現在の県庁所在地をはじめとする地方都市とは、古来より都市として栄えてきた場所が多いと思います。
そして、それらは、水運および水稲耕作を行う際において重要な水利、可耕平地が比較的得やすいという環境に因り、そのようになったものと考えられます。
しかし、こういったことは何も日本に限らず、世界の古くからの都市においても同様にいえるのではないかと思います。
ヘロドトスのコトバで「エジプトはナイルの賜物」というのがありますが、これをかりそめに和歌山県和歌山市に応用してみますと「岩橋千塚は紀ノ川の賜物」ということが出来るのではないかと思います(笑)。
また、鹿児島市においても市街地に幕末歴史モノに多く登場する甲突川が流れています。
私がはじめて、この「甲突川」という名前を知ったのは、おそらく西郷隆盛のマンガ、あるいは司馬遼太郎の小説からであったと思いますが、この「こうつきがわ」という音は、当時の私のとって、何かしらユニークなものとして認識されていました。
そしてこの「こうつきがわ」の由来を私なりに考えてみますと、もしかしたら国府津来川ではないだろうかと考えてみました・・。
昔の薩摩の国府とは別の場所にあったのですが、それと同時に現在の鹿児島市域内には、古代よりの集落の跡、古社などが多く見られることから、古来より甲突川河口流域とは、薩摩国における中心的な集落(都市)の一つであったことは確かです・・。
加えて、後代における中央朝廷の対隼人政策、具体的なものとして周辺諸国からの薩摩国への移住政策、あるいはさらに後代の平安末期、鎌倉時代における島津氏をはじめとする関東武士の入植などによる影響(文化の流入)があったのではないかとも考えさせられます・・。
参考となるコトバとして国府津(こうづ)
「一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。
皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。」
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