2023年4月29日土曜日

20230429 いくつかの種類の認識を互関連させて継続することについて

先日の投稿記事で、同じ視覚による認識であっても「文字による文章を目で読み認識する」ものと「マンガなどの画像を見て感覚的に認識する」ものとでは性質が異なるのではないか?といった見解を述べましたが、後になり、もう少し考えてみたところ、これら視覚に基づく認識は、たしかに各々性質が異なるものの、どちらか一辺倒になるということはなく、多くの人々は、日常的な場面に応じて使い分けているものと思われます。そしてまた、日常的にそれぞれの認識を用いることにより経験を積み、それぞれの認識の精度を上げていくのだと思われますが、これもまた、どちらか一辺倒になってしまっても、あまり宜しくないのだと思われます。

また、こうした視点で他国・他地域の文化などを眺めてみるのも、それなりに興味深いと思われます。たとえば、ユリウス・カエサルの「ガリア戦記」やロバート・グレイヴスの「この私クラウディウス」やトム・ホランド著「ルビコン 共和政ローマ崩壊への物語」あるいは塩野七生のローマ人の物語のⅣ・Ⅴ巻(ユリウス・カエサル ルビコン以前・以後)やウィリアム・シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」などを読み、文章から、その時代の感覚のようなものをある程度認識してから、HBOとBBCによる共同制作の歴史ドラマ「ローマ」や、これまでに何度か映画化された「ベン・ハ―」などの、それなりに良い作品を視聴しますと、さらに、当時の時代感覚の精度が向上するのではないかと思われます。

こうして、文字情報からの視覚による認識と、画像・動画などからの視覚による認識を交互に繰り返すことによって徐々に、たとえ遠い過去の時代ではあっても、その時代の感覚や雰囲気といったものを、全体的なものとして、ある程度、認識することが出来るようになると思われるのです。

そしてまた、私見としては、歴史を学ぶ大きな意味とは、前述した交互の繰り返しの継続を通じて、新たな見解や知見を獲得して、それらをさらに他の時代、あるいは他分野への応用を試みるところにあると考えています。しかし同時に、この見解は後知恵的なものでもあり、そうした読書や映画の視聴は、あくまでも、さきのことを意識して行われたものではなく、やはり、その始点には「そういうことに興味があった。好きであった。」という感覚が継続的にあったからであると云えます。

そのように考えてみますと「では何故、そうした事に興味があったのか?」と云う疑問が生じてきますが、これについては、自らの経験から考えてみますと、やはり文系の師匠の存在が大きかったように思われます。そしてまた、ここまで述べてきました「文字情報による認識と画像・動画などによる認識を交互に行いつつ時代感覚の向上をはかる。」といった内容は、期せずしてか、以前に投稿した文系の師匠について述べたブログ記事の内容とも、通底するものが、少なからずあるように思われてきます。

*ChatGPTによる要約に手を加えたものです☟
過日の投稿記事で、視覚認識は、文章を読んでいるか、画像を認識しているかによって、異なる性質を持つ可能性があると述べました。しかし、ほとんどの人は日常生活にて、両方のタイプの認識を用いており、これは継続することにより認識の精度が向上すると云えます。また歴史や様々な異文化についても、さきの文字認識と画像認識を交互に行うことにより、その時代感覚を、徐々に全体的なものとして理解することが出来るようになると云えます。そして、このような視点で歴史や異文化を考察することは面白く、また、歴史を学ぶことの一つの意味は、継続的な活動を通じて、新たな見解や認識を獲得し、それを他の分野に応用することにあると云えます。そして、私について、その活動の起源を思い起こしてみると、文系の師匠の存在があると云えます。


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ISBN978-4-263-46420-5

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2023年4月27日木曜日

20230427 小説・ノンフィクションなどを読むことの重要性

ここ最近は、主に新書を何冊か読み進めてきましたが、しばらく新書ばかりを読んでいますと、その繋ぎとして、もう少し柔らかで読み進め易い文章を読みたくなるのか、近くに置いてあった横溝正史著の「獄門島」を不図、手に取って読んでみたところ、大変面白く感じられてしばらく読み入ってしまいました。

さらに、以前ツイッターでとり上げた、マラート・ガビドゥリン著 小泉悠監訳「ワグネル プーチンの秘密軍隊」を再び書店で手に取り読んでみたところ、これも同様に面白く感じられ、また、さきの読み進めていた新書はすべて概ね読了していたことから、この「ワグネル プーチンの秘密軍隊」を多少高価ながら購入することにしました。

早速帰りの電車内にて、これを読み始めますと、やはり面白く、直近で読んでいた新書の時と比較して、明らかに頁の進みが速いと感じられました。また、新書の文体は、概して若干硬質であることによるのか、読書中であっても、あまり感興が生じることはありません。どちらかというと、書面の情報を自らの経験や手持ちの知識で吟味しつつ読み進めるといった作業であると云えます。それ故、経験や手持ちの知識が乏しい分野の著作を理解しつつ読み進めることは困難であるのだと思われます。さらに、年齢を重ねますと、やはり頭は硬くなり、新たな事柄を最初から覚えることが困難になってきますので、気負うことなく、何かしら新たな知見を求める活動を能動的に続けることが、後々重要になってくるのだと思われます。その意味で、自ら手に取り読み、興味を抱くことが出来る著作を見つけることは、精神にとっては、それなりに良い刺激になっているのではないかと思われます。

また、さきの「ワグネル プーチンの秘密軍隊」を読んでいますと、その「過剰」とも感じられる独特の文体から、期せずして同じロシアの文豪フョードル・ドストエフスキーの「地下室の手記」が思い出されました。これまで私はあまりロシアの文学作品を意識して読んだことがないため、あくまでも憶測ではありますが、彼の地にて、何かしら内面に葛藤を抱えた男性が独白形式にて文章を作成すると、さきに述べた「過剰」あるいは「執拗」といった感じを受ける文体になるのかもしれません・・。

