さて、過日投稿した、いくつかの「黒光り」と「無双感」について扱った記事は、おかげさまで比較的多くの方々に読んで頂くことが出来ました。これらを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。そしてまた、ハナシは「黒光り」と「無双感」に戻り、これまでの流れで「黒光り」は、瞬間的、視覚的な表現であり、他方で「無双感」は、ある程度継続する時間に対するものであり、また、それは視覚的な要素をも含む、総合的な状況に対しての表現であると思われます。
そこで、これまでの「黒光り」と「無双感」の対象として、私がとり上げた、ある種の歯科医師、そして他方の人文系師匠について、もう少し考えてみますと、後者の師匠は、確かに、ご自身の専門分野に関しての知見や見解を、原稿ナシで、よどみなく話されるような様子は、まさに並ぶものがない「無双」という表現が適切であると思われますが、しかし同時に、こちらの師匠には、前者の「黒光り」の要素が希薄であると云えます。他方で、以前に私が「黒光り」として挙げたのは、ブランドもので全身をかためたような開業歯科医師でしたが、しかし、これは別に開業歯科医師でなくとも良く、それは開業医師であっても、あるいは若手実業家などであっても特に問題はないと思われます。
そこで、これまでに述べたことをまとめ、開業歯科医師・開業医師・若手実業家と、さきに挙げた人文系師匠、つまり、人文社会科学分野の研究者との間にある違いについて考えてみますと、それは端的に、仕事で個人として扱う金額の多寡に因るのではないかと思われるのです。
つまり「黒光り」とは、ある程、扱う金額によって生じる要素であるとも云え、あるいは、これと類似した言葉として「貫禄」が挙げられるのではないかと思われます。
しかし「貫禄」と云う言葉の対象としては、たとえば、スポーツ選手や芸術家や職人、あるいは、人文系研究者などにも用いること云えます。他方で「黒光り」については、スポーツ選手や職人などに用いることは、十分にあり得そうですが、芸術家や人文系研究者に対しては、あまり適切ではなく、用いることは少ないのではないかと思われます。
これらの言葉の意味やニュアンスの違いは、イマイチよく分かりませんが、しかし、もう少し続けて扱ってみようと思います。そして、これまでは、「黒光り」は「貫禄」にも似ているものの、より経済的な意味合いが強く、仕事にて個人が扱う金額の多寡により生じるのではないか。」という見解に至ったと云えますが、引続きまた、この題材を少し扱ってみようと思います。
今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
順天堂大学保健医療学部
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5
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