2024年7月29日月曜日

20240728 株式会社岩波書店刊 金関丈夫著 大林太良編「新編 木馬と石牛」pp.68‐70より抜粋

株式会社岩波書店刊 金関丈夫著 大林太良編「新編 木馬と石牛」pp.68‐70より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4003319710
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003319710

結論をさきにいえば、スサノオのオロチ退治の話は、外婚的双分制社会における通婚形式のー少なくともその記憶上の伝承のーまだ遺っている時代における、農耕民に一般的だった神婚の祭事から起こり、後世にいたって、それがいろいろと変化した結果、その一部を遺す伝説となり、民話となり、子供ばなしとなったと同様に、一つの神話となって遺された物語だ、というのである。話は一種の英雄神話に変化したが、その中にも原型は部分的に、かすかに遺っている。いまそれらの断片を手がかりにして、できたらもとの姿に復元して見ようというのである。

 その手がかりはまず、川上から流れてくる箸である。他の話では、これが杖であったり、丹塗りの矢であったり、あるいは桃であったり、瓜であったりする。水にかづく斎女が、これを迎えて神とし、その一夜妻としてこれと交わる伊勢や賀茂の神事では、流れ寄る神木をミアレギといっている。「御生れ木」の意である。多くの伝説では、水辺の女がこれと交わって、英雄を生むことになる。あるいは、流れ寄ったものの中に、すでに小さ子が孕まれていて、これがのちに英雄となる。四世紀の「華陽国志」などに見える、夜郎国の英主竹王も、流れきたって洗濯する女の脚にまといつく竹幹の中にはらまれていた。女のこれと交わって英雄を生む話の方が、既生の小さ子の流れ寄るモーゼ説話の形よりは、原の形だったと思われる。

 中国の浣女という話も、中唐あたりの感応的な詩の材料にしばしば用いられているが、何か思想上の前歴があったと思われる。桃太郎や瓜姫ばなしでは、川下の洗濯婆さんになってくる。ホトタタライススキヒメも、これはいまでは「あわてふためく」の意と解されているが、やはり濯ぎ女であったにちがいない。斎女が機を織り、水を潜いで、流れ下るミアレギを待つという形が、このような変化を見せている。

 この流れ寄る棒が、竜蛇神を表すものだ、ということについては、それを傍証する多くの事例があって、すでに明らかになっている。かくして竜種の英雄神が誕生する。『日本霊異記』や中国の神怪譚に見える多くの話では、蛇子そのものを生むことにもなる。賀茂の伝説の雷神は、蛇神の顕現であり、蛇神はかくて天上につながる。華胥が雷沢の水辺に夢みて、蛇身人面の太皡を生む話は、この話の一部の脱落の姿であろう。

 雷と竜とは同一物であり、これた年の稔りを左右する、という考え方は中国にもあり、神は雷となって山上に降り、蛇となって渓を下る。斎女のこれと交わることによって、天地の和合を求める、という考え方にも、いくらか中国風のスペキュラティーフな匂いがある。川上から流れくる箸の表象する世界はこれであるが、それ以前に、も少し素朴な、直截な、地上的な儀礼があったであろう、と私は考えている。天などには必ずしも関しない、地上の男女神の媾交によって、穀霊を刺激し、穀粒を孕ませようという、純然たる擬制呪法に基づく祭事が、あったにちがいない、と思っている。

 第二の手がかりは櫛である。スサノオはクシイナダヒメを小形に変化させて、頭に挿したとなる。これは櫛をさしたことであり、女装したことである。ヤマトタケルや後世の岩見重太郎も、クマソやヒヒを退治するときに女装する。これらの英雄は、なぜ女装の必要があったか。

 水辺の異物から、あるいはこれと交わった川下の女から生まれた小さな女の子は、からだの人なみに達しない、弱々しい姿をとる。それだからこそ、かくれた霊力が具わったので、桃太郎が子供の姿であるのは、必ずしも子供ばなしになり終わった後の変化ではない。元来が若童の形だったのだ。私の想像する祭事の場面で、一人まえの男がこれを演ずる場合には、女装をした優さ男、すなわち男女双性神の神の姿を彼はとる。けっしていま考えられているスサノオやヤマトタケルのような、荒あらしい英雄の姿ではなかった。それが一人まえの男の姿ではなかったにもかかわらず、非常な力をふるう、というところから、微賤であったり、怠けものであったりする主人公が、果報のもちぬしであるという、多くの民話が生れてくる。

 第三の手がかりは霊剣である。スサノオはオロチの尾中に宝剣を得る。宋の「中呉紀聞」には、蛇尾が剣に化す話が見える。剣が元来山のものであり、山より下った蛇神に属していることについては、後にもふれるつもりである。

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