2024年8月31日土曜日

20240831 株式会社岩波書店刊 アレクシ・ド・トクヴィル著 喜安朗訳「フランス二月革命の日々:トクヴィル回想録」 pp.286‐287より抜粋

株式会社岩波書店刊 アレクシ・ド・トクヴィル著 喜安朗訳「フランス二月革命の日々:トクヴィル回想録」
pp.286‐287より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4003400917
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003400913 

 六月の戦闘についてもうこれ以上語ることはしない。最後の二日間の記憶は、最初の日々の記憶のなかにまざり込んでしまって、はっきりしなくなっている。反乱の最後の拠点であるフォーブール・サン‐タントワーヌが降伏したのは月曜になってであること、つまり闘いが始まってから四日目であったということは、人の知るところである。マンシュ県の義勇兵がパリに着くことができたのは、この四日目の朝になってからのことだった。彼らは急ぎに急いでやって来たのだが、それは鉄道のない地方を通っての八十里以上の道のりであった。総員一五〇〇人。私は彼らのなかに、地主、弁護士、医師、農業家、私の友人、私の隣人を認めて感激した。私の郷里のほとんどすべての旧貴族たちが、この機会に武器をとり、部隊に加わった。フランスのほとんど全土でこうしたことがおこった。自分の郷里の草深いところで、もうすすけてしまっているような田舎貴族から、立派な家系の優雅で役立たずの相続人までの、すべての連中がこの時に、自分たちはかつて戦う階級、支配する階級に属しているのだということを思い起こした。そしていたるところで彼らはパリへの出発の先頭に立ち、力強さの模範を示したのだった。それほどにこの旧い貴族の集団の活力は大きいのである。彼らはすでに無価値なものになってしまったとみえる時に、自分自身の足跡は保持しているのであり、永遠に死の影のなかに憩いを求める前に、そのただなかからいく度も立ち上げるのである。シャトーブリアンが息を引き取ったのは、まさに六月事件のさなかであった。この人は今日でも旧い世代の精神をたぶんもっともよく保存していた人であった。私は家族の関係と子供時代の思い出とによって、この人のことは身近に感じていた。長いこと前からシャトーブリアンは茫然として言葉が出ないというような状態におちいっていた。そのことは時に人をして、彼の知性は消えうせたと思わせたものであった。しかしこうした状態のなかで、二月革命が発生したという噂が彼の耳にはいり、彼はその経緯を知ろうと思ったのだった。人が彼に七月王政が打倒されたと告げると、「よくやった」と言って沈黙した。四ヵ月の、六月の砲声がまた彼の耳にまでとどくと、彼は再びあれは何の音かと尋ねた。パリで戦闘が起こっており、あれは大砲の音だと人が答えると、「そこに行きたい」と言いながら、無理をして起き上がろうとした、そして今度は永遠に沈黙してしまった。その翌日に彼は死んだのである。

 これが六月事件であった。必然的で痛ましい事件であった。それはフランスから革命の火を消し去りはしなかった。しかし少なくとも一時の間、二月革命に固有の仕事と言いうるものに終止符をうった。六月事件はパリの労働者の圧政から国民を自由にし、国民を国民自身のものとした。

2024年8月28日水曜日

20240827 1848年のヨーロッパについて①

 1848年はヨーロッパにおける大きな変革の年でした。それまで続いたウィーン体制は、ナポレオン戦争後の1815年に始まったものであり、これによりヨーロッパ各国の勢力均衡が維持されてきたものの、この年にヨーロッパ各地にて反体制運動や革命、さらには国際間の紛争も勃発して、このウィーン体制は終焉を迎えました。

 この社会激動の波は、まず、フランスの二月革命で生じ、それまでの復古した七月王政が打倒されて、第二共和政が樹立されました。そしてその影響は、ヨーロッパ各国に波及し、プロイセンやオーストリアにおいて自由主義やナショナリズムを掲げた運動が活発化して、また同時に、プロイセンとデンマークの間では、シュレスヴィッヒ=ホルシュタインの領有をめぐる争いが激化し、さらにサルディニア王国はイタリア統一を目指してオーストリア・ハプスブルグ帝国に宣戦布告するなど、国際間の緊張もまた高まりを見せました。

 さらにその後、1854年から1856年にかけてのクリミア戦争は、ナポレオン戦争以降最大規模の戦争となり、これによりヨーロッパの地政学的バランスが一変しました。オーストリア・ハプスブルグ帝国は、クリミア戦争の際に武力は用いず中立の立場ではありましたが英仏側に立ち、ロシア勢力のバルカン半島からの駆逐をはかりました。これに対してロシアは強く抵抗し、そして、このバルカン半島での影響力をめぐり、オーストリア・ハプスブルグ帝国とロシア帝国は対立を深め、やがて、それが1914年の第一次世界大戦発端の遠因となりました。

 また同時に、クリミア戦争によってプロイセンとオーストリア・ハプスブルグ帝国との関係も深刻に悪化しました。先述のように同戦争時、オーストリア・ハプスブルグ帝国は、英仏寄りの中立でしたが、プロイセンはロシア側での中立の立場であり、この立場の違いにより両国間の関係が悪化して、それまでの同盟関係が崩壊して、後年の普墺戦争勃発にまで至ります。

 やがてクリミア戦争が終結し、パリ平和会議が開催され、ヨーロッパに一時的な平和が戻りましたが、すぐに内乱や革命や紛争が生じ、とりわけ、イタリアおよびドイツでの民族的統一を目指した戦争によってヨーロッパの国境や国家間の力関係は、また大きく変わることとなりました。1848年のフランスでの二月革命の後、クーデターによって自ら帝政を敷いたナポレオン三世は、その治世において、イタリアやポーランドのナショナリズムを利用してヨーロッパでの政治的影響力の拡大をはかりましたが、最終的にはプロイセンによって統一されたドイツとの対立を深め、普仏戦争の開戦を招き、敗北して自らの第二帝政の崩壊、そしてフランスの没落を招く結果となりました。

 これら一連の1848年からの革命や戦争によって、ヨーロッパでの古くからの秩序が崩壊して、新たな国家の形成を促しました。当時のプロイセンやイタリアの統一はその象徴であり、また、これらの動きは、さきに少し述べましたが、後の第一次世界大戦の伏線となったのです。19世紀後半のヨーロッパでは、こうした動乱期を経て、新たな民族国家の形成と国際秩序の構築へと進展し、これによって、ヨーロッパ全体が変革と再編の時代を迎えて、現代の国際政治の基盤が形成されたのだとも云えます。

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2024年8月26日月曜日

20240826 「文明」や「理想の社会」について、いくつかの著作から得た見解

【原文】
『又英国の学士「ミル」氏著述の経済書に云く、或人の説に、人類の目的は唯進で取るに在り、足以て踏み手以て推し、互に踵を接して先を争うべし、是即ち生産進歩のために最も願うべき有様なりとて、唯利是争うを以て人間最上の約束と思う者なきに非ざれども、余が所見にては甚だこれを悦ばず、方今世界中にてこの有様を事実に写出したる処は亜米利加の合衆国なり。「コウカス」人種の男子相合し、不正不公の羈軛を脱して別に一世界を開き、人口繁殖せざるに非ず、財用富饒ならざるに非ず、土地も亦広くして耕すに余あり、自主事由の権は普く行われて国民又貧の何物たるを知らず、斯かる至善至美の便宜を得ると雖も、その一般の風俗に顕れたる成跡を見れば亦怪しむべし、全国の男児は終歳馳駆して金円を遂い、全国の婦人は終身孜々としてこの遂円の男児を生殖するのみ、これを人間交際の至善と云わんか、余はこれを信ぜずと。
以上「ミル」氏の説を見ても亦以て合衆国の風俗に就き其の一班を窺知るに足るべし。
右所論に由て之を観れば、立君の政治必ずしも良ならず、合衆の政治必ずしも便ならず。
政治の名を何と名るも必竟人間交際中の一箇条たるに過ぎざれば、僅かにその一箇条の体裁を見て文明の本旨を判断すべからず。
その体裁果して不便利ならば之を改るも可なり、或は事実に妨なくば之を改めざるも可なり。人間の目的は唯文明に達するの一事あるのみ。之に達せんとするには様々の方便なかるべからず。随て之を試み随て之を改め、千百の試験を経てその際に多少の進歩を為すものなれば、人の思想は一方に偏すべからず。』


【現代文】
『英国の学者ミル氏は、ある人の説として、人類の目的はただ前進することであり、足で踏み、手で押し合いながら互いに先を争うべきだと述べています。これが生産と進歩のために最も望ましいとされ、ただ利益を追求することが最も重要だと考える人もいますが、私はこれを好ましく思いません。現在、このような状態が見られるのはアメリカ合衆国です。

「コーカソイド」人種の男性たちは、不正や不公正の束縛から逃れ、新たな世界を切り開きました。人口は増え、財政も豊かで、土地も広く耕作に余裕があります。自主と自由の権利が広く行き渡り、国民は貧困を知りません。理想的な環境にもかかわらず、一般の風俗を見ると、男性は一年中お金を追い求め、女性はその男性を育てることに専念しています。これが人間関係の理想でしょうか。私はそうは思いません。

以上のミル氏の説からも、アメリカ合衆国の風俗を一端知ることができます。この議論を通じて見ると、君主制の政治が必ずしも良いわけではなく、共和制の政治が必ずしも便利とは限りません。政治の名が何であれ、人間関係の一部に過ぎません。わずかな側面で文明の本質を判断してはいけません。

その側面が本当に不便ならば改めるべきですが、問題がなければ改める必要はありません。人間の目的はただ文明に到達することです。これを達成するにはさまざまな手段が必要です。試行錯誤を繰り返し、進歩を遂げていくため、思想は一方向に偏ってはいけません。』


