2023年8月28日月曜日

20230827 歯科医療と栄養管理との連携について(試作文章)

近年、高齢者人口の増加もあり、口の健康に対する歯科医療のアプローチ変化してきたと云えます。以前であれば、歯科医療は主として口の機能向上に重点が置かれていましたが、近年の変化として、栄養摂取効率の改善も同程度に重要視されてきています。また実際に、口の機能に問題があることと栄養不足との関連性も報告されています。

さて、高齢の方々の健康寿命の延伸のためには、筋肉の減少やフレイル(虚弱化)への対応が大切になってきます。たとえ、口の機能に問題がある場合であっても、安全な調理方法や、栄養バランスを考慮したアドバイスによって、十分な栄養を摂取することは可能です。そのためにも、歯科医師や歯科スタッフは、栄養についての基礎的な知識を備え、そして管理栄養士との連携が必要になってくると云えます。

医療や福祉全般の視座から見ても、口に問題を抱える患者さんの治療には、歯科医師や医師、介護スタッフなどが連携して取り組むことが重要になってきます。また、退院後も、歯科医療スタッフと管理栄養士が協働してリハビリや栄養管理に取り組むことが求められます。くわえて、健康診断でも食事に関する質問が増えており、そこからも歯科医療スタッフには栄養学についての基礎知識が必要であると云えます。

しかし、現状では、口の問題を抱える患者さんへの歯科医療と管理栄養士との連携が不十分であるケースも数多くあります。この問題に対処するため、日本老年歯科医学会では、歯科医療スタッフと管理栄養士との連携を強化して、相互の専門知識向上のための研修を提供することを検討しています。そして、この連携により、我が国の健康寿命延伸に貢献することが期待されます。

しかしながら、歯科医療の視点からは、噛む機能改善に適した食事の提案は依然として重要であると云えます。このためにも、やはり、歯科医師をはじめとする歯科医療スタッフと管理栄養士の協力が不可欠になります。また、とくに昨今、食事や栄養に関する問題は、歯科医療サイドからも関心が強く、医師や管理栄養士をはじめとする医療スタッフの方々とも協力して、治療にあたることがもとめられます。そしてまた、地域の栄養サポートチーム(NST)にも、歯科医療からの関与が求められます。とはいえ、現状としては、食事や嚥下障害に関する栄養指導や管理栄養士の連携が医療・介護保険の対象外となる場合も多々あります。

他方で、歯科医療機関にて勤務する管理栄養士は増加していますが、そこでは、管理栄養士本来の栄養相談以外にも歯科助手や医療事務などの業務を兼務するケースが多いです。また、歯科訪問診療では管理栄養士が食事のアドバイスを提供することもありますが、こちらも、保険請求手続きの複雑さが課題となっています。

地域の食生活や栄養状態の改善や疾患再発予防のためには、管理栄養士の適切な関与が欠かせません。そして、その基盤を築くためには、歯科医療側も地域での活動の重要性を認識する必要があります。

昨今は、介護施設などで歯科医療と管理栄養士との(自然発生的な)連携が進んでおり、そして、地域における重要性が高まってきています。こうした取り組みには、地域での医療や福祉との連携が不可欠であるのですが、現状では、さらに多くの、こうした地域に根ざした管理栄養士の存在が求められていると云えます。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。


2023年8月27日日曜日

20230827 昨今のデジタル化の流れについて(試作文章)

我が国のデジタル化(DX)の流れは、2018年頃に始まり、その勢いはコロナ禍によるリモートワークの普及を契機に一層加速しました。この流行は官庁や企業だけでなく、国内全土に広がりました。やがて大手IT企業から新興スタートアップまで、多くの企業がデジタル化への参入しました。こうした動きの中で、我が国では、2020年代に入って本格的なデジタル化が進展してきたと云えます。

しかし、デジタル化が進むにつれて、重要な課題も浮き彫りになりました。それは、増加するデータ量とそのデータの活用です。データは新たな価値を生み出す可能性を秘めており、その活用が求められています。このためには、「データを活用できる人材」の需要が急速に高まっています。これは、過去にビッグデータブームがデータサイエンティストの求人数を増加させた時とも類似しています。現在のデジタル化の流れも、求人情報の増加という形で示されています。