しかし、ここで主張したいのは、そうした文体と個人の気質との関係などではなく、それより前に述べた、比較的柔らかい(読み易い)と感じられる文章で書かれた小説・ノンフィクションといった、いわばモノガタリ形式の著作を、これまた能動的に読むことの重要性です。そしてこれは、音声として耳から聞くのではなく、あくまでも、文字によって書かれた文章を読むことにより、つまり、ある種の視覚を通じた認識と云えますが、それを通じて得られた認識が、思いのほかに重要であるのではないかと考えます。

そして、ここに文字による文章を目で読み認識する視覚と、マンガなどの画像を見ての感覚的に認識する視覚との違いのようなものがあり、これが社会全般にて、後者的なものが、より多くを占めて常態化するようになりますと、これまでとは異なった種類のさらに内奥からの変化といったものが、社会にて見受けられるようになるのではないかと思われましたが、さて、これも実際のところどうなのでしょうか。

*ChatGPTによる要約に手を加えたものです☟
最近は主に新書を読んでいたためか、柔らかい文章の小説が読みたくなり横溝正史の「獄門島」が読み始めたところ面白く感じられたことが印象的であった。また、本日は以前にツイッターでとり上げたマラート・ガビドゥリン著「ワグネル プーチンの秘密軍隊」を多少高価ながら購入した。これは新書よりも頁の進みの早さが印象的であった。新しい知識を得ることが重要と云われるが、加齢により新たな知見を得ることが困難になるとも云われている。そのため、年齢に関係なく、能動的に新たな知見を求めることが出来る分野を持つことが重要であるのだと思われる。そして、そこに比較的読みやすい文章でのモノガタリ形式の著作を読むことの重要性があるのだと思われる。

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2023年4月24日月曜日

20230424 ChatGPTを用いたブログ記事の作成について・・【記載情報の精確さの希求から】

ここ最近、ChatGPTを操作しています。これを用いて、何らかのオーダーを出しますと瞬時に「それらしい」文章が生成されます。これはたしかに驚くべきことではありますが、現時点では、生成された文章の内容は、オーダーの内容にもよるのでしょうが、あまり精確であるとは云えません。そのため、出来上がった文章を読み、記載情報についての加筆修正をしつつ、文章全体を精確なものとする作業をして、どうにか読める文章にしていくといった、自分としては新たな経験をしていると云えます。

とはいえ、たしかにChatGPTによって生成された文章は、その記載情報の精確さについては現時点では不充分であるかもしれませんが、ある程度の文章が瞬時に生成されることは、やはり驚異的であると云えます。しかも、それはおそらく、出来合いの文章ではなく、こちらのオーダーに反応して作成されたものなのです。

また、このような新たな驚異的とも云えるソフトが出現したことにより、こうしたブログ記事の作成は無意味に近いものになるのかと考えてみますと、さきに述べた記載情報の精確さにおいては、現時点では、そこまで脅威ではないと思われますが、おそらく今後も、そうした生成文章についてのファクト・チェック機能などは、随時改良されていくと思われますので、こちらとしても、当ブログを今しばらく継続するのであれば、何らかの対策を検討しておいた方が良いのではないかとも思われます。

そしてそれはもちろん、ChatGPTを用いた手法であっても良いと考えます。具体的には、これまでの当ブログでの投稿記事の中で、折々の機会にて気になった記事をChatGPTを用いて簡潔な要旨を作成して、その要旨内容と関連がありそうな記事を、あらためて、また当ブログから見出して、それもまたChatGPTを用いて要旨を作成し、そうして出来上がったいくつかの要旨をつなげて一文としてから、そのつなげた要旨から、またChatGPTを用いて要旨を生成して、記載情報についてのファクト・チェックや言い回しなどに加筆修正を加えて、それらしい文章にすることは、おそらく、そこまで困難ではなく、また私としては興味深い試みであると思われますので行ってみたいと考えています。

また、そうしたブログ記事などの文章作成の仕方が私のなかで一般化してきますと、これまでに培ってきた文章作成のノウハウが消失してしまうのではないかと思われますが、それは今後もどちらか一辺倒にはならずに継続していれば、あるいは手を用いる筆記での作業を継続していれば、双方の感覚は、並行して活きたものとして残るのではないかとも思われるのです。もちろん、それをさらに大きな視座から眺めてみますと、一種の賭け・博打のようなものと云えますが、それもまた、ある程度の継続によって、次なる新たなブログ記事作成についての手法や見解得ることが出来るようになるのではないかと思われるのです。

*ChatGPTによる要約に手を加えたものです☟
最近、ChatGPTを使用しています。オーダーを出すと瞬時にそれらしい文章が生成されますが、その記載内容の精度は、オーダーの内容に依存します。そのため、生成された文章に加筆修正を加え、文章としての精度を上げることが必要であると云える。とはいえChatGPTで文章を瞬時に生成できることはやはり驚異的であると云える。またChatGPTの登場により、ブログ記事作成が無意味になるとも考えられますが、現時点では記載情報へのファクト・チェックなどの加筆修正が必須であることから大きな脅威にはならないと考えます。逆にブログ記事作成にChatGPTを応用することは有効であると考えます。例えば、気になる既投稿記事の要旨をChatGPTを用いて生成し、それと関連性のある別の記事を探し、これもまたChatGPTにて要旨を作成し、そして、それらをつなげてファクト・チェックや文章全体の流れを整えてブログ記事を作成することも充分に可能であると考えます。他方で、これにより文章作成の方法が変わることが懸念されますが、これは手書きにて文章作成を行うことにより、両方の感覚を維持することができるものと思われます。もちろん、これは賭けでもありますが私にとっては次なる興味深い挑戦となることでしょう。

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2023年4月23日日曜日

20230423 中央公論新社刊 小川原正道著「小泉信三―天皇の師として、自由主義者として」 pp.66-69より抜粋

中央公論新社刊 小川原正道著「小泉信三―天皇の師として、自由主義者として」
pp.66-69より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4121025156
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121025159

小泉は留学から帰国後、鎌倉に住居を構え、その後関東大震災を契機に東京に引きあげ、麻布の高台に住んだ。引っ越し後に学生たちが家へ遊びにくる機会が多くなってきた。小泉は毎月第一木曜の晩を空けて彼らを迎えることになる。それは木曜会と呼ばれた。 

 1925年に北品川の御殿山に引っ越し、木曜会の開催のため増築したが、1933年に塾長になると人数が増加し、毎月60名に及んだという。会では自然と肩の凝らない話をして笑うことが多かったという。

