緊張気味に返事をすると、院長は手振りで、私に座るように促され、そして自分も座り、おもむろに机上の電話機を取り、おそらく内線電話であろう相手に「ああ、私だが今日はここで昼食を摂るから、お弁当を二つこっちに持って来てくれないか?」と云い、さらに「あと、私にもお茶を持って来てくれないか?うん、それで良いよ、ありがとう。」と付け加えて受話器を置いた。

そのやりとりを見つつ、ボンヤリとキャビネットの上に置かれた木製彫刻に嵌め込まれた重厚な感じの置時計を見ると、丁度正午を15分ほど過ぎていた。

昼食時に訪問した非礼を詫びようと、少し口ごもると、院長はそれを制するように「うん、あの大学は最近出来て、ようやく去年あたりから卒業生が出るようになったのかな?私もあの大学の設置には少し働いたのだがね、まあ私が知っているのは看護学科だけかな?残念だが口腔だから歯科系の先生では知っているのはいないなあ・・。まあ、しかし、君のお父さんとは法事でこれまでに何度か会って、あと若い頃は会社の出張の時に会ったこともあるけれど、君はその息子さんかあ・・。と両手を組んで感慨深げにこちらを眺めた。

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2020年12月14日月曜日

20201214【架空の話】・其の53

 入学後しばらく経ち、GWも終わり、ようやく異郷の地での新たな学生生活にも慣れてきたある日、顎顔面解剖学の講義の後、休み時間に次の教養科目講義の準備をしていると、後ろから「今週の金曜日にクラスの皆で「飲み方」をしようと思うのだけれど、参加しますか?」とクラスメートが訊ねてきた。

その後ろの少し遠巻きに、さらに何人かのクラスメートが、この様子をそ知らぬ風で窺っているようであったが、当時の私としては、そうした集まりに呼んでもらえること自体がどうにも嬉しく「ええ、金曜日は空いていますので参加できます。」とほぼ間を置かずに返事をすると「ええ、分かりました。じゃあ、詳細はまた後でお知らせしますので・・。」と云い、去って行った。

小規模な大学での二年次編入とは、さきの一年の間に既にグループや、ある程度フィックスされた学生同士の交友関係などが出来上がりつつあるところに途中から入るわけであり、くわえて私の場合、多くの同期学生とは年齢が四つほど離れ、さらに利用できるような地縁も殆どないことから、入学当初は、自身の持つK独特の苗字からか、わずかに話しかけて来られる方々もいたが、しばらく経ち、私が余所者であることが周知になると、私は学科内で少し浮いた存在となっていることに気が付いた・・(笑)。

とはいえ、元来私はあまり好んで友達を作ろうとする性分でもないことから、そのままのいわば膠着した状態にて、この時期まで来たわけである・・。

さて、その日の講義が全て終わり、学生等が三々五々帰って行くなか、さきほど訊ねてきた同期の方が「あの、さきほどの「飲み方」のハナシですが、今週金曜日にT文館の「***」というお店で18:30開始の予定です。***さんは編入された新入生ですので支払いは結構です。」と、四つ程年下と思われる同期の方に告げられて少し困ってしまった。「あの、もちろん参加したいとは思うのですが、自分の分の会費はお支払いしたいのですが、それは可能でしょうか?」と訊ねてみたところ、彼女はしばらく考えてから「・・そうですか、分かりました。それは可能ですが、通常の会費の半額の1500円ということでお願いします。」とのことであった・・。こうしたやりとりから、そこまで杓子定規で頭が硬いわけではないようであり、他方で、そうしたことを考え、差配しようとする二十歳(はたち)そこそこの女性の実行力には少し頭が下がった・・。

GW後にして梅雨前、5月下旬のKの気候は充分に暖かく、日によっては夏を思わせることもあり「飲み方」の当日は、講義後に一度帰宅し着替えてから市電でT文館に向かった。この日も良い陽気であったため、少し色落ちしたネイビーのチノ生地のショーツの上に細いブルーのストライプが入った白シアサッカー地の半袖プルオーバーボタンダウンシャツを着て、その上にベージュ色のこれまた少し色褪せたラルフ・ローレンのチノ生地のブルゾンを羽織り、靴はネイビーのサッカニーのジャズを履いて行った。また、久々に帽子を被ることにした。それはあまりつば広でない、ベージュコットンのブーニーハットであった。

集合時間少し前に「飲み方」会場の全国チェーンの飲み屋さんの前に着くと、既に半数ほど集まっていた。私は多少遠慮気味にそちらの方に行くと、先日訊ねてきた同期の方が「ああ、もう大分集まってきましたので「お店の中に入ってください。」と云ったところです。」と話しかけてきた。

たしかに皆、会場のお店の中に入って行っているところであったが、こうして、その様子を傍から眺めてみると、彼等彼女等はいかにも若く、どうも高校生の様にも見えるように思われた・・。

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