おかげさまで一連の【架空の話】にて60記事作成することが出来ました。これまで読んでくださった皆様、そして、作中人物のモデルとさせて頂いた皆様、どうもありがとうございます。
この【架空の話】は、自身作成のブログ記事の中では、比較的多くの方々に読んで頂いており、今後もまた継続的に更新していきたいと考えております。他方で、この【架空の話】は、主たる内容が自身の記憶に基づくものであることから、その記憶が活性化されている時の方が書き進めやすいとは云えるのですが、同時に面白いことに、当時の記憶を共有されている方々と実際にお目に掛かり、話す機会などを持ちますと、記憶が励起され過ぎるためか【架空の話】作成の方は、何故だか進まなくなる傾向があります。
これは未だ自身の中で確立した見解には至っておりませんが、たとえ主に記憶に基づいたものであっても【架空の話】作成においては「記憶そのもの」あるいは「記憶を共有する方々」から少しだけ距離を置いた方が、文章の作成はし易くなるのではないかと思われるのです。
そして、そうした考えが出て来た背景には「記憶そのものではあまりにも生々しく記憶に基づいた表出全般では、記憶に対する何らかの変換のようなものが必要ではないか」といった小林秀雄がどこかで述べていた意見があり、あるいはこのような変換作用があるからこそ、オリジナル(記憶)に基づいた二次創作そして創造行為が可能になり、そして、それが更なる二次創作そして創造行為を生み、それらが洗練され蓄積していくに随い、何と云うか時代精神・集合的無意識に変容が生じ、そして、次なる異なった時代が喚起されていくのではないかとも思われるのです。
また、このことは、以前当ブログにて抜粋引用したゲーテによる小説と戯曲との相違にも何らかの関連性があるのではないかとも思われるのです。ともあれ、ハナシを卑近な【架空の話】作成に戻しますと、そのスムーズ且つ出来るだけ長期の作成のためには、あまり肩に力を入れず、そして記憶が励起され過ぎる経験を避けることになりますが、しかしまた、他方で、励起され過ぎないと忘れて行くといった困った側面もあるように思われ、その兼合いがなかなか難しいところではないかと現時点では考えております。
とはいえ、この鹿児島在住時代の記憶を【架空の話】として表出するまで7年間掛かっていますが、これは記憶の熟成期間として必要なものであったのか未だ分かりません。しかしながら、在住全期間の出来事を文章として起し・ノンフィクションとして作成することは、おそらく現時点でも、やはり、あまりにも生々し過ぎて困難であろうと思われますので、こうした方法(【架空の話】にする)に拠る、ある種の昇華は、少なくとも自身にとっては、何らかの意味があるのではないかとも考えています。
そして、そのように考えてみますと記憶の変換作用の媒体・手段となる様々な表出手法(文章・動画・マンガなど)に思いが至るのですが、ここにも、さきに述べたような生々しさを敢えて避けることにより、次なる創造行為への可能性が拓かれるのではないかと思われるのですが、この点については「SDGs」の重要性が受容されつつある感のある我が国ですが、あまり考慮していないように見受けられます。
そのため、私はマンガやアニメといった視覚に対し強烈とも云える媒体に、各種物語を託そうとする傾向そしてそれを受容しようとする傾向に対しては、あまり肯定的になれません。
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