2022年10月3日月曜日

20221002 内面での考えを文章化するための凝集力の駆動について・・読書そして引用記事の意味

10月に入ったとはいえ、この時季は日中外に出ると未だに暑く、そして室内では、しばらく冷房をつけたりすることもあります。しかし陽が沈むと涼しくなり、心地よい涼やかな風が吹くこともあり、比較的過ごし易いと云えます。そういえば、一昨日に投稿した書籍からの引用記事は、思いのほかに多くの方々に読んで頂けました。やはり、現在こうしたトピックは注目されるのかもしれません。また、推測になりますが、案外と医療専門職の方々の方が、日々の臨床や研究活動にて多忙であり、こうした学会誌や論文集などとは異なる、専門書とは云い難い書籍を読まれる機会は少ないのかもしれません。そして、そのように考えてみますと、こうした専門書とは異なる書籍の興味深いと思われる記述を引用記事とすることは、それなりに意味があり、また出版社さまとしても、それは少なくとも、悪いものではないように思われます。

それ故、今後も引続き、このような興味深いと思われる記述を見つけましたら引用記事として投稿させて頂こうと考えています。当ブログを運営している私からしますと、その基本にあるものは、やはり自らの作成記事ではあるのですが、他方、引用記事にて比較的多くの閲覧者数を得ることが出来た場合、それはもちろん筆者の文章力によるものではあるのですが、同時にその記述を興味深いものとして引用記事とした私にも、ほんのわずかではあれ、功のようなものは、あるのではないかと思うようになりました。おそらく、この考えは以前、1000記事を目指してブログ記事の作成を続けていた頃の私からしますと「堕落」であると思われるのでしょうが、しかし、この自らによる作成記事と引用記事の間にて、揺れつつあるからこそ、1000記事を超え、そして2000記事到達も決して遠くではない現在であっても、どうにか継続することが出来ているのだと思われるのです。

私は、あまり他のブログを読むことはありませんが、おそらく、1000以上のブログ記事を作成している方々の大半は、日常的に書籍、文章を読む習慣があるのではないかと思われます。そうでなければ、記事作成の題材が尽きてしまうよりも、想念や考えを文章化するといった、ある種、内面での凝集力のようなものが枯渇してしまうのではないかと思われるのです・・。

そう、このブログ、文章を作成するための、内面にあるものを文字として固定化する凝集力とは、あまり指摘されることはありませんが、実は理系・文系といった研究分野を問わずにそれなりに重要なものではないかと思われます。そしてまたこれは、これまで(どうにか)ブログ記事の作成を継続した私からしますと、この文章化への凝集力が、自然に、そしてスムーズに駆動して、才能やセンスの領域に至るまでには、人によって多少は異なるのかもしれませんが、それなりの期間の修練といったものが必要になるのではないかと思われるのですが、さて、実際のところはどうなのでしょうか?

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
順天堂大学保健医療学部


一般社団法人大学支援機構


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ISBN978-4-263-46420-5

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