pp.237‐239より抜粋
ISBN-10 : 4657909312
ISBN-13 : 978-4657909312
ジョウゼフ・コンラッドの反露感情には確かに根深いものがあった。日露戦争の終わつた1905年に発表された論文「専制政体と戦争」(Autocracy and War)において、この感情は日本軍に対する讃嘆の情とロシア軍に対する反感との対照を通じて表出されてゐる。例へば、彼は「日本軍が基盤にしているのは理性に裏打ちされた信念であり、日本軍の支へになつてゐるのは、夥しい血と財宝とを犠牲にしてでも鎮められねばならぬ信念、即ち理論的必然性を帯びた正しさへの深い信念である」と述べるが、その直前には「暗夜のやうな狂気の絶望」といふ表現がロシア軍に適用されてゐる。更にロシアの専制政体、即ち、「銃剣を逆毛のやうに帯び、鎖で武装し、聖像をいくつもぶら下げた恐怖すべき奇妙な亡霊」に他ならぬロシアの専制政体は今や「東郷〔平八郎〕の魚雷と大山〔巌〕の大砲とによって既に修復不能な程にひび割れを起してゐる」とも述べる。コンラッドは、日本軍の使命は「ロシア専制政体といふ亡霊」を鎮圧する事であつたと言ひ、最高級とも思へる賛辞を日本軍に呈するのを忘れない。「〔日本軍〕は己の過去と未来を十全に意識し、驚嘆の眼差しで眺める世界の人々の前で、試練に他ならぬこのいくさのいはば一歩一歩において、「己れを発見する」。この偉大な教訓は、大抵の場合、しばしば半ば無意識のうちに抱かれる偏見や人種的相違によって矮小化されてきた」。日本軍への高い評価は取りも直さずロシアへの烈しい反感を語る仕組みになつてゐる。
コンラッドの反露感情には、1772年、1793年、1795年と、3回に亙つて行はれたロシア、プロシア、オーストリアによるポーランド分割に根を発する牢乎として抜き難いものがあつた。ポーランドはこの分割以来、国家として消滅してゐたのだが、イアン・ワットも言つているやうに、コンラッドが生れ育つた地域はロシアの支配するところとなつてゐて、他の二国に支配さててゐた地域に比して、その支配の形態は格段に苛酷な性質を帯びてゐた。エドワード・クランクショーの見るところでは、ロシアはコンラッドの世界観が形成される上で決定的に重要な役割を果たしてゐる。不可抗力的な専横な力としての悪の本質についてコンラッドは熟考を強ひた点で、ロシアのポーランド支配はコンラッドの物の見方に大きな影響を与へたとクランクショーは言ふ。コンラッドに限らず、ロシアに分割・統治されてゐた地域の人々はみな、専横な暴力、「自由に徘徊し、どこであらうと意のままに襲ひかかる事の出来る暴力といふむきだしの不可抗力の事実」をつねに意識させられてゐた、と言ふのである。
コンラッドは船乗りになるべく単身マルセーユへ向つた年、1874年まで、即ち17歳までこの専横な暴力をぢかに身を以て体験するやう運命づけられていたのであるが、両親の肉体を(そして或程度までその精神を)破壊したと言つていい暴力の発生装置たるロシア帝国が、この世の存在すべからざる国とコンラッドに思はれるに至つたとしても無理はない。「ロシアの専制政体は歴史的過去を持たぬ。歴史的未来を望む事も出来ぬ。終焉を迎へる事が出来るのみである」。このやうに発言する時も、恐らく日本を念頭に置きつつ、「東洋の諸専制政体は人類の歴史に属する」。それらはその光輝、その文化、その芸術、その偉大な征服者等の英雄的行為によつて我我の精神と想像力に刻印を残してくれてゐる。東洋の専制政体には知的価値が具はつてゐる」と述べ、それとは違つて、ロシアの専制政体が他に類を見な凡そ反人類的なものであつたといふ事を導出せずにはゐられない。「この政体が人類に対して犯した最も重い罪は・・・無数の精神を仮借なく滅ぼした事である」。