ただし、この人材需要の増加とは逆に、企業が求める人材像と実際の理工系アカデミアが養成する人材との間にはギャップが存在しているようです。この課題を解決するためには、産学連携が一層強力なものとなり、大学のインターン制度や専門職大学の拡充などが有効であると考えます。これにより、求められるスキルセットに合致した人材を育成する環境が整備されて、デジタル化のさらなる進展に適した人材が輩出されることが期待されます。

また、デジタル化の進展と同様に、生成AIの進化も社会への影響を広げています。生成AIがどのような変革をもたらすかはまだ不透明ですが、確実に近いと思われるのは、さらなる業務の省力化が進むことです。これにより、我々の多くは、自身の専門性や独自の価値を他の分野で示す必要が生じることになると思われます。つまり見方を変えてますと、生成AIの台頭は、人々が多様なスキルを磨き、総合的な能力を発揮する契機となる可能性があるということです。

このように、我が国のデジタル化は多くの機会と課題を同時に抱えています。とりわけ、データ活用や研究に求められる人材の育成といった課題に対しては、産学連携やその基盤としての教育体制の見直しなどが重要になってくると思われます。持続的に進化している各種テクノロジーを活用しつつ、各々独自の能力を最大限に引き出すことが出来る社会を構築することが、今後の我が国のみならず、世界規模での持続的な成長と発展のための、一つの重要な要素であるのではないかと思われます。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。


2023年8月22日火曜日

20230822 「三酔人経綸問答」について(試作まとめ文章)

明治期の中江兆民による政治文学「三酔人経綸問答」は、際立った作品であり、その概要は、三人の酔った男たちがそれぞれの政治的信条について議論を行うものです。登場人物は、右翼的な国権伸長論者である「豪傑君」、急進的な平和主義者である「洋学紳士」、そして現実的な漸進主義者でありホストである「南海先生」の三人です。

豪傑君は国権伸長論者として、アジア大陸への拡張政策を主張し、一方で洋学紳士は国内における自由主義的政策を提唱します。南海先生は漸進主義を採って、日本の将来を、小邦が概ねそうであるように、和平を重視する姿勢を執ります。

南海先生は対外政策においては、豪傑君が主張するような侵略的な軍国主義やあるいは洋学紳士が提唱する無防備の平和主義には反対して、自国の発展と将来を守りつつ世界との調和を図るべきであると考えます。また、国内における民主平等の制度についても、豪傑君と洋学紳士との対立を受け入れつつ、ものごとは現実的な手順を踏んで進化するものであると主張します。さらに、南海先生は実際に民主主義が社会に根付くまでには時間がかかるとしながらも、同時に、その考えを広める努力は必要であると考えています。

「三酔人経綸問答」の登場人物はあえて風刺的に描かれており、その中で特に豪傑君は単純な国権伸長主義者として、洋学紳士は夢想的な民権論者として、それぞれ政府批判のみで改革を求める姿勢が指摘されています。また、南海先生は常識的すぎるとの批判を受けつつも、何であれ政治的理念は明確に表明するべきであると主張します。

当作品は、異なる政治的意見を持つ登場人物の対話形式を採り、各立場を相対化することで、価値観と現実の関係を示しています。また三人の登場人物は、それぞれ兆民自身の思想を表現しており、南海先生がその相対的な諸立場の中での仲介者となります。南海先生の立場は兆民自身そのものではないですが、さきの政治的理念は明確に表現されるべきだというメッセージが、そこに込められています。ともあれ、こうしたアプローチは、おそらく当時の我が国の社会において画期的なものであり、民主思想の普遍的な価値を前提としつつ、具体的な形態を模索する姿勢を示しています。

物語の結末では、二人の客が去り、南海先生は依然として酒を楽しむ様子が描かれています。この結末は、議論の限界や現実の複雑さを示しており、理想と現実のバランスを持つことの難しさを暗示しています。

また、当作品は、対話形式による文章の魅力や面白さも描かれており、そこから当著作は読者が内容に入り込みやすく、そして面白さも共有されやすいと考えます。そこには会話を通じて笑いを取る漫才とも共通する要素がありますが、一方で形式化による創造性や想像力の制約、商品化による利益追求の危険性にも言及されています。