岩波書店刊・バートランド・ラッセル著「幸福論」pp.54ー55より抜粋引用
『成功感によって生活がエンジョイしやすくなることは、私も否定はしない。たとえば、若いうちはずっと無名であった画家は、才能が世に認められたときには、前よりも幸福になる見通しがある。また、金というものが、ある一点までは幸福をいやます上で大いに役立つことも、私は否定しない。しかし、その一点を越えると、幸福をいやますとは思えない。
私が主張したいのは、成功は幸福の一つの要素でしかないので、成功を得るために他の要素がすべて犠牲にされたとすれば、あまりにも高い代価を支払ったことになる、というのである。この災いの根源は、実業界一般に広まっている人生観にある。確かに、ヨーロッパには、実業界以外にも威信のある階級がいる。一部の国には、貴族階級がある。
すべての国には、知識階級があり、二、三の小国を除くすべての国では、陸海軍の軍人が非常に尊敬されている。さて、ある人の職業が何であろうと、成功の中に競争の要素があることは事実であるが、同時に、尊敬の対象となるのは、ただ成功することではなくて、何でもいい成功をもたらしたすぐれた資質である。科学者は、金をもうけるかもしれないし、もうけないかもしれない。しかし、金をもうけたほうが、もうけない場合よりも余計に尊敬されることは、絶対にない。有名な将軍や提督が貧乏だからといって、だれも驚きはしない。それどころか、こういう境遇での貧乏は、ある意味では、それ自体一つの名誉である。
こういう理由で、ヨーロッパでは、純粋に金銭のために競争し奮闘するのは、一部の階級だけに限られているし、しかも、そういう人たちは、たぶん最も有力でもなければ、最も尊敬されているわけでもない。アメリカでは、事情が異なる。陸海軍は、彼らの尺度では、影響を及ぼすほどの役割を国民生活において果たしていない。知識階級について言ば、ある医者が本当に医学のことをよく知っているかどうか、あるいは、ある弁護士が本当に法律のことをよく知っているかどうか、部外者にはさっぱりわからない。だから、彼らの価値を判断するには、彼らの生活水準から推定される収入によるほうがやさしい。大学教授について言えば、彼らは実業家たちに金で雇われた使用人であり、そういうものとして、もっと古い国々で与えられているほどの尊敬を受けていない。こうした事態の結果、アメリカでは、知的職業にたずさわる人は、実業家のまねをし、ヨーロッパにおけるように独自のタイプを作っていない。それゆえ、アメリカには、裕福な階級のどこを見まわしても、金銭的な成功のための露骨な容赦ない闘いを緩和するものは、何ひとつない。』

以上をまとめた見解 

 近代以降の社会において個人や国家の究極の目的は何であるかという議論は、多くの研究者や思想家、哲学者などによってされてきました。

 19世紀の英国の学者であるジョン・スチュアート・ミルは、その著書で、ある人の説として「人類の目的は前進し続けることであり、互いに競争し合うことが生産と進歩のために最も望ましい」と紹介しました。その考えの基層には「利益追求を最重要視する」考えがあると云えますが、この考えには異議もあります。たとえば、当時のアメリカ合衆国社会を考えますと、そこには自由・自主の精神が広く行き渡り、国民の多くは自由であり、少なくとも貧困ではなく、理想的な環境を享受していたように見えます。しかし他方で男性は一年中利益・金銭を追い求めて、そして、その妻たる女性は、そうした男性を支えて再生産することに専念するといった社会構造をも同時に存在していたのだとも云えます。そして、こうした状況とは「人類にとって果たして理想的であるのか」とミルは疑問を投げかけ、そしてまた、福澤諭吉もその著作「文明論之概略」の中で同様の見解を述べています。

 さて、さきのミルと思想の系譜上に連なると云える英国の論理学者、思想家であるバートランド・ラッセルもまた「成功感が人生をより楽しむ手助けになることを認めつつも、成功が幸福の唯一の要素ではない」と、その著作で述べています。ラッセルは成功のために他を犠牲にすることは高すぎる代償を払うことになると警告しています。特に実業界においては金銭的な成功こそが人生の究極の目的とされがちですが、ラッセルはそれを疑問視します。ラッセルによれば、成功の中に競争の要素があることは事実ではあるものの、真に尊敬されるべき要素とは、成功そのものではなく「それをもたらした優れた資質」であると述べています。たとえば、英国や西欧諸国において科学者や軍人などは、必ずしも金銭的に成功していなくても、その職業上の資質や貢献に対して尊敬が払われると強調しています。

 このように西欧とアメリカを比較すると、金銭的成功の追求に対する社会の価値観の違いが浮かび上がります。西欧諸国においては、金銭的成功を求めるのは一部の階級に限られており、金銭的な成功が最も尊敬されるわけではありません。西欧においては、たとえば研究者や軍人などが、それぞれの専門分野での知識や技術、貢献によって尊敬を集めています。しかし、アメリカにおいては、金銭的成功が社会的地位を決定する最も重視される要素となっており、知識階級あるいは軍人でさえも、それぞれの価値を金銭的な成功で測られる傾向があります。アメリカにおいては大学教授でさえ、実業家の使用人のようなものと見なされ、西欧諸国におけるような尊敬は受けていません。

 こうした社会の文化的背景から、アメリカ社会では、金銭的成功を追求するための競争が苛烈であり、他の価値観や文化的な要素によってその競争が緩和されることはありません。その結果として、社会全体において、金銭的な成功を絶対的な指標とし、そのために全力を尽くすといった風潮が生まれて、それが果たして人類にとって理想的な在り方であるのかといった疑問が生じます。

 以上のことを総合して考えてみますと、社会や文明の本質や個人の目的といったものを一面的に捉えることは危険であると考えられます。個人の幸福や社会全体の進歩といったものは、さまざまな要素のバランスによって成り立っており、一つの価値観に偏りすぎることは避けた方が良いと考えます。金銭的な成功や利益だけを追求することが、必ずしも社会全体や個人の幸福につながるわけではないという認識が重要であり、むしろ、さまざまな価値観や生活様式が共存して、多様な個人の幸福を追求できる社会の在り方こそが、真の意味での「進歩」に近いのではないかと思われます。

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2024年8月23日金曜日

20240822 0820に「変幻する音楽会」を鑑賞して思ったこと

① 去る8月20日(火)、サントリーホールにて開催の落合陽一博士(以下落合氏)と日本フィルハーモニー交響楽団とのコラボレーションによる「変幻する音楽会」を鑑賞しました。かねてより落合氏が述べる「デジタル・ネイチャー」とは、歯科医療、とりわけ現在進行形でデジタル化が進む歯科技工分野との親和性が高いと考えて、ここしばらくの間、落合氏による創作や講演や対談などを鑑賞・視聴させて頂きましたが、それらからは、これまでに私が感銘を受けた創作物と同様の感銘を得ることはありませんでした。こうした評価は正直であることが重要と考えます。

 しかし他方で、それらを創作された落合氏は、おそらく、私がさきに「感銘を受けた」とした創作については概ねご存じであると云えます。換言しますと、落合氏は、それら過去の著名な創作は認識され、また、自らの創作の背景にあったと云えます。それは対談動画や、執筆された文章などを視聴したり読みますと判然とすると考えます。そしてまた、それら優れた創作を文脈に据えた創作活動により、多くの人々に感動を与えるということは、これまで全ての芸術作品と同様、簡単ではないと考えます。しかしながら、落合氏の場合、さきに述べた活動の文脈・後背にある、さまざまな創作は、すでに適宜に運用可能な、いわば教養となり血肉化され、そこに、自らが研鑽したコンピューター科学を化合させ、新たな創作を試みているところが、きわめて現代的であり、また語義通りに前衛的でもあり、そして卓越しているのだと考えます。あるいはこれを異言してさらに進めますと、大抵の方々は、工学か芸術のいずれか一方を専門として満足するのに対して、落合氏の場合、双方分野を深く掘り下げ、それらを駆使・統合させて新たな創作を行うということ自体が相当困難と察せられることから、少なくとも、その活動から、現在までに後世に残る傑作と評される創作をしていなくとも、未来において、そうした創作を成し得る蓋然性が高いと考えるのです。そして、そのように考えてみますと、落合氏の場合は特に「創作手法」に新規性があり、そのためにいまだ、芸術家としての評価は定まってはいないのだと思われます。しかしまた他方で、芸術作品などの創作全般は「優れたもの」と世評を得るまでの期間が長く、ある程度の期間にわたり、創作を継続する必要があるようにも思われます。そして、こうした見解を述べる背景にあるのが総合芸術家とも評し得る北大路魯山人です。とはいえ、魯山人と落合氏では背景が随分と異なるようにも思われます。しかしながら、ここからは私見としての見解が濃厚になりますが、両者共に海外からの評価を視野に入れつつも、ホンモノの自国文化に根差した独自の創作をされていることが共通しているのではないかと考えます。そして、そうした創作とは、少なくとも「弱くはない」と考えます。ちなみに北大路魯山人は多作としても知られています。


② 8月20日、サントリーホールで開催された落合陽一博士(以下落合氏)と日本フィルハーモニー交響楽団による「変幻する音楽会」を鑑賞しました。落合氏は「デジタル・ネイチャー」という概念を提唱しており、これはデジタル化が進む歯科技工分野との親和性が高いと感じていました。そのため、彼の作品や講演、対談を積極的に鑑賞し、どのような感銘を受けるか期待していましたが、残念ながら心を深く打つような感動には至りませんでした。こうした評価は率直であるべきだと考えます。

 しかし、それは単に私の好みの問題かもしれません。というのも、落合氏が生み出す作品には、過去に私が感銘を受けた多くの芸術作品との関連性をも感じさせるからです。落合氏は、過去の著名な創作をよく理解され、さらに、それらを自らの創作活動の背景に据えています。それは彼の対談や執筆物を通じて判然とします。そして、こうした過去の優れた創作を踏まえ、新たな創作を行うことは、容易なことではありません。

 特に落合氏の特徴的な点は、豊富な教養を土台として、そこにコンピューター科学という先端技術を融合させているところにあります。これにより、新たな芸術の形を生み出そうとしており、そのアプローチは非常に現代的であり、同時に前衛的でもあります。多くの人が工学か芸術のどちらか一方を専門として自足するなか、落合氏は両分野を深くまで理解し、それらを統合して新たな作品を生み出しているのです。こうした取り組みは、非常に難易度が高く、そのために彼の作品はまだ広く評価されていないのかもしれません。

 落合氏の現在の作品が、今後どのように評価されるかは未知数ですが、将来的には傑作と呼ばれる可能性が十分にあります。芸術の評価は時間がかかるものであり、長期間にわたって創作活動を続けることが求められるからです。彼の手法自体が革新的であることから、現在はまだ過渡期にあるのかもしれません。