 木曜会は長男・信吉が戦死する1942年に解散してしまったという。

 戦後になるが、1946年にはかつての研究会(経済学部のサークル)の面々によって白水会という集まりもはじまり、各方面の専門家が招かれた。

 小泉の塾長在任時に体育会は二三あったが、それぞれ対早稲田の試合になると必ず塾長を招待した。小泉も面白がって観に行く。「当時の日本の大学総長で、私ほど運動場に姿を現すものはなかったであろう」(「大学と私」)と自負する。スリルという点では、野球とアイス・ホッケーは格別、美しさという点では、水泳競技、ボートや山岳も好きであった。小泉は、学業や運動のコンテストで頭角を現した者が出るたびに、彼らを交詢社の午餐に招いて話を聞くのを常とした。

 運動競技の利益はどこにあるか。学生生活の大きな部分を占め、対校競技の勝敗が当時のもっとも大きい喜憂の一であったと小泉はいう。かつては学問も運動も官学が席捲していたが、いまでは私学の学問も発達し、運動競技も官学の独占物ではなくなった。

「兎に角一校の学問と運動とが相背馳しないで寧ろ平行することは間違いない事実である」(「学問とスポオツ」「鐡塔」1932年12月)と小泉は確信していた。

 晩年になっても、小泉はスポーツの重要性を語った。

スポーツには三つの宝があるという。

第一に、練習、また練磨の体験。不可能を可能にするのが練習であるという体験を持つこと。

第二に、フェアプレーの精神。正しく、潔く、礼節をもって勝負を争うこと。

第三に、友。我が信ずる友、我を信じてくれる友、何でも語ることのできる友、何をいっても誤解しない友、これらを持った者は、人生のもっとも大きい幸福を得た者だという。(「スポーツが与える三つの宝」「産経新聞」1962年7月2日)。

木曜会以外の集まりとして、テニス選手たちによる泉会があった。小泉が慶應の庭球部長をしていた1922年から32までの選手による集まりだったが、のちに庭球部の卒業生が順次入るようになる。

 中学から大学予科まで、テニスが得意だった小泉は、全国各地で教えて回り、テニスばかりしているように思い出されるという。大学本科に入って学問に熱心になると、テニスの実力は低下し、惰性で続けるようになっていた。

 ところが、庭球部長になってテニス熱が再燃する。特に対早稲田戦には勝つ気満々であったという。小泉は、「私はテニスの練習によって、すべて練習というものが、不可能を可能にするという体験を得た」(「大学と私」)という。部長として部員を率いているとき、自分に教育的傾向のあることを発見するなど、テニスを抜きにしては自分の過去は語れないと小泉は回顧している。

20230422 株式会社角川書店刊 横溝正史著「獄門島」 pp.238-240より抜粋

株式会社角川書店刊 横溝正史著「獄門島」
pp.238-240より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4041304032
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4041304037

いえね、旦那のこってさ。はじめはね、みんな旦那が臭いっていってたんですぜ。そういっちゃなんだが、島のもんにとっちゃ、旦那はどこの馬の骨か、牛の骨かわからねえ風来坊ですからね。疑われたってしかたがありませんや。金田一耕助って野郎が怪しいって、みんないきましていたんですぜ」

「おやおや、しかし、なんだってぼくが花ちゃんや雪枝さんを殺すのだろう?」

「そりゃあなんでさ。本鬼頭の財産を横領するためでさ。怒っちゃいけませんぜ、旦那、これは話なんだから。なあに、今じゃもうだれもそんなバカげたこと、考えてるもんはありませんから御安心なさいまし、だが驚いたな、どうも、旦那が日本一の名探偵だなんて、・・・島の連中も肝をつぶしてびっくりしゃあがった。だから、あっしゃいってやったんだ。野郎、見損なうな。旦那はああ見えても江戸っ子だい。・・・」

「いや、ありがとう。それはそれでいいがね。ぼくが本鬼頭の財産を横領するというのはどういうことだね。花ちゃんや雪枝さんを殺したからって、本鬼頭の財産がぼくのものになるわけがないじゃないか」

「なあに、それにゃちゃんと筋書きができてるんだ、と、こう吐かしゃがるんです。つまりですな。月雪花の三人娘を殺したあげくが、早苗さんをたぶらかし、夫婦になって本鬼頭に入りこむ・・と、こういう筋書きだと、もっともらしく吐かしゃアがるんだ。そんとき、あっしゃいってやった。馬鹿なことをいうな。かりにも旦那は江戸っ子だ。そんなまわりくどいことをなさるもんか。金がほしけりゃパンパンと、ピストルかなんかぶっぱなして、強盗でもなんでもなさらあ。だいいち、江戸のものがいつまでも、島の麦飯なんか食ってくらせるかッて、・・・旦那、あっしゃはなから旦那のヒイキですねぜ」

 たいへんヒイキもあったもので、どっちにしても自分がそんな物騒な人間と見られていたかと思うと、耕助はおかしいような、空恐ろしいような感じだった。

「親方、それじゃまるで芝居の筋書きだね。昔のお家騒動みたいじゃないか。さしずめぼくの役回りは悪家老というところか」

「その代わり、色男にできてまさあ。お部屋さまなんかに想われてね。加賀騒動の大月内蔵之助、黒田騒動の倉橋十太夫、芝居ですと、みんな水の垂れるような男ぶりだ」

「親方」

耕助の声音が急にかわった。いくらか呼吸がはずむ感じで、

「島の住人というやつは、みんなそんなふうに、芝居がかりにものを考えるのかね」

いつかの清水さんの話もある。耕助はなんとなく、現実ばなれのした、講壇まがいの島の人々の考えかたに興味をそそられたのである。

「いえ、いつもそうだってわけじゃありませんがね。芝居はみんな好きですね。なにしろ死んだ嘉右衛門さんてひとが、大の芝居好きときていた。旦那は御存じかどうかしりませんが、讃岐のこんぴら様に、古い芝居小屋が残っている。なんでも天保か嘉永かに建った小屋だとかで、大阪の大西の芝居、それをそっくりそのまままねて建てたやつが、いまだに、残っているでさ。日本でもいちばん小さい芝居小屋だそうで、由緒ある古式やなんかも、ま、いろいろ残っている。だから、上方役者なんかでも、相当なのがやってくるんです。嘉右衛門さんはこの芝居がごひいきでね。よい芝居がかかると、八艇艪をとばして見物にいったもんです。なんしろ豪勢なもんでしたね。桟敷やなんか買い切りで、自分の手につく漁師なんかに大盤ぶるまいでさあ。あっしなんかも、清公清公とかわいがられまして、いつもお供を仰せつかったもんだが、いや、夢だね、まったく。あんな全盛はもう二度と来ますまいよ」