「三酔人経綸問答」を通じて、対話の力や相対化の重要性、政治的な理念の表明の重要性が描かれ、そのテーマは現代にも通じるものであります。また、作者の中江兆民は明治時代の知識人像を象徴する結末を描き、登場人物たちのその後についても述べられています。洋学紳士は学者や政治家としての成功を収めつつ、クリスチャンと社会主義者の道も歩みました。一方、豪傑君は大陸に渡り、右翼ナショナリストの原型ともなる大陸浪人として過ごしました。これは日本の挑戦と中国大陸への帝国主義的膨張との関連性を示唆しています。

「三酔人経綸問答」は、当時の政治的状況を反映しつつも、現代にも通じるテーマを探求する兆民の意図が込められた作品といえます。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。



2023年8月19日土曜日

20230819 糖分摂取について(試作まとめ文章)

過度の甘いお菓子や飲み物の摂取が、健康への悪影響をもたらすことは今や周知の事実です。この中でも特に砂糖は、果糖やブドウ糖などの単糖類や二糖類を含む主要な構成要素として知られています。ただし、重要な点は、自然界に存在する果物やはちみつのような天然の糖分については心配する必要はないということです。主要な懸念は、「人工的に添加された糖類」であり、ここでは簡略に「糖類」と表現します。

糖類は、私たちの体内でエネルギーを供給する炭水化物の中で重要な役割を果たしています。脳や赤血球など、一部の組織はエネルギー源としてぶどう糖を利用しています。同時に、炭水化物は消化できない「食物繊維」としても存在しています。糖質自体は、単糖類から成る「糖類」や少糖類、多糖類などが含まれる幅広いカテゴリであり、私たちの栄養摂取において極めて重要な要素です。

さて、我が国における糖分摂取の現状を考えてみましょう。加工食品や外食チェーン店の普及および人気、そして食文化自体の変化などが、近年での糖分摂取の要因として指摘されています。これらの課題に適切に対応するためには、まず食品表示の明確化と改善が必要です。消費者が食品選択をする際に、糖分の含有量などが分かりやすく表示されていることは大切です。また、栄養教育と啓発活動も欠かせません。正しい知識を身につけることによって適切な食事選択が可能になります。

さらには、糖分を多く含む食品に対する規制と課税の導入も検討され得ます。これによって健康的な選択が奨励され、市場におけるバランスの取れた食品の提供が促進されると考えます。また同時に、飲食業界との連携も重要であり、業界・企業との取り組みによって、健康に配慮したメニューや商品が増加して、消費者の健康的な選択肢が広がることが期待されます。

これらの取り組みは、政策の一環としても具体化されても良いのではないかと思われます。もとより、個人の意識向上が不可欠ではありますが、政府や社会全体からの支援も重要です。世界保健機関(WHO)は2015年のガイドラインで、1日のエネルギー摂取量の10%未満の糖類摂取を推奨しており、5%未満で健康的だと示唆しています。例えば、1日のカロリー摂取量が2000キロカロリーの場合、適切な糖類摂取量は10%で50グラム、5%で25グラムです。500ミリリットルのジュースを飲むだけで、これを超えてしまうことがあることも考慮すべきです。また、大容量のスポーツドリンクを摂取すると、子供の2日分の糖類を一度に摂取してしまうことになります。

これまでの記述を総合しますと、適切な糖分の摂取は、我々の健康にとって極めて重要と云えます。炭水化物の中で糖類が果たす役割を理解して、それぞれにとっての健康的な食習慣を確立することが重要です。そのためには、先述の繰り返しになりますが、食品表示の透明性向上、栄養教育の拡充、業界との協力強化、政策への導入など、多面的なアプローチが必要であると考えます。私たちは個人として、あるいは社会全体としても出来るだけ健康を保ち、未来にわたり良好な生活を享受するためにも糖分摂取に対して、もう少し真摯な考えを持った方が賢明であるのではないかと思われます。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!


