また、本日から新たに3月ということですが、自身のブログをこれに関連させて述べますと、1000記事到達まで余すところ87記事にて新たな月を迎えたことになります。そして今後、これまでとほぼ同様に1日1記事の投稿にて進めていきますと、概ね3ヶ月を要することになります。これは多少タイトなスケジュールであるかもしれませんが、同時に『かなり厳しい』というわけでもありませんので、これ以降もこのスケジュールのままで記事作成を継続していこうと思います。
さて、昨日分の投稿記事もまた、多くの方々(150人近く)に読んで頂けました。これを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。そして、本日に関しても多少これに関連させたことを書いてみようと思います。
昨日投稿分の記事にて我が国の原初的な男性像として素戔嗚を挙げましたが、以前に出雲方面を訪ねた際、出雲大社近隣の日御碕に立ち寄ったところ、此処にかつて素戔嗚が隠遁・鎮座したとされる場所である隠ヶ丘という場所がありました。
素戔嗚は、この場所を選ぶに際し『柏の葉を投げ、それが落ちた場所にしよう』として、この場所になったとのことです。
とはいえ『何故ここでわざわざ柏の葉であるのか?』ということもなかなか面白く、また、男児の祭りである端午の節句に食べられる柏餅もまた、何故柏の葉なのでしょうか?さらに、そのように考えてみますと、現在に至るまで、ドイツにおいてはプロイセン(1813年)の時代より戦時に際して勲功を立てた軍人に対し授与される勲章に柏の葉のモチーフがあったと記憶していますが、これもまたさきと同様、何故、柏の葉であるのでしょうか?くわえて、ここに来て新たに思い起こされたのは、我が国の旧制第一高等学校の校章が柏の葉と橄欖(オリーブ)をモチーフにしたものであり、この柏の葉の意味とは、西洋における武の神、軍神マルスの象徴であると何方から聞いた覚えがありますが、あるいはさきのドイツ(プロイセン)の勲章における柏の葉の意味もまた、この辺りにあるのかもしれません・・。
とはいえ、これらはあくまでも憶測ではありますが、同時にこうした何かのモチーフ・シンボル的な意味とは、世間一般にて正当とされている解釈とは異なったところに、その正統な意味あいがあるということは往々にしたあるとも思われるため、自身の考えも、とりあえず一つの仮説として述べることは特に問題ないものと考えます。
また、我が国の原初的な男性像である素戔嗚と柏の葉との関連から旧制第一高等学校の校章が考案されたという仮説も一考の余地はあるのかもしれませんが、如何でしょうか?
あるいは、こうした故事来歴などはロバート・グレーヴスあるいは南方熊楠あたりの著作を読んでみますと、ひょんなカタチでその原理が述べられているような感じがしないこともありません・・(笑)。
ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きまして、どうもありがとうございます。
昨今、列島各地にて発生した、している地震・大雨・水害・火山噴火といった大規模自然災害により被害を被った諸地域の復興を祈念しています。
~書籍のご案内~
昨年師走に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
ISBN978-4-263-46420-5
0 件のコメント:
コメントを投稿