A「2015年6月、さまざまな事情から帰郷することに決め、大阪から自動車にて出立の晩、兵庫県東部在住の知人と会うことになり、大阪北部の某所にて待ち合わせ、食事を摂り、時刻も遅くなったことから自動車にて御自宅まで送ったことを先日参加した勉強会後の会話にて思い出しました。
また、出立の日は生憎の大雨であり、途中道路が混雑し、待ち合わせの時間に遅れてしまい申し訳なかったのですが、車中での会話が大変面白く、途中給油しなければならないことを忘れ、ガス欠で危うく立往生するところでした・・(苦笑)。
そして、この車中の会話にて『ブログを書き続けると良いのでは・・』という意見を頂き、またそれから数日後の入院していた叔父を見舞った際『何か書き続けなさい・・』と云われたため『そこには何かあるのかもしれない・・』と考え、現在までどうにかブログ記事の作成を継続してきました。
そして、その後のことを考えますと、たしかに、このブログ記事作成を行っていなければ、何か更に自身としては恐ろしいことになっていたのではないかと思われるのです・・。
こうしたことは科学的根拠を示すことが困難であることから、その見解の正しさとは分からず仕舞ではありますが、それでも自身の感覚としては『間違いない』と云い得ます・・。
また、それに類似する経験とは、多くの方々が経験されているのではないでしょうか?
そして上記のことを思い出す契機となった勉強会後の会話にて、
『なぜ、あの時、わたしにブログを書くことを勧められたのですか?』とその知人に尋ねてみたところ
『いや、当時の**さんは5月に***の喫茶店で話した時と同様、何か吐き出せずに溜め込んでいる感じがしまして、ああいった状態が続いてしまうと、とんでもないことになると思ったからです・・。』
とのことでした。
自身としては、そのような知恵、知見がなかったことを痛感した次第ですが、ともかく我々とは、こうした会話を通じて、さまざまな『人間に関する知恵』といったものを学んでいくことが多いのではないでしょうか・・?
また、ここから少しハナシは飛躍しますが、このようなところにも文系学問の重要性、存在意義があるのではないかと思われるのですが、如何でしょうか?
しかし一方、私見としては、その知人の示した見識とは、理系学問での実験を伴う研究における『現象を捉える視点』とも共通する何かがあるのではないかとも思われるのです・・。
そして、そこからさらに抽象を試みますと寺田寅彦が述べた
『物理学を理解するにはギリシャ神話を理解しなければならない』そして河合隼雄が述べた
『心理学にて用いる概念とはギリシャ神話をモデルとしたものが多い』といったコトバが想起されるのですが、さて、こうした想起の背景には『共通する概念の存在』が、ある程度は認められるのでしょうか・・(笑)?
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年、熊本、山陰東部そして福島県周辺において発生した地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
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