 このように考える背景には、総合芸術家として知られる北大路魯山人の存在があります。魯山人と落合氏では時代や背景が異なるものの、共通点もあります。それは、自国文化に深く根ざしながらも、独自の視点で創作活動を行い、国際的な評価も視野に入れている点です。彼らの創作活動には独自性と力強さがあり、その点で共通していると感じます。

 北大路魯山人は、多作としても知られており、これこそが彼の芸術に対する情熱を象徴していると思います。彼のように多くの作品を生み出すことが、芸術家としての評価を高める一つの要因であることは確かです。そして、落合氏の今後の創作活動がどのように進化していくのか、大いに注目する価値があると考えています。

 さいごに、落合氏の取り組みは、芸術とテクノロジーの融合という新たな挑戦であり、その創作が今後どのように発展し、如何なる評価を得るのか、そして、彼の目指す未来の芸術が、どのような形をとるのか、期待とともに、その進展を楽しみにしています。


③ さる8月20日、サントリーホールにて開催された落合陽一博士(以下落合氏)と日本フィルハーモニー交響楽団のコラボレーションによる「変幻する音楽会」を鑑賞しました。

 かねてより落合氏は「デジタル・ネイチャー」という概念を提唱しており、この概念は、デジタル化が進展しつつある歯科技工分野と親和性があると考え、そこから、ここ最近は、落合氏の創作した作品を鑑賞してきましたが、過日の「変幻する音楽会」を含め、それらの作品からは、これまでので音楽を含めた芸術の鑑賞で得たものと同様の深い感動を得ることはありませんでした。こうした評価は、あくまでも率直に述べることが重要であると考えます。

 しかしながら、これは私の個人的な好みによるものである可能性も否定はできません。というのも、落合氏の作品には、過去に私が感動した多くの芸術作品との関連性をも感じるからです。落合氏は古今東西のすぐれた工芸・芸術作品や著作などを広汎に御存知であり、また、それらが氏の創作活動の基層にあります。そのことは落合氏の対談動画や著述などから判然とされます。しかしながら、そうした、いわば蓄積され教養にまで昇華されたものを新たな創造活動に結節し、そこからさらに、より多くの人々に感動を与える芸術作品の創造にまで駆動することは至難の業と云えます。

 あるいは異言しますと、落合氏の創作の特徴は、豊富な教養を背景に持ちつつ、そこにコンピューター科学という先端的な技術を融合させている点にあります。これにより、彼はまったく新しい形の芸術を生み出そうとしており、その手法は非常に現代的かつ前衛的と言えます。多くの人々が工学か芸術のどちらか一分野に特化自足するのに対して、落合氏は両分野を深くまで理解し、それらを統合し、新たな作品の創造を試みています。もちろん、そうした試みは新しいものであるが故に困難をも伴い、そのため、落合氏の作品は高い評価を未だ広汎には得ていないのではないかとも思われます。

 そしてまた、落合氏が今後、どのように評価されるようになるかは不明ですが、将来的には傑作と呼ばれる可能性が十分にあると考えます。何故なら、芸術の評価が社会に定着するには時間がかかり、そのため、長期間にわたる創作活動の継続が求められるからです。その点において、落合氏の創作活動は長く継続しており、さらに、その創作手法自体が革新的であることから、現在はまだ過渡期にあるものと考えます。

 こうした考えの背景には、総合芸術家として広く周知されている北大路魯山人がいます。魯山人と落合氏は時代や背景こそ大きく異なりますが、共通点もあります。それは、自国文化に深く根ざしながらも独自の視点での創作活動を行い、同時に国際的な評価を視野に入れている点です。

 くわえて、北大路魯山人は多作としても知られ、そこから創作活動への情熱のほどが理解出来ます。このように多くの作品を生み出すことは、芸術家・創作者としての評価を高め、そして広める主たる要素の一つであることは確かと云えます。それ故、落合氏の今後の創作活動がどのように変遷しつつ継続するのか、その経緯を注視したいと思います。そして、落合氏が述べる「デジタル・ネイチャー」と「芸術」がどのように化合して芸術作品として顕現するのかを期待とともに楽しみにしています。

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2024年8月21日水曜日

20240821 株式会社ゲンロン刊 東浩紀著「訂正可能性の哲学」 pp.145‐148より抜粋

株式会社ゲンロン刊 東浩紀著「訂正可能性の哲学」
pp.145‐148より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4907188501
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4907188504

 日本の例も挙げておこう。二〇一〇年代に強い影響力をもった思想家に落合陽一がいる。

 落合は大学に籍を置いて研究するだけでなく、エンジニアでアーティストでもあり、みずからベンチャー企業も経営しているという新しいタイプの知識人である。行政にも深く関与しており、二〇二五年の万博ではパビリオンをまるまるひとつ担当するといわれている。

 そんな彼は二〇一八年に「デジタルネイチャー」という著作を発表している。デジタルネイチャーとは「計数的な自然」を意味す造語である。近い将来、世界のあらゆるところにセンサーが張り巡らされ、人物も物流もすべてがデータ化され、ネットワークを介してアクセスされ分析されるような時代がやってくる。そのときぼくたちは、目や耳で捉えることができる物理的な環境とはべつに、デバイスを通じて知覚するデータ環境も新たな「自然」として認識することになる。それがデジタルネイチャーだという。落合は、これからの政治やビジネスはこのデジタルネイチャーの活用に敏感でなくてはならないと説く。

 この主張そのものに問題はない。データ環境の重要性は仮想現実や拡張現実といった言葉で広く認識されているものである。ただし落合はその誕生に、カーツワイルのシンギュラリティと同じような、大きな文明論的な意味を見出している。

 落合によれば、デジタルネイチャーが誕生することで、人類は不完全な市場原理に頼らずとも資源を最適に配分できるようになる。生産力は飛躍的に増大し、個人の特性を分析して社会的役割を指定できるようにもなる。そのうえ落合は、そのとき人類は、ひとにぎりの先進的な資本家=エンジニア層(AI+VC層)と、残り大多数の労働から解放された大衆層(AI+BI層)に分裂することになるだろうという。「AI+VC」は、人工知能(AI)に支援されてイノベーションに挑むベンチャーキャピタル(VC)の担い手を意味し、「AI+BI」のほうは、政府によるベーシックインカム(BI)で衣食住を保障されるる、人工知能の勧めに従ってそこそこの幸せを追求する生き方を意味するとされている。

 これは人類を選良とそれ以外に分ける社会像にほかならない。明らかに倫理的に問題がある。しかもさらに厄介なことに、落合は同書で、デジタルネイチャーの誕生は人類を古い道徳観から解き放つものなのだと主張することで、そのような批判の可能性そのものを封じ込めてしまっている。

 彼のヴィジョンによれば、未来の人類は、というよりもその一部の「AI+VC層」は、もはや個人の幸福のような小さな目標には関わらない。大きな視野でイノベーションを押し進め、「コンピュータがもたらす全体最適化による問題解決」によって人類という種全体の幸福を追求することになる。その試みはまったく新しく崇高なものなので。「自由」や「平等」のような古い人間中心主義的な考えにしばられてはならない。落合はこの点について、シンギュラリティ以降においては「人間」の概念こそ「足かせ」になるのであり、人々は「機械を中心とする世界観」に対応する必要があると繰り返し強調している。そこでは「全体最適化による全体主義は、全人類の幸福を追求しうる」のであり、「誰も不幸にすることはない」のだという[★4」。

 つまりは落合は全体主義をはっきりと肯定している。彼のエンジニアやアーティストとしての業績には敬意を払うべきだろう。しかし同時に、彼の未来像が、カーツワイルほど壮大ではないにしても、同じくらい夢想的で、政治的にはより危険でありうることにも注意が払われるべきではないだろうか。情報技術と全体主義の関係については、のち第六章でふたたび触れる。

 このように二〇一〇年代は、情報産業論を背景にした夢想的な文明論が、政治やビジネスの現場に大きな影響を及ぼした時代だった。ぼくたちはいま、共産主義という第一の大きな物語のかわりに、シンギュラリティの到来という第二の大きな物語が席捲する時代を生きている。

 資本主義はもはや終わることはない。世界革命は起きない。国民国家も消えることはない。しかしそのかわりに人類には計算力の指数関数的な成長がある。ありあまる計算力は、どこかの時点で人類の社会や文化を根底的に変えてしまうだろう。そして人類は遠からず、働かなくてもだれもが快楽を手に入れ、実質的には死ぬことすらない、永遠の楽園への切符を手に入れることができるだろう。そしてその未来への扉を開くのは、いまや政治家でも哲学者でもなく、起業家とエンジニアなのだ・・・。

2024年8月19日月曜日

20240819 河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳「ホモ・デウス」下巻 pp.124-127より抜粋

河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳「ホモ・デウス」下巻 
pp.124-127より抜粋
ISBN-10 : 4309227376
ISBN-13 : 978-4309227375

 物語る自己は、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの短編「問題」のスターだ。この小説は、ミゲル・デ・セルバンテスの有名な小説の題名の由来となったドン・キホーテにかかわる。ドン・キホーテは自分の空想の世界を創り出し、その中で世の中の不正を正す伝説の騎士となり、巨人たちと戦ってドゥルシネーア・デル・トボーソという姫を救うために出かけていく。現実には、ドン・キホーテはアロンソ・キハーノという年寄りの郷士で、高貴なドゥルシネーアは近くの村に住む粗野な農民の娘であり、巨人たちというのは風車だ。もしこうした空想を信じているせいでドン・キホーテが本物の人物を襲って殺してしまったらどうなるだろう、とボルヘスは考える。人間の境遇についての根本的な疑問をボルヘスは投げかける。私たちの物語る自己が紡ぐ作り話が自分自身あるいは周囲の人々に重大な害を与えるときには何が起こるのか?主な可能性は三つある、ボルヘスは言う。

 たいしたことは起らないというのが第一の可能性だ。ドン・キホーテは本物の人間を殺してもまったく気にしない。妄想の力がまさに圧倒的で、彼は現実に殺人を犯すことと、空想の巨人『実は風車)と決闘することの違いがわからない。別の可能性もある。ドン・キホーテは人を殺めた後、途方もない戦慄を覚え、その衝撃で妄想から目覚める。これは若い新兵が祖国のために死ぬのは善いことだと信じて戦場に出たものの、けっきょく戦争の実情を目の当たりにしてすっかり幻滅するというのと同じ類だ。