ISBN-13 : 978-4657909312
ジョウゼフ・コンラッドの反露感情には確かに根深いものがあった。日露戦争の終わつた1905年に発表された論文「専制政体と戦争」(Autocracy and War)において、この感情は日本軍に対する讃嘆の情とロシア軍に対する反感との対照を通じて表出されてゐる。例へば、彼は「日本軍が基盤にしているのは理性に裏打ちされた信念であり、日本軍の支へになつてゐるのは、夥しい血と財宝とを犠牲にしてでも鎮められねばならぬ信念、即ち理論的必然性を帯びた正しさへの深い信念である」と述べるが、その直前には「暗夜のやうな狂気の絶望」といふ表現がロシア軍に適用されてゐる。更にロシアの専制政体、即ち、「銃剣を逆毛のやうに帯び、鎖で武装し、聖像をいくつもぶら下げた恐怖すべき奇妙な亡霊」に他ならぬロシアの専制政体は今や「東郷〔平八郎〕の魚雷と大山〔巌〕の大砲とによって既に修復不能な程にひび割れを起してゐる」とも述べる。コンラッドは、日本軍の使命は「ロシア専制政体といふ亡霊」を鎮圧する事であつたと言ひ、最高級とも思へる賛辞を日本軍に呈するのを忘れない。「〔日本軍〕は己の過去と未来を十全に意識し、驚嘆の眼差しで眺める世界の人々の前で、試練に他ならぬこのいくさのいはば一歩一歩において、「己れを発見する」。この偉大な教訓は、大抵の場合、しばしば半ば無意識のうちに抱かれる偏見や人種的相違によって矮小化されてきた」。日本軍への高い評価は取りも直さずロシアへの烈しい反感を語る仕組みになつてゐる。
コンラッドの反露感情には、1772年、1793年、1795年と、3回に亙つて行はれたロシア、プロシア、オーストリアによるポーランド分割に根を発する牢乎として抜き難いものがあつた。ポーランドはこの分割以来、国家として消滅してゐたのだが、イアン・ワットも言つているやうに、コンラッドが生れ育つた地域はロシアの支配するところとなつてゐて、他の二国に支配さててゐた地域に比して、その支配の形態は格段に苛酷な性質を帯びてゐた。エドワード・クランクショーの見るところでは、ロシアはコンラッドの世界観が形成される上で決定的に重要な役割を果たしてゐる。不可抗力的な専横な力としての悪の本質についてコンラッドは熟考を強ひた点で、ロシアのポーランド支配はコンラッドの物の見方に大きな影響を与へたとクランクショーは言ふ。コンラッドに限らず、ロシアに分割・統治されてゐた地域の人々はみな、専横な暴力、「自由に徘徊し、どこであらうと意のままに襲ひかかる事の出来る暴力といふむきだしの不可抗力の事実」をつねに意識させられてゐた、と言ふのである。
コンラッドは船乗りになるべく単身マルセーユへ向つた年、1874年まで、即ち17歳までこの専横な暴力をぢかに身を以て体験するやう運命づけられていたのであるが、両親の肉体を(そして或程度までその精神を)破壊したと言つていい暴力の発生装置たるロシア帝国が、この世の存在すべからざる国とコンラッドに思はれるに至つたとしても無理はない。「ロシアの専制政体は歴史的過去を持たぬ。歴史的未来を望む事も出来ぬ。終焉を迎へる事が出来るのみである」。このやうに発言する時も、恐らく日本を念頭に置きつつ、「東洋の諸専制政体は人類の歴史に属する」。それらはその光輝、その文化、その芸術、その偉大な征服者等の英雄的行為によつて我我の精神と想像力に刻印を残してくれてゐる。東洋の専制政体には知的価値が具はつてゐる」と述べ、それとは違つて、ロシアの専制政体が他に類を見な凡そ反人類的なものであつたといふ事を導出せずにはゐられない。「この政体が人類に対して犯した最も重い罪は・・・無数の精神を仮借なく滅ぼした事である」。
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