一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。



2023年8月14日月曜日

20230815 我が国の議論文化について

かねてより、我々日本人は議論が得意ではないと考えてきましたが、最近になり、少し考えを改めて、我々日本人は議論が出来ない方が一般的であるに変更します。議論に際しては、当然のように、意見の対立が生じますが、しかしそれと同時に、その対立から、新たな洞察や理解が生じることもまた同程度にあると考えます。しかしながら、我々日本人は、過度に表面的な調和を重視する傾向があり、そこから、議論が発展せず、結論が避けられ、そして、かえってそこから、長期にわたる不満や鬱屈が生じることも少なからずあるのではないかと考えます。

こうした現象は、おそらく、我が国社会の組織どこでおいても看取可能であり、たとえば、国会議事堂での与野党のやりとりにおいても見受けられ、与野党での意見の対立の際、相手からの質問や意見を真摯に検討せずに、論点をすり替えるような態度は、議会制民主主義に反するのではないかと思われます。しかし、残念ながら、こうした様相は、現在の我が国社会においては広汎に見受けられ、さらに、それらが関連し合って、社会において「価値観の混乱」が進展しているのが、我が国のみならず、世界規模での現象であるように思われます。

そして、そうした状況・事態にあるときに必要となるのが、さきの議論であると思われますが、古くから我が国の社会では議論の習慣が乏しく、各段階における意思決定に際して有効に議論が活用されているかについては、形式的な「議論」はあるものの、そこに実質があるかどうかについては、多くの場合、甚だ疑わしいと云えます。

ともあれ、では、このような社会状況下での、意思決定プロセスは、どのようなものになっていくのかと考えてみますと、言語化されない同調圧力的なものが強化されて「徐々に権威主義的な傾向を強めてゆく」のではないかと思われます。しかし、このような権威主義的な傾向は「議論」にあまり価値を認めず、むしろ、それを排撃する立場を取りがちと云えます。

そして、権威主義的な傾向が何故、議論を嫌うのかと考えてみますと、私見ながら、その根底には「議論」と「口論・口喧嘩」との違い、あるいは切り替えが、うまく認識されていないことがあるように思われますが、本質的に「議論」とは、合意形成を目指すものであり、一方の「口論・口喧嘩」は、それぞれの主張の否定を伴うものであると云えます。そして、この違いを理解せずに議論を行うことは、やはり困難であるように思われます。

また、それに関連して、近年の国際情勢の緊張を受けてか、我が国では、特に近現代史に関しての強硬な意見が目立ちますが、いまだその社会への影響は限定的と云えます。しかしながら、情報化された社会では、かえって、さまざまな思想や考えごとに分断されしまい、そしてそうした事態が、議論の不在による価値観の混乱がさらに強化されてしまい、さらに好ましくない社会状況に陥ってしまうのではないかとも危惧されますが、このような背景であっても、議論が我が国の社会に定着して一般化することは、難しいのではないかと思われます・・。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!


一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。




2023年8月11日金曜日

20230810 19世紀後半から続く我が国の「文明開化」・「開化」について⑤

しかしながら、近代以降の我が国の開化は、西洋文化主導の潮流に支配されてきました。そして我々日本人がその潮流に乗り出すこと自体が本来は異質であり、居心地の悪さを感じることも多くあったことでしょう。そして、そうした状況では、新しい波に移行する前に、古い波の特徴やその本質などを理解する余裕がないままで、捨てなければならないことも多くあったことでしょう。これは食卓において、一つの食事が終わる前に次の食事が供されるようなものです。そのため、この開化の影響を受ける人々の多くは、空虚感や不満、不安を抱くと思われます。また、こうした開化を自慢する人々はあまり好ましくありません。それは端的に軽佻浮薄であり、あるいは、タバコの味を分からない子供が無理をして美味しそうにタバコを吸っていると見せかけることのように生意気とも云えます。しかしまた、無理をしてでも、このような状況に立ち向かわなければならない、ならなかった国民もまた、相当に悲しいものがある、あったと云えます。

あるいはまた。我が国近代の開化が内発的であったかのように自慢される方々は、この開化から影響を受ける国民のどこかに、空虚感があることや、不満や不安を抱いていることに念頭に入れた方が良いと考えます。端的に、国際間にて交際する場合、多くの場合、自国中心では上手くいくことはありません。とりわけ、自国よりも強い他国と交際する場合、多くは妥協して、相手の要望に従わなければならなくなります。もしも自国が他の強国よりも強いのであれば、状況を変えることもできるかもしれません。しかし、現実はそうではないため、我々は相手の要望に合わせ、あるいは真似をしなければなりません。しかも、それは自国内で自然に醸成された文化風習ではないため、機械的に異文化を覚えることになります。そして、こうした行為は大きな心理的影響を与えることになります。