2023年4月21日金曜日

20230420 身体化に至るまでの活動の継続・反復と創造との関係について

ここ最近は、あまり投稿記事数を気にしていませんでしたが、さきほど見たところ総投稿記事数は1976となっていました。つまり、あと20数記事の投稿により、目標としている2000記事に到達出来ることになります。

これをもう少し卑近に述べますと、今月中に1980記事まで到達し、さらにいくつかの新規投稿が出来れば良いということになります。

当ブログは去る2015年の6月頃より始めて、既に8年近く(どうにか)続けていますが、幸か不幸かあまり大きくバズることもなくここに至っており、そして、そうしたこともあってか、これまで自らを「ブロガー」であると意識したことはありません。

ただ、その期間での日々に思ったことや、思い出したこと、そして書籍からの抜粋などを記事として投稿してきただけと云えます。

やがて、これを継続して徐々に記事数が蓄積してきますと、過日に投稿した記事と、最近に投稿した記事との間にある関連のようなものが認識出来るようになり、そしてまた、そのことをブログ記事にするといった一つの流れも生じました。

この認識は私としては新鮮なものであり、その後、2020年1月から本格的に始めたツイッターにおいても、さきのような認識をツイッター上で示したり、あるいは興味深いと思われたツイートに対しても、そのようなことを度々してきました。

そして、そこでも幸か不幸か、あまり大きくバズることはありませんでした。それでも、これまでの当ブロガーのみでの提示と比較しますと、閲覧者数は桁違いに増加したと云えます。それまでのブロガーのみでの一日の平均的な閲覧者数は多くても300人程であり、時折突発的に1000人を越えることがありましたが、それは1年に1回程度のことでした。

しかし前述のブログとツイッターとの連携によって、ツイッターでの1日の閲覧数(オーガニック・インプレッション)は、比較的容易に1000人を超えるようになり、最も多い日では80000人に達したこともありましたが、ここまで桁違いになりますと、感覚としては1000人とあまり違わなくなってきます・・(苦笑)。

とはいえ、そうは述べても、記事作成に対するプレッシャーは、やはり多少大きくなるようであり、またそれが原因であるのかスランプに陥ることもありましたが、そうした際は、あまり深く考えずに、書籍からの引用記事を数日間作成していますと、その後は割合自然とオリジナルの記事作成が出来るようになることが分かりました。

また、本日に関しても、その伝にて記事作成をしていると云えます・・(苦笑)。そして、この認識をあらためて、ここで文章化してみますと、あるいは私にとっての当ブログ記事の作成とは、書籍からの引用記事の作成を自然に行えるようになったことから(どうにか)継続することが出来ているのではないかとも思われるのです。

つまり「それもまた一種の身体化である。」となりますが、同時に、この身体化に至るまでの行為の反復と継続が地味ながら重要であると思われるのです。そして、その視座からしますと、昨今、急速に進化を遂げつつある我々の思考を補助する各種仕組みは、さきのような反復と継続を不要なものとする可能性が少なからずあることから、それら仕組み対しての評価などは、否定的になり易いのかもしれませんが、これもまた、接点を持ちつつ当ブログを(どうにか)続けることにより、また新たな見解が見えてくるのではないかと思われるのです・・。

*ChatGPTによる要約に手を加えたものです①☟
当ブログは 8 年近く運営されて、これまでに1976の記事投稿をしている。そしてあと20数記事の投稿によって目標とする 2,000 記事への達成できるが、その作者は自らをブロガーであるとは認識せず、日々の考えや思い出、そして書籍の抜粋などを記事として投稿しています。他方でこれを継続していると、投稿記事間にある関連性などに気づき始め、それを題材として新たな記事も作成出来るようになった。くわえて、2020年にはTwitterをはじめて、同様の関連性などをTwitter上で紹介し始めたものの、あまり注目されませんでした。しかしTwitterとブログの統合によって閲覧者数が増加しました。また閲覧者数の増加によってオリジナルコンテンツを書くプレッシャーは増したが、著者は、本からの抜粋を含む投稿を作成することで、ライターズ ブロックを克服できることを発見しました。全体として著者は、ブログ記事の作成は身体化に至るまでの行為の反復と継続が成功に不可欠と考えている。

*ChatGPTによる要約に手を加えたものです②☟
当ブログは8年近く運営され、1976の記事が投稿されている。作者は自分をブロガーとは考えておらず、日々の考えや思い出、書籍の抜粋などを記事にして投稿している。しかし、継続の中で投稿記事間の関連性に気付き、また、それを題材として新しい記事を作成することができるようになった。さらに2020年以降はTwitterで同様の関連性を紹介し始めたがあまり注目されなかったが覧者数は増加した。そして増加した閲覧者数によってオリジナルコンテンツを書くプレッシャーが増したが、著者は本からの抜粋を含む投稿を作成することでライターズブロックを克服できることを発見した。全体として、ブログ記事の作成には継続が重要であると考えている。目標とする2000記事まであと20数記事である。

*ChatGPTによる要約に手を加えたものです③☟
8年近く運営されたブログには1976の記事があり、作者はブロガーではないが、日々の考えや思い出、書籍の抜粋を投稿している。しかし、継続するうちに投稿記事の関連性に気付き、新しい記事を作成するようになった。2020年以降はTwitterでも同様の内容を紹介したもののあまり注目されなかったが、閲覧者数は増加し、オリジナルコンテンツを書くプレッシャーが増したが、著者は投稿記事に本からの抜粋を含めることでライターズブロックを克服した。全体として、ブログ記事の作成には継続が重要であり、目標の2000記事まであと20数記事である。

