また、同様にそこに起因することですが、ある種の優れた理系研究者・科学者に関しては、そのハナシ方にも特徴的な傾向といったものがあるのではないかと思われるのです。具体的には早口気味で声がやや甲高く、そして話す際に(幾分大きな)身振りが付随するといったことではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?
そしてまた、こうした傾向・特徴は看取することは比較的容易であると思われるのですが同時にそれは実質・内実を伴いつつ真似・演技することは困難ではないかと思われます。それ故、こうした傾向を話し手が帯び始めると、聞き手はそこにある種の異常性(卓越性)らしきものを知覚し、そしてそのハナシを聞いているうちに『・・ああ、これは極めて理論的・学術的な内容を相当な速度にて話しているのだろうが、しかし不思議なことに、これは相当な速さで話しているにも関わらず、私はそのハナシを理解しつつ聞いているぞ・・しかも、このことは今まで明瞭に理解出来たことがなかったのに・・そうすると、今話しているこの人物は一体何者だろうか・・?』といった感じでついつい引き込まれていくといった現象が生じるのではないかと思われます・・(笑)。
ちなみに現在思い返してみますと、自身の文系分野の師匠は、文系学問を専攻としているにも関わらず、こうした傾向を強く持たれていると記憶しています。それ故、こうした傾向とは、明瞭に理系分野においてのみ見受けられるというわけでもなく、冒頭にて述べた意味での『傾向的な相違』として『理系分野において多く見受けられる』といったところではないかと考えます。
さて、それに対して文系分野における優れた才能とは、理系分野ほど明瞭には看取することが困難であるように思われます。そして、それはある程度の期間をかけて観察し理解・納得していくといった過程が不可欠ではないかと考えます。また、そうした観察を通じ、その主張・述べる内容と現実社会にて生じる現象の適合性・相似性の質が問われるといったことが文系分野一般における優れた才能なるものの試金石となるのではないでしょうか?
おそらくこれは詩文であれ社会科学分野における著作であれ共通の価値基準となるものと考えます。そしてまた、その適合性・相似性の質の対象となる時間の長さもまた重要であり、それが長ければ長い程、普遍的な意味での価値もまた増大(射程の長い考えとして認識される)していくのではないでしょうか?
つまり端的には、文系分野における優れた才能とは、必ずしも看取し易い突出・異彩を放つといったものではなく、ジワリジワリとボディ・ブローのように心身に効いてくるようなものであることが多いのではないかと思われるのです・・。
とはいえ、その一方において、おそらくこうした文章表現にて文系分野の優れた才能について述べることに関しては懐疑的なほどに理想家肌であるといった傾向もまた彼らにはあるように思われるのですが、さて如何でしょうか・・(笑)?
いずれにせよ、自身は理系・文系双方極めて重要であると考えますが、しかし同時に、これまでのような中・高等教育におけるような文系・理系のあり方とは、もう少し考え直しても良いのではないかと思うのですが、さて如何でしょうか。
ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
数年前より現在に至るまでに日本列島各地にて発生した、あるいは現在も継続して発生している地震・大雨・水害・火山噴火といった大規模自然災害により被害を被った(被っている)諸地域の安全そして復興を祈念しています。
~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
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