 だが、第三の、はるかに複雑で深刻な可能性もある。空想の巨人と戦っているかぎりは、ドン・キホーテは真似事をしているにすぎない。ところが彼は、誰かを本当に殺したら、自分の空想に必死にしがみつく、自分の悲惨な悪行に意味を与えられるのは、その空想だけだからだ。矛盾するようだが、私たちは空想の物語のために犠牲を払えば払うほど執拗にその物語にしがみつく。その犠牲と自分が引き起こした苦しみに、ぜがひでも意味を与えたいからだ。

 これは政治の世界では、「我が国の若者たちは犬死はしなかった」症候群として知られている。イタリアは一九一五年、三国協商側について第一次世界大戦に参戦した。イタリアが掲げた目的は、トレントとトリエステという、オーストリア=ハンガリー帝国に「不当に」占拠された二つの「イタリア」領を「解放する」ことだった。イタリアの政治家たちは議会で熱弁を振るい、歴史的な不正を正すことを誓い、古代ローマの輝きを取り戻すことを約束した。何十万ものイタリア人新兵が「トレントとトリエステのために!」と叫びながら前線に出た。彼らは楽勝になるものとばかり思っていた。

 だが、現実はそれに程遠かった。オーストリア=ハンガリー軍はイゾンツォ川に沿って強力な防御線を張っていた。イタリア兵たちは一一度の血なまぐさい戦いでその防御線に襲いかかったが、せいぜい数キロメートル前進しただけで、ついに突破できなかった。最初の戦いで約一万五〇〇〇のイタリア兵が死傷したり捕虜になったりした。二度目の戦いではイタリアは四万の兵を失った。三度目の戦いの損害は六万人にのぼった。こうして一一度目の交戦まで、恐ろしい月日が二年続いた。その後ついにオーストリア軍が反攻に転じ、カポレットの戦いという名でよく知られる一二度目の戦いでイタリア軍を完膚なきまでに打ちのめし、ヴェネツィアのすぐ手前まで押し戻した、輝かしい冒険は大虐殺に変った。戦争終結までに七〇万近いイタリア兵が戦死し、一〇〇万人以上が負傷した。

 イゾンツォ川沿いの最初の戦いに敗れた後、イタリアの政治家たちには二つの選択肢があった。彼らは誤りえお認めて平和条約に調印すると申し出ることができた。オーストリア・ハンガリーはイタリアに何の賠償も請求していなかったし、喜んで講和したことだろう。はるかに強敵のロシアを相手に生き残るための戦いに忙殺されていたからだ。とはいえ政治家たちは、何千ものイタリア人戦死兵の親や妻や子供たちのもとを訪ねて、「申し訳ありません。手違いがありました。どうか、あまりひどく悲しまないでいただきたいのですが、お宅のジョヴァンニさんは犬死にしました。マルコさんも同様です」などとどうして言えるだろう?その代わりに、こう言うことができる。「ジョヴァンニさんもマルコさんも勇敢でした!二人はイタリアがトリエステを取り戻すために亡くなったのであり、私たちはけっして二人の死を無駄にしません。勝利を収めるまで、断固戦い続けます!」驚くまでもないが、政治家たちはまたしても、戦い続けるのが最善だと判断した。「我が国の若者たちは犬死はしなかった」からだ。

 もっとも、政治家だけを責めることはできない。一般大衆も戦争を支持し続けた。そして戦後、イタリアが要求した領土すべてを獲得するわけにはいかなかったとき、この国民の民主主義はベニート・ムッソリーニとその配下のファシストたちに政権を委ねた。ムッソリーニらが、イタリア人が払ったあらゆる犠牲に対して適切な補償を獲得すると約束したからだ。政治家が親たちに、息子さんはろくな理由もなく犠牲になりましたと告げるのは難しいものの、我が子が無駄な犠牲を払ったと親自身が認めるのははるかにつらい。そして、犠牲者にとってはなおさら困難だ。両脚を失って体が不自由になった兵士は、「両脚を失ったのは、身勝手な政治家たちを信じるほど私が馬鹿だったからだ」と言うよりも、「イタリアという永遠の国家の栄光のために自分を犠牲にしたのだ」と自分に言い聞かせたいだろう。そのような幻想を抱いて生きるほうがずっと楽だ。その幻想が苦しみに意味を与えてくれるからだ。

 聖職者たちはこの原理を何千年も前に発見した。無数の宗教的儀式や戒律の根底にはこの原理がある。

2024年8月18日日曜日

20240818 ダイアモンド社刊 小室直樹著「危機の構造 日本社会崩壊のモデル」pp.95-98より抜粋

ダイアモンド社刊 小室直樹著「危機の構造 日本社会崩壊のモデル」pp.95-98より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4478116393
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4478116395

 情報処理能力として重要なものには、右に述べた情報操作能力のほかに、事件が示す兆候からその本質的なものを学び取り、それにもとづいて行動様式を再編させてゆく能力があげられなければならない。この能力を、心理学との連想において、学習能力と呼ぶことにしよう。われわれ日本人の学習能力は必ずしも高くなく、戦争の教訓を十分に生かしていないようである。すなわち、日本にとって致命的となるような根本的欠点は、それによって破局が招来される以前に、なんらかの兆候的事件によって露呈されるのである。したがって、学習能力が十分であれば破局は回避されうるのです。

 最近また、ノモンハン事件が人びとの話題とされるようになった。この事件ほど、破局の兆候としての好例はなく、もし戦前の指導者が、この事件に十分な科学的分析を加えていたならば、第二次大戦の破局は避けえたであろう。

 周知のように、ノモンハンにおいて関東軍は大敗を喫し、不敗の神話は崩壊するのであるが、考え方によっては、この敗戦は「大したこと」ではなかったといえる。つまり「大敗」といっても、小松原兵団が破滅的打撃を受けたでけであって、関東軍主力は無事であった。戦車と歩兵の戦闘としてはずいぶんと善戦であったといえなくもない。まもなくドイツ軍によって機械化部隊の圧倒的威力がはるかに大きな規模において証明されることになるのであるが、ポーランド軍やフランス軍や独ソ戦前半のソ連軍とは違って、日本軍は機械化部隊のまえに総崩れになったわけではない。それどころか、緒戦の勝利にもかかわらず深入りを避けたのはソ連軍のほうであった。さすがジューコフというべきであって、もし深追いをしていれば、弔い合戦のために手ぐすねをひいいていた日本軍のために全滅していたかもしれない。

 つまり、あれやこれやと総合的にみて、日本軍はこの敗戦にもかかわらず、あまり自信を失っていなかったのである。それは、空戦における圧勝のせいもあったかもしれないが、地上戦でも、本気になってやったらまだソ連になど敗けぬ、と思っていたのであろう。あるいはそうかもしれない。しかし、ここで重大なことは、ノモンハン敗戦の実際の損害よりも、それが示した兆候を十分に読み取っていなかったことである。その兆候が与える教訓のうち、とくに重要なものとしては、①歩兵は戦車には勝てぬ、②軽火力軽装甲の戦車は無力である、③対戦車火器の開発が急務である、などである。そして、さらに重要な教訓としては、④日本は物量戦は不可能であり経済大国と戦争はできない、ということである。いかにも、空においては、九七戦の性能はすばらしく、緒戦においては、イ十五、イ十六を次々と撃ち落とした。しかし、日本とソ連では国力が違う。やがて雲霞のごとく来襲するソ連空軍のまえに、さすがの九七戦も苦戦を免れなかった。

 すなわち、これらの教訓が与える結論によれば、日本陸軍は、個人の勇気を最重視する白兵主義をあらためて近代化し、それと同時に、(それが不可能であるというそれだけの理由によっても)軍事的冒険、大国ゲームを止めるべきであった。

 しかし、この重大な兆候およびそれが与える教訓は少しも学ばれなかった。当時、戦車を生捕りにした鬼軍曹の話などが喧伝されたが、国民はその意味するところを理解せず、彼の勇気をほめたたえた。しかし、だれも対戦車砲も持たない陸軍がなんでそんなに名誉であるのか、ということに気づかなかった。そしてまもなく日本人は、ビルマにおいて、また太平洋の島々において、連合軍戦車のために手痛い目にあうことになるのである。

2024年8月17日土曜日

20240817 株式会社講談社刊 東浩紀著「動物化するポストモダン」オタクから見た日本社会 pp.96-99より抜粋

株式会社講談社刊 東浩紀著「動物化するポストモダン」オタクから見た日本社会
pp.96-99より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4061495755
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4061495753

 ヘーゲル哲学は一九世紀の初めに作られた。そこでは「人間」とは、まず自己意識をもつ存在であり、同じく自己意識をもつ「他者」との闘争によって、絶対知や自由や市民社会に向っていく存在だと規定されている。ヘーゲルはこの闘争の過程を「歴史」と呼んだ。

 そしてヘーゲルは、この意味での歴史は、一九世紀初めのヨーロッパで終わったのだと主張していた。この主張は一見奇妙に思われるが、じつはいまでも強い説得力を備えている。というのも彼は、ちょうど近代社会が誕生するとき、まさにその誕生こそが「歴史の終わり」だと宣言していたからだ。彼の主著「精神現象学」が、ナポレオンがイエナに侵攻する前日、まさにそのイエナで脱稿されたというのは有名な話である。むろん、西欧型の近代社会の到来をもって歴史の完結とするこのような考え方は、のち民族中心主義的なものとして徹底的に批判されている。しかし他方で、ヘーゲルののち、二世紀のあいだ近代的価値観が全世界を蔽っていったという現実がある以上、その歴史観がなかなか論駁しがたいのも事実である。

「アメリカ的「動物への回帰」と日本的スノビズム」

 いずれにせよここで重要なのは、ヘーゲルではなく、その歴史哲学にコジューヴを加えたある解釈である。より正確には、彼が講義の二〇年後に「ヘーゲル読解入門」の第二版に加え、以後、少なくとも日本では有名となったある脚注である。第一章でも簡単に紹介したように、そこでコジューヴは、ヘーゲル的な歴史が終わったあと、人々は二つの生存様式しか残されていないと主張している。ひとつはアメリカ的な生活様式の追求、彼の言う「動物の回帰」であり、もうひとつは日本的スノビズムだ。 