*ChatGPTによる要約に手を加えたものです④☟
8年近くで1976件の記事を投稿しているブログの作者は、自らをブロガーとは見なしておらず、日々の考えや思い出、書籍の引用などを記事にしている。しかし、継続的に投稿するうちに、記事間の関連性に気付き、新たな記事の制作につながった。2020年以降はTwitterでも同様の試みを行っているがいまだ注目は得られていない。しかし閲覧者数は増加して、オリジナルコンテンツの制作に対するプレッシャーが増したが、投稿記事に本からの引用を含めることでライターズブロックを克服している。作者は、ブログ記事の作成には継続が重要であり、2000記事まであと20数記事とのこと。

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2023年4月20日木曜日

20230419 朝日新聞出版刊 小川洋著「地方大学再生 生き残る大学の条件」pp.210-213より抜粋

朝日新聞出版刊 小川洋著「地方大学再生 生き残る大学の条件」pp.210-213より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4022950137
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4022950130

定員管理厳格化の目的は、表面上は「地方創生」政策の一環とされ、大都市圏への学生の集中を防ぎ、地方に分散させることとされている。しかし「入学志望動向」を視る限り、上位大学から弾かれた受験生が地方まで流れている様子は見られない。地方の受験生が地元に留まる傾向と、大都市圏の受験生が通学可能範囲の中下位の私大に流れる傾向が見られる程度である。

 定員充足率を地域別に見ると、東北各県、関東周辺部(茨城・栃木群馬)、関西周辺部(滋賀・奈良・和歌山)のほか、四国の各地域で改善が見られた。関東圏と関西圏では、それぞれの都市の中心部にある有力私大を敬遠した受験生が地元に留まる傾向が生じたと考えられる。また四国では本四架橋が建設されてから関西圏や中国地方への進学者が増えていたが、難化した有力私大を敬遠して地元に留まる受験生が増えたと考えられる。

 逆に充足率が下がったのは、大規模大学が集中し定員管理厳格化の影響を真面に受けた東京都と京都府である。これらの周辺地域では定員未充足校が減った。経営破綻の危機に瀕していた弱小私大にとっては干天の慈雨になっている。

弱小私大の猶予期間
 文科省は16年4月、省内に「私立大学等の振興に関する検討会議」を設置し、翌18年に報告を受けた。そのなかで、「経営困難な状況に陥る学校法人が生ずることは避けられない」として、「合併や撤退」を促すことが必要になるとの認識を示し、いくつかの閉校のスキームも示した。その後、文科省は「教育の質」によって補助金を増減額する、あるいは地域社会と良好な関係を作っている大学に補助金を優遇するなどの方針を示し、残す大学と閉校やむなしの大学を選別する姿勢を示している。そのためには慎重かつ迅速な情報収集が必要だが、全国に500校以上ある中小規模私大の評価を1、2年で完了させることは不可能だ。定員管理厳格化は、そのための時間的猶予期間を与えることになっている。

 しかし相当数の弱小私大が破綻するのは時間の問題である。その場合、文科省が何よりも避けたいのは突然の閉校である。短大と異なり、四大の閉校には少なくとも四年かかる。それまでに運営資金が底をつけば、学生を抱えたまま閉校することになり、在学生の扱いについての厄介な問題が生ずる。卒業生の学籍簿の引き受け先も確保しなければならない。文科省としては、そのような混乱が各地で発生し、社会的な批判を受けることのない環境を用意する必要がある。

 大規模大学も含めて、いたずらに拡大を続けてきた大学の膨らみ過ぎた部分が整理されるのは、いずれにしても避けられない。では、どのように整理されていくのか、次章で検討する。

*ChatGPTによる要約に手を加えたものです☟
定員管理厳格化により、地方では受験生が地元に留まる傾向が生じたが、都市部の上位大学から弾かれた受験生が地方に流れる傾向は見られなかった。特に東京都、京都府の都市では、大規模大学が集中しており、定員管理厳格化の影響を真面に受けたが、その周辺地域では定員未充足校が減少した。これにより、地方の中小規模の私大に時間的猶予期間を与えることになった。しかし、これらはいずれ破綻するのは時間の問題であり、突然の閉校を避けるために、文科省は慎重かつ迅速な情報収集が必要だ。

2023年4月17日月曜日

20230417 到着当日夜の和歌山市で思ったこと

先月3月は、中旬にドイツにて開催のIDS2023に参加させて頂き、続いて下旬に所用のため久しぶりに和歌山を訪問しました。その際は仕事を終えてから出発しましたが、若干時間が押していたこともあり、これまた久しぶりに、京成本線の成田空港第二ターミナル駅からLCCの搭乗口がある第三ターミナルまで走ることになりました・・(苦笑)。ともあれ、無事に搭乗手続きを済ませて18時過ぎに離陸して関西国際空港に着陸したのは20時頃でした。そこから、南海線にて泉佐野まで行き、そこで乗り換えて目的である和歌山市駅に到着したのは21時を過ぎた頃でした。そこから徒歩で、今回も予約しておいた和歌山での定宿としているビジネスホテルに向かおうとしたところ、その日は夕飯はもちろん、まともに食事を摂っていなかったことが思い出されました。そこで和歌山市駅前の孝子越街道を進み、国道26号線に合流して、さらに和歌山城方面に歩き、市堀川に架かる城北橋の手前左側に中華そば屋さんがあったことから、そこに入りました。時刻は21時過ぎでしたが、店内は満員ではなかったものの、半分程の席は埋まり、また、その客層は総じて若く、大学生であるように見受けられました。

席に着き、中華そばとばらずしを注文して待っていますと、左隣の席の女の子二人組が会話をしていましたが、そこでアルバイトでの話や「実習があるから・・」や「看護学科は・・・だから」などの声がこちらに聞こえてきました。また一つ空いて右側に座っていた男子三人のグループの会話も、それと似たようなものであったことから、おそらく彼等彼女等は、以前、当ブログにて何度か述べた、近年和歌山市に設置された、いくつかの医療系大学の学生さんであると推察されました。また、そのほかにも店入口に近いテーブル席には、会話の内容までは聞こえませんでしたが、さきと同年代と思しき三、四人組のグループが座って何やら楽しそうに話していました。