我々の意識は絶えず動いています。そして皆さんは現在この文章を読まれています。また、私は皆さんに向かって文章を作成しています。そして双方共に、その自覚があります。また、お互いの意識も動いています。この動いている我々の意識の一部分、時には1分間ほどの範囲を切り取って調べてみても、やはり動いていることが分かります。その動き方は、すべて1分間の意識でも30秒間の意識であっても、その内容が明瞭に心に映る点から言えば、同程度の強さを持って時間の経過に頓着せず、あたかも一つ所に固定したかのようには動きませんが、やがて必ず動きます。そして、動くにつれて明るい点と暗い点が生まれます。その高低を平たい直線で示すことはできないため、やはり幾分か勾配のある弧線、つまり弓形の曲線で示さなければならなくなります。

これまでの一連の当記事では、我が国近代の開化における内発性と外発性から、その後の進展の様相について述べています。具体的には、我が国近代での開化が外発的なものであり、その影響が人々の心理にどのような影響を与えるかについて述べられています。また、集合的意識や、ある程度の期間にわたる意識の変遷についても言及しており、そこでは時間の経過に伴い意識も変動することが指摘されています。

具体的には、それまでの我が国では、概ね内発的に諸文化が発展してきましたが、近代以降の外国との交流の影響によって、それまでにない急激な変化が生じたことが指摘されています。このような外からの強い影響は多くの人びとの意識の動きにも大きな影響を与え、具体的には、意識の内容が明瞭さを失ってしまい、また意識の不確実性が高まって、不安定性が増加するといったことが多くなります。

近代の日本人が比較的短期間で西洋諸文化を吸収して、さらに複雑な分野での内発的な進展をも達成して、西洋人が数世紀を要した進歩を誇る一方において、現代であっても、我々日本人が直面している神経衰弱の困難は、これまでに述べてきた経緯からの避けられない結果であると云えます。

現代の我が国では開化が進んではいますが、実際のところ、その中で暮らす我々の幸福度は満足なものではなく、内外での競争や、その他の要因からくる不安を考慮しますと、幸福度は近代の開化以前とほとんど変わっていません。そのため、現代の我々日本人は非常に特殊な状況に置かれていると云えます。この外発的な開化がさらに進展して、我々日本人はそこから滑り落ちてしまうか、あるいは神経衰弱になってしまうかの二者択一となっているように思われます。このような状況にある我々日本人は同情に値すると言えます。しかし、結論はそれだけです。そこに何らかの具体的な解決策を提案するわけではありません。我々は何もできず、ただ困惑し、非常に悲観的な結論に至っていると云えます。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。




2023年8月8日火曜日

20230808 新思索社刊 ローレンス・ヴァン・デル・ポスト著 由良君美・富山太佳夫訳 「影の獄にて」pp.40-42より抜粋

新思索社刊 ローレンス・ヴァン・デル・ポスト著 由良君美・富山太佳夫訳 「影の獄にて」pp.40-42より抜粋
ISBN-10 : 4783511934
ISBN-13 : 978-4783511939

