2017年10月17日火曜日

20171016 読書から思った『温故知新』について・・

本日の首都圏は昨日より引き続き天気が好転せず、また気温もあまり上がらずに本格的に秋らしい降雨気味の一日となりました・・。
また、街中、電車内などにおいて見かけた人々も、つい一週間程前に比べますと厚着である方々が明らかに多かったのではないかと思われます。

こうして秋の深まりが感じられるなか、先日より再読しているジャレド・ダイアモンド著『銃・病原菌・鉄』上巻を電車移動時にて読み進めている最中、不図思い起こされた著作は、以前投稿のブログ記事にて少し触れましたが、宮崎市定によるアジア史関連のものでした。

そして帰宅後にあらためて宮崎市定の著作の一つを開いてみますと、その文体とは和訳されたジャレド・ダイアモンド著『銃・病原菌・鉄』と異なるものの、記述内容に関しては双方共に(少なからず)関連し合うのではないかと思われました。

もとより以上のことは私見ではありますが、興味を持たれた方々は是非、宮崎市定の著作を読まれて検証されることをおススメします・・(笑)。
(*先ずは『中国文明論集』がおススメです。)

また、宮崎市定に加え金関丈夫、南方熊楠といった方々の著作もまた読んでみますと、なかなかの知的興奮といったものが得られるのではないかとも思われます・・(笑)。
(*マンガでしたら『猫楠』の御一読をおススメします。)

また、それに加え、昨今多くの書店にて名著、話題の著作として扱われる『銃・病原菌・鉄』と(自身としては)勝るとも劣らない、興味深い知見が散りばめられた、織り込まれた優れた著作が、かつての我が国においては少なからず存在し、また、そうした著作を著すことが出来る研究者、著述家が存在していたことを認識することは、我が国が古来より連綿と培ってきた歴史文化に対する、より深くからの敬意、信頼につながるであろうし、また同時に現在の我が国社会に対する一つの警鐘にもなるのではないかと思われるのです・・
(ノーベル賞受賞の数などで一国の研究、学問水準を評価することは一つの評価基準ではあるかもしれませんが、その背後にある構造をより多くの人々が自分なりにコトバを以て認識することが重要ではないかと思われるのです・・。)。

そして、こうした考え、視座とは、感覚的ではありますが、どちらかというと科学技術よりも、人文社会科学分野における、ある程度(自分なりに考えた)精確な知見を積重ね体系化することにより、割合自然に認識し得るのではないかと思われます。

しかし一方にて、これまで幾度か当ブログ記事にて書いていますが、良い悪いの評価は抜きにして、我が国社会とは、こうした種類の認識が(著しく)乏しい、苦手であるように思われるのです・・。

その理由については諸説あるものの、決定的なものは未だ分かりませんが、これもまた我が国が古くから得意とする異文化などに対する受容性、柔軟性の影の側面ではないかと思われるのです・・。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から現在までに発生した一連の地震・大雨・水害等など大規模自然災害によって被災された地域の諸インフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。

また、引き続き、先日より新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。




























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