他方で、かねてより和歌山市は過疎化が進んでおり、かつては賑わっていた古くからの商店街である「ぶらくり丁」も、現在はまさに「シャッター商店街」と化しています。そして、そうした状態となった中心市街地の一角にある、21時過ぎの中華そば屋さんが、これだけの賑わいを見せていたことは正直驚きでした。

おそらく、その時間で、ほかに営業している近隣の飲食店がなかったことから、こちらの中華そば屋さんは賑わっていたのかもしれませんが、いずれにしても、半年毎に訪問して定点観測の様に市内観察を続けている私にとって、この店内の賑わい、光景は前述のように驚くに値することであり、翌日お目に掛かった先生方に、このことをお話したところ、何やら考えるところがあったのか、以前、中心市街地にて行った取り組みのことを話されました。あるいはまた、さきの新来の医療系大学と連携して、学生さん達にとって学びとなり、そして同じ地域の大学として意義のある取り組みが出来るかもしれないと考えていたようにも見受けられました。

今後、大学、特に地方の大学は生き残りのためにも、さまざまな施策を行うと思われます。あるいは既に、こうした取り組みを行っている地域・大学もあるかもしれませんが、こうした取り組みは、今後さらに充実、進展していくものと思われます。

*ChatGPTによる要約に手を加えたものです☟
午後9時頃、和歌山市内の中華そば店を訪れた。そこは、過疎化が進んでいる中心市街地にも関わらず、かなりの賑わいを見せていた。客層は若い人が多く、近年、市内に設置された複数の新たな医療系大学の学生さんが多かったと見受けられた。翌日、このことを話した先生は、思うところがあったのか、それまでの市内で行った取り組みを話された。そしておそらく今後、特に地方都市の大学は互いに連携の取り組みを進めていくことになるのではないかと思われた。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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ISBN978-4-263-46420-5

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2023年4月16日日曜日

20230416 継続による慣れと、その先にある目標達成の身体化の程度の違いについて

ここしばらく、新規での記事作成を行ってきませんでした。とはいえ文章作成については、いくつか作成していました。そのため、今回のブログ記事作成においても、ごく自然に進めています。くわえて、ここ数日間ノートにメモを取る機会が何度かあったことから、久しぶりの万年筆での筆記が少し楽しく感じられてきて、ノートに短文や語句を書き、それらを繋いだり、囲む線を書くといった筆記作業によって恐らくは文章作成に関与する何らかの身体性が刺戟を受けて、それを司る神経が活性化しているのではないかと思われるほどに、ごく自然に、ここまで書き進めることが出来ています。

さきの、ここ最近作成したいくつかの文章は、それぞれ想定される主な読み手の方々が異なるため、私なりに、それぞれに合わせた書き方(文体)にしているつもりではあるのですが、実際、客観的に異なった文体になっているかどうかは、かなり怪しいのではないかと思われます・・(苦笑)。

くわえて、こうした作業をしていますと、これまであまり意識して用いる機会がなかった神経を用いるためであるのか、あるいは、他の要因もあるのかもしれませんが、普段と比べて疲労感が強いように感じられます。とはいえ、こうしたこともまた「慣れ」であるとも思われますので、今しばらく慣れるまで継続してみたいと思います。

この「慣れ」について思い返してみますと、最近の出来事としては、ここ1年以上、今なお続く(第二次)宇露戦争の動向を出来るだけ早く知るために、海外報道番組の動画を緩急はありつつも視聴し続けたことにより、実際、海外の地でにおいて、以前よりも英語の聞き取りの上達を実感出来たことが印象的でした。

これもまた、まさに「慣れ」であり、その意味においても「習慣付ける」ということは、重要であると考えます。そして、さきに述べた事情から新規でのブログ記事作成は行ってきませんでしたが、習慣としたい「文章の作成」は行い、また読み進めている書籍も、それなりに頁は進み、その中でも興味深い記述が散見されたことから、少なくとも「デプレッション」といえるほどの状態ではないと云えます。

私の場合、しばらく記事作成を休んでいますと、罪悪感ではないのでしょうが、どうしたものか、徐々に気分が滅入ってきます。そして、これはこの先もし2000記事まで到達することが出来れば、その後になっても、この「気分の滅入り」はなおも続くのであるか検証してみたいと考えています・・(苦笑)。

そして、この場合もある意味での「慣れ」が関与しており「この「慣れ」は、目標到達のために続けている、ある活動が達成され、その活動を続けなくてよくなってもなお、その活動を促す何らかのサインが発せられるのか?」といった、いわば「「慣れ」と「目標到達」では、どちらが強く身体化されているのか?」という疑問に集約されると考えますが、そのように考えますと、さきの海外報道番組動画の視聴には特に大きな目標はなかったことから、おそらく、私にとっては、もう一方の「習慣」の方が強いのではないかと推察されます・・。

また、こうした一種の精神の回路のようなものは、人によっても異なるようにも思われますが、これも実際はどうなのでしょうか?

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2023年4月10日月曜日

20230409 職業教育の延長としての英語と、文学としての英語はいずれ繋がると・・

直近の4月6日投稿分の記事が思いのほか多くの方々に読んで頂けました。これを読んでくださった皆さま、どうもありあとうございます。そこでは英語の小説を読む効果を述べましたが、これにつきまして、私は歯系の大学院生になるまでは、英語の小説を進んで読もうと考えたことがありませんでした。他方で、そこでは自分の研究分野についての英論文は概ね読んでおく必要があり、くわえて当時はgoogle翻訳の精度も現在ほど良くはなかったことから、仕方なく辞書を引いて、それらを訳しつつ読んでいました。

そして、そうした期間がしばらく続いてからのある日、書店に行き、不図目に入った洋書コーナーの背表紙の英語の題名が気になり眺めていますと、それらの邦訳名が自然と思い出されてきたのです・・。そして、その一冊を棚から取り出し読んでみますと「あら不思議!」大体は読めるようになっていました・・。