 コジューヴは、戦後のアメリカで台頭してきた消費者の姿を「動物」と呼ぶ。このような強い表現が使われるのは、ヘーゲル哲学独特の「人間」の規定と関係している。ヘーゲルによれば(より正確にはコジューヴが解釈するヘーゲルによれば)、ホモ・サピエンスはそのままで人間的なわけではない。人間が人間であるためには、与えられた環境を否定する行動がなかればならない。言い換えれば、自然との闘争がなければならない。 

 対して動物は、つねに自然と調和して生きている。したがって、消費者の「ニーズ」をそのまま満たす商品に囲まれ、またメディアが要求するままにモードが変っていく戦後アメリカの消費社会は、彼の用語では、人間的というよりむしろ「動物的」と呼ばれることになる。そこには飢えも争いもないが、かわりに哲学もない。「歴史の終わりのあと、人間は彼らの記念碑や橋やトンネルを建設するとしても、それは鳥が巣を作り蜘蛛が蜘蛛の巣を張るようなものであり、蛙や蝉のようにコンサートを聞き、子供の動物が遊ぶように遊び、大人の獣がするように性欲を発散するようなものであろう」と、コジューヴは苛立たしげに記している(注37)。

 他方で「スノビズム」とは、与えられた環境を否定する実質的理由が何もないにもかかわらず、「形式化された価値に基づいて」それを否定する行動様式である。スノッブは環境と調和しない。たとえそこに否定の契機が何もなかったとしても、スノッブはそれをあえて否定し、形式的な対立を作り出し、その対立を楽しみ愛でる。コジューヴがその例に挙げているのは切腹である。切腹においては、実質的には死ぬ理由が何もないにもかかわらず、名誉や規律といった形式的な価値に基づいて自殺が行われる。これが究極のスノビズムだ。このような生き方は、否定の契機がある点で、決して「動物的」ではない。だがそれはまた、歴史時代の人間的な生き方とも異なる。というのも、スノッブたちの自然との対立(たとえば切腹時の本能との対立)は、もはやいかなる意味でも歴史を動かすことがないからである。純粋に儀礼的に遂行される切腹は、いくらその犠牲者の屍が積み上がろうとも、決して革命の原動力にはならないというわけだ。

「オタク的文化が洗練された日本的スノビズム」

 コジューヴのこの議論は短い日本滞在と直観だけに基づいており、多分に幻想が入っている。しかし、日本社会の中核にはスノビズムがあり、今後はその精神が文化的な世界を支配していくだろうというその直観は、いまから振り返るとおそろしく的確だったとも言える。



2024年8月15日木曜日

20240814 株式会社筑摩書房刊 アレクシス・ド トクヴィル 著 小山 勉 訳「旧体制と大革命」pp.117-120より抜粋

株式会社筑摩書房刊 アレクシス・ド トクヴィル 著 小山 勉 訳「旧体制と大革命」pp.117-120より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4480083960
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480083968 

 ローマ帝国を滅ぼし、ついに近代的国家を形成した諸民族は、人種も領土も言語も異なっていた。これらの民族の類似点といえば、未開状態だけだった。これらは帝国の版図に定住しながらも、長期にわたって大混乱のなかで衝突し合っていた。諸民族がついに安定状態に達したとき、衝突がもたらした荒廃によって、民族は相互に分裂した。文明はほとんど壊滅し、公共の秩序は崩壊し、人間相互の関係も困難で危険なものとなった。そして大ヨーロッパ社会は、独立した無数の敵対的な小社会に分裂した。しかし、この不統一な全体のなかから、突然画一的な諸法律が生れてくる。

 これらの法制度は、ローマ法を模倣したものではない。ローマ法とまったく異なるものであったからこそ、ローマ法を用いてこれを改正したり廃止したりできたのである。この法制度の特徴は独創的で、それまでに作られたいかなる法律とも違っていた。それは相互に整合性をもち、全体として非常に緊密にまとまった諸部分からなる大法典である。それゆえ、我が国の近代法典の諸条項も、この緊密な統一性に及ぶべくもない。この巧緻な法律は、ほとんど未開社会が使用するためのものだった。

 このような同じ法律がどのようにして形成され、普及し、ついにはヨーロッパ全体に広まったのだろうか。私は、この問題を究明しようとは思わない。ただ、確信できることはある。中世ヨーロッパでは、程度の差こそあれ、このような法律がいたるところで発見されている。しかも多くの国々でこの法律だけが支配し、これ以外の法律はすべて排除されているのである。

 私はフランス、イギリス、ドイツの中世における政治制度を研究する機会をもった。この作業が進むにつれて、私はこの三国の法律がことごとく酷似しているのを発見して、大いに驚いたものである。そして、私は不思議に思った。この三つの民族の相違は明らかだし、交流の機会も少ないのに、なぜこれほど類似した法律をもつことができたのだろうか。法律の細目部分は、国ごとに絶え間なく、ほとんど無限に変化しているにもかかわらず、その基盤がどの国においても同一だからなのだ。旧ゲルマン法制に政治制度、規則、権力に関する規定があるとすれば、徹底的に探究することで、フランスやイギリスでも本質的にまったく同一のものを見つけられるだろう、という予測はあった。果たして、それが間違いなく見つかったのである。この三つの民族のそれぞれは、私が他の二つの民族をより深く理解するのに役立った。

 英独仏の三国の場合、政治は同一の原則に従って行われている。政治的会議は同一の成員によって構成され、同一の権力を与えられている。この三国では、社会の区分の仕方も同じで、諸階級の間には各国とも同じ階層区分が見られる。貴族はどこでも同じ地位を占め、同じ特権を有し、同じ顔つきをし、同じ気質をもっている。すなわち、貴族は各国で相異なるわけではなく、まさにどの国でも同じなのである。

 都市の制度も互いに似ている。農村も同じ方法で統治されている。農民の生活条件もほとんど違わない。土地も同様に所有さて、保有さて、耕作されている。耕作者も同じ税負担を負っている。ポーランドの国境からアイルランドの海岸まで、領主制、領主裁判所、封土、地代、賦役、封建的賦課租(権利)、ギルド、これらすべてが相似ている。時として名称まで同じである。さらに注目すべき点は、唯一の精神がこれらの類似した制度全体を支えている。ということである。思うに一四世紀には、ヨーロッパの社会、政治、行政、司法、経済、文芸の諸制度は、おそらく今日以上に多くの類似性を有していた。と言っても過言ではなかろう。今日にいたって、文明はあらゆる交流の道を開き、あらゆる障壁を低くしようと心がけているかに見える。

 このヨーロッパの古い制度は、どうして少しずつ弱体化し衰頽していったのか。この問題について説明することは、私の主題ではない。ここでは、一八世紀になって、この古い制度がいたるところで崩壊に瀕していたことを明らかにするだけにとどめよう。この衰頽は、一般にヨーロッパ大陸の東部ではさほど顕著ではなく、西部のほうで顕著だった。しかし、いたるところで老化と、しばしば老衰が現われていた。

2024年8月14日水曜日

20240813 太平洋戦争を題材とした諸作品から思ったこと

 おかげさまで、昨日投稿分の記事は、投稿翌日としては比較的多くの方々に読んで頂けました。これを読んでくださった皆さま、どうもありがとうございます。また、そうした事情から気を良くして、本日もオリジナルにて記事作成を試みることにしました・・。そして、その題材は、昨日の投稿記事にて述べた加藤周一著「日本文学史序説」にしようと考えていましたが、今は8月15日の敗戦記念日に近いということもあり、太平洋戦争を題材として扱った各種書籍や映画などを題材としていきます。

 一言で太平洋戦争と云っても、1941~1945と四年近くも続き、また、その戦域も北はアリョーシャン列島から南はジャワやニューギニアまでと広大であり、さまざまな戦局で数多くの様相があったものと考えます。さて、そうした中で私が先ず挙げたいのは、大岡昇平による「俘虜記」です。

 こちらの作品は著者ご自身の従軍経験に基づくものであり、戦況も厳しくなった1944年春にフィリピンに送られ、その後、ルソン島の南に位置するミンドロ島の守備任務に就いて、しばらく経った12月に同島に米軍が大挙押し寄せました。それに対し、駐屯していた日本軍は敗退するのですが、その際、大岡昇平は体調を崩しており、撤退する部隊からはぐれ、単独で行動をとっていたなかで米軍の捕虜となりました。その後は、体調の回復とともに、診療所棟から一般の捕虜収容所に移され、そこでの、さまざまな出来事や生活の描写に、現代の我が国の社会にも通底する「何か」が少なからず描かれているのと思われるのです・・。そしてまた、その当作品から看取される現在にも通じると思しき要素とは、全て、いや殆どの場合、たとえ、それを認識したとしても、容易に改良・改変などは出来ないと思われることから、当作品は、読み進めるに伴い、徐々に暗鬱とした気分になってくるようなところがあると云えます・・。

 しかしそれでも、その容赦のない率直な描写には、読み手を惹き込ませるものがあり、それでもやはり、最後まで「救い」といったものはありません・・。また、同じくフィリピン戦域に従軍していた山本七平による旧日本軍を題材とした諸著作からもまた、さきの大岡昇平とは異なるものの、我が国社会において広く認められる、さまざまな性質について言及しており、これもまた、読み進めていますと、さきの「俘虜記」と同様、暗鬱とした気分になってきます・・。

 いや、おそらく、太平洋戦争末期の我が国を題材とした著作・作品で、読んでいて楽しくなるようなものは稀有であるのだと思われますが、その視座から、他の著作を検討してみますと、ジョン・ト―ランドによる「大日本帝国の興亡」全五巻のうち、真ん中の三巻目からは、南太平洋のガダルカナル島での戦況の推移、そして玉砕に続き、さらに日本本土に近いサイパン島の玉砕で巻を終えるのですが、さらに先の四巻目から最終五巻終盤にまで至ると、さらに悲惨な描写が続き、眉間に皺が入り、自然体で読み進めることが困難になってきます・・。しかし、たとえ、そうであったとしても、こうした史実を扱った著作や記述を読み、当時のさまざまな様相を知ることは、我々日本人にとって(きわめて)重要なことであり、あるいは、戦後79年となり、当事者世代の方々がもう既に殆どご存命でなくなったことから、さきのような「陰惨にして重要な記憶」が社会で共有することが困難になっていることを背景として、昨今の世界各地での争いや緊張の高まりが生じているのではないかとも思われるのです・・。そこで我々後発の世代が、こうした世界規模での潮流に対抗するためには、たとえ当事者世代の生の記憶でなくとも、かつて、こうした悲惨な歴史・史実があったことを忘れないようにする、ほぼ無意識化、ルーチン化された活動があるのではないかと思われます。そしてまた、おそらく、そうした所為を個々の義務感のみに訴えても、継続することは困難であろうと思われることから、そうしたことを、より本能に近い領域で駆動出来るような、ある種変った方々が社会に一定数いることが、思いのほかに重要ではないかと思われる次第です。そして、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!

