B「・・ううむ、それを突然思い出した原因の方も気になりますが、その特どういった内容の物語を書いたか憶えていますか?」
A「ええ、たしかその当時秋田書店から刊行されていた「ドイツ艦隊」という本を読んでおり、そこに描かれていた第一次世界大戦におけるドイツ軽巡洋艦のエムデンの太平洋、インド洋における活躍がいたく気に入ったようでして、それをベースにして第一次世界大戦停戦の後、太平洋に居た生き残りのドイツ艦艇数隻が南太平洋の無人島を基地にして海賊のように暴れまわるといった内容のものでした(笑)。
A「・・はあ、それは何だかジュール・ヴェルヌの「海底二万里」も彷彿とさせますが、それよりも子供向けでドイツ軽巡エムデンのハナシが書いてある本があったのですね・・あれはどちらかというとマニアックであると思うのですが・・。」
B「いえ、それでも私が読んだ船の図鑑にもトラファルガーの海戦でのビクトリー号などと並んでエムデンが紹介されていたような気がします・・。多分、当時のそういった子供向けの書籍の著者、編修者の方々は何が子供達にウケるのか知っていたのかもしれませんね・・。また、さきの「ドイツ艦隊」には、後のナチスドイツ海軍の司令官となるデーニッツ提督が第一次世界大戦時にUボートの艦長で、イギリス軍の捕虜になり、収容所で狂気を演じたというような忠臣蔵の大石内蔵助を彷彿とさせるようなことも書いてあったと記憶しています・・(笑)。また、同じくその本に掲載されていた第一次世界大戦時のUボートの写真には、まるで古代地中海世界のガレー船にあるような目が描かれており、それを「上空から見た際に魚に間違えるように目を描いてある。」と説明されていましたが、当時の私は子供心に「それは果たして本当であろうか?」と疑問を持った記憶もあります・・(笑)。とはいえ、乗載兵器に顔などを描くことは、古代より現在に至るまで結構見受けられますし、また、そういった遊び心のようなものは、案外日本などよりも海外の方が多いような気がしますが、こういった傾向の彼我の相違にも、やはり何かしら原因があるような気がします・・。」
A「はあ・・そのようなUボートの写真がその本に載っていたのですか・・。それは多少不謹慎であるかもしれませんが何だか面白いですね(笑)。ともあれ、たしかに西洋化に伴い設立された近代日本軍隊においては乗載兵器に顔を描くといったノーズ・アートらしきものは、あまり写真、映像資料などで見受けることがありませんね・・。」
B「ええ、そうなのです・・。そしてその理由を考えてみますと、これは特に深い国民性によるものではなく、端的にいいますと、日本が西欧的な意味での後発工業国であったからではないかと思います・・。そして、そのことにより、兵器の価値が過剰に重要視され、さらには営内教育における上級者から下級者への「お前たち兵隊は一千五厘(当時の切手代)で集めることができるが、この三八式歩兵銃はそうはいかないんだ!」といった叱責に結び付くのではないかと思います・・。また、こうした行動様式とは「道具としての各種兵器を大事にする」といった合理性を通り越して、あるいは別の方向に進化発展してしまった結果ではないかと思うのです・・。」
A「・・なるほどねえ・・いわれてみるとたしかに我が国にはそのような傾向があるかもしれませんね・・そして、それが無敵皇軍といった観念と結び付き、まあ一種のカルトのようなものにもなるのかもしれません・・。では、戦後に工業国として発展してきた現在の我が国において、かつて後発工業国であった時代からの習い性とは未だ残っているのでしょうかね?」
B「そうですね・・とりあえず人間の尊厳、生命よりも、何か他のモノの価値を過大に重視して、それを神聖視するような傾向は今現在でも、表立っては、建前としてはありませんが、多分に残っているのではないでしょうか・・?しかし、そう考えると、実はこうした習い性、つまり本質よりも何か他のモノを重視して、そしてそこから全体を把握しようとする、つまり管を通して空を見ようとするような傾向は古来よりあるのかもしれません・・。ニーチェは「古代ギリシャ人は中身を重視するために外面を大事にした。」というようなことを述べていましたが、これを日本に適用してみますと「日本人は日常的社会性を重視するために外面を大事にした。」というような感じで、はじめから、あまり彼岸的、形而上的なことは考慮に入れないといった普遍的な傾向があるのではないかと思います。そしてその日常的社会性が何かのショックを受けますと、隠されていた他の価値を過大に重視して、それを神聖視するような傾向が表出、顕現しはじめるのではないでしょうか・・?しかし、そう考えますと、こういったものは日本に限らず他国においても同様の傾向はあるのかもしれません・・。では、何が日本特有の傾向であるのかと考えてみますと、それは受けたショックに対する反応の仕方ではないかと思いますが、それは時代により社会も変化していることから同様に変化していると思うのですが、その基層にあるものには何かしらの普遍性があるとは思うのですが、それは未だによくわかりません・・。」
A「・・なるほどねえ・・いわれてみるとたしかに我が国にはそのような傾向があるかもしれませんね・・そして、それが無敵皇軍といった観念と結び付き、まあ一種のカルトのようなものにもなるのかもしれません・・。では、戦後に工業国として発展してきた現在の我が国において、かつて後発工業国であった時代からの習い性とは未だ残っているのでしょうかね?」
B「そうですね・・とりあえず人間の尊厳、生命よりも、何か他のモノの価値を過大に重視して、それを神聖視するような傾向は今現在でも、表立っては、建前としてはありませんが、多分に残っているのではないでしょうか・・?しかし、そう考えると、実はこうした習い性、つまり本質よりも何か他のモノを重視して、そしてそこから全体を把握しようとする、つまり管を通して空を見ようとするような傾向は古来よりあるのかもしれません・・。ニーチェは「古代ギリシャ人は中身を重視するために外面を大事にした。」というようなことを述べていましたが、これを日本に適用してみますと「日本人は日常的社会性を重視するために外面を大事にした。」というような感じで、はじめから、あまり彼岸的、形而上的なことは考慮に入れないといった普遍的な傾向があるのではないかと思います。そしてその日常的社会性が何かのショックを受けますと、隠されていた他の価値を過大に重視して、それを神聖視するような傾向が表出、顕現しはじめるのではないでしょうか・・?しかし、そう考えますと、こういったものは日本に限らず他国においても同様の傾向はあるのかもしれません・・。では、何が日本特有の傾向であるのかと考えてみますと、それは受けたショックに対する反応の仕方ではないかと思いますが、それは時代により社会も変化していることから同様に変化していると思うのですが、その基層にあるものには何かしらの普遍性があるとは思うのですが、それは未だによくわかりません・・。」
A「ええ、多分そこが大事であると思いますが、まあ今後折々考えてみてください、私もそこはよくわかりませんので・・(笑)。あるいはもっと上手く、簡単にそういったことを考え、述べる方法があるのかもしれませんが・・。しかし、それでも知識を仕入れ考え続けること自体に何かしらの価値はあると思いますので、まあ考え続けてみてください。」
B「ええ、そうですね(笑)。」
B「ええ、そうですね(笑)。」
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