A「昨日投稿分記事の最後に書いた銅鐸に関してですが、その興味への起源を思い返してみますと、それは和歌山県での在住期間であったと云えます。
くわえて、その伏線となった経験とは、祖父母の家があった伊東市に滞在の折、とある用事にて出向いた沼津にて当地の自然が発する大気を(当時の自身は)何やら異様なものとして感じたことであったのではないかとも思われます・・。
とはいえ、自身が、この沼津の自然が発する大気を異様なものとして感じた原因とは今現在になってもよく分かりません・・。
ただ、その時に反応として思ったことは割合明瞭に憶えていて、それは『本当に日本とは私なんかが知らない自然を持つ国なんだ・・』といったことであり、おそらくそのことをどこかで反芻していたがために、その後も結果として割合長く西日本に滞在することになったのではないかとも思われるのです・・。
そして、当地和歌山での在住にて包括的な自然風土にも慣れてきた頃、おそらく6月頃であったと記憶していますが、当地域特有の南方的な強い雨が降る日、勤務を終え帰宅し、翌日が休みということもあり、本箱に入っていた書籍を何冊か代わる代わる手に取り眺めておりますと、一つの書籍(古代史の概説書)に銅鐸の写真と共に『和歌山県**市出土』と記載されており、それが当時在住していた場所と目と鼻の先と評しても良い程に近かったという一種の親近感からか、その銅鐸の写真を眺めておりますと、屋外の雨の音と銅鐸の写真画像が混然一体となったイメージ・イマージュとして刷り込まれていったように思われるのです・・。
無論、こうした経験とは(今現在の科学では)科学的なものとして分類されないと思われますので、あくまでも私見ではあるとして書きますと、それまでツルツルと滑って何処から、どのようにして手をつけて良いか分からないある種の知識体系にたいして挑む最初の効果的な一撃とは、往々にしてこうしたものではないかと思われるのです・・(笑)。
ともあれ、こうしたある種の内的な経験を経ることにより、何やら視界が啓け、さまざまな遺跡、遺物出土地に対して、さながら釣りに行くような心持ちにて出向き、その地で偶然に遭遇した方々に声を掛けて、お話を伺うといったことも出来るようになっていきました・・。
そして、後になり、その地域に関する文献をあたってみますと、大変面白いことに、さまざまなカタチにて当地にて聞いたお話と反映し合っていることが多いのです・・。
こうした感覚とは、おそらく実際に経験してみないと分からないと思われますが、自身の場合、こうした感覚を信じ続けたことによって、いくつかの我が国の古代史に属することをどうにか分かり得たと思いますし、また、それに関連させるカタチにて当地域の雨乞い祭祀もまた、自分なりの認識を得ることが出来たのではないかと思われるのです・・(また、それはあながち間違いでもなく一応学問的な信頼性もあるのではないかとも考えています・・。)
そして、その基層部には自身の場合、(自身が感じた)その地域の『自然風土』といったものがアーチの楔石として存在すると考えるのです・・。
また、それは自身の記憶のなかにある九州においても同様であるのです・・。
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年から現在までに生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った地域での諸インフラの復旧・回復そして、その後の復興を祈念します。」
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