「ろーれんすさん」とハラは熱心に言った。懇願するようなその態度は、歴戦の特務曹長(原文のまま。前のところでは「軍曹」となっているが矛盾ではない、終戦のときか、またはそれ以前に、昇進していたのであろう。)と敵の将校というよりは、むしろ、学童とその先生といったふうにみえた。「これです。これですよ。あなたには、われわれ日本人がわかるという気が、私はいつもしていた。わたしがあなたを義務上、殴らねばならなかったときでさえ、殴っているのはこのわたしハラ個人ではない。私はしなければならないからしているだけだ、ということが、あなたならわかってもらえると思っていた。あなたは私が殴ったからといって、にくんだりはしない人だった。あなたがたイギリス人は公平で公正な人たちだと聞いている。わたしたちから見れば、どんな欠点があるにせよ、われわれはあなたがたを、公正な民族として尊敬の目で見てきました。わたしが死を恐れないことは、あなたもご存じでしょう。祖国がこういうことになった以上は、私は喜んで死にます。わたしは頭もそりましたし、浄めの水も浴び、口も喉もすすぎ、手を洗い、ながい死出の旅にそなえて水杯もすませました。頭からこの世の邪念を払い、躰からも俗念を清め、この躰はいつでも死ぬ用意ができています。心は、はるかの昔に死んだものとした以上いまさら死をいといません。これはあなたもよくご存じのはずです。ただ、ただ、どうして、私は、あなた方が付けたような理由で死ななければならないのか?他の死刑にならない軍人たちは犯さなかったが、私は犯した悪事というようなものがあるのでしょうか?わたしたちは互いに殺し合ってきました。むろんよくないことですが、しかし、要するに戦争だったのです。わたしはあなたを罰したし、あなたの部下たちを殺しました。しかし、あなたが日本人で、私と同じ地位と責任をゆだねられ、あなじ行動のしかたをする場合、たぶんあなとも、この程度に罰したり殺したりしたはずで、程度を越えていたとは考えません。私は実際、あなたにたいしては、わたしの同国人よりも親切にしたつもりです。

 また、あなたがイギリス人たちにたいしてはみな、他の多くの人たちにたいするよりも、親切にしてきたつもりです。信じなさろうとなさるまいと、わたしは軍紀や上官の要求よりも、はるかに寛大にしていたのです。もしわたしが、あのくらい厳格に苛酷にしなかったら、あなた方は精神が崩壊して、死んでいたことでしょう。なぜなら、あなた方の考え方は実にまちがっていたし、あなた方の恥もまた実に大きなものでしたから。わたしがいなかったら、ヒックス=エリスも彼の部下たちもみな絶望のあまり、あの島で死んでしまっていたでしょう。食糧と薬品を搭載した船が来なかったのは、わたしの罪ではありません。わたしはただ、捕虜をたたいてでも生かせ、たたくことで、もっと努力させることしかできなかったのです。それなのに、私は今、そのために殺されようとしています。わたしのどこがまちかっていたのか、わたしにはわかりません。わかるのは、われわれみんなが等しくまちがっていたという点だけです。もしもわたしが、他にまちがいを冒しているのでしたら、どうして、またなぜか教えて下さい。そうすればわたしは欣然と死ねるでしょう。」


2023年8月7日月曜日

20230806 昨日の引用記事の作成から思ったこと

考えてみますと昨日の引用記事は、私としては一カ月以上振りの引用記事の作成であり、かなり新鮮に感じられました。とはいえ、ブログ開始当初の頃は、おそらく、このような感じであり、そうであったからこそ、ある程度の期間、続けることが出来、また、たびたびある、オリジナル記事の作成が困難である時には、引用記事の作成には、かなり助けられました。そしてまた、今後も続けると思われます。

昨日投稿記事の引用元であった筑摩書房刊 加藤周一著「日本文学史序説」下巻は、久しぶりに頁を開いてみますと、しばし読み入ってしまいました。当著作は以前、ブログ記事にて述べましたが、2012年頃に鹿児島にて購入して、しばらく積読状態にあり、翌年、学位を取得して帰郷後に本格的に読み始めました。当著作上下巻を興味深く読んで、そしてまた何度か読み返し、さらに英訳本が刊行されていることを知り、古書にて全巻入手して、電子辞書を用いて読んでいた時期もありました・・。

そうした経緯もあり、当著作からの引用記事は、開始当初の頃に多く、その後も散発的に投稿し続け、そして昨日の引用記事に至ったのだと云えます。

ともあれ、そうして2000記事到達後、思いのほかに早く25記事の更新に至った感があります。しかし、以前にも述べた通り、もうしばらくの期間、基本的には記事作成を休止しますが、何かしらの機会や、思い立った時には、本日の様に記事作成を随時行い、そして来る再開まで、元々たいしたものではありませんが、腕が落ちないようにしたいと思います・・。

そういえば「記事作成の腕」と述べましたが、現在までの休止期間では、特に大きな内面での変化はないと感じられますが、それと同時に、現時点では、あくまでも判断は出来かねますが、何と云いますか、自らの考え、想念のようなものが、いくらか明瞭に言語化されるようにも感じられます。

