2018年12月13日木曜日

20181213 昨日の続き、再び歴史意識について

おかげさまで昨日投稿分記事も比較的多くの方々に読んで頂けました。これを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

我が国の一般的な歴史意識は、おそらく以前からあまり変わらず、何といいますかアニメなどの舞台設定にありがちな擬制的のものと、史実とされるものの間の区別が曖昧であり、それがさまざまな媒体により更に拡大再生産そして拡散されることにより、現在の状態になっていると思われます。

しかし何故、我々の社会においては史実とされる歴史と擬制的なそれとの間の区別が曖昧なのでしょうか?

そもそも『史実とされる』とは、どのような意味であろうかと考えてみますと、学問分野としての歴史学に則ったものであると思われるのですが、これに関しては、専門書・学術書なども少なからず刊行され、研究も為されているのでしょうが、では何故、その研究成果と日常我々が接する歴史的な背景を持つ事物の間にかい離が生じるのでしょうか?

この間にかい離が生じていなければ、我が国の一般的な歴史意識は、冒頭に述べた擬制的なものになることはなかったように思われます。

あるいは、広く我々の中には、かつての封建時代あるいはそれ以前より、どちらかというと圧政に近い支配を受けたという無意識に近い認識があり、そこから歴史学に基づくような歴史を最終的には拒絶するといったような性質があるのかもしれません。

しかし他方で、特に地方などにおいては、かつての封建制度あるいはそれ以前の社会の残渣とも云えるような、前近代的な習慣・思考が日常において見受けられることは、大変興味深い二律背反・絶対矛盾的自己同一である思われます。【もちろん、であるからといって都市部が良いというわけではありませんが。】

そして、この二律背反・絶対矛盾的自己同一が良いものであるかどうかは分かりませんが、何れにせよ、さきの擬制的なものでない、歴史学を背景とするような歴史意識が、どのレベルの社会であれ、ある程度の深さと広さで定着することにより、さきの前近代的な習慣・思考は自然と解体なり溶融あるいはまさしく、その歴史意識に即して変形していくのではないかと思われます。

他のさまざまな条件が異なるため、確実にそうであるとは云えませんが、おそらく、こうした過程を封建制度にはじまり経てきた国々が西欧諸国であると云えます。我が国は、典型的な意味でのこうした国々ではありませんが、それでも、国レベルでの歴史意識の醸成に資するような大きな経験を除いては、概ね及第しているのではないかと思われます。

しかし、この一般化され得る歴史意識あるいは基準とされる、正当にして正統とされるような共同幻想のモノガタリ
こそが、国際化によって国境が曖昧になってきている現代においては、思いがけずに重要であることを、我々はどのようなカタチで認識することになるのでしょうか?

あるいは認識しないで済むものなのでしょうか?

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
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ISBN978-4-263-46420-5
医歯薬出版株式会社

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