この時に感じた驚きと高揚はそれなりに大きなものであり、その後しばらくアマゾンの古書で英語小説を購入していたほどです・・(苦笑)。また、こうした時期は勢いがあるためであるのか、その他にも、さまざまな英語の著作に手を伸ばしましたが、やがて落ち着いたのが、和訳で既に読んでいた何人かの作家による作品と、同じく文明論や近現代史を扱った著作となりました。

これらの読書は鹿児島在住当時の私としては一種娯楽のようなものでもあり、何一つ憚らずに読むことが出来たのは土・日曜日といった感じでした。そこで土・日には鹿児島市街に市電で繰り出し、喫茶店にて研究分野の英論文も交えて、これら作品や著作を読んでいましたが、現在になり、当時のことを思い出しますと「たしかにあの当時はどん底であったかもしれないが、それは現在でもあまり大きくは変わりないのではないか・・。ただ、当時から現在に至るまでの過程には、それなりに面白い経験もあったことから、それはそれで良かったのかもしれない。」とも思われてきます。しかしながら、昨今の我が国をめぐる世界情勢も、あまり安心出来る方向へは進まず、そしてまた、この先の情勢も平和・安定といった方向への見通しはしばらくは困難であろうと思われることから、期せずして、また、いくつかの変った経験をしてしまうのではないかとも思われるのです・・。

ともあれ、鹿児島在住期後半は、そのような感じにて色々と手を出して読んでみましたが、私の場合、その原動力となる「必要性」が強く認識されるようになったのは、在住してしばらく経ってからでした。そこである程度、英語論文を読み込み、自分なりに理解を深めようとしていますと、いつしか偶然のように、その他の小説などの文章も、大体は読むことが出来るようになっていたことに気が付いたのです。

そして、ここで重要であると私が考えることは、職業的な教育であっても、それを扱った英語の書籍を教科書・テキストとして用いることにより、もう一方で、ある程度の専門性を持つ分野への興味を持ち続けていれば、やがてそれらが自分のなかで結び付いて、そしてまた、新たな種類の興味が創造されるのではないかということです。

そう、何かしら複数のことに対して能動的な興味を持ち続けていますと、やがて、それらが渾然一体としたものに、いわば「昇華」されるのではないかと思われ、そして、こうした現象が彼方此方で増えることにより、その地域や国は、さらに創造性に富み、強力なものになっていくのではないかと思われるのですが、さて、こちらも、実際のところどうなのでしょうか?

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2023年4月6日木曜日

20230406 異郷に赴く際の読書の持つ効果について

過日訪独時の一日毎での徒歩による移動距離が気になり、久しぶりにスマホの万歩計を開いて確かめたところ、滞在期間は毎日ほぼ15km程度は歩いていたことが分かりました。現地に入ると、当初は昂奮のためであるのか、あまり疲れを感じることなく動き続けることが出来ていたと思われますが、滞在後半になってきますと、漸う疲れが出てくるのか、足や荷物が重く感じられてきました。また、おそらくこれは同行の先生方についても同様であったと思われます。それでも40・50歳過ぎ、そして一人は70歳過ぎの一団としては、数日間連続して比較的よく動き回ったものと思われます・・。

思い返してみますと、こちらの成員での行動は、国内外での学会や、あるいは登山の際にも度々あったことから、私にとっては何と云いますか安心感のようなものがあり、また、そのおかげもあり、初めて参加する海外での世界最大規模の展示会であっても、あまり萎縮することはなかったと記憶しています。また、私なりの、そうした異文化の地で萎縮せずに平常心を保つための工夫として、かねてより読み続けている書籍を持参して、空いた時間に頁を読み進める努力をするということがあります。

さきの訪独に際しても、何冊か持参し、飛行機の座席で読書灯を点けつつ、あるいは滞在ホテルのベッドの上で寝転びつつ読んでいましたが、今回については、おそらく(かなり久しぶりに)口語での英語を多く使うことになるであろうと考え、英語の小説も一冊持参しました。その小説は、口語・文語の何れであっても、あるいは我が国での文系・理系の何れに対しても伝わり易いと、かねてより考えていたジョージ・オーウェルによる著作としましたが、結果的にこの選択は少なくとも間違いではなかったものと思われます。

ともあれ、如上のように、私にとって異文化の地に赴く際、運河の水門に挟まれた閘室のような役割を果たしたのが、英語小説の読書であったと思われます。あるいはこれは、国際線機内で観る映画を英語字幕にて観ることにより、同様の効果を持つのではないかとも思われましたが、私見としては、たしかに映画を英語字幕で視聴することにより、異文化の地に行くマインド・セットのようなものは得ることが出来るのかもしれませんが、しかし、より具体的に異文化の地でのリングワ・フランカを用いたやり取りが想定される場合においては、より言語に意識を集中させる小説の読書の方が良いのではないかと思われました。

また、他の持参した著作の読書で印象に残っていることは、ハノイ発フランクフルト便に乗り、かなり時間が経った機内にてミネルヴァ書房刊岩間陽子・君塚直隆・細谷雄一編著による「ハンドブックヨーロッパ外交史」36p~の「クリミア戦争」の項を読んでいる際、座席正面の個人モニターに表示される地図上の現在位置が黒海の南部上空であったことから、座席右側の窓から真暗な北の空の向うにあり、現在も渦中にあるクリミア半島、そしてそのさきのウクライナについて、しばし思いを馳せたことです。

翌朝、無事にドイツ、フランクフルト空港に着き、ケルンにて開催のIDS2023に参加して、デュッセルドルフのホテルに帰着して室内でテレビを点けて視ていますと、件の黒海上空にて米軍の無人偵察機がロシア軍によって撃墜されたこと、また、フランスのパリでは年金受給資格年齢の延長を巡って抗議デモが激化していることなどが報じられていました。滞在ホテルで私が視聴出来ていたのは英語版のFrance24の報道番組であり、そのキャスターの方は、国内にて同番組の報道動画を視聴する際にも度々見て憶えていたことから、どうしたわけか少し不思議な感じを受けました。あるいは、この現象には、先述した異文化の地に赴く際の閘室のような効果を持つ英語小説の読書とも類似した何かがあるのではないかとも思われましたが、さて、実際のところはどうなのでしょうか・・。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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2023年4月5日水曜日