一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

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どうぞよろしくお願い申し上げます。





 

2024年8月13日火曜日

20240812 先日の2240記事到達を知って思ったこと

 一昨日の記事投稿により、総投稿記事数が2240に到達していました。昨今は、記事数をあまり気にせずに作成していたことから、思いのほかに高頻度での投稿による記事数に少し驚かされました。またここ最近は、引用記事を主として作成しており、これは、オリジナルでの記事作成と比べ、渾身とはいえないことから、総投稿記事数を気にする習慣も薄らいでいたのだとも云えます。

 ともあれ、そうして迎えた2240記事ですが、相変わらず、その実感や達成感は皆無であり、何やらここまで来ますと、闇雲に無感動のままで、ただ記事数を積み上げているといった観すらあります・・(苦笑)。そうしたことから、何と云いますか、自分がブログ記事の作成を継続しているという実感もまた希薄化してくるわけですが、しかしながら、現在このようにブログ記事の作成が出来ている背景には、それを成立せしめてきた環境があり、その環境によって紆余曲折を経ながらも、何とか9年以上にわたり、当ブログを継続することが出来ています。そして、そうした背景・経緯があって、はじめて、オリジナル・引用の何れであれ、先ほどのように躊躇なく記事作成に取り組むことが出来るのだと云えます。ともあれ、そのようにして私にとってのブログ記事の作成は、半ば習慣化しているのだとも云えますが、同時に、取り掛かるまでには記事作成が億劫に感じられ、やりたくないと思うこともまた度々あります・・。それでも、ルーチンとして記事の作成していますと、徐々に興に乗ってくるのか、少なくとも、このあたりまでの文章は、あまり時間を要せずに作成することが出来るようになったとは云えます・・・。

 また、それに加えて、以前より数冊の書籍も読み進めており、そこにある、いわばさまざまな文語に対する「慣れ」の意識や親近感もまた、こうした文章作成においては重要であると私は考えます。さて、この読み進めている書籍については、過日(7/23)の投稿記事で、加藤周一による「日本文学史序説」上下巻を挙げましたが、この題材はまた後日、あらためて作成したいと考えていますが、当著作が私にとって意義深いものと考える理由は、当著作は、2013年に学位取得以降はじめて、ある程度身を入れて通読した人文系の著作であったからなのですが、また、それと同時に、当ブログの開始初期(2015~2016)の頃は特に、当著作の通読経験に支えられて、どうにかブログを継続することが出来たのだとも云えます。あるいは、その他のこうした私にとって重要な著作を挙げてみますと、たとえば昨今は、敗戦記念日に近い時期でもあることから、太平洋戦争を思い起こすために、大西巨人による「神聖喜劇」全巻、あるいはもう少しライトな文量ですと、大岡昇平による「俘虜記」などの読書経験は、自分にとって印象深いものであったと云えます。そして、こうした読書経験は、おそらくある程度年齢が若く、感性が生き生きとしている時期(具体的には30代前半まで)に積んでおいた方が良いと考えています。そして、こうした視座からも、我が国の高等教育は、いま少し考えをあらためた方が良いのではないかとも私は考えます。

 そして、この我が国の高等教育については、以前から当ブログやエックス(旧ツイッター)にて述べている医療・歯科医療・介護などの専門職を養成するための専門職大学の新設について、以前からボンヤリと考えていたことが、ここ最近の経験や読書によって、いま少し精密に言語化出来るようになったと思われることがあり、それをまた、近日中にブログ記事として作成したいと考えています。

 以上のことから、ここ最近は引用記事が主ではありましたが、しかし引用記事の作成による当該記述の対自化によって、その記述内容と類似、近似あるいは対立する見解が含まれる既投稿のオリジナル・引用の記事が新たに想起されてくることは、毎度それなりに面白いものであり、そこでの自分なりの発見を当ブログやエックス(旧ツイッター)などで共有して、そして、そこに興味を持って頂ける方々が、たとえわずかではあれ、いらっしゃるのであれば、それらを投稿、連携して示した私としては、やはり僥倖と評して良いのではないかと思うところです。

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!
一般社団法人大学支援機構


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2024年8月11日日曜日

20240810 河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳「ホモ・デウス」下巻  pp.74-76より抜粋

河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳「ホモ・デウス」下巻 
pp.74-76より抜粋
ISBN-10 : 4309227376
ISBN-13 : 978-4309227375

 ジャーナリストのマーク・ボウデンは、ベストセラーになった著書「ブラックホーク・ダウン」の中で、ソマリアのモガディシュにおけるアメリカ兵ショーン・ネルソンの一九九三年の戦闘経験を同じような言葉で描いている。

 そのときの気持ちを説明することは難しかった…物事の本質が突然明らかになる瞬間に似ていた。死の瀬戸際にあって、かつてないほどの生命感を覚えていた。死が自分をかすめるように過ぎていったと感じた瞬間は、それまでの人生にもあった。疾走してきて急カーブが曲がり切れなかった車が、やはり飛ばしていたいたこちらの車と、間一髪で正面衝突を免れたときのように。この日彼はあのときの気持ちで、死が自分の顔にまともに息を吹きかけてくるのを感じながら生きていた…一瞬一瞬、三時間以上にわたって…戦闘は…完璧な精神的・肉体的自覚の状態だった。路上にいたその間、彼はショーン・ネルソンではなかった。外の世界とは何の結びつきもなく、支払わなければならない請求書もなければ、感情のつながりもない。何もなかった。このナノ秒から次のナノ秒へと命をつなぎ、一息ずつ呼吸を繰りかえし、そのどれもが最後になるかもしれないことを完全に自覚している一人の人間にすぎなかった。もうけっしてそれまでの自分ではいられなくなると感じた。

 アドルフ・ヒトラーも、自分の戦争体験で変わり、目を開かれた。「わが闘争」の中で語っているように、彼の部隊が前線に到着して間もなく、兵士たちの当初の熱狂が恐れに変わり、めいめいがあらゆる神経を張り詰めさせ、圧倒されまいとして、その恐れに対して激しい内なる戦争をしなければならなかった。ヒトラーは、一九一五年から翌年にかけての冬にこの内なる戦争に勝ったと言っている。「ついに私の意志が明白な主人となった…今や私は落ち着き払い、決然としていた。そして、それは永続的なものだった。今や運命が究極の試練をもたらそうとも、神経をずたずたにされることはないし、分別を失うこともありえなかった」

 戦争の経験はヒトラーにこの世界についての真実を暴いて見せた。そこは自然選択の無慈悲な法則が心配するジャングルなのだ。この真実を認めるのを拒む者は生き残れない。成功したければ、このジャングルの法則を理解するだけでなく、それを喜んで受け容れなければならない。これは強調するべきだが、戦争に反対する自由主義の芸術家たちとまさに同じで、ヒトラーも平凡な兵士たちの経験を神聖視した。それどころか、ヒトラーの政治面での経歴は、二〇世紀の政治で一般大衆の個人的経験に与えられた莫大な権威の有数の例になっている。ヒトラーは高級将校ではなく、四年間の戦争中、階級は兵長止まりだった。彼は正式な教育を受けておらず、専門的技能も持たず、政治的背景もなかった。羽振りが良い実業家でも、労働組合の活動家でもなく、有力な友人や親族もおらず、たいしたお金も持っていなかった。初めはドイツ国政さえなかった。彼は無一文の移民だったのだ。

 ドイツの有権者に訴えて信頼を求めるとき、ヒトラーには頼みの綱はたった一つしかなかった。大学や総司令部や省庁ではけっして学べないことを塹壕での経験で学んだという主張だ。人々が彼を支持し、票を入れたのは、その姿に自分自身を重ねたからであり、彼らもまた、この世界はジャングルだ、私の命を奪わないものは私をより強くする、と信じていたからだ。

 自由主義がもっと穏やかな国家主義のバージョンと一体化して個々の人間のコミュニティの唯一無二の経験を守ろうとしたのに対して、ヒトラーのような進化論的な人間至上主義者は、特定の国々が人間の進歩の原動力であると考え、それらの国々は誰であれ行く手を遮る者を打ち倒し、根絶しさえするべきであると結論した。とはいえ、ヒトラーとナチスは進化論的な人間至上主義の極端なバージョンの一典型にすぎないことは、忘れてはならない。スターリンが強制労働収容所を造ったからといって、社会主義の考え方や主張がすべて自動的に無効になりはしないのとちょうど同じで、ナチズムが惨事を引き起こしたからといって、何であれ進化論的な人間至上主義が提供してくれる見識を私たちが見逃すことがあってはならない。ナチズムは、進化論的な人間至上主義と特定の人種理論や超国家主義的感情が組み合わさって生まれた。進化論的な人間至上主義者がみな人種差別をするわけではないし、人類はさらに進化する可能性があると信じている人がみな、必ずしも警察国家や強制収容所の設立を求めるわけでもない。

 アウシュヴィッツは、人間性の一部をそっくり隠すための黒いカーテンの役割ではなく、血のように赤い警告標識の役割を果たすべきだろう。進化論的な人間至上主義は近代以降の文化の形成で重要な役割を演じたし、二一世紀を形作る上で、なおさら大きな役割を果たす可能性が高い。

2024年8月9日金曜日

20240808 中央公論新社刊 陸奥宗光著「蹇蹇録」pp.115‐119より抜粋

中央公論新社刊 陸奥宗光著「蹇蹇録」pp.115‐119より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 412160153X
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121601537

