2018年9月23日日曜日

20180923 『記憶内部での刺激への処理』とブログ記事の更新について

先日、9月14日投稿分の記事『20180914 地域に特徴的な地名などの名称から思ったこと・・【昨日投稿分記事から】』は、その後も現在に至るまで継続的に読んで頂いているものの、この記事は個人的な経験に基づき作成した記事であることから、あるいはそこに人々の興味を惹く普遍的なものがあったのかもしれません・・。
また、当記事を読んで頂いたのと同時期、他の読んで頂いている記事を見てみるのもなかなか面白く、それら記事の間にある関連性などについて考えさせられます・・(笑)。

具体例として、さきの9月14日分の記事投稿と前後して一昨年【2016年】2月18日投稿分記事である『北杜夫著「どくとるマンボウ航海記」新潮社刊pp.137-138より抜粋 およびスタンリー・キューブリック監督「突撃」(1957) 終幕場面』が読まれていたことが挙げられます。そして、これら両記事に共通する部分、もしくはその関連性について考えてみますと、不思議なことに、ある具体的なヒトの存在が脳裏に浮かんできたのです・・。

とはいえ、実際にその方が当ブログを読んでいることはおそらくなく、あくまでも、これは自身の記憶内部のみでの出来事と考えるのが適当と云えます。しかしながら、大抵の文章の作成もまた、そうしたもの【記憶内部での刺激への処理】であり、多少極端に云えば、こうした外部からの刺激の感知と、それに対する反応により、何らかの具体的な存在、あるいは何らかの考え・思想などでも良いのですが、そうしたものが脳裏に結像・顕現し、さらに、その一連の過程を言語・文章にて著すことが出来ることが、なかなか重要であるのではないかと思われるのです。

つまり、言語による創造【文章の作成】の上達とは、一つに、外部からの刺激に対するセンサーを適宜調整することにより、異なった状況・環境においてもコンスタントに、それなりの文章を作成出来るようになることであると思われるのですが、さて、如何でしょうか?

その意味において、複数の具体的なヒトの存在が脳裏【精神】に記憶されていることは、それなりに有意義であると考えます。【さまざまな評伝・伝記の価値は、こういったところに多くあるのではないだろうか?しかし、そういえば、昨今は以前よりも伝記の類を読まれることが少なくなっているのではないだろうか?あるいは、歴史に名を残す過去の人物を見本、上に置き、それを目指すよりも、昨今においては、そうしたヒト達を目指すよりも、それを引きずり下ろす方が、よりお手軽・実際的であるのかもしれません・・。】。

そういえば、本日はじめて徳島に住んでから書籍を購入しました。さきほどまでに10頁ほど読み、今後読み進めていこうと考えています。やはり、こうしたブログ記事作成の継続には、文章を書き続けることと同時に、読書【新たなものを追加更新して読み続ける】が重要であるのではないかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。


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勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス
conrad19762013@gmail.com 
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数年前より現在までに、日本列島各地にて発生した、さまざまな大規模自然災害によって被害を蒙った地域の速やかな復旧、および、その後の復興を祈念しています。


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