これについては、ブログ記事の作成には、いくらかは言語化の能力を用いると云えるため、現今の休止期間では、その能力を、これまでよりも用いることがなくなったことにより、さきのように感じられるようになったものと思われます・・。

くわえて、現在読み進めている株式会社ゲンロン刊 東浩紀著「観光客の哲学」増補版は、以前にツイートしましたが、半分以上はよく分からずに読み進めていますが、時折は知っていることも書かれており、その既知のことがらの理解から架橋するようなかたちで、その他の、これまで知らなかった記述についても、自分なりに理解を試みています・・。また、当著作は私にとっては久しぶりの硬質な著作であり、読み進めるのに多少苦労はしていますが、しかし、思想書は分からないなりに読み進めていますと、さきのようなことが蓄積してか、しばしば「なるほど!」と、これまでとは異なった次元での理解・解釈が生じると思われるのです。

私見としては、先述した、これまでとは異なった次元での理解・解釈のようなものを、より明瞭に体感出来るのは、抽象的とも云える思想分野などが多いと思われるのですが、さて、如何でしょうか?

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。






2023年8月6日日曜日

20230805 株式会社筑摩書房刊 加藤周一著「日本文学史序説」下巻pp.398-400より抜粋

株式会社筑摩書房刊 加藤周一著「日本文学史序説」下巻pp.398-400より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4480084886
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480084880

1885年の世代
 日本の工業化は、日清戦争(1894~95)の後で大いに進んだ。その進み方が殊に早かったのは、綿糸紡績を中心とする軽工業である。日清戦争(1904~05)の後、第一次世界戦争(1914~18)に至る時期には、そこに造船や鉄鋼のような重工業の発展(官営企業を主とする)が加わり、軽工業部門では、独占化(紡績・製紙など)が進行した。二つの対外戦争の軍事的成功と、国内での工業化の成功とは、明治の天皇制官僚国家の権力を安定させると共に、アジア大陸に対してはその膨張主義的傾向をはっきりさせ、国内の体制批判者に対する弾圧政策を強めるように作用した。そのような日露戦争後の権力者の性質を見事に象徴していたのは、1910年に起こった二つの事件ー日韓併合と「大逆事件」である。日韓併合には、その後「対支21ヶ条要求」(1915)とシベリア出兵(1918)が続き、「大逆事件」の後には、「米騒動」の軍隊による弾圧(1918)や「治安維持法」(1925)が来る。

 工業化に伴って、人口の都会集中の傾向もあらわれた。たとえば今世紀の初め(1900)に150万であった東京市の人口は、1920年には200万を超えていた。教育は普及し、前世期末(1897)に66.7%であった義務教育の就学率は、1910年は早くも98.198.1%に達した。日清戦争以前に東京にしかなかった帝国大学は、戦後1910年までには京都・東北・九州にもつくられていた。同時に、日露戦争後の不況のなかで、日本近代史上はじめて、高等教育機関の卒業者の就職難という現象もめだちはじめた。高等教育をうけた失業者が、必ずしも体制の批判者ではないが、少なくとも彼らが自己を国家と同定することは少ないだろう。明治維新前後に生まれ、明治国家の運命と自己の運命をむすびつけて考えた一世代の後に、1885年前後に生れ、日露戦争後の時期に青春を過ごし、国家から離れて、またしばしば国家に対して、自分自身の問題を考えることに専念する一世代が来たのである。日露戦争の終わったとき、20歳前後であった小説家志賀直哉(1883~1971)や谷崎潤一郎(1886~1965)、詩人木下杢太郎(1885~1945)や北原白秋(1885~1942)の関心は、彼らの生涯を通じて、個人の感情生活や、美学や、日本語とその文化の伝統に向かい、政治的な面を含めて日本社会の全体の構造と機能に向うことはなかった。彼らにとっての明治維新は遠かった。体制はもはや選択の対象ではなく、与件であった。他方彼らのなかの誰も、十月革命を予期せず、日本共産党はまだ成立していなかった。体制の全体を批判するために有効な知的道具としてのマルクス主義が、日本の知識層に広く普及しはじめたのは、1920年代になってからである。

