あるいは書籍からの引用記事を充てることにより、多少容易に到達出来ると思われることから、この年内残りの数日も、引用記事を投稿するものと思われます。しかし、先日投稿のブログにて述べましたが、ここしばらくの期間、オリジナルでのブログ記事の投稿がなかったことから、再開初日であった一昨日での記事作成ではいくらか苦労しました・・。とはいえ深刻なものではなく、実際に一昨日、昨日は無事にオリジナルの記事作成、投稿をすることが出来ましたので、おそらく、これまでのブログ記事作成の継続があったことから、どうにか出来たのではないかと思われます。そこから、たとえブログ記事の作成であっても継続が大事であることが分かりました・・。
また、ここ2日間の投稿記事にて挙げた人文社会科学系研究者の先生に、その旨をお知らせするためメールを出しましたが、その返信がまた考えさせるものであり、10年以上前の文系院生時代に友人と一緒にこちらの先生の研究室に初めて訪問した時のことが思い出されました。
その時はマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(通称「プロ倫」)を輪読しており、その中の、ある文章についての見解を巡り議論をしていました。そして、その議論の裁定を求めて研究室を訪問した次第ですが、この時に何故か私はとても緊張していました。
先生の前でそれまでの経緯を友人と二人で説明し、さらに双方自らの見解を述べたわけですが、この時が私にとって人文系分野での議論の出発点であったのかもしれません。ともあれ、その結果は判然としませんでしたが、しかし何と云いますか、その記述についての理解は深まった(自分なりに腹落ちした)と記憶しています。
その後、こうした議論が度々あり、さらに、その後、私を含む院生数人で始めた院生自主研究発表会においても先生は教員代表として度々ご出席頂き、また、私もそこで、これまであまり知らなかった分野での、いくらか突っ込んだ議論に触れることが出来ました。
先生の前でそれまでの経緯を友人と二人で説明し、さらに双方自らの見解を述べたわけですが、この時が私にとって人文系分野での議論の出発点であったのかもしれません。ともあれ、その結果は判然としませんでしたが、しかし何と云いますか、その記述についての理解は深まった(自分なりに腹落ちした)と記憶しています。
その後、こうした議論が度々あり、さらに、その後、私を含む院生数人で始めた院生自主研究発表会においても先生は教員代表として度々ご出席頂き、また、私もそこで、これまであまり知らなかった分野での、いくらか突っ込んだ議論に触れることが出来ました。
そして私もここで発表させて頂き、その際も先生から質問をいくつか頂きましたが、当時、先生は着任後おそらくまだ数年程度であり、何と云いますか、いまだ「院生のノリ」のようなものが少なからず残っておられたのかもしれません・・。
そして、それは去る秋に開催された久しぶりの勉強会において、かつての研究発表会にご参加頂いた当時と比べ、より聞き役に回り、出席者から無理なく自然に意見を引きだすような傾向が強くなられていたと感じられました。こうした態度は決して簡単なことではないと思われますので、それを自然に出来るようになることが、人文社会科学分野の教育研究者の一つの成熟の在り方であると思われました。
また、以前にも当ブログにて述べたことがありますが、医師や歯科医師など医療系分野での優れた研究者と、さきの先生のような人文系の研究者では、それぞれ優れた研究者であっても、そこから生じる「凄味」のようなものは異なり、人文社会科学系のそれは、以前の投稿記事にて「その仰るところには、分厚い教養の層を濾過されたとも云える、ある種の深み・含蓄があり」と表現していましたが、これはある程度、その分野を勉強なり研究していると、何となく知覚することが出来るようになるといった性質があるように思われます。
また、以前にも当ブログにて述べたことがありますが、医師や歯科医師など医療系分野での優れた研究者と、さきの先生のような人文系の研究者では、それぞれ優れた研究者であっても、そこから生じる「凄味」のようなものは異なり、人文社会科学系のそれは、以前の投稿記事にて「その仰るところには、分厚い教養の層を濾過されたとも云える、ある種の深み・含蓄があり」と表現していましたが、これはある程度、その分野を勉強なり研究していると、何となく知覚することが出来るようになるといった性質があるように思われます。
つまり、人文社会科学系の研究者の深みとは、ある程度時間をかけて、はじめて理解出来るようになるといった性質があるのではないかと思われるのです・・。
その点、医療系など自然科学分野の研究者は、何と云いますか、その見た目、外見からも「凄味」(黒光り?)が比較的に理解、看取し易いといった性質があるのではないかと私には思われます。
その意味で、先述のように、人文社会科学系研究者の明晰さや見識の深さを理解するためには、ある程度の期間を要すると思われますが、その研究分野から離れた普段、我々が生きている社会においては、そうした人文系研究者に対する判断などは特に必要ではなく、他方で比較的看取され易い、医療系分野の先生方の「凄み」のみが「大物」らしさとして感じさせられ、これに自然と追随するようになるといった一種の事大主義的な傾向が、我が国の社会全般にあるように思われるのですが、実際のところはどうなのでしょうか?
今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
順天堂大学保健医療学部
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5
*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。
連絡先につきましては以下の通りとなっています。
メールアドレス: clinic@tsuruki.org
電話番号:047-334-0030
どうぞよろしくお願い申し上げます。
0 件のコメント:
コメントを投稿