 豊島の海戦は七月二十五日午前七時と八時との間、わが軍艦秋津洲、吉野、浪速と清国軍艦済遠、広乙との間における戦闘にして、すなわち清艦済遠よりまず戦端を啓きたるに始まり、而してその結果は済遠敗走し広乙逃れて沙礁に坐触し、操江ついにわが海軍の捕獲するところとなるに畢り、その後同日午前九時ごろ、浪速が敵艦を追撃する途上、ショパイオル島の近傍において、清国軍隊を搭載し英国旗章を掲げたる運送船高陞号に出会えり。このときすでに戦端は啓けり。わが軍艦は交戦者の権利を行わんため運送船を捜査し、またある場合にありてはなんらの強制手段をも施し得べきこともちろんなれば、浪速は最初に信号をもって停戦を命じたるに、高陞号船長は直ちにこれに応じその他浪速の下したる命令に対し一も違背するところなかりしも、同船に乗り組み居たる清国将官は、該船長を抑制しすべて浪速の命令に服従せしめず。浪速は両回までもその短艇を発し該船船長に就き懇諭したるもなお、その目的を達し得ざるを見て、ついに最後の信号を掲げて該船内の欧人をして各自活路を求めしむるの便宜を与えたるのち、これを砲撃して沈没せしめたるは正に午後零時四十分なりという。かくのごとくほとんど四時間を経過するまで、浪速艦長が最後の手段を決行せざりしは該艦長の注意精密周到なるを見るべく、また国際法上なんら失当の所為なかりしを証すべきなれども〔すべて戦闘の状況を詳記するは本篇の目的にあらず、然れども豊島の海戦は高陞号砲撃のことと関繋して他日国際公法上争論の基礎となりし事実は、ここにその大要を記せざるを得ず。これ例外とす〕、然れども、これ特に後日続々接受したる詳報により初めて明瞭なるを得たる事実のみ。当初豊島の海戦中わが軍艦が英国の旗章を掲げたる運送船を砲撃し沈没せしめたりとの報告に接したるときにありては、この不慮の出来事より日英両国の間将に一大紛争を惹き起こすやも計られずとて何人もいたく驚駭し、ともかくも時日を遷延せず英国に対し十分満足を与えざるべからずとの説多く、在英国青木公使より七月三十一日をもって、「英国運送船の事件に関しては英国政府よりなんらの要求あるを待たず、われより進んで相当の満足を与うるよういたしたく、かつ該船に乗り居たる独逸士官がはたして死したりとせば、これまた同上の処分ありたし」との電稟あり〔このときまで倫敦には未だ船名をつまびらかにせず、またハンネッケンの姓名も明らかならざりしと見ゆ〕。ついで八月三日において、英国外務大臣は高陞号事件に関し公然青木公使に向かい一の書翰を送れり。その公文の概要に、「当時日本海軍将校の処置より生じたる英国臣民の生命もしくは財産の損害に対しては、日本政府はその責に任ずべきものと認定いたし候。(中略)なお本件に関し詳細の報知を得て英国政府の意見も確定いたし候節は、直ちに再応御照会におよぶべく候」と照会ありたりと電稟せり。当時倫敦においてその詳報を得ずというのはもちろんのことなり。東京においてすら未だ確然たる詳報を得る能わずにより、余は、かの時日を遷延せずまず英国に対し満足を与うべしとの説にも、また青木公使の建議のごとく、かの国よりなんらの要求あるを待たず我より進んで補償を申し出ずべしとのことも今日はなお早計たるを免れずと思惟し、かつ余は曩にこの変報に接したるとき、とりあえず東京駐在英国臨時代理公使を招き、この悲嘆すべき事件に付ては十分に顛末を審査したるうえ、もし不幸にも帝国軍艦の所為その当を失したることを発見せば、帝国政府は相当の補償をなすことを怠らざるべき旨を述べ、同公使をして直ちにこれを本国政府に電報せしめておきたれば、今はただ一日も早く詳報を得んことを望めり。その後各所より戦時実地の確報続到し、かつ当時わが軍艦のために救出せられたる高陞号船長以下の外国人はすべて佐世保鎮守府に到着したるにより、政府は七月二十九日をもって法制局長官末松謙澄を該鎮守府に派遣し、親しく右外国人等につき事実取調べなさしめたり。すなわち末松がその取調べの結果を余に報告したる概要を挙ぐれば、沈没船は高陞と号し英国船籍に属しその持主は印度支那汽船会社なり、同船には清国砲歩将卒千百人乗りこみその他多の大砲弾薬を搭載しほかに旅客の名義をもって独逸人フォン・ハンネッケンあり、本船は清国政府の雇船となり大沽より清国兵およびハンネッケンを搭載して朝鮮国牙山に至り揚陸せしむの命令を受けおれり、高陞号の大沽を出帆したるは七月二十三日なり、同船長の言によればその前後清国軍隊の運送船八隻はおのおのの封書命令を奉じて大沽を発したりと、下官は高陞号もまた封書命令を齎したるものと信ずべき理由を有す。高陞号は七月二十七日(実際には二十五日)の早天、豊島近傍においてわが軍艦と清国軍艦との間においてすでに開戦ありたるのち二時間を経てわが軍艦浪速に出空いたり、該船長はすべて浪速の命令に依従することを諾したるも船内の清国軍官はこれを許さず、ゆえに該船長はすべて自由の運動を妨げられたり、浪速艦長はこの軍機倥偬の間においても高陞号が英国旗章を掲げるのゆえをもって談判往復に長時間を費やしたるは注意周到なりしを証するに足る。また高陞号の持主と清国政府の間との間にいかなる関係あるや未だその詳細を得ざれども、種々の事情より推察すればけっして尋常一様の通運業の関係に止まらざるを信ずべき理由あり、下官の切実なる質問に対し該船長が書面に記したるところによるも、該船は清国政府が雇用し、もし航海中に開戦におよぶときは直ちに同船をもって清国政府に引き渡し乗組員は悉皆その船を去るべしとの契約ありしこと明白なり、といい、而して末松はこの報告書の末文において、「以上は下官が調査したる事項の要領とす。関係書類はこれを別封とし斉しくこれを閣下に呈す。本件に対し万国公法上わが浪速艦長行為の当否如何は下官がここに論述すべきところにあらずといえども、これを要言すれば、前に挙ぐるところの事実なるをもってその行為の失当にあらざることはいやしくも公平を持する批評家の疑わざるところなるべし」との意見を加えたり。この取調書の事項はあたかも追い追いに海軍当局者より接受したる確報と符合せり。ここにはじめて高陞号砲撃の事件もようやく明瞭となるに至れり。

2024年8月6日火曜日

20240805 ワクチンとしての悲観(現実)的視座の重要性・・

 2020年初頭からの新型コロナウィルス感染症の世界的流行にはじまり、2022年2月のロシアによるウクライナへの侵攻、そして2023年10月のイスラム原理主義武装組織ハマースによるパレスチナ・ガザ地区からのイスラエル領への越境攻撃と、ここ直近の数年間は、世界情勢がラチェット式に悪化している観があり、私の方も、気が滅入ることも少なからずありますが、それでも、情勢の推移を出来るだけ精確に認識したいと考え、関連する著作を読み、動画などを視聴しています。そして、先日来のイスラム原理主義組織によるイスラエル領へのミサイル攻撃から、イスラエルによるレバノンおよびイランでのイスラム教指導者の暗殺により、中東情勢の危険度がまた一段と高まり、あるいはその延長として、第五次中東戦争の勃発にまで至るのではないかとも考えられます・・。また、それらの主戦場となる地域は、我が国からは遠い中東地域ではあるのでしょうが、もしも、今後、中東地域においてまた、全面戦争が勃発しますと、おそらく西側諸国のいくつかの国々は、双方の和平・早期停戦のため、少なからぬ兵力を当地に割くことが予想されます。そうしますと、かねてより緊張の度合いが高まってはいるものの、未だ戦争には至っていない南シナ海での領海をめぐる中国に対する台湾・フィリピンの状況にも変化が生じ、あるいは「鬼の居ぬ間の洗濯」とばかりに、中国が、これらの領海問題を武力によって強引に解決しようとする可能性も相対的に高まってくると云えます。そうしますと、台湾に南西諸島を介して隣接する我が国もまた、物理的な呼称としては「対岸の火事」であるのかもしれませんが、しかし、その意味が全く異なってくると云えます。つまり、我が国が戦火に巻き込まれることが現実味を帯びてくるのだと云えます。私としては、そうした事態に至って欲しくないと考えてはいますが、しかし同時に、我が国は1945(昭和20)年の太平洋戦争の敗戦から昨今に至るまで、大規模な周辺の紛争・戦争に巻き込まれることはなかったため、私も含めて、多くの日本国民は、さきに述べた状況を現実感をもって認識することが出来ていないのではないかと思われるのです・・。そして、そうした状態を現実のものとして認識して受容するためには、信頼できる情報を出来るだけ多く集め、そして多面的な視座を保持しつつ、各々で少しづつ、我が国の現状を認識することが重要であると考えます。あるいは換言しますと、いまだ戦争に至ってはいないため、辛いかもしれませんが、我々はもう半ば戦時状態にあることを、強要されたものとしてでなく能動的に意識することが重要であると云えます。そして、こうした心構えが我が国内にて広がれば、これから数年後に昨今の平和に対する危機の要素が除かれて、また平和が訪れた時に、平和のありがたさを満喫することが出来、またたとえ、悪い方へと事態が推移しても、比較的冷静に、その状況に対峙することが出来るようになるのではないかと思われるのですが、さて、実際のところは、どのような方向へと事態は進展するのでしょうか・・。

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!
一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。