 しかし弾圧にも拘らず、権力に対する反抗がなかったのではない。幸徳秋水と堺利彦の「平民社」の流れを襲いで、荒畑寒村(1887~1981)と大杉栄(1885~1923)は、1912年に「近代思想」(後には「平民新聞」を刊行し、社会主義の立場をとった。荒畑はその後1922年に日本共産党の創立に加わり、大杉は無政府主義者として労働運動にも知識層の青年にも大きな影響を行使しながら、1923年の大地震の混乱のなかで甘粕憲兵大尉に暗殺された。これが1885年の世代の少数派といえるだろう。その少数派を意識していた問題を含めて、日露戦争後十月革命前、1910年前後の時代の特徴を鋭く体現していたのは、詩人ジャーナリスト、石川啄木(1885?~1911)である。

 啄木は1910年8月に、「官私大学卒業生が、其半分は職を得かねて」いて、「学生のすべてが其在学時代から奉職口の心配をしなければならなくなった」状況を指摘して、「理想を失ひ、方向を失ひ、出口を失った)青年たちの、「内訌的、自滅的傾向」について書いた。そのとき、明治寡頭制権力は、勝ち誇っていた。「強権の勢力は普く国内に行亙つてゐる。現代社会組織は其隅々まで発達してゐる。-さうして其発達が最早完成に近い程度まで進んでゐる・・・」という状況を、啄木は「時代閉塞」と称んだのである。

2023年8月2日水曜日

20230801 臨床心理士・公認心理士と管理栄養士の養成組織の設置先から思ったこと

以前の投稿記事で、管理栄養士の養成学科の設置先の変遷について少し触れましたが、当初、家政学系統に分類された管理栄養士の養成学科(管理栄養学科)は、その後、時代の変化により、医療福祉学系統に分類されることが多くなりました。そこから、比較的古い大学(女子大学)の家政学系統に管理栄養学科が設置されていれば、その設置は比較的早い段階であった可能性が高いと云えます。

そして、そうした中で興味深いものとして、徳島大学医学部の医科栄養学科を挙げましたが、その後、あるいは、こうしたことは他にもあるのではないかと思い、記憶を辿り、ネットにて調べ、書籍をあたったところ、20年近く前、私が大学院受験を決意した頃に読んだ大学・大学院のガイドブックが発刊された当時は、丁度、法科大学院の新設が相次いでいた頃であり、ガイドブックには、さまざまな大学の法科大学院についての記事があったことを記憶しています。また他方で、これまた当時は、民間資格ではあるものの、キチンとした学問的な背景があるものとして、臨床心理士の養成大学院も、さきの法科大学院と同様、新設が相次いでいた頃であり、それについて書かれた記事も少なからずありました。

さて、その臨床心理士に当時の私は少し興味をおぼえて、調べた記憶がありますが、それによると、臨床心理士養成大学院の多くは、心理学部のある大学であれば心理学部に、そして、それ以外であれば教育学部や文学部、福祉系学部などに多く設置されています。また現在でも、この概要に大きな変化はないと思われますが、その中で、当時、興味深く感じたことは、多くが、いわば人文学系統に設置されている臨床心理士の養成大学院のなかで、鳥取大学は医学部に設置されていたことでした。そして、さきほどまた、臨床心理士養成大学院についてネット検索したところ、新たに香川大学では医学部に四年制の臨床心理学科が設置されて、さらにその先に臨床心理士と、新たな同分野の国家資格(2019~)である公認心理師を目指す大学院も置かれたことにより、現在では、医学分野での学部教育から、そのまま院に進学して臨床心理士や公認心理師を目指すことが出来るようになっているようです。

そしてまた、こうしたことを書いていますと、不図、そういえば徳島大学の薬学部は、旧制の徳島高等工業専門学校の応用化学科・製薬化学部(1922年・大正11年)を起源としていたことが思い出されました。とはいえ、私は薬科大学や薬学部の設置における一般的な傾向や背景についてよく知りませんので、断定は出来ませんが、おそらく、この徳島での薬学部設置の事情も、さきの徳島大学医学部での医科栄養学科(管理栄養士養成学科)の設置、そして香川大学医学部に臨床心理士・公認心理師養成を目的とする臨床心理学科および大学院が設置されたことにも通底する、何らかの「動き・メカニズム」のようなものがあったのではないかとも思われましたが、こうしたことにつきましては、今後またしばらく動向を観察しつつ検討したいと思います。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。