2024年7月22日月曜日

20240721 ダイアモンド社刊 小室直樹著「危機の構造 日本社会崩壊のモデル」pp.62-65より抜粋

ダイアモンド社刊 小室直樹著「危機の構造 日本社会崩壊のモデル」pp.62-65より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4478116393
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4478116395

 エリート官僚は、軍事官僚も、行政官僚も、経済官僚も、すべて技術屋であり、信ずるものは技術だけである。彼らは、どんな意味においても決断主体ではない。彼らがナショナル・リーダーとして決断に迫られれば当惑せざるをえない。このとき救いとなるのは、彼が所属する機能集団としての共同体である。この共同体は彼に自然のごとく所与にみえ、その機能的要請は神聖である。彼にとって、世界の大勢(といっても、自然のごとくみえる共同体の特定した視座からみられた特殊な世界認識にすぎないのであるが)にのっとり、神聖なる任務を遂行する以外にかなる決断を下しえようか。このようにして、決断の契機は漠然とした使命感の中に解消するとともに、この決断がいかに特殊(すなわち、彼が属する一つの機能集団の機能的要請に過ぎない)なものであり、数多くのオルターナティブの中の一つの選択にすぎないことは意識にのぼらない。したがって、この選択に関する選択が背後に押しやられ、ついに鋭く意識化されないとともに、この神聖なる所与に対する批判に対しては、本能的拒否反応を示すようになる。このような例は、戦前のミリタリー・アニマルにも、戦後のエコノミック・アニマルにも、いかに多く発見しうることであろう。

 さて、以上、戦前の軍事官僚と戦後の特権官僚を・エリート・ビジネスマンの思考様式、行動様式を比較することにより、パターンとしては、いかに両者が類似しているかをみた。しかし、すでに強調したように、類似はここに終らない。エリート官僚のタイプこそ現在日本人の理想像であり、ほとんど日本人とくにエリートと呼ばれる人びとの行動様式はこのタイプに造形されつつある。ゆえにエリート官僚の行動様式の長所・短所は同時にまた、ほとんどすべての日本人の行動様式の長所・短所でもある。しかも、この行動様式が、戦前の軍事官僚の行動様式とパターンの上で同型であることから、われわれは重大な反省に迫られる。軍国主義による破局は戦前だけのことではない。またそれは、軍国主義という特定のイデオロギーの産物ではない。現在はすでに明白になっているように、軍国主義などというイデオロギーを持った人は、戦前の日本にはほとんどいなかったようである(このことについては76~78ページ参照)。イデオロギーではなく、日本独自の行動様式の特殊状況的表現が軍国主義的であったにすぎない。このように考えると、現在でも問題は少しも解決されていないことがわかる。戦争が駄目なら経済があるとばかり、ミリタリー・アニマルがエコノミックに衣がえしても、それは同型の行動様式(isomorphic behavior pattern)の異なった状況下における表現の相違にすぎないのであって、そこには、なんら内面からの原理的行動変革の組織的努力はみられない。このことはエコノミック・アニマルだけでなく、イデオロギー・アニマルにもあてはまる。ここに、イデオロギー・アニマルとは聞き慣れない言葉かもしれないが、軍事万能の単細胞生物をミリタリー。アニマル、経済万能の単細胞生物をエコノミック・アニマルと呼ぶのならば、イデオロギー万能の単細胞生物をイデオロギー・アニマルと呼んで悪い理由はなかろう。

 イデオロギー・アニマルの思想と行動とは、彼らの看板としてのイデオロギーの方向とは全く無関係に、ミリタリー・アニマルやエコノミック・アニマルのそれと構造的に同型である。大学紛争においては、いわゆる進歩的教授であればあるほど、全共闘の激しい攻撃の矢面に立たせられ、みじめなほど残酷な取扱いを受けたのであったが、その根本的な理由は、彼らが全共闘の眼には偽善者と映じたからである。それはそうだろう。デモクラシーのチャンピオンとしてジャーナリズムで活躍中の大学教授の教室が、水も漏らさぬ年功序列のハイアラーキーで形成されていたりするのである。


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