我が国の伝統的な食文化を検討しますと、やはり全般として、より洗練されているのは、首都圏よりも関西・近畿文化圏であると云えますが、その関西・近畿の料理文化の中心・最先端とは、やはり多くの場合、京都であると言い得ます。しかしながら、その京都の洗練された食文化について、それを構成するさまざまな料理を検討してみますと、それらの多くは古の畿内全域では共通してあった料理(調理法)であったり、さらに、その料理の起源については、また諸説あるといった複雑な様相が多く、そして、そうした系譜づいた様相とは、文化の先端や中心である京都あるいは場合によっては大阪、神戸といった大都市よりも、いまだ一次産品が多く、古来からの食文化が自然に息づいている和歌山のようないわば辺縁地域の方が、より明瞭且つ複雑でない、理解し易い様相として認識出来るのではないかと思われるのです。そして、そうした理解を感覚を通じて得るためには、その地域にしばらくの期間、埋没して暮らす必要があると思われるのです。つまり、ある文化を、より深く、対自的なものとして捉えるためには、予めそれを即自的なものとしておく必要があるのではないかと思われますが、この「予め即自的なものにする」ことは、当記事冒頭にて述べた転勤時の私のように当初は受容し難いものであったとしても、その先に、ある程度の普遍性を持った優れた何らかの事物を見出し、そこでの感覚を自分なりに興味を持って探求し続けていますと、往々にして受容云々はどうでもよくなり、そして、いつしか見えてくるより大きな構造のようなものがあるのではないかと思われるのです。その意味で南紀を含めた紀州・和歌山のゆたかな食文化には、より多くの人々に「ほんまもん」の我が国古来からの食文化を経験する契機になるものが少なからずあるのではないかと考えます。
今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5
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