18世紀中期イングランドにて発生した産業革命は、その後ヨーロッパのみならず世界の様相を一変させた。
産業革命における蒸気機関の普及により大量の製品が製造され、それが蒸気機関車にて運ばれ、さらに蒸気船により国外に輸出されるといった流通経路・形態が常態化すると、当然の如く、それら輸出先地域の伝統的な在来文化が変形もしくは破壊され、そして結果的にその地域とは産業革命が為された欧米諸国の植民地とならざるを得ない状態へと至る。
極東の中国・朝鮮・日本などは独自の伝統的な在来文化を保持していたことから、当初、武装された蒸気船による欧米文化の来航に対して激しく抵抗したが、そうしたいわば国粋的な勢力・行為とは、優れた武器を広汎に装備した欧米列強により排除され・圧迫を受け、とりわけ国土が広大である中国(当時は清王朝)は沿岸部複数地域が半ば植民地のような状態へと陥るに至った。
そうした中、日本のみは当時のアジア世界において例外的に、来航する欧米文化を摂取・順応することにより、その民族的な独立は保持しつつ新たな政体への変化を遂げることが出来た。
また、我が国の歴史においてはこの時代より近代化が為されたと一般的に云われる。
しかしながら、なぜこの時期に日本のみが独立を保ちつつ曲がりなりにも近代化を遂げることが出来たのであろうか?
このことは、現代に至るまでさまざまな国々から指摘される我が国に対する興味・疑問であり、またそこで得られたことを手掛かりとして東アジア全体の歴史・文化を認識を試みるといった傾向もまた少なからずあった(ある)とも云える。
とはいえ、全ての歴史的出来事がそうであるように、一つの歴史上の出来事が生じるに至るまでには無数の原因があり、そしてそれぞれの原因にもまた同様に無数の結果が生じているのである。
それ故、歴史上にて良いとされる出来事とは、その発現に至るためには数多くの小さな良い(とされる)出来事があり、それらが相互作用することによりはじめて発現されると云えるのである。
無論、逆においても然りであると云える。
ともあれ、そうした原因・結果として考えられるものが多い場合においても、それらの歴史の流れにおける重要性の比重とは、さまざまな史料・資料に基づいて考えてみると概ね理解することが出来るのではないかと考える。
さて、この時期の我が国において良い効果を齎したものとして、先ずはじめに17世紀初頭から19世紀半ばに至るまでの約250年間、凍結した軍事体制とは評されるものの徳川幕藩体制下の国内にて大規模な争乱もなく、概ね平和裏にさまざまな文化・事業の進化発展が為されたことが挙げられる。
そして二つ目に当時の欧米列強の東アジアをはじめとした世界各地における帝国主義的(権益の伸長)な行為態度に基づく互いの(権益伸長への)牽制が為されていた、あるいは国よっては内戦が生じていたといった外部的要因もまた挙げられる。
しかし、たとえそうであったとしても、それら我が国にとって有利に働く外部的な諸事情は、あくまでも恒常的なものではなく、我が国はそれに適切に応対するため早期の変革が為されなければならないことを、当時の心ある・世界規模の知識を有する人々は痛感していた・・。
今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年から現在に至るまでに列島各地において発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った諸地域のインフラの復旧・回復および復興を祈念しています。
昨今再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。
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