20230404 中央公論社刊 岡本柳之助著 平井晩村編「風雲回顧録」 pp.9-10より抜粋

中央公論社刊 岡本柳之助著 平井晩村編「風雲回顧録」
pp.9-10より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4122016916
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4122016910 

凡そ人類は生まれながらにして、平和を好愛する共通の美質を有す。けれども世間往々ことを好み乱を欲するの士なきに非ず。このほとんど対立両存なすべからざる二大傾向の同一個人を支配するは、矛盾するが如しと雖も、それこれあるがために個人はますます自我を拡大し、社会は愈々発展するを得べし、そもそも建設と破壊とは、相俟って社会万般の事象を更新し、展開せしむる二大勢力にして、破壊なきところに建設なし。ここに於いて、吾人は天地に磅礴せる自然の好機を悟了すべきなり。
 しかれども、破壊には必ずその基底たり得べき確乎たる理由存在せざるべからず、したがって漫然たる破壊は、継起し来るところの建設になんら益なきのみならず、かえってその障碍となることすくなからず。所謂徒に乱を好む者の所為の如き即ちこれなり。
 岡本柳之助君の一生は、恐らく破壊を以て終始せるものと謂うも、必ずしも不可なきに似たり。しかしその基くところは、衷心渝ることなき憂国の至誠にして、更に一点利己の観念を交えず。これ君の破壊がしばしば策せられて、成否相半するに係らず、国士としての面目依然として存する所以たらずんばあらず。
 君は故陸奥宗光伯とその郷関を同じうす。福堂は身元老院議官たりしに係らず、当時遥かに大西郷と通じ、東西呼応してことを挙げんと策せるほどに謀反好きなりき、予は茲に郷党の気風を云為して、二人者の性格に論及するものに非ず。けれども社会が久しく同一状態を維持して、進転の跡を示さず、永く沈滞停止の状に在るに於いては、自然の要求は必ずや破壊思想の勃興を促進し、以て新たなる建設を誘致するの理を断言せんと欲す。我邦の現状果して破壊すべきか、我これを知らず焉。
 ただ破壊の士健闘の士たる岡本柳之助君が、近く隣邦の客舎に長逝せるを聞き、感慨禁ぜず、茲に破壊必ずしも単に破壊に終らざる所以を述べて、聊か世の惑を解かんと欲するのみ。

伯爵 大隈重信

2023年4月3日月曜日

20230402 あまり実感を伴わない上達の感覚について

ここ数日間はブログ記事の作成はしていませんでしたが、他でブログではありませんが、文章は作成しており、また書籍も相変わらずに読み続けていました。しかしながら当ブログの記事作成を休むことについては、多少気が咎めるものがあり、また、現在目標としている2000記事までは出来るだけ速やかに到達したいとも考えていることから、本日ここに記事作成が出来ることは、わずかながら解放された感があると云えます・・。

つまり、普段とは異なり、初手からブログ記事作成に前傾姿勢にて取組むことが出来ていると云えます。

また、こうしたことは、先月19日に帰国してから、はじめてのブログ記事作成(3月20日)の際にも感じられなかったことであり我が事ながら多少不思議にも感じられます。

同時に、今回の投稿記事により、総投稿記事数が1970に到達します。そして、あと30記事の新規投稿により目標としている2000記事に到達出来るのですが、それまで、さきに述べた前傾姿勢にて続けることが出来ればと願うところですが、それは、これまでの経験からは難しいように思われます・・。

そうしたことを書いていますと、当ブログ開始当初の頃を思い出します。その際は、当ブロガーに直接、ある程度の量の文章を入力することは難しく、下書きのノートを常に持参して、そこに書いたものを夜になり、いわば清書のように当ブロガーに入力し、記事作成をしていました。

そしてそこから一年を経ずに、PCでの直接入力にて作成するようになりましたが、これについては、あまり上達があるようには感じられずに「何となく出来るようになっていた。」といった感じであると云えます。

現在考えてみますと、手書きの文章で作成しようが、PC入力での作成であろうが、あまり違いはないと感じられるのですが、当時はどうしたわけか、PCへの直接入力にて、斯様な独白形式の文章を作成することが難しく、対話形式のブログ記事をノートに手書きで下書きを作成していました。

そこから、ブログ記事を手書きの下書きにて作成していた時期(2015年後半)と、PCへの直接入力をはじめた当初(2016年初旬)の頃のブログ記事をいくつか読んでみますと、面白いことに、さらに以前、2012・2013年の鹿児島在住時後期に、実験ノートの延長といった感じでノートに(ほぼ)毎日何かしら書き綴っていた時期があったことが実感を伴い思い出されてきました。そこで書いたノート数冊は、その後の何度かの転居の際に、なくなったものもありますが半分以上は現存していると思われ、おそらく、いくつかの本箱に書籍と一緒に分散して収納されているものと思われます。

鹿児島在住時は、このノートへの記入は当時住んでいたアパートでは行わずに、喫茶店などで行っていたと記憶しています。そして思い返してみますと、当時はこのノートへの書きものを概ね楽しんで行っていました。

天文館の照国神社表参道沿いのドトールコーヒー二階の喫煙コーナーでコーヒーを啜り、煙草を喫いながら英論文や英語の小説を辞書を引きつつ読んだり、あるいは書きものするのは、当時、絶望的な状況の中にはありましたが、前述のようにそれなりに楽しいものがあり、あるいは状況が絶望的であると、こうした行為も楽しく感じられるようになり、そして、それが中毒あるいは慢性化されるのではないかとも思われます・・(苦笑)。

また、それ以前にも何度かノートに文章を色々と書く習慣があった時期があったことも思い出されましたが、鹿児島在住時でのそれが、深く身体に刻まれたといった感覚があります。それ故、以降、紆余曲折がありながらも、何か文章を書いて伝えることが習慣となり、現在に至っているのではないかと思われるのです・・。

そして、これを為さしめているものが私にとって、ある種「源泉の感情」であると思われるのですが、今現在、これを如何なる文体であれ、ある程度明晰に文章化することは未だ出来ていません。しかし同時に、以前よりも、それに「にじり寄ってはいる」感覚はありますので、また今しばらく記事作成を継続していますと、徐々に明瞭になってくるのではないかと思われますが、さて、実際のところどうなのでしょうか・・?

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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