以前に読んだ本を久しぶりに手に取り、読んでみると、その中に引かれた赤線や殴り書きの註釈の意味が過去の自身が行った行為であるにも関わらず、分からないことがあります・・(苦笑)。
また一方、とりあえず500記事程度もしくは20ヶ月程度、ブログ記事作成を続けておりますと、自身が過去に作成した記事においても、そのような現象が生じることがあるのではないかと、不図考えることがあります・・(笑)。
とはいえ、現在日々、過去の記事を読み返し、適宜わずかな改変、修正を行い再投稿する限りにおいては、そうした現象に出くわすことはありません・・。
あるいは、これはこれで成長がないということになるのでしょうか・・(苦笑)?
その一方で過去の自身の作成した記事を読み思うことは、その作成された時季によっても若干の相異が認められますが、概して古い段階に作成された記事とは、最初期の対話形式からの延長であることから、ハナシの主題がよく飛ぶ、変化する文体であることが認められます。
こうした文体の場合、ハナシを無理やり繋げることに対し、あまり抵抗はありませんので、自然、ある程度の文量を比較的容易に書くことが出来るようです・・(笑)。
しかしながら、この傾向とは、昨今においても時折見受けることが出来、また自身としては、この傾向に対し危機感を持つことは、むしろ『記事作成』にとって危険なことではないかと考えます。
それ故、そうした傾向の文体で書かれた記事であっても、それはあくまでもブレ、偏差のようなものであると割り切り、あまり気にすることなく、目標とする600記事まで作成することに主眼を置くこととします・・(笑)。
また、それと同時に思うことは、以前も記事に書きましたが『初期に書かれた記事の方が内容的に深いものが多い傾向がある』ことであり、これに関しては、単純に初期の記事とは、その作成に割ける時間が相対的に多かったことによるものと考えます。
そのため、昨今においても、記事作成に割く時間が比較的多い週末に作成された記事とは、あとになり読み返してみても、平日に作成された記事に比べ、多少練られた感があるのではないかと思われますが如何でしょうか・・(笑)?
それと同時に、自身が表現したい内容、考えを文章としてまさしく『著す』という意味においては、初期作成記事に比べ多少は上達、洗練してきているのではないかとも思われます・・。
また、その意味においては、たしかに『継続は力なり』というコトバの意味の深さを多少考えさせられるところでもあります・・(笑)。
そういえば、ここまで書いて不図思い出したことは、本日作成の記事は先日再読した橋川文三の西郷南洲翁(隆盛)についての記述の抜粋引用にて充てようと考えていたことです・・。
白状しますと、こうしたことは、これまでの記事作成において、何度もありましたが、結果的には、どちらが良かったのかとは、なかなか分かりにくいものです・・(苦笑)。
さて、そこからハナシは飛び(笑)結果的にこれまでに作成した記事数とは、おおよそ550であり、1記事が大体1000字程度と考えますと55万字程度書いたことになり、さらに書籍からの抜粋引用をそのうちの半分として除きますと、おおよそ30万字弱程度自身の文章を書いてきたことになりますが、これは何かしらの影響、効果を文章作成の上達、洗練以外に自身に与えているのでしょうか・・?
こうしたこともまた、なかなか分かりにくいものです(笑)。
本日もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年に熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
0 件のコメント:
コメントを投稿