2024年8月3日土曜日

20240803 手書きとキーボード入力による文章作成について

 先月に続いて8月に入っても暑い日が続いておりますが、当ブログの方は去る5月末に2200記事に到達してから、さらに30記事以上更新しており、十分に休息を取らずになし崩し的に記事作成を再開している様な感がぬぐい得ません。そのため「もっと休息を・・」と思うこともあるのですが、以前にも述べましたように、とりあえず来年の6月22日のブログ開始から丸10年になるまでは、どのようなペースであれ、その時々の自分の意思に従って記事作成を継続したいと思っています。ある程度、こうした行為を継続していますと、引用記事であれ、オリジナルのものであれ、ともかくブログ記事を作成することが基本となりますので、自分の意思のなかで「ブログ記事作成を止める」といった選択肢は考えられなくなります。しかし、10年間継続することにより、その後の更なる継続も、あるいはまた完全に止めることも、ごく自然にできるのではないかと思われるのです。そして、そのためにも、9年間を越えた現時点では、面倒に思い、また時々は辛いと感じることがあっても、継続する以外にないのではないかと思われるのです。また、ここ最近は相対的に書籍からの引用記事を多く作成してきましたが、そこで自らによる文章作成が困難になったのではないかと思い、ブログ開始初期の頃のように時間を見つけてノートに思い付いたことなどを走り書きしてきましたが、この記入に際して「ああ、これは懐かしい感覚だ・・」と感じることがありました。そして、この感覚があればまた、特に困難でなく、また自らの文章を作成出来ると信じられるのです。そして、この文章を作成しています。また、さきの走り書きには、こうしたことは全く書いていません。つまり、ノートへの記入と、ここでのキーボードでの文章の入力は、それぞれの文章作成時における感覚が異なり、おそらく、ブログ開始当初の頃であれば、それ以前から優勢であった手書きでの文章の感覚か強く、それがブログの継続に伴い、経時的に、キーボード入力での文章作成の感覚が優勢になっていったのではないかと思われます。そして、現在「自らによる文章作成の感覚が停滞しているのでは?」という危惧から、ジタバタともがく一環として、原点に戻り、手書きでのノートへの文相作成を試み、しばらくしていますと、さきの「ああ、これは懐かしい感覚だ・・」といった様子になり、そして、そこから、こうした、理路整然としたものではないものの、文章を作成することが出来ていますので、そこから、手書きでの文章作成といった、現在では古くなってしまった感のある行為を、敢えて採ることにより、かつての文章作成を日々行っていた身体感覚が甦り、そして、それをキーボードでの文章作成に転換することが出来るようになるのではないかと思われました。結論として、キーボードでの文章作成をされる方々は、スランプ気味になりましたら、しばらく手書きでの文章作成をしてみますと、多少は事態が好転するのではないかと思われました。

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!
一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

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2024年8月2日金曜日

20240801 河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳「ホモ・デウス」上巻 pp.79-81より抜粋

河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳「ホモ・デウス」上巻
pp.79-81より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4309227368
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4309227368  

 歴史が安定した規則に従わず、将来どのような道をたどるか予期できないとしたら、なぜ歴史を学ぶのか?科学の主たる目的は、未来を予測することであるように思える場合が多い。気象学者は明日雨が降るか晴れるか予想することを期待されているし、経済学者は通貨の平価を切り下げると経済危機を避けられる引き起こすかを知っていて当然だし、優れた医師は肺癌の治療には化学療法と放射線療法のどちらのほうが有効かを予見できる、という具合だ。同様に歴史学者は、私たちが祖先の賢明な決断に倣い、誤りを避けられるように、祖先の行動を詳しく調べることを求められる。だが、思いどおりにうまくいくことは、まずない。現在は過去と違い過ぎるからだ。第三次世界大戦が起こったた真似るために、第二次ポエニ戦争におけるハンニバルの戦術を学んでも時間の無駄だ。騎兵戦では成功した戦術も、サイバー戦争ではたいして役に立たないだろう。

 もっとも、科学は未来を予測するだけのものではない。どの分野の学者も、私たちの視野を拡げようとすることが多い、それによって私たちの目前に新しい未知を切り拓いてくれる。これは歴史学にはなおさらよく当てはまる。歴史学者はときおり予言を試みるものの(ろくに成功しない)、歴史の研究は、私たちが通常なら考えない可能性に気づくように仕向けることを何にもまして目指している。歴史学者が過去を研究をするのは、過去を繰り返すためではなく、過去から解放されるためなのだ。

 私たちは一人残らず、特定の歴史的現実の中に生れ、特定の規範や価値観に支配され、特定の政治経済制度に管理されている。そして、この現実を当り前と考え、それが自然で必然で不変だと思い込んでいる。私たちの世界が偶然の出来事の連鎖で生み出されたことや、歴史が私たちのテクノロジーや政治や社会だけでなく、思考や恐れまでも形作ったことを忘れている。過去の冷たい手が祖先の墓から伸び出てきて、私たちの首根っこをつかみ、視線をたった一つの未来に向けさせる。私たちは生まれた瞬間からその手につかれてているので、それが自分というものの自然で逃れようのない部分であるとばかり思い込んでいる。したがって、身を振りほどき、それ以外の未来を思い描こうとはめったにしない。

 歴史を学ぶ目的は、私たちを押さえつける過去の手から逃れることにある。歴史を学べば、私たちはあちらへ、こちらへと顔を向け、祖先には想像できなかった可能性や祖先が私たちに想像してほしくなかった可能性に気づき始めることができる。私たちをここまで導いてきた偶然の出来事の連鎖を目にすれば、自分が抱いている考えや夢がどのように形を取ったかに気づき、違う考えや夢を抱けるようになる。歴史を学んでも、何を選ぶべきかはわからないだろうが、少なくとも、選択肢は増える。

 世界を変えようとする運動は、歴史を書き換え、それによって人々が未来を想像し直せるようにすることから始まる場合が多い。労働者にゼネストを行わせることであれ、女性に自分の体の所有権を獲得させることであれ、迫害されている少数者集団に政治的権利を要求させることであれ、あなたが何を望んでいようと、第一歩は彼らの歴史を語り直すことだ。あなたの語る新しい歴史は、次のように説く。「私たちの現状は自然でも永続的でもない。かつて、状況は違っていた。今日、私たちが知っているような不当な世界が誕生したのは、一連の偶然の出来事が起こったからにすぎない。私たちが賢明な行動を取れば、その世界を変え、はるかに良い世界を生み出せる」。だからマルクス主義者は資本主義の歴史を詳述する。フェミニストは家父長制社会の形成について研究する。アフリカ系アメリカ人は奴隷貿易というおぞましい行為を振り返る。彼らは過去を永続させることではなく、過去から解放されることを目指しているのだ。

2024年8月1日木曜日

20240731 中央公論新社刊 陸奥宗光著「蹇蹇録」pp.270‐272より抜粋

中央公論新社刊 陸奥宗光著「蹇蹇録」pp.270‐272より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 412160153X
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121601537

 かつ日本政府は露、独、仏三国の運動が、或いは清国を誘引して条約の批准を拒止せしめついに再び砲火相間見ゆるの已むを得ざるに陥らんことを恐る、かかる出来事はなるべく未発に防遏するため内密に米国の友誼協力を望まざるを得ず、との旨を米国政府に告ぐべし、と命じたり。しかるに同月二十七日、露京発西公使の回電にいう、四月二十五日の電訓に基づき、本官は昨日露国外務大臣と長時間の弁論を費やし、力を尽くして露国政府をしてわが請求に対し都合よき回答をなさしめんとしたり、同大臣の顔色やや感動するところあるもののごとく見受け、今一応露国皇帝の叡慮を伺うべしと約せり、しかるに今日に至り、露国皇帝は日本の請求は露国の勧告を翻さしむるに足るべき十分の理由あらずとのゆえをもって、これを容納し給わずとの旨を述べたり、目下露国政府は運槽船をオデッサに派遣し軍隊回槽の準備中なりと風聞す、ゆえに露国の干渉は重大なるべきものと予期して覚悟しおかるる方安全なるべし、と。余は露国の回答は大概かくのごときものなるべしとは予期せしところなり。而して英国はいかにわが請求に対し回答せしか。あたかも西公使の回電と同日、倫敦発加藤公使の電報はこのときに到来せり、加藤公使はさきに余の電訓に接するや直ちに英国外務大臣に両見を求め具にわが政府の希望を述べたるに、キンバリー伯爵はすこぶる日本に対し好情を抱き居る様子なれども、諸大臣は、この事件に関し英国政府は一切干渉せざることに決定しおれり、而して今英国が日本に協力することはそもそもまた一の干渉にほかならず、事体一新面目を開くことなるをもって、内閣総理大臣ローズベリー伯爵と相談のうえにあらざればなにごとも回答し難し、との旨を述べ、かつ、露、独、仏三国にはたしてなにほどまでその異議を主張するやは確知せざれども、形勢すこぶる容易ならざるゆえに、日本はこれに対し十二分に覚悟するを得策とすべし、英国は平和を望むをもって日本が欧州各国と交戦に至るを欲せざるはもちろん、日清戦争の継続することもまたはなはだ好まざるところなれば、目下の葛藤を解除すべき機会あれば必ず尽力することを怠らざるべし、ただし英国は日本に対し友情を抱くといえど、露、独、仏三国もまた友邦のことなれば、英国はこの際彼此酌量してその威厳上自己の決断と責任とをもって運動するのほかなし、と付言したり。加藤公使はこのときすでに在伊国高平公使の電照にて伊国政府の意見を推知し居たるにより、英国外務大臣に向かい、暗にこの際事局を了結すべき名案なきやと問いたれども、同大臣は否と答えたるのみ。なおわが請求に対する英国政府の確答あり次第さらに電稟すべしといい越し、ついで二十九日、倫敦発同公使の電報によれば、英国外務大臣は同公使に対し、英国政府はうちに局外中立を守ることに一決したれば、今回もまた同一の意向を維持せんと欲す、英国は日本に対しもっとも昵懇なる友情を抱き居れども、同時に自国の利益をも考えざえるを得ず、ゆえに今日本の提議に協同して日本を助力する能わず、ただし露国は真実に決心するところあるがごとしといい、深く注意を与えたり、と報じ来たれり。これを要するに、英国は半呑半吐の間にわが請求を謝絶したるに過ぎず、また同日栗野公使の来電によれば、米国国務大臣は局外中立の主意と矛盾せざる限りは日本と協力することを承諾せり、而して講和条約の批准の件は在北京米国公使に電訓して、速やかなる実行することを清国に勧告せしむべしといえり、とあり。米国の政綱よりいえばこの回答は実に相当の語詞にして、そのわが国に対する友情の薄からざるを視るべし。さりとて局外中立の範囲内における協力といえばその極端の援助を望むに足らず。