2024年7月15日月曜日

20240714 夏になると思うこと、地域の食文化について【2222記事到達】

 今月ははじめから、夏本番とも云えるような酷暑の日が続き、さきの盛夏が思いやられるような夏の始まりであったと云えますが、個人的には、気温が上がり、湿度も高くなり、蒸し暑くなってきますと、南紀、和歌山での記憶が多く想起されます。これまでにも何度か当ブログにて述べてきたことではありますが、私は首都圏で育ち、そこから、寒い北海道を経て、転勤により南紀白浜に住むことになりました。当初、この転勤は(とても)嬉しくないものでしたが、いまだ雪景色であった北海道を経ての清明の頃の南紀には、何といいますか、生命力の溢れた自然の精気によるものであるのか、いささか陶然とした心持ちが常態化するようなところがあり、そうした環境の中で、さまざまな地の食文化に接していますと、それぞれの食材や、それらを統合した料理の味を、より鮮烈に、そして重層的に、味覚を通じて理解出来るようになると思われるのです。あるいは他の要因も少なからずあるのかもしれませんが、私は、南紀白浜での生活により、それまであまり考えることのなかった地域の食文化に興味を持つようになりました。南紀は辺縁とはいえ和歌山県つまり関西・近畿文化圏に含まれますので、街中や隣の紀伊田辺の市街地には、古くからあると思しき「粉もの」のお店があり、また、それよりもう少しメニューが多く主に定食を提供する「食堂」と云えるようなお店もあり、古来からの地域の外食文化の様相が感じられましたが、他方で丁度その当時は、市街地郊外のショッピングセンターにファーストフードの店舗が出店して数年経った頃でもあり、その後「今度は**が(田辺)市内の**にできた。」といった外食チェーン店進出の情報が度々聞かれるようになりました。これは端的に「中央もしくはさらにその背後にある国際的な食文化の進出」であると云えますが、この高度に情報化された社会において、今さら「中央文化の地方への侵出・・」と思われる方々もおられるかもしれませんが、当時も含めて一定期間、南紀白浜の社会にいた私としては、こうした地元の感覚はたしかにあったと云えます。しかし同時に、そうした外来の食文化などを当初からむやみに排撃しないのも地域性であるのか、興味深いものがあると云えます。ともあれ、そうした経緯により、私は関西・近畿文化圏の辺縁とも云える南紀において、それまで即自的なものであった食材、料理などの食事全般を、対自的なものとして捉えなおす契機を得たのだと云えます。さて、食文化を対自的なものとするためには、おそらく、これまで著された古今東西の関連する文献資料をあたり、その述べるところを整理、検討して自らの言語体系を構築する、いわば演繹的な方法と、個別の事例を出来るだけ数多く文献資料や自らのフィールドワークを通じて取得、蓄積して、そこからある程度蓋然性の高い見解を体系的に述べるといった帰納的な方法があると思われますが、私の場合は、専ら後者をそれと知らず、単に「へえ、そんな料理・食材があるのか・・。」といった態で自分なりに経験を蓄積させていったのだと云えます。そしてまた、そうした経験を通じて、それまで知っていた食文化についての情報が更新され、そしてまた、わずかに興味も亢進されて、徐々に自分の中の食にまつわる要素が対自的なものになっていったのだと思われます。その意味において、我が国の食文化の要石とも云える「醤油」および「鰹節」発祥の地が、この県にあることには、大変興味深い偶然性(あるいは必然か)があるのではないかと思われるのです。

 我が国の伝統的な食文化を検討しますと、やはり全般として、より洗練されているのは、首都圏よりも関西・近畿文化圏であると云えますが、その関西・近畿の料理文化の中心・最先端とは、やはり多くの場合、京都であると言い得ます。しかしながら、その京都の洗練された食文化について、それを構成するさまざまな料理を検討してみますと、それらの多くは古の畿内全域では共通してあった料理(調理法)であったり、さらに、その料理の起源については、また諸説あるといった複雑な様相が多く、そして、そうした系譜づいた様相とは、文化の先端や中心である京都あるいは場合によっては大阪、神戸といった大都市よりも、いまだ一次産品が多く、古来からの食文化が自然に息づいている和歌山のようないわば辺縁地域の方が、より明瞭且つ複雑でない、理解し易い様相として認識出来るのではないかと思われるのです。そして、そうした理解を感覚を通じて得るためには、その地域にしばらくの期間、埋没して暮らす必要があると思われるのです。つまり、ある文化を、より深く、対自的なものとして捉えるためには、予めそれを即自的なものとしておく必要があるのではないかと思われますが、この「予め即自的なものにする」ことは、当記事冒頭にて述べた転勤時の私のように当初は受容し難いものであったとしても、その先に、ある程度の普遍性を持った優れた何らかの事物を見出し、そこでの感覚を自分なりに興味を持って探求し続けていますと、往々にして受容云々はどうでもよくなり、そして、いつしか見えてくるより大きな構造のようなものがあるのではないかと思われるのです。その意味で南紀を含めた紀州・和歌山のゆたかな食文化には、より多くの人々に「ほんまもん」の我が国古来からの食文化を経験する契機になるものが少なからずあるのではないかと考えます。

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!
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